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(三) レビ族の役務と定住 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
 
  第一章 旧約聖書のイブル人部族化
 
  (三) レビ族の役務と定住
 
  さて
 レビ族とはモーセやその兄アロンが
 属する部族であると
 本書第二部の最後部で紹介した。
 
 この部族について「民数記」第一章はいう。
 
   〔49〕レビ族だけは他のイスラエル人と
      一緒に登録してはならない。
      またその人口調査もしてはならない。
 
   〔50〕あなたはレビ人に証の幕屋と
       その全ての用具及び
       その全ての付属品を管理させよ。
      彼らは幕屋とその全ての用具を運び、
      これを管理し、
      幕屋の回りに宿営しなければならない。
 
   〔51〕幕屋が進ときはレビ人が
      それを取りはずし幕屋が張られるときは
      レビ人が
      これを組み立てなければならない。
      これに近づく他の者は
      殺さなければならない。
 
 つまり「レビ人」は「主」に対する祭司として
 選ばれたその役務を担うことと
 主によって定められたのである。
 
 同第八章はいう。
 
 この節句は主がモーセに指令した言葉である。
 
   〔13〕あなたは
      レビ人をアロンとその子らの前に立たせ、
      彼らを奉献物として主に献げる。
 
   〔14〕あなたがレビ人をイスラエルの人の
      うちから分けるなら
      レビ人は私のものとなる。     
     
   〔15〕こうして後、レビ人は
      会見の天幕の奉仕をすることができる。
 
   〔20〕モーセとアロンとイスラエル人の全会衆は
      全て主がレビ人について
      モーセに命じられたところに従って
      レビ人に対して行った。
      イスラエル人そのとおりに彼らに行った。
 
 また、
 「申命記」第十章で「民数記」でモーセに指令された
 事々を確認し、彼らレビ族の「相続地」について
 次のように述べる。
 
   〔8〕そのとき、主はレビ部族を選り分けて、
      主の契約の箱を運び、
      主の前に立って仕え、
      また御名によって祝福するようにされた。
      今日までそうなっている。
 
   〔9〕それゆえレビ族には兄弟たちと一緒に
      相続地の割り当てはなかった。
      あなたの神、主が言われたように、
      主が彼の相続地である。
 
 レビ族には他の部族とは違い「嗣業の地」は
 分け与えられなかったのである。
 
 彼らの生活生存はどうして保たれたのだろうか。
 
 決して部族とし断絶や解体した
 わけではなっかたのだから。
 
 これまで「民数記」が説明している通り
 「祭祀」の役務を遂行するための措置が
 実は主によって授けられていたのである。
 
 「民数記」第三十五章で
 主がモーセに次のように告げている。
 
   〔1〕エリコに近いヨルダン川のほとりの
      モアブの草原で
      主はモーセに告げて仰せられた。
 
   〔2〕イスラエル人に命じて、
      その所有となる相続地の一部を、
      レビ人に住むための町々として
      与えさせなさい。
      彼らはその町々の回りの放牧地を
      レビ人に与えなければならない。
 
   〔3〕町々は彼らが住むためであり、
      その放牧地は彼らの家畜の群れや
      全ての獣のためである。
 
   〔4〕あなたがたがレビ人に与える町々の
      放牧地は町の城壁から外側に回り
      一チピトでなければならない。
 
   〔7〕あなたがたがレビ人に与える町は
      全部え四十八の町で放牧つきである。
 
   〔8〕あなたがたがイスラエル人の所有地の
      うちから与えられる町々は、
      大きい部族からは多く、
      小さい部族からは少なく
      しなければならない。
      各々の自分の相続した相続地に応じて、
      自分の町からレビ人に
      与えなければならない。
 
 その後イスラエルの人々は
 ヨルダン川を渡って
 父祖の地カナンへ入り、
 それぞれ部族の嗣業の地に定住した。
 
 「ヨシュア記」第一三章一四節は述べる。
 
   ただレビの部族だけは
   相続地を与えられなかった。
   主が約束されたとおり、イスラエルの神、
   主への火によるささげ物、
   それが相続地だった。
 
 ここでも理解できるように
 イブル人は祝祭〔燔祭〕の徒であり、
 主がレビ族に放牧地を与えたのは、
 そこで神(主)にささげる、
 〔火による〕犠牲の獣を養育するためであった。
 
 またレビ族は嗣業の地を与えられた
 他の全て部族に分けられていったのであり、
 彼らが各部族の祭事を担当する役務が
 負わされたのである。
 
 「ヨシュア記」十三章においても言う。
 
   〔33〕レビ族にはモーセは
      相続地を与えなかった。
      主が彼らに約束されたとおり、
      イスラエルの神、
      主が彼らの相続地である。
 
M.K記

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(二) イブルの十二部族の嗣業の地〔カナン〕への変化   [神聖の系譜]


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第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
 
  第一章 旧約聖書のイブル人部族化
 
 (二) イブルの十二部族の嗣業の地
     〔カナン〕への変化  
 
  「民数記」第十三章に
 モーセの言葉に従って採り入れた
 「父祖の地」カナンへは結局ヨルダン川を
 東から西へ渡って各部族ごとに
 定住することができた。
 
 その時期
 紀元前一二〇〇年を過ぎと考えられている。
 
 ここでその父祖の地である嗣業の地への
 部族配置を大雑把(おおざっぱ)に紹介しておきたい。
 
 定住した全域は塩の海(死海)の南端を
 東西に伸ばした線から以北で北端は
 レバノン山脈の南レオンチス川が
 地中海へ流れ入る地域辺りまでである。
 
 まず塩の海の北端から西方地中海までの領域に
 南からシメオン族、次いでユダ族が入った。
 
 そして塩の海の北端から西方地中海までに
 ベニヤミン族、ダン族が、
 その北にエフライム族、その北にマナセ族、
 さらにその北ゲシェルの海辺りまでに
 イッサカル族、その西にセブルン族、
 ゲシェルの海の西岸からナフタリ族。
 
 このセブルン族、ナフタリ族は
 地中海とゲシェルの海の中間辺りまでで、
 地中海沿岸、あではアシェル族が入った。
 
 また死の海の東側地域中部から北、
 ヨルダン川の東岸地域には
 ルベン族、ガド族、さらにその北方方面
 ヘルモン山東麓からダマスカス近くまでを
 マナセ族の半分が入った。
 
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M.K記

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(一) イブル人の部族化と十二部族 [神聖の系譜]


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第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
 
  第一章 旧約聖書のイブル人部族化
 
  (一) イブル人の部族化と十二部族
 
  『旧約聖書』〔日本聖書協会〕
  「民数記」第一三章は次のように述べる。
 
   主はモーセに告げて仰せられた。
 
   人々を遣わして私がイスラエル人に
   与えようとしているカナンの地を探らせよ。
 
   父祖の部族ごとに一人ずつ、
   皆その族長を遣かわさなければならない。
 
   モーセは主の命によってパラシの荒野から
   彼らを遣わした。
 
   彼らは皆イスラエル人のかしらであった。
 
   彼らの名は次のとおりであった。
 
   ルペン部族からはザクルの子シャムア
   シメオン部族からはホリの子シャファテ
   ユダ部族からはエフネの子イグアル
   エフライム部族からはヌンの子ホセア
   ベニヤミン部族からはラフの子パルティ
   ゼブルン部族からはソディの子ガディエル
   ヨセフ部族、
    すなわちマナセ部族からはスシの子ガディ
   ダン部族からはゲマリの子アミエル
   アシュル族からはミカエルの子セトル
   ナフタリ族からはブフシの子ナフビ
   ガド族からはマキの子ゲウェル
   
   以上はモーセがその地を探らせるために
   遣わした者の名である。
 
   その時モーセは
   ヌンの子ホセアをヨシュアと名付けた。
 
 これらの部族名が
 イスラエル〔イブル〕の部族名とされる。
 
 ただし「レビ族」名はここにない。
 
 その理由は別に述べられる。
 
 イブル語における「部族」は ShVT であるいは
 MTH とも表記される。
 
 双方とも「部族」ながら「支族」とも
 考慮されている。
 
 つまりイスラエルの十二支族は
 一つの柱から分かれた「支枝」なのである。
 
 その事情は「創世記」第三十五章に詳しい。
 
 その十節は述べる。
 
 当節は主がヤコブに向かって語りかけている。
 
   神は彼に言われた。
 
   「あなたの名はヤコブである。
    しかしあなたの名は
    もはやヤコブと呼ばない。
    イスラエルがあなたの名となる。」
 
 この説明によって「民数記」が
 「イスラエル」といっているのがヤコブの系譜、
 つまり子孫であることが理解できる。
 
 同章二二節からの記述がそれを明白にする。
 
   ヤコブの息子は十二人であった。
 
   レアの息子がヤコブの長男ルベン、
   それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、
   ゼブルン、ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、
   ラケルの召し使い
   ビルハの息子がダンとナフタリ、
   レアの召し使いジルバの息子が
   ガドとアシェルである。
 
   これらはパダン・アラムで生まれた
   ヤコブの息子たちである。
 
 つまり、
 イスラエルの十二部族名はヤコブ〔イスラエル〕の
 息子たちの名前に由来しており、
 「イブルの十二部族」は「イスラエルの十二部族」
 なのである。
 
 彼の息子たちを生んだ女性の名は
 レア、ラケル、ビルバ、ジルバであった。
 
 「創世記」はその女性たちの関係と息子たちの
 出生事情をかなり詳しく述べて
 各息子の名前の理由を述べているが、
 本書に転載する必要はない。
 
 ただし
 「ガド」と「ユダ」については後段で解説する。
 
  イスラエルの十二部族名は
 上記「民数記」以外にも登場している。
 
 参考のため記述しておきたい。
 
 まず上記「民数記」第二六章には次のようにある。
 
   ルべン族、シメオン族、ガド族、ユダ族、
   イッサカル族、ゼブルン族、
   マナセ族〔ヨセフの子孫〕、
   エフライム族〔ヨセフの子孫〕、ベニヤミン族、
   ダン族、アシェル族、ナフタリ族
 
 さらに『新約聖書』「ヨハネ黙示録」第七章にも
 以下の名称が述べられている。
 
   ユダ族、ルべン族、ガド族、アセル族、
   ナフタリ族、マナセ族、シメオン族、レビ族、
   イサカル族、ゼブルン族、ヨセフ族、
   ベニヤミン族、
 
 これらの異なる教典に登記されている
 部族名簿の名称は同じではない。
 
M.K記

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目次3 [神聖の系譜]


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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《目次3
 

 第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
  第一章 旧約聖書のイブル人部族化
  (一) イブル人の部族化と十二部族
  (二) イブルの十二部族の嗣業の地
     〔カナン〕への変化
  (三) レビ族の役務と定住
  (四) イブライ王国の南北分裂
     〔ユダ王国(南)とイスラエル王国(北)〕
  (五) 「ヨシュア記」の
     ガド族・マナセ族・ルベン族の築いた
     祭壇と「証拠」①②
 
 第二章 失われたイスラエルの十支族の流浪
  (一) イスラエル十支族のアッシリアによる
     強制移住〔捕囚〕メディアへ 
  (二) メディアから安定へ
    〔エズラ書のアルザレと「パリサイ」〕
  (三) 月氏〔大月氏〕とシルクロード
  (四) クシャン王朝と絹貿易
  (五) パルチアの台頭と強力化
  (六) 海洋交易商人へ〔アラビア海方面に南下〕
  (七) 小月氏
 
 第三章 イブル人の極東への遷征
  (一) イブライ王国ソロモン王の海洋交易船団
  (二) 旧約聖書「イザヤ書」の
    「地の果ての島々」
    (a) 「地の果て」と「島々」
    (b) 海に満ちる者
  (三) 韓半島の「月支国」及び
    「クダラ」「シラギ」
  (四) 魏志倭人伝の伊都国の背景
    〔イトの語義と由来〕
M.K記
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(五) モーセ〔レビ族〕の死と埋葬地 [神聖の系譜]


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ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (五) モーセ〔レビ族〕の死と埋葬地
 
  「申命記」は「モーセ五書」といわれる
 経典の最後のものでイブル語名は DBRYM という。
 
 DBR〔言葉、語〕の複数形で、
 モーセが神の言葉をイスラエルの人々に語り
 〔DBR:動詞形〕聞かせた事項を
 記録したものと趣旨であるが、
 モーセの伝承も含まれている。
 
 最後第三四章は次のように述べる。
 
   モーセはモアブの平野から
   エリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。
   主は
   モーセに全ての土地が見渡せるようにされた。
 
   ギレアドからダンまで、
   ナフタリの全土、
   エフライムとマナセの領土、
   西の海に至るユダの全土、ネゲブ及び
   なつめやしの茂る町エリコの谷から
   ツォアルまでである。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「これがあなたの子孫に与えると
    私がアブラハム、イサク、ヤコブに
    誓った土地である。
    私はあなたが
    それを自分の目で見るようにした。
    あなたはしかし
    そこに渡って行くことはできない。」
 
   主の僕(しもべ)モーセは主の命令によって
   モアブの地で死んだ。
   主はモーセをベト・ペオルの近くの
   モアブの地にある谷に葬られたが、
   今日に至るまで
   だれも彼の葬られた場所を知らない。
 
 この記述を考察してみたい。
 
 「モアブ MVAB の平野」は続いて述べられる
 「エリコ YRKhV の向かい」とあるように、
 ヨルダン川を間にエリコは西側にあって、
 モアブは同川と死海の東側、
 現ヨルダン国域を呼んだ地名である。
 
 本書の第三部で説明することになる
 イブル十二部族のうちの
 ガド族が定着したところである。
 
 モーセは主の導きによりそこにある山
 ネブ山の頂に登ったというのである。
 
 続いて地称が記述されている。
 
 「ギリアド GLID 」名は GL-ID 〔石塚-証拠〕で
 第三部第一章で述べる「ヨシュア記」の伝承の
 「石の祭壇:石塚」が築かれたところである。
 
 「ダン」「ナフタリ」「エフライム」「マナセ」
 「ユダ」は十二族のうちの部族名である。
 
 「西の海」とは同地より西にある
 地中海をいったものである。
 
 「モーセは主の命令によって
  モアブの地で死んだ」と述べられる。
 
 そしてその埋葬地はモアブの地にある
 ベト・ペオル BYT-PIVR〔家(神殿)-大きく開いた〕、
 つまり「大きく広い谷にある神殿」近くの谷
 といっている。
 
 その地にはモーセの家族(子供たち)も
 住んでいたに違いない。
 
 彼らもレビ族の一員とし
 てガド族の祭儀に祭司として関係していたものに
 間違いない。
 
 ネブ NBV 山は死海の北端の東側の山地である。
 
  「申命記」第三四章は続けていう。
 
   ヌンの子ヨシアは知恵の霊に満ちていた。
   
   モーセが彼の上に手を置いたからである。
 
   イスラエルの人々は彼に聞き従い、
   主がモーセに命じられたとおりに行った。
 
 ヨシュアはすでにモーセの生存中からも
 モーセの導きに従っていた者であるが、
 モーセの死の後は、
 彼がイスラエルの指導者であった。
 
 《参考》
 
 ヨルダン川流域
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M.K記

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(四) 「出エジプト記」で述べられた 十戒石の奉祭仕法 [神聖の系譜]


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第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (四) 「出エジプト記」で述べられた十戒石の奉祭仕法
 
