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(一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM
  
  『旧約聖書』はその第一の教典「創世記」
 の第一章の最初にALHYM〔アロヒイム〕名を
 登場させている。
 その語義は「神」である。
 
 ALH〔単数〕の複数形が同語で、
 日本では「絶対神」あるいは「唯一神」と
 これまで翻訳、解釈されてきた。
 しかし、
 その解釈は西欧のキリスト教あるいは
 ユダヤ人ヘブライ学者の解説を
 日本聖書協会が取り入れて
 紹介してきたものである。
 「創世記」第一七章一に載る
 AL-ShDY を「全能の神」としているのも
 その例に入る。
 ShDY はセム語の一派アッカド語の
 「山」を意義する seda に依拠し、
 同語は本来「山の神」が語義である。
  
  時代は二一世紀に入っており、
 日本でも広くイブル〔ヘブライ〕語教典が
 用いられるようになっている。
 
 本書は
 そこで独自の理解を述べることとしたい。
  そのALHYMであるが、
 『旧約聖書』「創世記」における登場は
 第一章第一節冒頭から
 第三番目の単語として表れる。
 その第一章だけで三〇回、
 第二章で一一回、
 第三章で一〇回、
 第四章で八回と
 「創世記」の始まり部分では多数を数える。
 
 特に第一章は
 一般に「天地創造」の章と知られ、
 その主人公がALHYMである。
 第一章第一節の冒頭を記す。
  初めに、神は天地を想像された。
  地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
  神の霊が水の面を動いていた。
  神は言われた。
  「光あれ。」
  こうして、光があった。
  神は光を見て、良しとされた。
  神は光と闇を分け、
  光を昼と呼び、
  闇を夜と呼ばれた。
 
 このような「神」に当たる用字は
 一1章においては全てALHYMである。
 すでに述べたとおり同語は
 ALH〔神〕の複数形である。
 しかし、
 同語はまた「力」または「知的な能力」を
 表し、
 いうなれば「可能力」を表している。
 このALHYMの語義のシュメール語は 
 a〔力〕で、a-lah〔力-もたらす〕で
 「もたらす(可能にする)力」である。
 しかもa-lah-me〔力-もたらす-存在〕は
 「存在をもたらす力」となり、
 「存在」は「有」にして「物」であり、
 まさに「天地創造」に相応しい。
 me〔存在〕とは、
 創世記が天も地もない
 混沌の状況〔無〕から「有・存在」を
 創り出した表現とすることができるのである。
 イブル語の「神」を表す類語にALもあるが、
 同語を複数形にすればALYMとなるが、
 そのような用語は「創世記」に使われていない。
 
 そこにALHYMの表記に単なる文法的複数形と
 決めつけるだけでなく、
 その背景を考察すべき関心を生じさせる。
 
 それにしても「創世記」の
 第一章の第一節の
 最初「天地創造」の関係用語が「神」の
 複数形で占められているのは重大である。
 
 つまり、
 「創世記」が記述された頃
 〔紀元前二〇〇〇年頃〕の
 イブル〔ヘブライ〕人においても、
 「天地」は複数の神々によって
 造られたとの思念があったものと
 推察できるのである。
 「ノアの系図」でみたようにヘブル人たちの
 祖先はメソポタミアに永年いたのであり、
 そこは複数の「天神」たちによって創造され
 支配されていたとの神話を持つ地方であった。
 