  第三五章以下には、
 モーセがイスラエルの人々を指導して
 十戒石を奉祭する仕法を具体化していく様子が
 述べられる。
 
 四節から
 「主のもとに献納物を持って来なさい。」
 と幕屋建設の準備のための
 「金、銀、青銅、青柴・緋色の毛糸」など
 多くの品がモーセによって集められる。
 
 その内容をここに転載して述べる
 必要はないだろう。
 
 ただ第三七章によると、
 十戒石は「箱」に納められるといっている。
 
 そして第三七章では祭壇を
 築くように示めされている。
 
 また祭司としての
 モーセの兄アロンの祭服、胸当てや上着などの
 細目が指示される。
 
 第四十章からは実際の幕屋の建設が始まる。
 
   主はモーセに仰せになった。
   第一の月の一日に幕屋、
   つまり臨在の幕屋を建てなさい。
 
   あなたはそこに掟の箱を置き、
   垂れ幕を掛けて箱を隔て、机を運び入れ
   その付属品を並べ燭台を運び入れて
   灯をともす。
   (略)
   モーセは主が命じられたとおりに行った。
 
   最後に幕屋と祭壇の周囲に庭を設け、
   庭の入口に幕を掛けた。
 
   モーセはこうしてその仕事を終えた。
 
 さてここで「十戒の石板」を「出エジプト記」などが
 どうイブル語経典で表記しているか確認したい。
 
 「出エジプト記」第二十四章一二に
 LKhT-HAVN〔板-石〕とある。
 
 第三十一章一八、第三十二章一五には
 ShNY-LKhT-HIDT〔二つの-板-証の〕とある。
 
 第三十四章二九にも同様の表記があるが、
 また一及び四には 
 ShNY-LKhT-AVNYM〔二つの-板-石の〕とある。
 
 「申命記」第九章十、十一、第十章一にも
 同じ表記がある。
 
 さらに「出エジプト記」第三十二章一五には
 「板には文字が記されていた」とある。
 
 そのイブル語は KhTVYM〔書かれていた〕で、
 現在形の KhTV は「書く、記す、記録する」で、
 また同じ綴りでの名詞は「字、文字、筆跡」を
 表す。
 
 「筆跡」はその十五において 
 「彫りこまれた」とある KhRVT で、
 現在形が KhRT で「刻む、彫る」である。
 
M.K記

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(三) 粛正と「十戒石」の 再授与〔モーセが書いた〕 [神聖の系譜]


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第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (三) 粛正と「十戒石」の 再授与〔モーセが書いた〕
 
  主は民の非道をうけて粛清を行った。
 「出エジプト記」は第三二章二五から
 次のように述べられる。
 
   モーセはこの民が勝手な振舞いをしたこと、
   アロンが彼らの勝手な振舞いをさせて、
   敵対する者の嘲りの種となったことを見ると、
   宿舎の入口に立ち、だれでも主につく者は
   私のもとに集まれと言った。
 
   レビの子らが全員彼のもとに集まると彼らに、
   イスラエルの神、主がこういわれる。
 
   「おのおの剣を帯び宿営のを入口から入口まで
    行巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を
    殺せ。」と命じた。
 
   レビの子らはモーセの命じたとおりに行った。
 
   その日
   民のうちで倒れた者はおよそ三千人であった。
 
   モーセは言った。
 
   おのおの自分の子や兄弟に逆らったから
   今日あなたたちは主の祭司職に任命された。
 
   あなたたちは今日祝福を受ける。
 
 ここにおいて、
 神なる主の祭司は
 これまでアロン、モーセ兄弟だけであったが、
 主の命令に従ったレビの子(レビ族)の    
 多くが任命され、向後全ての時にその役目を
 果たすこととなったのである。
 
  この多くの犠牲を出したが粛正の後
 イスラエルの民は主の指図によって嗣業の地へ
 向かって移動を始めたが、
 その民の習性はなかなか改まらず、
 主は彼らを改心させる施業を繰り返した。
 
 そうしてた後にやっと
 主は再び十戒を民に徹底すべくモーセに指示する。
 〔第三四章〕
 
   主はモーセに言われた。
 
   「前と同じ石の板を二枚切りなさい
    私はあなたが砕いた前の板に書かれていた
    言葉をその板に記そう。
    明日の朝までにそれを用意し、
    朝シナイ山に登り山の頂で
    私の前に立ちなさい。」
   (中略)
   モーセは前と同じ石の板を二枚切り、
   朝早く起きて主の命じられたとおり
   シナイ山に登った。
 
   手には二枚の石の板を携えていた。
 
   主は雲のうちにあって降り、
   モーセと共にそこに立ち、
   主の御名を宣言された。
   (中略)
   主は言われた。
 
   「見よ、私は誓約を結ぶ。
    私はあなたの民
    すべての前に驚く業を行う。」
 
 主はモーセの民に
 それから入っていく土地の住民たちと
 契約を結ばないように、
 その土地の人々の神を拝まないように言い渡し、
 以前告知した十戒と同様に
 イスラエルの民の取るべき態度を説明した。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「これらの言葉を書き記しなさい。
    私はこれらの言葉に基づいて
    あなたとまたイスラエルと契約を結ぶ。」
 
   モーセは主と友の四十日四十夜そこに留まった。
 
   彼はパンも食べず水も飲まなかった。
 
   そして十の戒からなる契約の言葉を
   石に書き記した。
 
   モーセがシナイ山を下ったとき、
   その手には二枚の掟の板があった。
   (中略)
   その後イスラエルの人々が皆近づいて来たので
   彼はシナイ山で主が彼に語られたことを
   ことごとく彼らに命じた。
 
《参考》
 十戒
  シナイ山
 
M.K記

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(二) 主の十戒石〔あかしの二枚の石板〕の授与 [神聖の系譜]



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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (二) 主の十戒石〔あかしの二枚の石板〕の授与
 
  「出エジプト記」は
 第二章から第三章にかけて、
 主がモーセにどのようにして
 神〔主〕に貢献するかを詳細に亘って説明して
 それに従うよう指図する。
 
 その説明内容については省略する。
 
 第三十一章の
 最後モーセとの語らい終わってから
 主は「十戒」の石板をモーセに授与する。
 
 その十八節は述べる。
 
   主はシナイ山でモーセと語り終えられたとき
   二枚の掟の板、すなわち神の指で記された
   石の板をモーセにお授けになった。
 
 ここでいう「掟」はイブル語でIDT とあり、
 「証:あかし」の意義である。
 
 この部節に「シナイ山」と
 確定的に述べているのにも
 前の(一)「十戒の告知」で解釈したように
 ST-NA-AG〔与える-石-命令〕を
 背景としていることを信じさせる。
 
 また第三二章一五から一六節にも述べられる。
 
   モーセが身を翻して山を下るとき、
   二枚の掟の板が彼の手にあり、
   板には文字が書かれていた。
 
   その両面に、
   表にも裏にも文字が書かれていた。
 
   その板は神御自身が作られ、
   筆跡も神御自身のものであり、
   板に彫り刻まれている。
 
 同様の伝承は「申命記」
 第九章以下にも語られている。
 
   私〔モーセ〕が石の板、すなわち
   主があなたたちと結ぶ契約の板を
   受け取るため山に登ったとき、
   私は四十日四十夜山にとどまり、
   パンも食べず水も飲まなかった。
 
   主は神の指で記された二枚の石の板を
   私にお授けになった。
   
   その上には集会の日に主が山の中から
   あなたたちに告げられた言葉が
   全てそのとおりに記されていた。
 
   四十日四十夜が過ぎて
   主は私にその二枚の石の板、
   契約の板を授けられた。
 
 「申命記」がいう「契約」との
 イブル語は BRYT とある。
 
 主は二枚の石板をモーセに授けるや
 次のように言う。
 
   そのとき主は私に言った。
 
   「すぐに立って、ここから下りなさい。
    あなたがエジプトから
    導き出した民は堕落し、
    早くも私が命じた道からそれて
    鋳像を造った。」
   (中略)
   私が身を翻して山を下ると
   山は火に包まれて燃えていた。
 
   私は両手に二枚の契約の板を持っていた。
 
   私が見たのはあなたたちが
   あなたたちの神、主に罪を犯し、
   子牛の鋳像を造って早くも
   主から命じられた道からそれている姿であった。
 
 「あなたには、
  私をおいてほかに神があってはならない。」
 
 またその第二
 「あなたはいかなる像も造ってはならない。」
 
 との命令に違反しているのである。
 
 次に来る経緯を
 「出エジプト記」
 第三二章は述べる。
 
   モーセ
   山からなかなか下りてこないのを見て
   民がアロン(モーセの兄)のもとに集まって来て
   「さあ、
    我々に先立って進む神々を造ってください。
    エジプトの国から我々を導き上がった人、
    あのモーセがどうなってしまったのか
    分からないからです。」というと、
   アロンは彼らに言った。
 
   「あなたたちの妻、息子、娘らが着けている
    金の耳輪をはずし私のところへ
    持って来なさい。」
 
   民は全員着けていた金の耳輪をはずし
   アロンのところに持って来た。
 
   彼はそれを受け取ると、のみで型を造り
   若い雄牛の鋳像を造った。
 
   すると、彼らは
   「イスラエルよ、これこそあなたを
    エジプトの国から導き上った
    あなたの神々だと言った。」
   アロンはこれを見て、
   その前に祭壇を築き、明日
   主の祭りを行うと宣言した。
 
   彼らは次の朝早く起き、焼き尽くす
   献げ物をささげ和解の献物を供えた。
 
   民は座って飲み食いし、立って戯れた。
 
 アロンによって鋳像された雄牛の像を
 「主」の姿と仮定するにしても十戒のうちの
 第二の命令に違反したことになる。
 
 それを知る主はモーセに諭す。
 
   主はモーセに仰せられになった。
   「直ちに下山せよ。
    あなたがエジプトの国から導き上がった
    民は早くも堕落し早くも私が命じた
    道からそれて若い雄牛の鋳像を造り、
    それにひれ伏し生贄を捧げて、
    「イスラエルよ、これこそ
     あなたが
     エジプトの国から導き上がった民だ。」
   と叫んでいる。
 
 そして、
 主はモーセにエジプトから導き出した
 民を全員滅ぼすのを留まらせたのである。
 
 モーセは山を下って行った。
 
 「申命記」第九章二十は述べる。
 
   アロンに対しても主は激しく怒って
   滅ぼそうとされた、
   私〔モーセ〕は
   そのときアロンのために祈った。
   またあなたたちの罪、
   あなたたちの造った子牛を取り上げて
   火に投じ粉々に砕いて塵とし、
   その塵を山から流れる川に投げ捨てた。
 
 また「出エジプト記」は述べ
 
   〔モーセが山を下って〕宿営に近づくと
   彼は若い雄牛の像と踊りを見た。
   モーセは激しく怒って
   手に持っていた板を投げつけ、
   山の麓で砕いた。
   そして
   彼らが造った若い雄牛の像を取って火で焼き、
   それを粉々に砕いて水の上にまき散らし、
   イスラエルの人々に飲ませた。
 
 この事件はイスラエルの人々が
 主との契約を破ったことを強張している。
 
 「出エジプト記」第十九章五には
 次のように述べられていた。
 
   今、もし私の声に聞き従い、
   私の契約を守るならば、
   あなたたちは全ての民の間にあって
   私の宝となる。
 
   世界は全て私のものである。
 
   あなたたちは私にとって祭司の王国、
   聖なる国民となる。
 
   これが〔モーセが〕イスラエルの人に
   語るべき言葉である。
 
   モーセは戻って民の長老たちを呼び集め、
   主が命じられた言葉を全て彼らの前で語った。
 
   民は皆一斉に答えて
   「私たちは主が語られたことを全て行います。」
   と言った。
   (中略)
   モーセは民の言葉を主に告げた。
 
 この辺りの記述は繰り返しとなった。
 
 しかしこのような約束は人間の性格ととして
 すぐ忘却され無と化してしまう。
 
 人の心の哀れというべきだろう。
 
 民は主との契約を守らなかったのある。
 
 そのため主の指によって書かれた
 二枚のあかしの石板はあえなく破砕されてしまい、
 主は二度と自身の指で
 石板に文字を書くことをしなかった。
 
M.K記

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(一) シナイ山における主の「十戒」告知 [神聖の系譜]


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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (一) シナイ山における主の「十戒」告知
 
 「出エジプト記」第十九章は次のように始まる
 
   イスラエルの人々はエジプトの国を出て
   三日目のその日にシナイ荒野に到着した。
 
   彼らはレイフィディムを出発して
   シナイの荒野に着き、荒野に天幕を張った。
 
   イスラエルはそこで山に向かって宿営した。
 
   モーセが神のもとに登って行くと、
   山から主は彼に語りかけて言われた。
 
   「ヤコブの家にこのように語り、
    イスラエルの人々に告げなさい。
    あなたたちは見た。
    私がエジプト人にしたこと、
    またあなたたちを鷲の翼に乗せて
    私のもとに連れて来たことを。
    今もし私の声に聞き従い、
    私の契約を守るならば、
    あなたたちは全ての民の間にあって
    私の宝となる。
    世界は全て私のものである。
    あなたたちは私にとって
    祭司の王国、聖なる国民となる。
    これが
    イスラエルの人々に語るべき言葉である」。
 
    モーセは戻って民の長老たちを集め、
    主が命じられた言葉を全て彼らの前で語った。
 
    民は皆一斉に答えて
    「私たちは主の語られたことを全て行います」
    と言った。
 
 この「シナイ」は
 初め荒野の呼称として登場してくる。
 
 同語のイブル語は SYNY で
 一般的に「柴」の語義である。
 
 「柴」が「出エジプト記」には既に
 モーセが「ホレブの山」で神に邂逅した際
 「燃えない柴」 SVF 名称で登場している。
 
 その時の「ホレブ」名は hur-bi〔山-神霊〕で
 「神の山」であった。
 
 この第十九章において「荒野」を称する
 「シナイ」を単に「柴」とだけ解釈して
 おくのには疑問がある。
 
 Za-NA-A〔土地-ない-水〕で
 「水のない土地(地方)」
 と解釈するのがよいと考える。
 
  ここの「山」でモーセは神々に会った。
 
 つまり、
 同山は「ホレブの山(神の山)」に違いない。
 
 第一九章は続けて言う。
 
   モーセが民の言葉を主に取り次ぐと、
   主はモーセに言われた。
   
   「見よ、私は濃い雲の中にあって
    あなたに臨む。
    私があなたと語るのを民が聞いて
    いつまでも
    あなたを信じるようになるためである。」
 
   モーセは民の言葉を主に告げた。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「民のところに行き、
    今日と明日彼らを聖別し、衣服を洗わせ、
    三日目に民の全員の見ている前では
    主はシナイ山に降られるからである。
    民のために周囲に境を設けて命じなさい。」
 
   「山に登らぬよう、また境界に触れぬよう
    注意せよ。
    山に触れる者は必ず死刑に処される。
    その人に手を触れずに石で打ち殺すか
    矢で射殺せねばならない。
    獣であれ、人であれ、
    生かしておいてはならない。
    角笛が長く吹き鳴らされとき、
    ある人々は山に登ることができる。」
 
 ここで
 その山名が「シナイ山」と初めて述べている。
 
 SYNY は既述のように、また
 「出エジプト記」第三章で説かれているように
 「柴」の山であった。
 
 しかしそれだけでは
 この節の最初に敢えてそう記述する理由が
 明らかではない。
 
 「ホレブの山」名でもよい筈である。
 
 「シナイ」名「出エジプト記」第十七章で
 「岩の上に」水を出させた隣の山名でもある。
 
 その「ホレブ」は hur-pa〔山-泉〕と解釈し
 「シナイ」はまた si-nag〔与える-(水)飲むこと〕で
 「水を飲ませる」との語義があった。
 
 そこでこの第十九章の主題
 「主が民に十戒を与える」であることを勘案すると
 SYNY の背景には 
 SI-NA-AG〔与える-石-命令(指図)〕で
 「命令(戒)の石を与える」がある。
 
 AG には「命令する、指図する」と共にまた
 「愛する」との語義もあって、
 主の民に対する態度がみえてくる。
 
 「愛」があるこそ、こうしろ、ああしろと
 指図して戒(いましめ)て導くのである。
 
 その主要な戒の数は「十」であり
 「十戒」となる。
 
 第十九章は続けて言う。
 
   モーセは山から民のところへ下って行き、
   民を聖別し、民に命じて
   「三日目のために準備をしなさい。」
   (中略)
   三日目の朝になると、
   雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、
   角笛の音が鋭く鳴り響いたので
   宿営にいた民は皆震えた。
 
   しかし、
   モーセが民を神に会わせるために
   宿営から連れ出したので、
   彼らかは山の麓に立った。
 
   シナイ山は全山煙に包まれた。
 
   主が火の中を
   山の上に降りられたからである。
 
   煙は炉の煙のように立ち上がり、
   山全体が激しく震えた。
 
   角笛の音が益々鋭く鳴り響いたとき、
   モーセが語りかけると、
   神は雷鳴をもって答えた。
 
   主はシナイ山の頂きへ降り
   モーセを山の頂に呼び寄せられてたので、
   モーセは登って行った。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「あなたは下って行き、
    民が見ようとして越境し多くの者が
    命を失うことのないように警告しなさい。」
   (中略)
   モーセは主に言った。
 
   「民がシナイ山に登ることはできません。」
   (中略)
   主は彼に言われた。
 
   「さあ、下って行き、
    あなたはアロンと共に登って来なさい。」
 
 ここに語られるように
 「雷鳴と稲妻」及び「煙〔雲〕」は
 主の坐すところに必ず表れる象徴である。
  
 また重要な事項は、
 モーセと兄アロンを伴って主のいる
 シナイ山の頂の登上したということである。
 
 つまりアロン・モーセの兄弟二人が
 「十戒」の告知の場に臨んでいたのである。
 
 そしてそれ以降この家系は主の、
 つまり
 「天主教」の祭司の役目を負うことになる。
 
 しかし、
 主と話ができたのはモーセだけであった。
 
  第二十章で「十戒」が神〔ALHYM〕によって
 言いわたされる。
 
 この主は「神」との表記で表れる。
 
 それまでは「主 YAVH」と表記されている。
 
 第二十章は語る。
 
   神はこれら全ての言葉を告げられた。
 
   私は主、あなたの神、あなたを
   エジプトの国奴隷の家から導き出した神である。
 
   〔第一〕
   あなたには、
   私をおいて他に神があってはならない。
 
   〔第二〕
   あなたはいかなる像も造ってはならない。
   上は天にあり、下は地にあり、
   また地の下の水の中にある
   いかなるものの形を造ってはならない。
   あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
   それらに仕えたりしてはならない。
   私は主、あなたの神、
   私は感情の神である。
   私を否(いな)む者には父祖の罪を
   子孫に三代四代まで問うが、
   私を愛し私の戒を守るものには
   幾十代にも及ぶ悲しみを与える。
   ※この「感情」との翻訳は意訳で、
    本来「妬(ねた)み」の語義である。
 
   〔第三〕
   あなたの神、主の名を
   みだりに唱えてはならない。
   みだりにその名を唱える者を
   主は罰せずにはおかない。
 
   〔第四〕
   安息日を心に留め、これを聖別せよ。
   六日の間働いて、
   何であれあなたの仕事をし、
   七日目にあなたの神、主の安息日であるから、
   いかなる仕事をしてはならない。
   あなたも息子も娘も、男女の奴隷も家畜も、
   あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
   六日の間に主は天と地と海と
   そこにある全てのものを造り、
   七日目に休まれたから、
   主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 
   〔第五〕
   あなたの父母を敬え。
 
   〔第六〕
   殺してはならない。
 
   〔第七〕
   姦淫してはならない。
 
   〔第八〕
   盗んではならない。
 
   〔第九〕
   隣人に関して偽証してはならない。
  
   〔第十〕
   隣人の家を欲してはならない。
   隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなども
   隣人のものを一切欲してはならない。
 
M.K記

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(三) モーセの系譜とその語義 [神聖の系譜]



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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ 
 
  「出エジプト記」第一章は
 次のように書き始められる。
 
   ヤコブと共に一家を挙げてエジプトへ下った
   イスラエルの子らの名前は次のとおりである。
       ※ヤコブは後にイスラエルに改名
 
   ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、
   セブルン、ベニヤミン、ダン、ナフタリ、
   ガド、アシュエル。
 
   ヤコブの腰から出た子、孫の数は
   全部で七十人であった。
 
   ヨセフは既にエジプトにいた。
 
 モーセのエジプトでの略歴を示すため
 (1)モーセの伝承で大分大まかな紹介を行ったが、
 ここでは彼の系譜を明白に考察しておきたい。
 
 「出エジプト記」第二章は述べる。
 
  レビの家の出のある男が
 同じレビ人の娘を娶った。
 彼女は身ごもり男の子を生んだが~、
 この男こそ「モーセ」だが、
 その呼称の理由説明には次に転載する
 「出エジプト記」のものもあるなど
 不確実な、疑念もあったが、
 最近は確実なる論拠が表に出てきている。
 
 これまで信じられていた理由が
 「モーセの伝承」でも紹介した説話である。
 
   その子がかわいかったのを見て
   三か月の間隠しておいた。
 
   しかしもはや隠しきれなくなったので
   パピルスの籠を用意し、
   アスファルトとピッチで防水し、
   その中に男の子を入れ、
   ナイル河畔の葦の茂みの間においた。
 
   その子の姉が遠くに立って、
   どうなるかと様子を見ていると、
   そこへファラオの王女が水浴びを
   しようと川に下りて来た。
   (中略)
   王女は葦の茂みの間に籠を見つけたので
   仕え女をやって取って来させた。
 
   開けてみると赤ん坊がおり、
   しかも男の子で泣いていた。
   (中略)
   母親はその子を引き取って乳を飲ませ、
   その子が大きくなると、
   王女のもとへ連れて行った。
 
   その子はこうして王女の子となった。
 
   王女は彼をモーセと名付けて言った。
 
   「水の中から私が引き上げた。
    (マーシャー)のですから」。
 
 ここで明らかにされているのは、
 まずモーセがエジプトへ下った
 イスラエルの族類のうちの「レビ族」の
 出だということである。
 
 そして「モーセ」名のイブル語の
 MShH〔Moshe モシェ〕が 
 MShYTHV〔私が彼を水から引き出した〕
 に依るといっている。
 
 これは文法上過去形だが、
 現在形が MShH でモーセ名の綴りに合致する。
 
 ためにこのような挿話となったとみられる。
 
 しかし最近ではエジプト語の古代語において
 MShH には「子」しかも「男の子」との語義があり、
 本当のところ真の理由とされるようになった。
 
 本書もそれに同意する。
 
  さて彼の一族及びその系譜についての記述が
 「出エジプト記」にある。
 
 まず第四章第一四節において言う。
 
   主はついにモーセに向かって
   怒りを発して言われた。
 
   「あなたにはレビ人
    アロンという兄弟がいるではないか」。
 
 ここにおいて、モーセには「アロン」という兄弟が、
 前引用にある母、姉の他にあることが解かる。
 
 この兄弟、実は「兄」なのだが、
 本書第三、四部で述べるように
 イブルの歴史に重要な役目を果たす
 一族(家)の祖となる。
 
 何しろレビ族は祭司族にして
 アロンはその長子の系譜の始めである・。
 
  当(三)節の冒頭に紹介した第一章に述べられた
 「イスラエルの子ら」はいうところ
 「イブル十二部族」表している。
 
 実は『旧約聖書』では「創世記」「申命記」など
 他の聖典にも「十二部族」名はあり、
 上記と全く同じではない。
 
 「出エジプト記」第六章は
 ルベン、シメオン、レビと
 その子孫名を列記している。
 
 レビ族にはつぎのとおりにある。
 
   レビの子らは家系に従うと次のとおりである。
   
   ゲルション、ケハト、メラリ。
 
   レビの生涯は百三十七年であった。
 
   ゲルションの子らはの子らはに従うと
   リプニとシムイである。
 
   ケハトの子らは
   アムラム、イツハル、ヘブロン、ウジェルである。
 
   ケハトの生涯は百三十三年であった。
 
   メラリの子らはセフリとムシで、
   これらが家系に従ったレビの氏族である。
 
   アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。
 
   彼女が生んだ子がアロンとモーセである。
 
 これに従い
 レビからアロン、モーセまでの系図をみると
 次のようになる。
 
  レビーケハトーアムラムーーアロン
               
                                       ーモーセ
 
 そして系図説明には次のようにある。
 
   主が
   「イスラエルの人々を
    部族ごとにエジプトの国から導き出せ」
   と命じられたのは
   このアロンとモーセである。
 
   そして
   イスラエルの人々をエジプトから導き出すよう、
   
   エジプトの王ファラオの説得に当ったのも
   このモーセとアロンである。
 
M.K記

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(二) モーセと「水」 [神聖の系譜]


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第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ 
 
   (1) 「主」の行う水支配の神威
 
  当章の初め(一)モーセの伝承に
 彼と水の係わりが深いことを紹介した。
 
 なぜならばモーセを通して操る神威が発揮され
 「出エジプト記」に記述されているからである。
 
 モーセがイブル人たちを
 エジプトから脱出させた際
 そのために水を多大な役目を
 神の導きにより果たした。
 
 次の説話はその後もその人々が
 あちこちとさまよっている間に起きた事件である。
 
 放浪していたシンの荒野には飲水が無かった。
 〔「出エジプト記」第十七章第一-七節〕
 
   主の命令によりイスラエルの人々の
   共同体全体はシンの荒野を出発し、
   旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、
   そこには民の飲み水がなかった。
 
   民がモーセと争い
   「我々に水を与えよ」と言うと
   モーセは言った。 
 
   「なぜわたしと争うのか。なぜ主を試すのか」。
 
 そのような言い争いをした後モーセは主に相談する。
 
 すると主はモーセに言った。
 
   イスラエルの長老数名を伴い、民の前に進め。
 
   またナイル川を打った杖を持って行くがよい。
   
   見よ、
   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。
 
   あなたはその岩を打て。
 
   そこから水が出て民は飲むことができる。
 
   モーセは
   イスラエルの長老たちの目の前で
   そのとおりにした。
 
 つまり、
 ホレブ山の岩の上から飲むことができる水が
 湧き出てきたのである。
 
 その岩が裂け「岩井」あるいは「石井」と
 なったとの説話である。
 
 この際の「ホレブ」名は
 イブル語で KhRV と表記されている。
 
 同語もモーセが神に邂逅(かいこう)した
  KhRVH とイブル語では同義と考えられよう。
 
 しかし、 
 この場面での概念は
  hur-pa〔山-井(泉)〕で「井の山」と
 説話の内容に合致する方がよいだろう。
 
 でも
 KhRVH・KhRV は同一の山で、
 神が威力を発揮して起こすところである。
 
  この山はのちに名称を変えて
  登場してモーセを導く。
 
   (2) イブル人の「主」の聖名? YY〔yeya〕
 
  同聖名については本書において来歴を述べたので
 メソポタミアの神信仰との関係を
 知っていただけたと思うが、ここでさらに
 イブル人の神との関係で述べる。
 
 それが聖名と紹介したように彼等は
 「エヤァ」などとは呼ばない。
 
 「アドナイ ADNY」あるいは
 「ハシェム HShM」という。
 
 しかし、
 この用語は「主」と「水」との因縁を明確に説明でき、
 モーセのホレブ山での奇跡の真因を知ることができる。
 
 「創世記」第二章第五節は次のように述べる。
 
   主なる神が地と天を造られたとき、
   地上にはまだ野の木も野の草も生えていなかった。
 
   主なる神が地上に
   雨をお送りにならなかったからである。
 
   また土を耕す人もいなかった。
 
   しかし
   水が地下から湧き出て土の面をすべて潤した。
 
 ここで述べられている
 「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した」
 との記述は重要である。
 
 ホレブ山の岩井説話も同様であるが、
 人間を含めた動物、植物、つまり
 生物が必要とする「水」は
 「地下から湧き出た水」でなければならないのである。
 
 これはいかにも
 メソポタミア南部の地勢から発想された思念である。
 
 YY〔yeya〕と表記された「主」の神性は
 その地から伝承保持された雨が降らず
 地下水に頼って生きた人々の始めた性格である。
 
  セム語を使う一派で歴史的にはイブル人が
 登場してくるより遥か昔に
 チグリス川、ユーフラテス川の合流地帯に
 勢力を張った
 アッカド人〔『旧約聖書』ではアモリ人という〕
 の泉神が大元ではある。
 
 この時代の粘土板に楔型文字で刻まれた資料
 〔ギルガメッシュ叙事詩改訂版〕に
 「エア神」名があることはすでに紹介している。
 
  さらにその信仰思念は時代を遡った
 シュメール語の e-a は「泉、井」を、
 a-e-a は「泉の水」を指す。
 
 シュメールの都市国家が集中していた
 ペルシャ湾の最奥に当る地域では
 やはり雨が降らず、
 必要な用水は二つの大河から採るか
 地下水に頼るしかなかった。
 
 しかも同時代生物のための水〔真水〕は
 地下からしか得られなかった。
 
 e-a 〔泉〕の用事字構成は
 「上がる-水」で「水が湧き上がる(出る)」である。
 
 雨は同地には降らなかったために
 人々は「地」に対する崇敬の念を強くし
 en-ki〔主-地〕つまり「地神」への信仰を強め、
 人々の守護神の地位へ昇華させたのである。
 
 この守護神信仰がバビロンの時代を経て高揚し、
 イブル人においても「主」として
 崇拝されることとなったのである。
 
 イブル人の信仰を理解する上で
 YY(泉神) 名は極めて重要である。
 
 因みにシュメール語の「地下水」を表す用語に
 ap-su〔水-池:za-ab(地-水)〕がある。
  (二) モーセと「水」
  
   (1) 「主」の行う水支配の神威
 
  当章の初め(一)モーセの伝承に
 彼と水の係わりが深いことを紹介した。
 
 なぜならばモーセを通して操る神威が発揮され
 「出エジプト記」に記述されているからである。
 
 モーセがイブル人たちを
 エジプトから脱出させた際
 そのために水を多大な役目を
 神の導きにより果たした。
 
 次の説話はその後もその人々が
 あちこちとさまよっている間に起きた事件である。
 
 放浪していたシンの荒野には飲水が無かった。
 〔「出エジプト記」第十七章第一-七節〕
 
   主の命令によりイスラエルの人々の
   共同体全体はシンの荒野を出発し、
   旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、
   そこには民の飲み水がなかった。
 