 その影響が『旧約聖書』に移入されていても
 不思議ではない。
 「ユダヤ教は一神教」との通説は
 誤解か意図的図り事であろう。
 
 『旧約聖書』の世界は決して一神だけが
 登場しているのではない。
 
 イブルの人々は「神」が複数いることを
 よく知っていた。
 それが重大な事変が起こる要因をなして、
 イブル社会を揺さぶり、
 共同体として安定性を欠くことにもなった。
 そこでアブラハムからモーセに至るにつれ、
 「あなたたちの契約した神は
  “主”たる神だけ」と
 説諭を重ねられるのである。
 今後
 本書が解説する事々を的確に理解するには
 以上の状況を
 是認しておかなければならないのである。
  ≪参考≫
 「創世記」
   ヘブライ語日本語:対訳シリーズ
   1992年
   ミルトス・ヘブライ文化研究所編
 「創世記」第1章 
1 初めに神は天地を創造された。
2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、
  神の霊が水の面を動いていた。 
3 神は言われた「光あれ。」
  こうして光があった。
4 神は光を見て、良しとされた。
  神は光と闇を分け、
5 光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
  夕べがあり、朝があった。
  第一の日である。
6 神は言われた。
 「水の中に大空があれ。水と水を分けよ。」 
7 神は大空を造り、大空の下と大空の上に
  水とを分けさせられた。
  そのようになった
8 神は大空を天と呼ばれた。
  夕べあり、朝があった。
  第二の日である。 
9 神は言われた。
 「天の下の水は一つ所に集まれ。
  乾いた所が現れよ。」そのようになった。
10 神は乾いた所を地と呼び、
  水の集まった所を海と呼ばれた。
  神はこれを見て、良しとされた。
11 神は言われた、
   「地は草を芽生えさせよ。
    種をもつ草と、
   それぞれの種を持つ実をつける果樹を
     地に芽生えさせよ。」
  そのようになった。
12 地は草を芽生えさせ、
  それぞれの種を持つ草と、
  それぞれの種を持つ実をつける木を
   芽生えさせた。
  神はこれを見て良しとされた。
13 夕べがあり、朝があった。
  第三日である。 
14 神は言われた。
  「天の大空に光る物があって、
   昼と夜を分け、季節のしるし、
   日や年のしるしとなれ。
15   天の大空に光る物があって、地を照らせ。」
  そのようになった。
16 神は二つの大きな光る者と星を造り、
  大きな方に昼を治めさせ、
  小さな方に夜を治めさせられた。
17 神はそれらを天の大空に置いて、
  地を照らさせ、
18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。
  神はこれ見て、良しとされた。
19 夕べがあり、朝あった。
  第四の日である。
20 神は言われた。
  「生き物が水の中に群がれ。
   鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
21 神は水に群がるもの、
   すなわち大きな怪物、
   動めく生き物をそれぞれに、
   また翼ある鳥を、それぞれに創造された。
   神はこれを見て、良しとされた。
22
  神はそれらのものを祝福して言われた、
  「産めよ、増えよ、海の水に満ちよ。
   鳥は地の上に増えよ」。
23 夕べがあり、朝があった。
  第五の日である。 
24 神は言われた。
  「地は、それぞれの生き物を産み出せ。
   家畜、這うもの、
   地の獣をそれぞれに産み出せ。」
  そのようになった。
25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、
  それぞれの土を這うものを、造られた。
  神はこれを見て、良しとされた。 
26
   神は言われた。
  「我々にかたどり、我々に似せて、
   人を造ろう。
   そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
   地を這うものとすべてを支配させよう。 」
27 神は自分にかたどって人創造された。
  神にかたどって創造された。
  男と女に創造された。 
28 神は彼らを祝福して言われた。
  「産めよ、増えよ、
   地に満ちて、地を従わせよ。
   海の魚、空の鳥、
   地の上を這う生き物をすべて支配せよ」。
29 神は言われた。
  「見よ、全地の生える、種を持つ草と、
   種を持つ実をつける木を
   あなたたちに与えよう。
   それがあなたたちの食用になるであろう。
30   地の獣、空の鳥、地を這うものなど、
    すべて命あるものには
    あらゆる青草を食べさせよう」。
  そのようになった。 
31 神はお造りになったすべての物を
  ご覧になった。
  見よ、それは極めて良かった。
  夕べがあり、朝があった。
  第六の日である。
 
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

 


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(六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
    (六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖
     
  ノアは方舟が大洪水の後、
 地に着いてから神に犠牲を献げた。
 
 セムはシュメル語の šum (供儀する)、
 アルパクサデは牛頭(牛首)の意味であった。
 
 アブラムはアッカド語による神話において
 神々に献供する者の名であった。
 
 ヤコブは
 「神の門」「神の家」を夢に見て石柱を立て
 神に収穫物の十分の一を献供することを約束した。
 
 モーセも
 
 「アカシア材で燔祭(はんさい)の祭壇を造った
  (出エジプト記第三八章)」のである。
 
  モーセは主によって啓示を受ける。
  あなたはイスラエルの長老たちと一緒に
  エジプトの王のところへ行って言いなさい。
 
  『ヘブルびとの神、
   王がわたしたちに現われました。
   それでわたしたちを三日の道のりほど
   荒野に生かせて、
   わたしたちの神、
   主に犠牲をささげることを許してください』
 
  と。
 
 それがヘブライ人たちを
 エジプトから解放するための
 第一歩の手段であった。
 
 ここにも表れるように
 主ヤハウェに犠牲をささげる行いは
 重要な宗教的行為であった。
 
 しかも
 ヤハウェはヘブライ人に燔祭を行うことを求め、
 生であったり、煮たりすることは許されなかった。
 
 燔祭の儀礼について詳細に解説しているのが
 「レビ記」である。
 
 そこには供え物が、牛、羊ないし
 山羊、鳥など穀物についても
 それぞれの供儀の仕方について述べられている。
 
 どのような内容であったか、
 牛の場合のみについて(日本聖書教会版)転載する。
 
  アブラムはカルディアのウルに
 父テラとともに居住していた。
 
 そこはシュメールと呼ばれた土地である。
 
 その原義は šum-e-lu (供儀する-を-動物)で
 あったかもしれない。
 
 ヘブライ人は、
 祝祭を中枢とする文化を強力に推進した
 民族であったのである。
 
   もし、
  その供え物が牛の燔祭であるならば、
  雄牛の全てものをさ献げなければならない。
  会見の幕屋の入口で、
  主の前に受け入れられるように、
  これをささげなければならない。
 