   民がモーセと争い
   「我々に水を与えよ」と言うと
   モーセは言った。 
 
   「なぜわたしと争うのか。なぜ主を試すのか」。
 
 そのような言い争いをした後モーセは主に相談する。
 
 すると主はモーセに言った。
 
   イスラエルの長老数名を伴い、民の前に進め。
 
   またナイル川を打った杖を持って行くがよい。
   
   見よ、
   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。
 
   あなたはその岩を打て。
 
   そこから水が出て民は飲むことができる。
 
   モーセは
   イスラエルの長老たちの目の前で
   そのとおりにした。
 
 つまり、
 ホレブ山の岩の上から飲むことができる水が
 湧き出てきたのである。
 
 その岩が裂け「岩井」あるいは「石井」と
 なったとの説話である。
 
 この際の「ホレブ」名は
 イブル語で KhRV と表記されている。
 
 同語もモーセが神に邂逅(かいこう)した
  KhRVH とイブル語では同義と考えられよう。
 
 しかし、 
 この場面での概念は
  hur-pa〔山-井(泉)〕で「井の山」と
 説話の内容に合致する方がよいだろう。
 
 でも
 KhRVH・KhRV は同一の山で、
 神が威力を発揮して起こすところである。
 
  この山はのちに名称を変えて
  登場してモーセを導く。
 
   (2) イブル人の「主」の聖名? YY〔yeya〕
 
  同聖名については本書において来歴を述べたので
 メソポタミアの神信仰との関係を
 知っていただけたと思うが、ここでさらに
 イブル人の神との関係で述べる。
 
 それが聖名と紹介したように彼等は
 「エヤァ」などとは呼ばない。
 
 「アドナイ ADNY」あるいは「ハシェム HShM」という。
 
 しかし、
 この用語は「主」と「水」との因縁を明確に説明でき、
 モーセのホレブ山での奇跡の真因を知ることができる。
 
 「創世記」第二章第五節は次のように述べる。
 
   主なる神が地と天を造られたとき、
   地上にはまだ野の木も野の草も生えていなかった。
 
   主なる神が地上に
   雨をお送りにならなかったからである。
 
   また土を耕す人もいなかった。
 
   しかし
   水が地下から湧き出て土の面をすべて潤した。
 
 ここで述べられている
 「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した」
 との記述は重要である。
 
 ホレブ山の岩井説話も同様であるが、
 人間を含めた動物、植物、つまり
 生物が必要とする「水」は
 「地下から湧き出た水」でなければならないのである。
 
 これはいかにも
 メソポタミア南部の地勢から発想された思念である。
 
 YY〔yeya〕と表記された「主」の神性は
 その地から伝承保持された雨が降らず
 地下水に頼って生きた人々の始めた性格である。
 
  セム語を使う一派で歴史的にはイブル人が
 登場してくるより遥か昔に
 チグリス川、ユーフラテス川の合流地帯に
 勢力を張った
 アッカド人〔『旧約聖書』ではアモリ人という〕
 の泉神が大元ではある。
 
 この時代の粘土板に楔型文字で刻まれた資料
 〔ギルガメッシュ叙事詩改訂版〕に
 「エア神」名があることはすでに紹介している。
 
  さらにその信仰思念は時代を遡った
 シュメール語の e-a は「泉、井」を、
 a-e-a は「泉の水」を指す。
 
 シュメールの都市国家が集中していた
 ペルシャ湾の最奥に当る地域では
 やはり雨が降らず、
 必要な用水は二つの大河から採るか
 地下水に頼るしかなかった。
 
 しかも同時代生物のための水〔真水〕は
 地下からしか得られなかった。
 
 e-a 〔泉〕の用事字構成は
 「上がる-水」で「水が湧き上がる(出る)」である。
 
 雨は同地には降らなかったために
 人々は「地」に対する崇敬の念を強くし
 en-ki〔主-地〕つまり「地神」への信仰を強め、
 人々の守護神の地位へ昇華させたのである。
 
 この守護神信仰がバビロンの時代を経て高揚し、
 イブル人においても「主」として
 崇拝されることとなったのである。
 
 イブル人の信仰を理解する上で
 YY(泉神) 名は極めて重要である。
 因みにシュメール語の「地下水」を表す用語に
 ap-su〔水-池:za-ab(地-水)〕がある。
 
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(一) モーセの信仰② [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ
  
  (2) モーセ一人エジプトを脱出する
        
  (b) モーセの「主」との邂逅
 
 「出エジプト記」第三章第一節は
  次のように展開する。
 
  モーセは舅(しゅうと)であり
  ミディアンの祭司である
  エトロの羊を飼っていたが、
  あるときその群れを
  荒れ野の奥へ追って行き、
  神の山ホレブに来た。
 
  その時柴の間に燃え上がっている
  炎の中に主の御使いが現れた。
 
  彼が見ると、見よ、
  柴は火に燃えているのに柴は燃え尽きない。
 
  モーセは言った。
 
  「道をそれて
   この不思議な光景を見届けよう。
   どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」。
 
  主はモーセが道をそれて
  見に来るのをご覧になった。
 
  神は柴の間から声をかけられ、
  「モーセよ、モーセよ」と言われた。
 
  彼が「はい」と答えると神が言われた。
 
  「ここに近づいてはならない。
   足から履物を脱ぎなさい。
   あなたの立っている場所は
   聖なる土地だから」。
 
  「わたしはあなたの父の神である。
   アブラハムの神、イサクの神、
   ヤコブの神である」。
 
  モーセは神を見ることを恐れて顔を覆った。
 
 モーセが「主〔神〕」に邂逅したのは
 「神の山ホレブ」であった。
 
 同語はイブル語聖書には
 HR-HALHYM・KhRBH とある。
 
 この HR はシュメール語と同じ
 〔hur〕で「山」を表す。
 
 続く H イブル語文法で合成語の際の」 
 「~の」との助詞で 
 ALHYM は「神」であるから
 「神の山」となっている。
 
 次の KhRBH は
 イブル語では「荒地、荒野」の語義、
 現在のシナイ半島、エジプトの東方に
 広がる地帯の印象から「砂漠」を想像させるが、
 
 上記の引用から推察すれば、
 羊が喰う牧草がまばらにしても広がっているし、
 この山には「柴」がある。
 
 決して全くの荒野(砂漠)ではないのである。
 
 そこで KhRBH を分析すると、
 KhR は HR とはほとんど同音で同義、
 また VH は
 シュメール語の Bi で「宗儀の」語義で
 hur-bi〔山-神霊〕と解釈され、
 ここでの同山名は「神(霊)の山」である。
 
 つまり、
 この山でモーセは「神」に邂逅したのである。
  
  (c) 「主」の神性:自己紹介名「有りて有る者」
 
 「出エジプト記」第三章の後段(第一三・一四節)
 にはモーセと「主」との会話があり、
 次のようにある。
 
  モーセは神に尋ねた。
 
  「わたしは今
   イスラエルの人々のところへ参ります。
   彼等に
   「あなたちの先祖の神が、
    わたしをここに遣わされたのです」
  と言えば、
  彼らは「その名は一体何か」
  と問うに違いありません。
  「彼らに何と答えるべきでしょうか」。
  神はモーセに
  「わたしはある。わたしはあるという者だ」
  と言われ、
  また
  「イスラエルの人々にこう言うがよい。
  『わたしはある』という方が
  わたしをあなたたちに遣わされたのだと」。
 
 ここに記述されている「わたしはある」の
 イブル語は AHYH で
 「わたしはある。わたしはある」は
 日本聖書協会などは
 「わたしは有って有る者」と訳している。
 
 確かにイブル語の原典には
 AHYH-AShR-AHYH (ַהיה־ַסהר־ַהיה)とある。
 AHYH をイブル語文法により解釈すると、
 A は一人称単数の AN〔わたし〕で、
 HYH は「ある、居る、存在する」である。 
 
 また中段の AShR は関係代名詞で
 「~のところの」で、同語を英訳すると解かり易い。
 
 I am who (that) I am となる。
 ※I am that I am is a common English translation of the Hebrew phrase אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה’ehyeh ’ăšer ’ehyeh ([ʔɛhˈjɛh ʔaˈʃɛr ʔɛhˈjɛh]) – also "I am who I am", "I am what I am" or "I will be what I will be" or even "I create what(ever) I create".[1] The traditional English translation within Judaism favors "I will be what I will be" because there is no present tense of the verb "to be" in the Hebrew language. So for example to say "I am a sailor" in Hebrew would be Ani Malakh (literally in English is "I sailor").
 
 この HYH には現在ばかりでなく未来、
 いうなれば「永久に」との概念も内包されていよう。
 
 これらの表現の意図するところは
 「神の実在」の強張である。
 
 YHYH 語が『旧約聖書』に初めて出てくるのは
 「創世記」第一章三節の天地創造の段で、
 「光あれ」と言った、
 その「あれ〔命令形〕」が
 同語で YHY〔~あれ〕とある。
 
 また第二九節の「生き物」の創造の段に
 YHYH 語が出、
 「食べ物になる」の「それは~になる」
 との使用になっている。
 
 語頭の Y は「それ」の語義で本書前章で詳説した
 YHVH 名と同じ語頭の Y と同じ用法である。
 
 「創世記」第三章第五節の
 「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」
 と「ある」の語義で YHYH は記されている。
 
 ここでは否定語が付されて「ない」となっている。
 
 これらは植物についてであるが、
 動物に関してもこの用語が記されている。
 
 同第一章第二十節に「生きている魂」
 という用語に HYH は使われており、
 「物」のうちでも「生き物」、水中のもの、
 空を飛ぶものを対象にしており
 「生物の創生」と
 その「生息」を含めた表現となっている。
 
 まさに
 「天」のすべてに「神」は実在しているとの主張が
 「有る者 AHYH」には含まれている。
AHYH-AShR-AHYH (ַאֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה)
エヒイェ・アシェル・エヒイェ
我は有りて有る者
  •  


     変換表
    s N n M m l K k y T H z v h d g b '
    \ / yy vy vv S X t x r q C c P p `
       
        : | - + u V O o、A a e E i ^o ^a ^e ^
 
   ≪参考≫
  神の山ホレブ
 八咫烏鏡
M.K記

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(一) モーセの信仰① [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ
  (一) モーセの信仰
    (1) モーセの伝承
  セム系アッカード人が
 シュメールに都市国家を建設したが、
 その創立者はサルゴンと呼ばれた
 シャルル・キンであった。
 彼は乳幼児の時アスファルトを塗られた
 籠に入れられユーフラテス川に流された。
 この伝説と同じように籠に入れられ
 川に流されたとの伝承を語られるのが
 モーセである。
  モーセ MShH の伝承は
 「出エジプト記」に語られるが、
 ヘブライ人が
 エジプトに下っていた時のことである。
 
 エジプトのファラオ(聖書ではパロ)が
 生まれたばかりのヘブライの男児を
 すべて殺すよう命じたことに始まる。
 ヘブライ人の支族レビ家に生まれた男児を
 その死を逃れるため
 母は籠に入れナイル川の葦の中に置いて流した。
 
 その籠はファラオの娘に拾われ、
 実母が乳母として育て、
 成長後にファラオの娘のところにつれて行き、
 その息子として成長したという物語である。
  モーセの物語には水に係わる伝承が多い。
 エジプトを一人逃れて行った先 
 ミデヤンの地の井戸のかたわらに座していた時に
 祭司の娘七人に会う。
 そのうちの一人ツィポラが彼の妻となる。
 神の山ホレブで神の啓示を受けたモーセが
 エジプトのファラオの下に帰り
 行った一つはその地の水を
 すべて血に変えてしまうことである。
 「彼はパロとその家来たちの目の前で、
  杖を挙げてナイル川の水を打つと
  川の水はことごとく地に変わった。
  それで川の魚は死に、川は臭くなり、
  エジプト人は
  川の水を飲むことができなくなった。
  そしてエジプト全国に亘って血があった」
 と語られる。
  さらに、モーセがヘブライ人を引率して
 エジプトを出る際には海を割いて陸地として
 彼らを渡らせ、
 追いかけるエジプトの軍隊を水没させた。
   モーセが手を海の上に差し伸べたので、
  主は夜もすがら強い東風をもって
  海を退かせ、海を陸地とされ、
  水は分かれた。
  イスラエルの人々は
  海の中の乾いた地を行ったが、
  水は彼らの右左に垣となった。
  エジプト人は追ってきて、
  パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、
  彼らの後について海の中に入った。
  (中略)
  その時、主はモーセに言われた。
  『あなたの手を海の上に差し伸べて、
   水をエジプト人と、
   その戦車と騎兵との上に
   流れを返らせなさい』
  モーセが手を海の上にさし伸べると、
  夜明けになって海はいつもの流れに返り、
  エジプト人はこれに向かって逃れたが、
  主はエジプト人を海の中に投げ込まれた。
 このように
 モーセには水と係わる伝承が強烈である。
 モーセに水を操る力を与えたのは神である。
 
 神はモーセに対し語る。
 「わたしは主である。
  わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには
  全能の神として現れたが、
  主という名では
  自分を彼らに知らせなかった」
  
  (2) モーセ一人エジプトを脱出する
        
  『旧約聖書』「出エジプト記」
 第二章一一節は次のように記す。
 
   モーセが成人したころのこと、
  彼は同胞のところへは出て行き、
  彼等が重労働に服しているのを見た。
 
  モーセは辺りを見回しだれもいないのを
  確かめるとそのエジプト人を打ち殺して
  死体を砂に埋めた。(中略)
 
  ファラオはこの事を聞き、
  モーセを殺そうと尋ね求めたが、
  モーセはファラオの手を逃れて
  ミディアン地方に辿りつき、
  とある井戸の傍らに腰を下した。
 
  さて、
  ミディアンの祭司に七人の娘がいた。
 
  彼女たちがそこへ来て水を汲み、
  水ぶねを満たし、
  父の羊の群れに飲ませようとしたところへ
  羊飼いの男たちが来て
  娘たちを追い払った。
 
  モーセは立ち上がって娘たちを救い、
  羊の群れに水を飲ませてやった。
 
  娘たちが父レウエルのところに帰ると、
  父は
  「どうして今日はこんなに早く帰れたのか」
  と尋ねた。(略)
 
  モーセが
  この人のもとに留まる決意をしたので、
  彼は
  自分の娘ツィポラをモーセと結婚させた。
  
  彼女は男の子を産み、
  モーセは彼をゲルショムと名付けた。
 
  彼が
  「わたしは異国にいる寄留者(ゲール)だ」
  と言ったからである。
 
 続いて第三章第一節の初めには
 「モーセ舅であり、ミディアンの祭司である
  エトロの羊の群れを飼っていた~」とある。
 
  (a)  ミディアンの地と祭司一族
 
  モーセが
 「ミディアン」の地に長期に亘って
 逗留した意義は『旧約聖書』の民、
 つまりイブルの人々の信仰文化に
 極めて大きな影響を与える根拠となった。
 
 その地名 MDYN は
 イブル語の語彙に留められ、
 また現在も紅海のアラビア半島側
 奥地に同地称として用いられている。
 
 この用語にも前第二章で紹介したように
 深遠な内容が背景にある。
 
 これまたシュメール語で MDYN 名を
 理解すればその深遠さが明白となる。
 
 シュメール語に
 「国、地方」を表す ma-da があり、
 イブル語での「国」の基であろう。
 
 同語はまた「土地」との語義が
 シュメール語にはある。
 
 またその結合語 YN であるが、
 そのシュメール語の相応な用語は an である。
 
 "a"がイブル語で Y になっている例は
 すでに前章で紹介した。
 
 この場合も同じである。
 
 an の語義は「天」ながら「天神」の語義がある。
 
 「天神」の映像はこれも前章での
 諸伝承の紹介に明らかであろう。
 
 MDYN:MD-AN とは「土地-天神」で、
 その意義は「天神の地」を表している。
 
 このミディアン名については
 「創世記」第二五章の当初に
 アブラハムの正妻サラの後の
 側妻の子として同名で登場しており、
 エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダイ
 とあるが、
 ミディアンの祭司との関係は明白でない。
 