  彼はその燔祭の獣の頭に
  手を置かなければならない。
  そうすれば受け入れられて、
  彼のために贖いとなるであろう。
 
  彼は主の前でその子牛をほふり、
  アロンの子なる祭司たちは、
  その血を携えてきて、
  会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、
  その血を注ぎかけなければならない。
 
  彼はまた、その燔祭の獣の皮を剥ぎ、
  節々に切り分かたなければならない。
 
  祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、
  その火の上に薪をならべ、
  アロンの子なる祭司たちは
  その切り分けたものを、
  頭および脂肪と共に、
  祭壇の上にある火の上の薪の上に
  並べなければならない。
  その内臓と足とは水で洗わなければならない。
 
  こうして
  祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて
  燔祭としなければならない。
 
  これは火祭であって
  主にささげる香ばしいかおりである。
 
  ≪参考≫出エジプト記 第 38 章
1 ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。
2 その四隅の上に、角を作った。その角はその一部である。彼は祭壇に青銅をかぶせた。
3 彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
4 祭壇のために、その下のほうに、すなわち、祭壇の出張りの下で、祭壇の高さの半ばに達する青銅の網細工の格子を作った。
5 彼は四つの環を鋳造して、青銅の格子の四隅で棒を通す所とした。
6 彼はアカシヤ材で棒を作り、それに青銅をかぶせた。
7 その棒を祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板で中空に作った。
8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。
9 彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトの撚り糸で織った亜麻布でできていた。
10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
11 北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
12 西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。
13 前面の東側も、五十キュビト。
14 その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。
15 庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。
16 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。
17 柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。
18 庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。
19 その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。
20 ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。
21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。
22 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。
23 彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。
24 仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。
25 会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。
26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。
27 聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。
28 また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。
29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。
30 これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。
31 また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。

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(五) 洪水伝説と祝祭 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
   (五) 洪水伝説と祝祭  
     
  ノアの箱舟として知られる洪水伝説は
 旧約聖書にだけ特異の物語ではない。
 
 メソポタミアの粘土板の楔形文字文書のなかに
 二つの伝承があるのである。
 
 そのうち最も神話として
 完成され残されているものは、
 紀元前二千年頃のアッカド語の文書
 「ギルガメッシュ叙事詩」に
 語られているものである。
 
 ギルガメッシュは紀元前三千年紀初期の
 シュメールの都市ウルクの王で、
 ギルガメッシュの英雄物語とともに、
 不死を探求して旅に出、
 ウトナピシュティムという不死を
 与えられた者から聞かされる。
 
 物語は、ジョン・グレイ
 「オリエント神話」などすでに
 日本語に翻訳されているので、
 ここでは同書からウトナピシュティムの
 船が洪水が治まってからニシル山に
 着いてからの七日目以降の詩句を転載する。
 
  七日目になった時、
  私は鳩を派遣し、解き放した。
  鳩は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので
  鳩は戻った。
 
  そこで、私は燕を派遣し、解き放した。
  燕は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので、
  燕は戻った。
 
  そこで、
  私は烏を派遣し、解き放した。
  烏は飛び去り、水が引いたの見て、
  彼は食べ、旋回し、カアカア鳴き、
  そして戻らなかった。
  
  そこで
  私は四つの風に全てを解き放し、
  そして、犠牲を捧げた。
  私は山の頂上に神酒を注いだ。
  私は七つ、また七つと祭器を置いた。
  私はそれらの壺の台の上に、
  草と杉の木とテンニンカを積み上げた。
 
  神々はその香を嗅ぎ、
  神々はその甘い香を嗅ぎ、
  神々は蝿のように、
  犠牲の施主のまわりに群がった。
 
 もう一つのメソポタミアの洪水伝説を記す
 粘土板の文書はニッブ―ルから出土した。
 
 しかし、
 こちらはすでに破損などによる
 読解不可能な部分や欠落があり、
 「ギルガメッシュ叙事詩」ほど完全ではないが、
 上記箱舟の部分は読取りが可能であった。
 
 この粘土板の物語はギルガメッシュ叙事詩より
 古いものと考えられている。
 
 旧約聖書のノアあるいはウトナピシュティムに
 当たるこの粘土板の王はジウスドラという。
 
 ヘルムート・ウーリッピヒ「シュメール文明」より
 その部分を転載する。
 
  恐るべき嵐が荒れ狂った。
  同時に破壊的な大洪水が起こった。
  七日七夜にわたって、
  嵐と洪水は国中を被った。
  巨大な箱舟は、
  嵐の中を波の間に間に揺れ動いた。
 