  そこでモーセがミディアンの地で
 関係した人たちの名称の語義を
 シュメール語で解釈してみる。
 
 まずモーセの妻となった「ツィポラ」から。
 
 「モーセはミディアンの地に辿りつき、
  とある井戸の傍らに腰を下ろした」とあり、
 そこで妻となった人に初めて会った。
 
 つまり彼女は za-bur〔人-泉(井戸)〕であるが、
 イブル語の TSPLH の発音に近い解釈をすれば
 za-pu-la〔人-泉(井戸)-豊かな〕で
 「豊かな水の出る井戸の人」となる。
 
 また「その父の羊の群れ」との説明があるように
 その父の名レウエル RYVAL は 
 ru-u-alu〔与える-雌羊-水-豊かな〕で
 「雌羊に豊かな水を与える」で、
 彼は祭司ながら羊飼いだったのである。
 
 「出エジプト記」第三章には前記のように
 「モーセは舅でありミディアンの祭司である
  エトロの羊の群れを飼っていた」とあり、
 祭司をエトロ YTRV と呼び替えている。
 
 この語は同じく ah-tur〔作る-家畜小屋〕と
 やはり羊(家畜)飼いに因むと解釈される。
 
 このようにモーセの妻の一族の名称は
 シュメール語で「出エジプト記」の
 記述内容に即して理解できる。
 
 「出エジプト記」においても「創世記」同様
 メソポタミアの文化的影響が確認でき、
 おもにシュメール語を取入れて
 解釈を試みるのも大事である。
 
  ≪参考≫ミディアン
 
M.K記

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(六) YHVH 神の祖像 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
  (六) YHVH 神の祖像
    〔メソポタミアの物語との関係〕
       
  アトラ・ハシース物語は
 「アブラ(ハ)ム」名を解釈した
 第一章(二)の(4)概略紹介した。
 
 ここではより詳しく紹介したい。
 
 ジャン・ボッテロ著の『バビロ二ア』の
 解説からまず引用する。
 
 なお「アトラ・ハシース」の語義を同書は
 「最高の賢者」と記している。
 
 この物語の
 
 「書かれたのは恐らく紀元前一八世紀頃で
  一二〇〇行などの詩が
  三枚の粘土板に分けられていた」といい、
 
 シュメール時代の後のバビロニア時代に
 楔形文字で語られていたという神話である。
 
  人間が出現する前
  存在した神々だけだと考えられていた。
 
  神々の姿や神々が住む社会は人間を
  モデルに想像された。
  
  我々と同じように
  神々にも様々な欲求がある。
 
  食べること、着ること、住まうこと……。
 
  これらの欲求を満たすため、
  神々は辛い労働を余儀なくされていた。
  
  神々の社会も人間社会と同じように
  上下二つの階級に分かれていた。
 
  上位の神々は
  下位の神々を働かるだけでよいが、
  下位の神々は汗水流して
  必需品や贅沢品を
  つくり出さなければならない。
  
  とうとう彼等は
  これらの苦役に嫌気がさした。
 
  さらに上位の神々と同等に
  扱わないことを不当に
  感じるようにもなった。
 
  そこで彼らは文字通りストライキに入り
  口々に抗議の声をあげながら、
  神々の王エンリルに突きつけた。
  
  こうして大混乱が巻き起こり、
  神々の将来は暗く閉ざされたのである。
 
  このとき神々の中で最も賢く知恵のある
  神エンキ(エアとも呼ばれる)が
  妙案を出した。
 
  神々の身代わりをつくって
  その者に働かせればよい。
 
  将来その者が
  神々と同等に扱わないなどと
  言い出さぬように粘土でつくり、
  やがては「粘土に還る」
  つまり死ぬことを運命づけておく。
 
  ただし、
  それまで神々が行っていた仕事は
  効率よく続けられなければならないから、
  下位の神を一人殺して、
  それから採った血を
  その者の体に入れ
  労働のための知力と体力を授けてやろう。
 
  この案は
  神々の全体会議で満場一致で可決され、
  ここに人間が誕生した。
 
  従って
  人間は初めから神々の食物や使用物に
  作り変える義務を負っていたのである。
 
  人間は創造されると
  直ちに仕事に取り掛かり、
  目覚ましい成功を収めた。
 
 この最高の知恵者たるエンキ神こそ
 メソポタミアの当該神話は勿論、
 イブル人たちの神にして「主」であり、
 人々を導く YHVH神の祖像である。
 
  「エンキ」の語源はシュメール語の
 en-ki〔主-地〕で地神ではあるが、
 本書第一章(五)ですでに述べた
 「地下水の神」でもある。
 
 しかしながら、同神は人々を導く。
 
 その神性は「大洪水」の際、
 最も発揮され、明白である。
 
 上記の当該「洪水伝説と祝祭」で
 記したように大洪水の物語は
 『旧約聖書』を含め
 三伝承あることが知られている。
 
 そのうちの
 「ギルガメシュ叙事詩」のものは
 アトラ・ハーシス物語中にあるものである。
 
 前述の書「バビロニア」は
 その物語を以下のように要約している。
 
 前記引用文の続きである。
 
 
  (人間は)勿論不死ではなかったが、
  まだ病気も災害も知らなかったので、
 
  寿命は極めて長かった。
 
  彼等は繁栄し、子孫は地上に満ち溢れた。
  
  その喧騒がエンリルの眠りを妨げた。
 
  どうやらエンリルは神々の王に相応しい
  知力を持っていなかったらしく、
  人間の数を減らそうとして、
  そこに病気を持ち込んだ。
 
  それは人類を絶滅させる恐れのある
  伝染病だった。
 
  エンキは危険を感じ彼を崇拝している
  人間の王アトラ・ハーシスに
  どうしたら病気を回避できるか
  教えてやった。
 
  そこで再び人間は増殖し始め、
  その喧騒も高まった。
 
  エンリルは腹を立て、
  今度は日照りと飢饉を送って
  大量殺戮を企てた。
 
  だが、
  またしてもエンキが危険を遠ざけた。
 
  不眠に苛立っエンリルは
  人間を根絶やしにしてしまおうと決心した。
 
  〔そのため大洪水を
   起こそうとしたのである〕。
 
  これを知ったエンキは神々にとって
  不可欠な人間を守るため、
  せめてアトラ・ハーシスだけでも
  救い出そうとした。
  
  エンキはアトラ・ハーシスに
  大雨と増水の後にやってくる
  大洪水をどうしたら無事に
  生き延びられるかを教えてやった。
 
  方舟をつくり、
  その中に家族と動物を入れよ。
 
  そうすれば
  水に漂って全員を生き残ることができる。
 
 この場面はジャン・ボッテロによると
 ギルガメッシュ叙事詩の改訂版に
 みることができるという。
 
 つまり前者の粘土板に刻まれたものではない
 別の粘土板にその物語が
 楔形文字で記録されているということである。
 
 この改訂版においては
 「エンキ」名称ではなく「エア」が
 ギルガメッシュに対して
 語り(呼び)掛けるのである。
 
 前段で同神は神々の間において
 洪水を起こすことは
 人間どもに知らせてはならない
 との秘密を守るよう誓いを立てていたらしい。
 
 後段になってギルガメッシュは
 以下のような告白を行っている。
 
  エアは秘密を守る誓いを立てたにも
  かかわらず、
  彼らの言葉をわたしの葦屋に向って
  繰返した。
  
  「葦屋よ、おお柵よ、壁よ、壁よ、
   (中略)家を壊し、舟をつくれ。
 
   富を捨て、命を求めよ。
 
   財産のことは忘れて自らの命を助けよ。
 
   そして汝とともに
   すべての生き物の種子を舟に乗せよ。
 
   汝がつくる舟は
   間口と奥行を等しくせねばならぬ。」
 
   (中略)わたしはわが主エアにいった。
 
   「わが主よ、ただいまの命令を
    わたしは誠心誠意実行いたしましょう」
 
 この文脈における表現は実に重大である。
 
 「わが主エア」との表現、
  また
 「(主の)命令を実行いたしましょう」とある。
 
 
 また転記は省略するが、
 次節でギルガメッシュは「エア」に対して
 「下僕であるわたし」と述べる。
 
 つまりその状況は
 当第2章(四)YHVH名のイブル語解釈で説明した
 「主」の性格のほとんどが表現されており、
 YHVH神の祖像が「エア」神であり、
 さらには「エンキ」神だったとの経緯の
 証明になっている。
 
  確認のために『旧約聖書』「創世記」の
 「主」がノアに大洪水のための備えを
 呼び掛けている部分を載せる。
 〔ミルトス社版〕
 
   この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。
   (中略)
   神はノアに言われた。
 
   「すべての肉なるものを終わらせる時が
    わたしの前にきている。
    彼らのゆえに不法が地に満ちている。
    見よ、わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。
    あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい。
    箱舟には小部屋を幾つも造り、
    内側にも外側にもタールを塗りなさい。
    次のようにしてそれを造りなさい。
 
    箱舟の
    長さを三百アンマ、
    幅を五十アンマ、
    高さを三十アンマ、
    〔ミルトン社版は
     長さ一四十m
     幅二三m、
     高さ一四mとする〕にし、
 
    箱舟に明かりを取り造り、
    上から一アンマにして
    それを仕上げなさい。
    箱舟の側面には戸口を造りなさい。
    また一階と二階と三階を造りなさい。
    
    見よ。わたしは地上に洪水をもたらし、
    命の霊をもつすべて肉なるものを
    天の下から滅ぼす。
    地上のすべのものは息絶える。
    
    わたしはあなたと契約を立てる。
    あなたは妻子や娘たちと共に
    箱舟に入りなさい。
 
    またすべて命あるもの、
    すべて肉なるものから二つずつ
    箱舟に連れて入り、
    あなたと共に生き延びるようにしなさい。
    それらは雄と雌でなければならない。
    それぞれの鳥、それぞれの家畜、
    それぞれの地を這うものが二つずつ
    あなたのところへ来て
    生き延びるようにしなさい。
    更に食べる物はすべて
    あなたのところに集め、
    あなたと彼らの食糧としなさい。
    ノアは
    すべて神が命じられたとおり果たした。
 
    主はノアに言われた。
 
    「さあ、あなたとあなたの家族は
     皆箱舟に入りなさい。
     (中略)
     七日の後、
     わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、
     わたしが造ったすべての生き物を
     地の面からぬぐいさることにした」。
 
    ノアはすべて主が命じられたとおりにした。
     
  このノアの物語は、
 メソポタミアの粘土板に刻まれたジオスドラ、
 またギルガメッシュの叙事詩の内容により
 たいへん具体的にして詳細に亘っており、
 その記述の時期が上記二者を参考にしたと
 判断されるかなりの時代の
 後れたものであることを示している。
 
 しかし、そのものがたりの骨子は同じで、
 何らかの形で継承されてきたものである。
 ただし、前の二者の場合、
 神は複数登場してくるが、
 ノアの物語の場合は「主」のみで、
 そこに宗儀解釈上の変化をみる。
 
  さて、
 ここに至ってわれわれが認識できるのは
 『旧約聖書』の、
 つまりイブル人の神「主」の祖地が
 メソポタミアの古代にあったとの真実である。
 
 「主」なる神の呼称は変わったものの
 その神性は変わっていない。
 
 「エンキ神」の時代はシュメール、
 「エア神」名の時代はシュメールに次ぐ
 アッカド〔サルゴン大王の王朝〕で、
 イブル語が属するセム語が
 広く使い始められた。
 
 そして『旧約聖書』では「エア」を踏襲した
 YHVH(yeya)が継続され、
 やたらに呼んではならない聖名として
 その品位を保っている。
  
M.K記

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(五) YHVH 名の他の言語による考察 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (五) YHVH 名の他の言語による考察 
   〔ゲオルギ(グルジア)語、ギリシャ語、
    ドイツ語、英語、サンスクリット語、
    シュメール語〕
 
  前節でYHVH名の語義について
 イブル語で考察した。
 
 その背景にある意義は
 「言う、言明する」から
 「指示する、命令する、導く」であった。
 
 それらの概念を持った近似音の言葉が
 メソポタミアを祖地とした
 諸地域に広く存在している。
 
 まず本書が重要視してきたシュメール語では
 
 pa〔呼ぶ〕もあるが、
 ka-bah〔口ー開く〕で
 「口を開く」「会話する」となる。
 
  次にイブル語はセム語の一派であるが、
 それに最も親近性のあるのは
 ゲオルギ語である。
 
 何しろ同宗族が紀元後三世紀にキリスト教に
 改宗するまでは
 「イベリアIberia」と称していた。
 
 そのIberiはイブリ人のIbery名と同根、
 つまり祖語を同じくする。
 
 その祖先はシンジャール山脈周辺から
 北域に生活していたのである。
 
 『旧約聖書』「創世記」が記す
 「エデン」の地域であり、
 言語的に共一なものがあって当然である。
 
 ゲオルギ国名は上述したように
 紀元後にキリスト教へ改宗した際、
 多分この宗族出身のキリスト教聖者
 「ゲオルゲ」名に因んで命名したことに依る。
 
 そのため及び西隣りにギリシャの植民地
 コルギスが永くあったためギリシャ語の
 影響が色濃く浸透し、
 紀元前一〇世紀頃からは
 言語的にかなり変化していて、
 単語の一部に古代語の痕跡が遺されているに
 過ぎないとさえ判断される。
 
 現代ゲオルギ語ではあるが、
 YHVH名に係わっていそうな単語を
 一覧にしてみる。
 
  atschukheb〔与える〕、
   lapparakob〔話す〕、
   pasuxobs〔答える〕、
   da-rekavs〔電話する〕、
   gephs〔吠える〕、
   m-gav〔導く、持つ〕、
   m-knebs〔褒める〕、
   m-goph〔もたれる〕、
   she-gvirebs〔叫ぶ〕、
   da-dzaxebs〔呼ぶ〕、
   ma-khvs〔持つ〕、
   ga-ma-khvs〔持ち出す〕、
   mi-ma-khvs〔もたらす〕、
   mo-ma-khvs〔もたらす〕、
   she-makhvs〔持って来る〕、
   m-gavs〔何か持って来る〕、
   mi-m-gavs〔人を導く〕
 
 
 また名詞形では  
   sitqva〔言葉〕
   shekidhxva〔質問〕
  などがある。
 この語尾形に注意したい。
 
 (動詞)
   kheb,kob,xob,kav,geph,qav,kheb,goph,
   qvi,xeb,khu,khv,
 (名詞)
   qva,xva
 
 これらは
 あのYHVH名のうちのHVHと同根とみられる。
 
 また現在のゲオルギ語文字で
 表現されている「m」字は
 一八世紀まで「ω」と書かれており、
 古代には「y:草書体⒴ƴ」字であったらしい。
 
  よって現在表記での m-gav〔導く〕は
 古代においては y-gav であって
 Y-HVH〔指示する、導く〕とほとんど
 同表記にして同義となる。
 
  セム語の仲間アモリ語〔アッシリア語〕は
 さらにゲオル語語に近く
 
  makhbir〔伝える〕、
   mqawekh〔叫ぶ〕、
   mquawekhe〔叫ぶ〕とある。
 
 またクルド語の中には
  xwjaj は
 ユダヤ教徒やキリスト教徒への尊称として
 使われているという。
 
  さらに「創世記」の記載で
 ノアの後裔「ペレグ」がその子孫と指摘した
 パキスタン辺りの
 バロチ〔Balōcì〕族の言葉に
  gap〔話、会話〕、
  gwānk〔叫び、叫び声〕とある。
 
  次にインド・ヨロッパ語圏における様子をみる。
 
 最も古くはメソポタミアの北方高原地帯の
 信仰を吸収した
 アーリアン(ar-en〔讃美する-主〕)人たちの
 言葉サンスクリット語をみる。
 
 同語にはこれまで紹介してきた
 諸語と同根とみられる
 Hvā-Hū〔原形〕があり、
 その動詞変化で、
   ho・hū・jahu・huva・hvayatiなどとなり、
 
 それらの語義は
 「呼ぶ、呼びかける、召す、
  呪文によって呼び出す、祈願する、祈る」
 となる。
 
 これらはYHVH名のHVH部分に相当する。
 
 そしてサンスクリット語には
 Y(ya)との単語があり、
 「するもの」
 「であるもの」との語義で
 Ya+Hvaと合成すると、
 「呼びかけるもの」
 「召すもの」などとなる。
 
  またかなり古いギリシャ語には
  Hpuo〔話す、呼ぶ、呼びかける、大声で叫ぶ〕
  iaxew〔告げ知らせる、大声で叫ぶ〕、
 
 名詞形で
   iaxh〔叫び、呼び声、歓喜の声〕、
 
 英語のgive〔与える、贈る〕は
 本来
 
 「(言葉を)言う、(言葉を)出す、
  (伝言を)伝える」の語義である。
 
 さらにドイツ語では
 eingeben〔説き勧める、鼓舞する〕で、
 英語のgiveと同じgebenは
 「与える、恵む」と
 共に
 「存在する、施される、ある、いる」
 でもある。
 
 Führenは
 「導く、案内する、連れていく、
  先頭に立つ」で、
 その名詞形
 Führerは
 「指導者、指揮者、先導者」と、
 
 『旧約聖書』の神〔主〕の性格を
 極めて正確に表現していて、
 しかもその表音がほとんど同じと判断される。
 
 よってYHVH名はイブル人にだけの
 独自特有な名称とはいえず、
 紀元前のメソポタミアを祖地とする
 言語世界ではかなり普遍的用語にして、
 信仰面で広い支持を得ていた
 想念だったと解釈される。  
 
M.K記

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(四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈 [神聖の系譜]


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第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈
  
  この神名はイブル語で
 解釈できないわけではない。
 
 それどころかイブル語で解釈される
 その神性は強勢で『旧約聖書』全体に
 流れている神の態度そのままで
 あるばかりでなく、
 キリスト教『新約聖書』においても
 全く変えられていない。
 
  宗義上からすると、
 その呼びかけさえ禁止されているのだから、
 その用語を解釈するなど以っての外である。
 
 しかしながらかなりのヘブライ学者が
 その由来・語義を明白にしようと試みている。
 そこでも本書も妥当と理解される
 イブル語での考察を行う。
 
 ではどういうイブル語 YHVH の単語を
 形成したのか具体的に分析する。
 
 まず語頭の"Y"は主語で、
 三人称単数男性形に対応する用語で、
 日本語で短絡的にいえば 
 「彼」「それは」である。
 
 また後半の HVH 部分は
 現在のイブル語では KhVH で 
 別の綴りでは HVVH で、
 
 前者は現在の表音で khivuh といい、
 ミレトス社の辞典はその語義を
 「言う、述べる、表現する、言明する」とし、
 
 後者は現在の表音で hoveh となり、
 「表す、示す、述べる、指摘する、
  指示する、呼ぶ」とあり、
 二語ともほとんど同義である。
 
 前者の三人称単数男性形現在で
 NKhVH〔nekhivuh〕となる。
 
 また後者は三人称単数男性形未来では
 YKhYH〔yehivuh〕 となる。
 
 また後者は
 三人称単数男性形現在で
 NHVVH〔nehoveh〕 、
 三人称単数男性形未来が
 YKhVH〔yekhoveh〕である。
 
 YHVH はこれらを包含した用語と考える。
 
 これらの表現に最も近似した語義を
 日本語で表すと、
 
 「そ(彼)は言明する」で、
 
 その意義として
 「彼は呼びかける」
 「彼は召す」ともなる。
 
 これらの方向は
 『旧約聖書』の「主」の
 神性そのものを示している。
 
  第一に指摘できるのは
 「創世記」第一章の初めからすぐ第三節に
 
 「神は言われた。"光あれ"」とある
 
 「言う」から始まっている。
 
 その単語はAMRで、
 正に直裁的な「言葉を発する」ではあるが、
 同語はその章の
 第六、九、一一、一四、二四、二六、
 二八、二九節に用いられている。
 
 つまり「主」は「言う」のがその神性である。
 
 『旧約聖書』の全体には
 終始「言う」との用語が、
 この AMR 、また DBR〔語る〕初め
 数多く表現されている。
 
 それら用語の役目は
 「呼びかける」「導く」との趣旨であり、
 そこには「命令」が含まれている。
 
 「創世記」第六章第一三節にも
 この AMR を用いて
 「神はノアに言われた」と
 大洪水を起こすことと共に
 箱舟を造ることを言明をする。
 
 そして第二二節で
 
 「ノアはすべて
  神が命じられたとおりに果たした」
 
 となる。
 
 神〔主〕の命令に従ったことで
 ノアの家族は洪水の難から
 救われることができたのである。
 
 このように神〔主〕の「言明」は絶対である。
 
  YHVH 名の別呼称として紹介した
 HShM 名にしても
 イブル語 HShMY I〔hishmiy ia〕に係わり、
 
 「宣言する、発表する、通知(報告)する」
 
 の語義である。
 
 何しろ現在のユダヤ教においても
 ShMY-YSRAL との祈りの祭りがある。
 
 その語義が
 「聞け、イスラエル」で、
 「通告」を人々に
 「聞け」強要(命令)している。
 
 そして僕(しもべ)〔信仰者〕となった人々は
 「アーメンAMEN」
 〔然り、そのとおりです〕といい、
 神の命令に「服従する」というのが
 その宗旨である。
 
  また主YHVHは服従者〔信仰者〕には
 徹底的にその「生」を保証するというのが
 その究極的意向である。
  
 イブル語のYHVHのHVHに近似した用語に
 YRHがある。
 
 その語義は
 
 「示す、指示する、質問する、命令する」で、
 
 実際使われる活用形にHYRH〔horah〕とある。
 
 同語の近似語が留意されるYKhKhで
 実際の活用形がNYKhKh〔noxakh〕で
 
 「確信する、納得する、~が真実であると解る」
 
 で
 
 「真実を明らかにする、
  証明〔立証〕する、叱る」
 
 の語義となる。
 
 同語の変化 HYKhKh〔huxakh〕は
 「証明する」にしてまた
 「証明される」ともなる。
 
 これらの語群から、
 主なる神は信仰者に結果として「証明」が
 与えられるまで「導く」のである。
 
 「創世記」第二四章第四四節に
 
 「主が主人の息子のためにお決めになった方」
 
 とある中の「決めた」は
 HKhYKh〔hoxykh〕で
 「証した」との語義である。
 
  さて
 AMRと共に「語る」語義のイブル語として
 DBRを紹介したが、
 同語を用いた教典があり、
 それについて説明しておきたい。
 
 それはモーセ五書のうちの日本語で
 「申命記」と称されているもの
 
 〔他は
  「創世記」
  「出エジプト記」
  「レビ記」
  「民数記」〕で、
 
 そのイブル語名が
 DBRYM〔DBRの複数形〕である。
 
 同語は「語る、話す」との動詞形と
 
 「語、単語、言葉」となる名詞形にも
 同綴りで用いられ、
 当該「申命記」では
 名詞用法でその意義は
 「神の言葉」となる。
 
 「申命記」の最初第一章第一節は
 次のように始まる。
 
 「モーセはイスラエルのすべての人に
  これらの言葉を語った。」
 
 この「言葉」が
 DBRYM〔debariym〕であり、
 「語った」がDBR:ダベルである。
 
 つまり同語は「神の言葉」であり、
 モーセが語ることによって人々に
 「告げ」られたのである。
 
 モーセが語った言葉は
 「神の言葉」で命令である。
 
 その前の第三節に
 
 「モーセは主が命じられたとおり
  すべてのことを
  イスラエルの人々に語った」
 
 とあり、
 この「語った」もDBRであるが、
 主が語る事々は「命令」なのであり、
 それには従わなければならない。
 
 それが神〔主〕と信仰者との約束である。
  
M.K記

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(三) イブル〔ヘブライ〕の神を 何故「主」というのか〔ADNYの背景〕 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (三) イブル〔ヘブライ〕の神を何故「主」
               というのか〔ADNY(アドナイ)の背景〕
  
  「主〔神〕」という構想は
 イブル人が始めた観念ではない。
 
 メソポタミアの未だシュメール時代が
 ペルシャ湾岸に芽生えるよりかなり以前、
 内陸部現トルコとイラクとの境
 「黄金の三角地帯」辺りに
 
 人類が野生の草〔大麦・小麦〕から
 穀物を収集し、季節を選んで種を播く
 天水農耕〔雨〕に気付いた頃からの発想である。
 
 穀物は野生の動物を狩るよりは遥かに容易に
 「食料」として人々には入手でき、
 人々の生活を守った。
 
 そのため人々は、
 「穀物」を「種」として
 「保管」するのに智恵を絞り、
 野生の動物などに雪が降り
 地上に青草などが無くなって、
 ひもじくなり人々の食料を
 横取りされないよう工夫した。
 
 その構造物が
 シンジャール地方で生まれた
 高床式建物で、
 二階部分に「穀物」は種としても
 安置されたのである。
 
 その様子は
 本書第一部でかなり詳しく紹介してある。
 
 この発明は後にまで
 フルリ〔丘の人〕あるいは
 スバル〔天〕に人として
 永く同山岳地帯に生き一部は南下して
 シュメールの文化を生み出した。
 
 その時代的過程は
 『旧約聖書』「創世記」の
 ノアの後裔のうちの「セム」系として
 当第二部第一章(一)(3)セムの子孫
 で説明してある。
 
 当該「穀物」または「大麦」の
 シュメール語名が en であり、
 その en を蓄える行為を 
 si-en-gar
 〔穀物(大麦)を蓄える:si~garが蓄える〕
 といい、
 上記のシンジャール「sinjar」
 〔地方名:山地名〕名となっている。
 誠に山岳地帯の植物〔木・草〕帯と
 砂漠地帯の境に位置している。
 
  この木造の高床式建物の構造物が
 シュメルが最初の都市エリドゥの祭壇跡の
 最下層に木造のため腐って跡形もないが、
 オックスフォード・ケンブリッジ両大学の
 発掘調査隊がその存在を確認している。
 
 時代はその後シュメールから
 アッカド、バビロンと下るが、
 次第にその構造物は
 木造から日干しレンガで組立て構築され、
 大型・高層化され、
 セム語でジクラトと称され
 「バベルの塔」へと変型していった。
 
 それがメソポタミアの神への
 信仰の中心に位置した。
 
 その塔の頂上にはシンジャル〔神社〕が、
 つまり神殿が建てられていた。
 
 イブル族の族長となったアブラハムは
 その父テラの時代「カルディアのウル」に
 いて後に北方へ移って行った。
 
 カルディアとは
 バビロン地方の一般名であった。
 
 つまり、
 イブル人たちはメソポタミアの信仰を
 体現していた人々であった。
 
  さて、
 彼等の歴史課程も重要だが、
 高床式建物が
 シンジャール山脈の東はずれ
 アルパチア遺跡の丘の地下から
 一九八七年に出土した出土品の鉢の
 内底円形中にある建物の意匠から
 その思念を考察してみる。
 
 上階である高床へは梯子〔階段〕で上がる。
 
  その上階には黒く塗り込んだ四角形が見え、
 これは箱でその中に
 貴重品を保管〔蓄える〕したとの表れで、
 
 その品こそ 
 en〔大麦:穀物及びその種〕だったのである。
 
 この en との表音が
 シュメール語の楔形文字は
 異なるものの「主〔主人〕」の意義として
 使われるようになった。
 
 穀物が人々を護り、
  種を播くと育ててくれるのだから
 「神」との観念に至り定着され
 使われるようになったと見ることができる。
 en は「主なる神」なのである。
 
 このような紀元前の古い時代からの背景を
 理由として
 前節(二)で YHVH 名を解釈した際
 その最初の語 Y を en〔主〕としたのである。
 
 イブル人の神信仰にはメソポタミアの文化が
 色濃く踏襲されているのである。
 
  いわゆる「十戒」の条項の制約により
 聖名 YHVH 呼称ができないことにより
 すでに紹介した
 HShM との呼称と共に頻繁に用いられる
 ADNY〔アドナイ〕についても考察する。
 
 この ADNY 一般語義も「主:主人」である。
 この用語の『旧約聖書』での初出は
 「創生記」第一九章で、
 同章での使用はいわゆる人間関係で、
 その仲間うちの「主人」を表す。
 
 同後段二三章からの
 アブラハムの伝承になると
 ほとんどそのアブラハムを
 「主人」と呼びかけるのに使われている。
 
 ただし、
 第一九章第一八節にある
 
 「ロトは言った。主よ、できません」
 
 とある ADNY はやはり 
 YHVH「神」のことらしい。
 
 そのロトに答えていう第二一節には
 VYAMR-XLYV〔言った-彼に〕とあり、
 その主語がない。
 
 だが、
 第一語の Y は
 「主」が語る際の慣用句であり、
 一八節においてロトが
 「主よ、~」と呼びかけた相手は
 「神」にするのが妥当だろう。
 
 また第二三章第六節の
 ADNY-MShYA-ALHYM との羅列では
 単に「人である主人」
 とだけのようではない。
 
 その語義は〔主-首長-神(複数)〕で
 「神々の首長である主」とも解釈され、
 『旧約聖書』の信仰世界で
 ALHYM や YHVH 名を「主」たる ADNY と
 呼称する理由になっているようである。
 
 次に同語をシュメール語で解釈すると、
 AD-Na-u〔父祖-人-草〕とあり、
 「草の人の父」となる。
 
 AD〔父〕語はイブル語では AB(V) で、
 キリスト教とも共通の「父なる神」の観念で
 通称され、「主」と同義である。
 
 「草の人」は
 『旧約聖書』「創世記」で
 アダムの二人の息子「麦を作るひと」としての
 カイン〔第三章「土を耕す者」〕及び
 アベル〔同「羊を飼う者」〕の
 背景からすると、
 「イブルの人々」との理解ができる。
 
 因みに
 「土を耕す者」とは
 「地に麦の種を播く者」だし、
 「羊を飼う」には
 その食料〔えさ〕となる青草〔牧草〕が
 なければならない。
 
 ADNY はつまり
 イブル人たちの「父神」を示していて、
 それが彼等の「主」なのである。
 
 それは YHVH 名や MShM 名と共一なる
 「生物誕生」に係わる思念を表している。
  
M.K記

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(二) 旧約聖書「創世記」における「主」YHVH 名の初出とその原義 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (二) 旧約聖書「創世記」における「主」
      YHVH 〔ヤハウェ〕名の初出とその原義 
  
  さて『旧約聖書』全体において最も貴重な
 神の表記はYHVH〔ヤハウェ〕名である。
 
 この名称が記載される最初は「創世記」
 第二章第四節の初めである。
 同記述は次のようである。
 
    天地万物は完成された。
 
 第七日の日に、神は御自分の仕事を完成され、
 第七日の日に、神は御自分の仕事を離れ、
 安息なさった。(中略)
 
  これが天地創造の由来である。
 
  主なる神が地と天とを造られた時、
  地上にはまだ野の木も、
  野の草も生えていなかった。
 
  主なる神が地上に雨を
  お送りにならなかったからである。 
  また土を耕す人もなかった。 
 
 この「主なる神」のイブル語が
 YHVH-ALHYMで、
 第二章においてALHYMだけの記載で
 三回出た後第四回目、
 第一章からは三四回目の初登場となっている。
 
 この第二章から始まる用件は「生き物」で、
 まず「野の木」や「野の草」である。
 
 「木」といっても
 発芽は草の芽のようなものである。
 
 この第二章ではYHVH-ALHYMが一一回、
 第三章では九回、
 第四章に進むとYHVHだけがとなり、
 八回記載される。
 
 その後の章では
 YHVHだけが記述される場合が多くなる。
 
 しかし、
 時としてALHYMが使われたりし、
 そこに使用規律があるとはみられない。
 
  そこでYHVHの語義解釈を加えていきたい。
 
 ALHYM同様同語についても
 イブル語の解釈はできる。
 
 その詳細は後述する。
 
 ここではALHYMについて
 シュメール語解釈が
 可能だったことを踏まえて
 同様シュメール語で解釈する。
 
 この第二章第二節では
 「野の草」が象徴的に
 取り扱われていると注目する。
 
 つまりYHVHはシュメール語の 
 en-pa-ba〔主-もたらす-草〕で
 「草をもたらす主」との
 解釈が可能だからである。
 
 En〔主〕が「a」であるのは上記した
 ALHYM〔わたしは有る者〕の
 A が an〔わたし〕の
 合成語の「主語」となっているのに
 同様であるし、
 
 『旧約聖書』において向後
 YHVHはモーセの「十戒」のうちの
 一条「やたらに主の名を呼ぶな」とに従い、
 
 ADNY〔アドナイ:主人〕と呼称される
 実際に照らしてみると、
 やはり
 en〔主・主人〕とするのが妥当である。
 
 さて次の pa は
 「贈る、与える」とも用いられているが、
 
 ここでは「生じさせる」の意義で
 「もたらす」であり、
 
 ba〔草〕その出自が羊飼いたちのイブル人、
 また草の一種「麦」を食糧とする
 イブル人にとっては
 特別の「生き物」「植物」である。
 
 この「草をもたらす」との観念は
 ADNYと共にYHVH名の代わりに
 呼ぶこととなっているHsHM〔ハシェム〕の
 シュメール語解釈に一致する。
 
 同語は pa-sham〔もたらす-草〕で、
 YHVHとHsHMとは同語となる。
 
 つまり、
 baとShMは表音は違えども同じ「草」を表す。
 
 双方と「地上」に
 初めて「生き物」を「生じさせ」た
 神の仕事としての共通意義を持っている。
 
 これらがYHVH名が
 第二章に初めて記載された理由である。
 
 YHVH-ALHYM は「存在〔天地〕」を
 造られた方が、
 地上に「生物〔草〕を生やさせた」となる。
 
 そして、
 「創世記」第三章で
 「主」は「人間」を造られる経緯が語られる。
 
   ≪参考≫「創世記」第二章
1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、
5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。
6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。
7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。
9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
10 また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。
11 その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、
12 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。
13 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。
14 第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。
15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
19 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
  
M.K記

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(一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM [神聖の系譜]


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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM
  
  『旧約聖書』はその第一の教典「創世記」
 の第一章の最初にALHYM〔アロヒイム〕名を
 登場させている。
 その語義は「神」である。
 
 ALH〔単数〕の複数形が同語で、
 日本では「絶対神」あるいは「唯一神」と
 これまで翻訳、解釈されてきた。
 しかし、
 その解釈は西欧のキリスト教あるいは
 ユダヤ人ヘブライ学者の解説を
 日本聖書協会が取り入れて
 紹介してきたものである。
 「創世記」第一七章一に載る
 AL-ShDY を「全能の神」としているのも
 その例に入る。
 ShDY はセム語の一派アッカド語の
 「山」を意義する seda に依拠し、
 同語は本来「山の神」が語義である。
  
  時代は二一世紀に入っており、
 日本でも広くイブル〔ヘブライ〕語教典が
 用いられるようになっている。
 
 本書は
 そこで独自の理解を述べることとしたい。
  そのALHYMであるが、
 『旧約聖書』「創世記」における登場は
 第一章第一節冒頭から
 第三番目の単語として表れる。
 その第一章だけで三〇回、
 第二章で一一回、
 第三章で一〇回、
 第四章で八回と
 「創世記」の始まり部分では多数を数える。
 
 特に第一章は
 一般に「天地創造」の章と知られ、
 その主人公がALHYMである。
 第一章第一節の冒頭を記す。
  初めに、神は天地を想像された。
  地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
  神の霊が水の面を動いていた。
  神は言われた。
  「光あれ。」
  こうして、光があった。
  神は光を見て、良しとされた。
  神は光と闇を分け、
  光を昼と呼び、
  闇を夜と呼ばれた。
 
 このような「神」に当たる用字は
 一1章においては全てALHYMである。
 すでに述べたとおり同語は
 ALH〔神〕の複数形である。
 しかし、
 同語はまた「力」または「知的な能力」を
 表し、
 いうなれば「可能力」を表している。
 このALHYMの語義のシュメール語は 
 a〔力〕で、a-lah〔力-もたらす〕で
 「もたらす(可能にする)力」である。
 しかもa-lah-me〔力-もたらす-存在〕は
 「存在をもたらす力」となり、
 「存在」は「有」にして「物」であり、
 まさに「天地創造」に相応しい。
 me〔存在〕とは、
 創世記が天も地もない
 混沌の状況〔無〕から「有・存在」を
 創り出した表現とすることができるのである。
 イブル語の「神」を表す類語にALもあるが、
 同語を複数形にすればALYMとなるが、
 そのような用語は「創世記」に使われていない。
 
 そこにALHYMの表記に単なる文法的複数形と
 決めつけるだけでなく、
 その背景を考察すべき関心を生じさせる。
 
 それにしても「創世記」の
 第一章の第一節の
 最初「天地創造」の関係用語が「神」の
 複数形で占められているのは重大である。
 
 つまり、
 「創世記」が記述された頃
 〔紀元前二〇〇〇年頃〕の
 イブル〔ヘブライ〕人においても、
 「天地」は複数の神々によって
 造られたとの思念があったものと
 推察できるのである。
 「ノアの系図」でみたようにヘブル人たちの
 祖先はメソポタミアに永年いたのであり、
 そこは複数の「天神」たちによって創造され
 支配されていたとの神話を持つ地方であった。
 
 その影響が『旧約聖書』に移入されていても
 不思議ではない。
 「ユダヤ教は一神教」との通説は
 誤解か意図的図り事であろう。
 
 『旧約聖書』の世界は決して一神だけが
 登場しているのではない。
 
 イブルの人々は「神」が複数いることを
 よく知っていた。
 それが重大な事変が起こる要因をなして、
 イブル社会を揺さぶり、
 共同体として安定性を欠くことにもなった。
 そこでアブラハムからモーセに至るにつれ、
 「あなたたちの契約した神は
  “主”たる神だけ」と
 説諭を重ねられるのである。
 今後
 本書が解説する事々を的確に理解するには
 以上の状況を
 是認しておかなければならないのである。
  ≪参考≫
 「創世記」
   ヘブライ語日本語:対訳シリーズ
   1992年
   ミルトス・ヘブライ文化研究所編
 「創世記」第1章 
1 初めに神は天地を創造された。
2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
  神の霊が水の面を動いていた。 
3 神は言われた「光あれ。」
  こうして光があった。
4 神は光を見て、良しとされた。
  神は光と闇を分け、
5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
  夕べがあり、朝があった。
  第一の日である。
6 神は言われた。
 「水の中に大空があれ。水と水を分けよ。」 
7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に
  水とを分けさせられた。
  そのようになった
8 神は大空を天と呼ばれた。
  夕べあり、朝があった。
  第二の日である。 
9 神は言われた。
 「天の下の水は一つ所に集まれ。
  乾いた所が現れよ。」そのようになった。
10 神は乾いた所を地と呼び、
  水の集まった所を海と呼ばれた。
  神はこれを見て、良しとされた。
11 神は言われた、
   「地は草を芽生えさせよ。
    種をもつ草と、
   それぞれの種を持つ実をつける果樹を
     地に芽生えさせよ。」
  そのようになった。
12 地は草を芽生えさせ、
  それぞれの種を持つ草と、
  それぞれの種を持つ実をつける木を
   芽生えさせた。
  神はこれを見て良しとされた。
13 夕べがあり、朝があった。
  第三日である。 
14 神は言われた。
  「天の大空に光る物があって、
   昼と夜を分け、季節のしるし、
   日や年のしるしとなれ。
15   天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
  そのようになった。
16 神は二つの大きな光る者と星を造り、
  大きな方に昼を治めさせ、
  小さな方に夜を治めさせられた。
17 神はそれらを天の大空に置いて、
  地を照らさせ、
18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。
  神はこれ見て、良しとされた。
19 夕べがあり、朝あった。
  第四の日である。
20 神は言われた。
  「生き物が水の中に群がれ。
   鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
21 神は水に群がるもの、
   すなわち大きな怪物、
   動めく生き物をそれぞれに、
   また翼ある鳥を、それぞれに創造された。
   神はこれを見て、良しとされた。
22
  神はそれらのものを祝福して言われた、
  「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。
   鳥は地の上に増えよ」。
23 夕べがあり、朝があった。
  第五の日である。 
24 神は言われた。
  「地は、それぞれの生き物を産み出せ。
   家畜、這うもの、
   地の獣をそれぞれに産み出せ。」
  そのようになった。
25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、
  それぞれの土を這うものを、造られた。
  神はこれを見て、良しとされた。 
26
   神は言われた。
  「我々にかたどり、我々に似せて、
   人を造ろう。
   そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
   地を這うものとすべてを支配させよう。 」
27 神は自分にかたどって人創造された。
  神にかたどって創造された。
  男と女に創造された。 
28 神は彼らを祝福して言われた。
  「産めよ、増えよ、
   地に満ちて、地を従わせよ。
   海の魚、空の鳥、
   地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。
29 神は言われた。
  「見よ、全地の生える、種を持つ草と、
   種を持つ実をつける木を
   あなたたちに与えよう。
   それがあなたたちの食用になるであろう。
30   地の獣、空の鳥、地を這うものなど、
    すべて命あるものには
    あらゆる青草を食べさせよう」。
  そのようになった。 
31 神はお造りになったすべての物を
  ご覧になった。
  見よ、それは極めて良かった。
  夕べがあり、朝があった。
  第六の日である。
 
M.K記

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(六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖 [神聖の系譜]


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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
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第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
    (六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖
     
  ノアは方舟が大洪水の後、
 地に着いてから神に犠牲を献げた。
 
 セムはシュメル語の šum (供儀する)、
 アルパクサデは牛頭(牛首)の意味であった。
 
 アブラムはアッカド語による神話において
 神々に献供する者の名であった。
 
 ヤコブは
 「神の門」「神の家」を夢に見て石柱を立て
 神に収穫物の十分の一を献供することを約束した。
 
 モーセも
 
 「アカシア材で燔祭(はんさい)の祭壇を造った
  (出エジプト記第三八章)」のである。
 
  モーセは主によって啓示を受ける。
  あなたはイスラエルの長老たちと一緒に
  エジプトの王のところへ行って言いなさい。
 
  『ヘブルびとの神、
   王がわたしたちに現われました。
   それでわたしたちを三日の道のりほど
   荒野に生かせて、
   わたしたちの神、
   主に犠牲をささげることを許してください』
 
  と。
 
 それがヘブライ人たちを
 エジプトから解放するための
 第一歩の手段であった。
 
 ここにも表れるように
 主ヤハウェに犠牲をささげる行いは
 重要な宗教的行為であった。
 
 しかも
 ヤハウェはヘブライ人に燔祭を行うことを求め、
 生であったり、煮たりすることは許されなかった。
 
 燔祭の儀礼について詳細に解説しているのが
 「レビ記」である。
 
 そこには供え物が、牛、羊ないし
 山羊、鳥など穀物についても
 それぞれの供儀の仕方について述べられている。
 
 どのような内容であったか、
 牛の場合のみについて(日本聖書教会版)転載する。
 
  アブラムはカルディアのウルに
 父テラとともに居住していた。
 
 そこはシュメールと呼ばれた土地である。
 
 その原義は šum-e-lu (供儀する-を-動物)で
 あったかもしれない。
 
 ヘブライ人は、
 祝祭を中枢とする文化を強力に推進した
 民族であったのである。
 
   もし、
  その供え物が牛の燔祭であるならば、
  雄牛の全てものをさ献げなければならない。
  会見の幕屋の入口で、
  主の前に受け入れられるように、
  これをささげなければならない。
 
  彼はその燔祭の獣の頭に
  手を置かなければならない。
  そうすれば受け入れられて、
  彼のために贖いとなるであろう。
 
  彼は主の前でその子牛をほふり、
  アロンの子なる祭司たちは、
  その血を携えてきて、
  会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、
  その血を注ぎかけなければならない。
 
  彼はまた、その燔祭の獣の皮を剥ぎ、
  節々に切り分かたなければならない。
 
  祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、
  その火の上に薪をならべ、
  アロンの子なる祭司たちは
  その切り分けたものを、
  頭および脂肪と共に、
  祭壇の上にある火の上の薪の上に
  並べなければならない。
  その内臓と足とは水で洗わなければならない。
 
  こうして
  祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて
  燔祭としなければならない。
 
  これは火祭であって
  主にささげる香ばしいかおりである。
 
  ≪参考≫出エジプト記 第 38 章
1 ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。
2 その四隅の上に、角を作った。その角はその一部である。彼は祭壇に青銅をかぶせた。
3 彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
4 祭壇のために、その下のほうに、すなわち、祭壇の出張りの下で、祭壇の高さの半ばに達する青銅の網細工の格子を作った。
5 彼は四つの環を鋳造して、青銅の格子の四隅で棒を通す所とした。
6 彼はアカシヤ材で棒を作り、それに青銅をかぶせた。
7 その棒を祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板で中空に作った。
8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。
9 彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトの撚り糸で織った亜麻布でできていた。
10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
11 北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
12 西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。
13 前面の東側も、五十キュビト。
14 その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。
15 庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。
16 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。
17 柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。
18 庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。
19 その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。
20 ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。
21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。
22 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。
23 彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。
24 仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。
25 会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。
26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。
27 聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。
28 また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。
29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。
30 これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。
31 また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。

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(五) 洪水伝説と祝祭 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
   (五) 洪水伝説と祝祭  
     
  ノアの箱舟として知られる洪水伝説は
 旧約聖書にだけ特異の物語ではない。
 
 メソポタミアの粘土板の楔形文字文書のなかに
 二つの伝承があるのである。
 
 そのうち最も神話として
 完成され残されているものは、
 紀元前二千年頃のアッカド語の文書
 「ギルガメッシュ叙事詩」に
 語られているものである。
 
 ギルガメッシュは紀元前三千年紀初期の
 シュメールの都市ウルクの王で、
 ギルガメッシュの英雄物語とともに、
 不死を探求して旅に出、
 ウトナピシュティムという不死を
 与えられた者から聞かされる。
 
 物語は、ジョン・グレイ
 「オリエント神話」などすでに
 日本語に翻訳されているので、
 ここでは同書からウトナピシュティムの
 船が洪水が治まってからニシル山に
 着いてからの七日目以降の詩句を転載する。
 
  七日目になった時、
  私は鳩を派遣し、解き放した。
  鳩は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので
  鳩は戻った。
 
  そこで、私は燕を派遣し、解き放した。
  燕は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので、
  燕は戻った。
 
  そこで、
  私は烏を派遣し、解き放した。
  烏は飛び去り、水が引いたの見て、
  彼は食べ、旋回し、カアカア鳴き、
  そして戻らなかった。
  
  そこで
  私は四つの風に全てを解き放し、
  そして、犠牲を捧げた。
  私は山の頂上に神酒を注いだ。
  私は七つ、また七つと祭器を置いた。
  私はそれらの壺の台の上に、
  草と杉の木とテンニンカを積み上げた。
 
  神々はその香を嗅ぎ、
  神々はその甘い香を嗅ぎ、
  神々は蝿のように、
  犠牲の施主のまわりに群がった。
 
 もう一つのメソポタミアの洪水伝説を記す
 粘土板の文書はニッブ―ルから出土した。
 
 しかし、
 こちらはすでに破損などによる
 読解不可能な部分や欠落があり、
 「ギルガメッシュ叙事詩」ほど完全ではないが、
 上記箱舟の部分は読取りが可能であった。
 
 この粘土板の物語はギルガメッシュ叙事詩より
 古いものと考えられている。
 
 旧約聖書のノアあるいはウトナピシュティムに
 当たるこの粘土板の王はジウスドラという。
 
 ヘルムート・ウーリッピヒ「シュメール文明」より
 その部分を転載する。
 
  恐るべき嵐が荒れ狂った。
  同時に破壊的な大洪水が起こった。
  七日七夜にわたって、
  嵐と洪水は国中を被った。
  巨大な箱舟は、
  嵐の中を波の間に間に揺れ動いた。
 
  その時、太陽の神が現れ、天と地を照らした。
  太陽神ウトゥの光は
  巨大な箱舟の中に差し込んだ。
 
  王、ジウスドラは、
  ウトゥの前にひざまづいた。
  王は一頭の牡牛を屠殺し、
  沢山の羊を犠牲に捧げた。
 
 次に旧約聖書創世記第八章から、
 前記に当たる大洪水後の部分を抜粋して転載する。
 (日本聖書協会版)。
 
  四十日たって、
  ノアはその造った箱舟の窓を開いて、
  からすは地の上から水がかわききるまで、
  あちこち飛びまわった。
 
  ノアはまた地のおもてから、
  水がひいたかどうかを見ようと、
  彼の所からはと放ったが、
  はとは足の裏をとどめる所が
  見つからなかったので、
  箱舟のノアのもとに帰ってきた。
  水がまだ全地のおもてにあったからである。
  彼は手を伸べて、これを捕え、
  箱舟の中の彼のもとに引入れた。
 
  それから七日待って再びはとを箱舟から放った。
  はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。
  そのくちばしには、オリーブの若葉あった。
  ノアは地から水がひいたのを知った。
  さらに七日待ってまた
  はとを放ったところ、
  もはや彼のもとには帰ってこなかった。
  (中略)
  ノアは
  共にいた子らと、妻と、子らの妻たちを
  連れて出た。
  また、
  すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、
  すべての地の上に動くものは皆、
  種類にしたがって箱舟を出た。
 
  主はその香ばしいかおりをかいで、
  心に言われた。
 
  「わたしはもはや二度と人のゆえに
   地をのろわない」
 
 この三つの洪水伝説を並べてみると、
 旧約聖書の「ノアの箱舟」伝承は
 明らかにメソポタミアの物語を
 取り入れたものであることが解る。
 
 パレスティナから、
 紀元前一二〇〇年頃製作の洪水伝説を語る
 粘土板の断片がみつかっていることは、
 旧約聖書が製作される以前に同伝説が
 カナァン地方に持ち込まれていたことを
 明らかに示している。
 
 旧約聖書「創世記」の執筆者が
 メソポタミアの資料を参照して、
 独自の神話に組み替えたのだと推測される。
 
 旧約聖書の信奉者であるヘブライ人との
 関係はどうなったのか。
 
 ノアの系図の子孫テラは
 カルディアのウルにおり、
 その子ハランはそこで死んだ。
 
 テラはその子アブラムなどとともにそこ
 カルディアのウルを出た(第二章)と
 語られている。
 
 カルディアのウルは
 南メソポタミアの民族との親密さを語る。
 
  創世記に使われるヘブライ語の箱舟は
 tebach であるが、これは
 シュメール語による理解によると
 「行く葦屋」teb-ach 、
 つまり動く葦屋ということになる。
 
 Teb はシュメール語の tsavi、 
 ach は e(á)(家)-gi(葦)の転訛と考えられる。
 
 ギルガメッシュ叙事詩において、
 神々の支配者であるエンリル神は大洪水を
 起こして人間を滅ぼすことを決めるが、
 エンキ神のアッカド名であるエア神が、
 それを人間に語ることを
 禁じられているにもかかわらず、 
 シュルパックのウタナシュティムの葦屋に至り、
 彼にではなく彼の葦屋の壁に向かって語る。
 
  王子エアは
  秘密を守る誓いを立てたにもかかわらず、
  彼等の言葉をわたしの葦屋に向って繰り返した。
 
  「葦屋よ、おお棚よ、壁よ、
   家を壊し、舟をつくれ、
   富を捨て、命を求めよ」
 
 ウタナシュティムの屋敷は葦屋であったのである。
 
 そして彼は家を壊して舟を作ることにする。
 
 そのために集めたのが大工と葦工であった。
 
 エア神にいわれたように間口と奥行を等しくした
 方舟を作ったのであるが、これは葦舟で、
 tebach の原形と考えられるのである。
 
 旧約聖書においては
 いとすぎの木で箱舟が作られた。
 
  箱を表わす用語は、
 英語で ark  
  ドイツ語で Arche であるが、
 アッシリア時代ペルシャ湾の貿易商人たちは
 アルク・ティルムンと呼ばれており、
 箱が舟であるとの概念がみられる。
 
 シュメール語の海は ma 、
 ヘブライ語の海は yam であるが、
 ノア Noah はこの ma を転訛させて作られた
 呼称と考える。
 
 創世記は
 シュメール Shmer を
 シナル Snar という。
 
 M と N との転換が同様にみられる
 ギリシャ語では海は mere となるが、
 日本では古来から船名に付けられる
 「丸」はこの語の流用である。
 
  モーセの姉ミリアムやイエス母聖母
 マリヤ(ヘブライ語で Miryam)も
 海に因んだ名称である。
 
  三つの洪水伝説共通する事項のうち、
 注目すべきは方舟から解放された後
 犠牲が捧げられていることである。
 
 ウトナピシュティムは
 
 「そして犠牲を捧げ、山の頂上に神酒を注いだ」
 
 と語り、
 
 ジウスドラは
 
 「一頭の牡牛を屠殺し、沢山の羊を犠牲に捧げた」。
 
 またノアは
 
 「主に祭壇を築いて
  すべての清い鳥のうちから取って
  燔祭を祭壇の上にささげた」
 
 と語られる。
 
 祝祭はメソポタミアの宗教的伝統として
 重要な慣習である。
 
 ここで旧約聖書を信奉する人々が
 祝祭の儀礼を持っていることを
 同書を読む者に初めて明白にしている。
 
 ≪参考≫
 ギルガメッシュ叙事詩
  
M.K記

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(四) 祝祭の民 イブル〔ヘブライ〕と「ハブール」 [神聖の系譜]


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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
  (四) 祝祭の民   イブル〔ヘブライ〕と「ハブール」  
   
  アブラムはヘブロン Hebron で
 祭壇を築いたと記述されるが、
 実際は祭壇を築いたから
 そこをヘブロンと呼ぶ地名ができたのである。
 
 さらに重要なことは、
 この時を以って初めてイブルびと 
 IVRY(Hebri・HIBRY〔の-イブル〕) 
 となったのである。
 
 祭壇設置の後の
 「創世記」第一四章において
 初めて
 「ヘブルびとアブラム」と
 ヘブルびとの呼称が現われる。
 
 この条句はヘブルびと、
 いわゆるヘブライ人の誕生を
 語っているのである。
 
 祭壇を築いたのは祝祭を行うためである。
 
 ヘブライ人の祝祭は燔祭に限られる。
 
 その火祭はヘブライ語で 
 IVLH(Ivlai) と呼ばれる。
 
 その様式は祭壇の上で犠牲を焼くことである。
 
 この訓音が IVRY と極似しており、
 これがその原語であると推測されるのである。
 
 ヘブロンはアブラハムの墳墓があるほか、
 ダビデ王が初めての都を建てた町である。
 
  この「創世記」第十三章に至るまで
 ヘブルの名称は一切登場していない。
 
 例え近似したエベルなどの
 呼称があったとしてもである。
 
 IVRY(Hebri)は、
 「掲げる」意味の 
 hebeen(ドイツ語)、
 bar(シュメル語)、
 アッカド語の hawilu(崇拝者) 
 との同類語である。
 
 ということは
 カルト・イベリ人の呼称と関係することになる。
 
 また祭壇を築いて祭儀を行うのは
 ハフリ(祝)の行為であり、
 セム族(供儀の人々)である由縁である。
 
  ヘブライのヨルダン川の両岸から
 地中海沿岸の地方は
 サマリア Samaria 地方である。
 
 この地方名は現在の
 サバステア Sabastea 町が
 サマリアといわれていたことによるが、
 セム Shem 族の名に依るものである。
 
 その別名サバステは、
 ローマ時代などには Sebaste であったが、
 その語義はヘブライ人がユダヤ教の儀式に従って
 家畜など供儀の動物を屠殺することを意味する。
 
 サマリアは「供儀の地」の意味であり、
 セムがシュメル語の šum に依ることがわかる。
 
 ヘブルはハブール(祝)と同義なのである。
 
 サンスクリット語の 
 Svista は「正規の献供」を意味する。
 
  ユダ YHVDH の名称は、
 アブラハムの孫ヤコブの子として
 初めて現われる。
 
 後の紀元前十世紀に
 ヘブライ国を統一したダビデ王は、
 このユダ家の出身で
 その王国が分裂した時
 南方にできたのがユダ王国で、 
 現在ヘブライ人がユダヤ人と呼ばれるのは
 ダビデ王の偉業の成果に依拠するのも一因である。
 
 彼等は三日月を象徴として信奉する。
  
 三日月は
 メソポタミアの支配的王権の象徴である
 太陽、金星とともに重要である。
 
 新バビロニアの紀元前6世紀の
 ナボニドス王のものとみられる石盤には、
 月、太陽、金星が刻まれている。
 
 新アッシリア時代においても
 紀元前7世紀のエサルハドンが
 サムアルに建てた石碑、
 紀元前九世紀の
 シャムシ・アダト五世のカルフから
 出土した石碑にも刻まれている。
 
 三日月神はシュメール語でナンナ神といい、
 ウル市の主祭神でナンナ神殿があった。
 
 アブラムの一族が居住していた
 「カルディアのウル」で、
 発掘により知られている神殿は
 紀元前二一一二年から二〇〇四年にかけての
 建物とみられる。
 
 ナンナ神はセム語系である
 アッカド語ではシン Sin 神と呼ばれるが、
 その祖語は en-zu (神-月)である。
 
 ところで、
 月神を象徴する月の造形が満月でなく、
 なぜ、三日月なのであろうか、。
 
 それは紀元前八世紀の
 サムアルのバル・ラキブの石板に
 うかがわれるように
 牛頭の角を模しているからである。
 
 ウル市からは紀元前四千年紀の遅い時期に
 製作された牡牛に
 大麦を刻んだ石製の鉢がつかっている。
 
 大麦と牡牛の組合せは
 犠牲にされる牡牛を表しており、
 ウル市においても牛供犠が行われていたことを
 示唆している。
 
  カルディアのウルにいたアブラム一族が
 この月神信仰に馴染んでいたと十分推測できる。
 
 アブラムの一族はハランに移るが、
 ハランからそう遠くない
 アレッポにも月神殿があった。
 その軌跡には月神の影がつきまとう。
 
  ヤコブの子ユダが生まれた時、
 母は
 
 「わたしは今、主を褒め称える」
 
 といって
 ユダと名づけたといっている
 「ほめたたえる」は
 セム語(アッカド語)で harwiru であり、 
 YHVDH(Judah) は月崇拝者(賛美者)を意味する。
 
 ≪参考≫
  「創世記」第一三章及び第一四章
 
第13章
1 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出て、ネゲブに上った。ロトも彼と共に上った。
 
2 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。
 
3 彼はネゲブから旅路を進めてベテルに向かい、ベテルとアイの間の、さきに天幕を張った所に行った。
 
4 すなわち彼が初めに築いた祭壇の所に行き、その所でアブラムは主の名を呼んだ。
 
5 アブラムと共に行ったロトも羊、牛および天幕を持っていた。
 
6 その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。彼らの財産が多かったため、共に住めなかったのである。
 
7 アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった。そのころカナンびととペリジびとがその地に住んでいた。
 
8 アブラムはロトに言った、「わたしたちは身内の者です。わたしとあなたの間にも、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間にも争いがないようにしましょう。
 
9 全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。
 
10 ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。
 
11 そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。
 
12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
 
13 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。
 
14 ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。
 
15 すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。
 
16 わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。
 
17 あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます」。
 
18 アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。
 
第14章
1 シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオク、エラムの王ケダラオメルおよびゴイムの王テダルの世に、
 
2 これらの王はソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シナブ、ゼボイムの王セメベル、およびベラすなわちゾアルの王と戦った。
 
3 これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。
 
4 すなわち彼らは十二年の間ケダラオメルに仕えたが、十三年目にそむいたので、
 
5 十四年目にケダラオメルは彼と連合した王たちと共にきて、アシタロテ・カルナイムでレパイムびとを、ハムでズジびとを、シャベ・キリアタイムでエミびとを撃ち、
 
6 セイルの山地でホリびとを撃って、荒野のほとりにあるエル・パランに及んだ。
 
7 彼らは引き返してエン・ミシパテすなわちカデシへ行って、アマレクびとの国をことごとく撃ち、またハザゾン・タマルに住むアモリびとをも撃った。
 
8 そこでソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、ゼボイムの王およびベラすなわちゾアルの王は出てシデムの谷で彼らに向かい、戦いの陣をしいた。
 
9 すなわちエラムの王ケダラオメル、ゴイムの王テダル、シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオクの四人の王に対する五人の王であった。
 
10 シデムの谷にはアスファルトの穴が多かったので、ソドムの王とゴモラの王は逃げてそこに落ちたが、残りの者は山にのがれた。
 
11 そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、
 
12 またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪って去った。
 
13 時に、ひとりの人がのがれてきて、ヘブルびとアブラムに告げた。この時アブラムはエシコルの兄弟、またアネルの兄弟であるアモリびとマムレのテレビンの木のかたわらに住んでいた。彼らはアブラムと同盟していた。
 
14 アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、
 
15 そのしもべたちを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼らを追った。
 
16 そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した。
 
17 アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破って帰った時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷に出て彼を迎えた。
 
18 その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。
 
19 彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。
 
20 願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。
 
21 時にソドムの王はアブラムに言った、「わたしには人をください。財産はあなたが取りなさい」。
 
22 アブラムはソドムの王に言った、「天地の主なるいと高き神、主に手をあげて、わたしは誓います。
 
23 わたしは糸一本でも、くつひも一本でも、あなたのものは何にも受けません。アブラムを富ませたのはわたしだと、あなたが言わないように。
 
24 ただし若者たちがすでに食べた物は別です。そしてわたしと共に行った人々アネルとエシコルとマムレとにはその分を取らせなさい」。  
  
 
M.K記

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