  その時、太陽の神が現れ、天と地を照らした。
  太陽神ウトゥの光は
  巨大な箱舟の中に差し込んだ。
 
  王、ジウスドラは、
  ウトゥの前にひざまづいた。
  王は一頭の牡牛を屠殺し、
  沢山の羊を犠牲に捧げた。
 
 次に旧約聖書創世記第八章から、
 前記に当たる大洪水後の部分を抜粋して転載する。
 (日本聖書協会版)。
 
  四十日たって、
  ノアはその造った箱舟の窓を開いて、
  からすは地の上から水がかわききるまで、
  あちこち飛びまわった。
 
  ノアはまた地のおもてから、
  水がひいたかどうかを見ようと、
  彼の所からはと放ったが、
  はとは足の裏をとどめる所が
  見つからなかったので、
  箱舟のノアのもとに帰ってきた。
  水がまだ全地のおもてにあったからである。
  彼は手を伸べて、これを捕え、
  箱舟の中の彼のもとに引入れた。
 
  それから七日待って再びはとを箱舟から放った。
  はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。
  そのくちばしには、オリーブの若葉あった。
  ノアは地から水がひいたのを知った。
  さらに七日待ってまた
  はとを放ったところ、
  もはや彼のもとには帰ってこなかった。
  (中略)
  ノアは
  共にいた子らと、妻と、子らの妻たちを
  連れて出た。
  また、
  すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、
  すべての地の上に動くものは皆、
  種類にしたがって箱舟を出た。
 
  主はその香ばしいかおりをかいで、
  心に言われた。
 
  「わたしはもはや二度と人のゆえに
   地をのろわない」
 
 この三つの洪水伝説を並べてみると、
 旧約聖書の「ノアの箱舟」伝承は
 明らかにメソポタミアの物語を
 取り入れたものであることが解る。
 
 パレスティナから、
 紀元前一二〇〇年頃製作の洪水伝説を語る
 粘土板の断片がみつかっていることは、
 旧約聖書が製作される以前に同伝説が
 カナァン地方に持ち込まれていたことを
 明らかに示している。
 
 旧約聖書「創世記」の執筆者が
 メソポタミアの資料を参照して、
 独自の神話に組み替えたのだと推測される。
 
 旧約聖書の信奉者であるヘブライ人との
 関係はどうなったのか。
 
 ノアの系図の子孫テラは
 カルディアのウルにおり、
 その子ハランはそこで死んだ。
 
 テラはその子アブラムなどとともにそこ
 カルディアのウルを出た(第二章)と
 語られている。
 
 カルディアのウルは
 南メソポタミアの民族との親密さを語る。
 
  創世記に使われるヘブライ語の箱舟は
 tebach であるが、これは
 シュメール語による理解によると
 「行く葦屋」teb-ach 、
 つまり動く葦屋ということになる。
 
 Teb はシュメール語の tsavi、 
 ach は e(á)(家)-gi(葦)の転訛と考えられる。
 
 ギルガメッシュ叙事詩において、
 神々の支配者であるエンリル神は大洪水を
 起こして人間を滅ぼすことを決めるが、
 エンキ神のアッカド名であるエア神が、
 それを人間に語ることを
 禁じられているにもかかわらず、 
 シュルパックのウタナシュティムの葦屋に至り、
 彼にではなく彼の葦屋の壁に向かって語る。
 
  王子エアは
  秘密を守る誓いを立てたにもかかわらず、
  彼等の言葉をわたしの葦屋に向って繰り返した。
 
  「葦屋よ、おお棚よ、壁よ、
   家を壊し、舟をつくれ、
   富を捨て、命を求めよ」
 
 ウタナシュティムの屋敷は葦屋であったのである。
 
 そして彼は家を壊して舟を作ることにする。
 
 そのために集めたのが大工と葦工であった。
 
 エア神にいわれたように間口と奥行を等しくした
 方舟を作ったのであるが、これは葦舟で、
 tebach の原形と考えられるのである。
 
 旧約聖書においては
 いとすぎの木で箱舟が作られた。
 
  箱を表わす用語は、
 英語で ark  
  ドイツ語で Arche であるが、
 アッシリア時代ペルシャ湾の貿易商人たちは
 アルク・ティルムンと呼ばれており、
 箱が舟であるとの概念がみられる。
 
 シュメール語の海は ma 、
 ヘブライ語の海は yam であるが、
 ノア Noah はこの ma を転訛させて作られた
 呼称と考える。
 
 創世記は
 シュメール Shmer を
 シナル Snar という。
 
 M と N との転換が同様にみられる
 ギリシャ語では海は mere となるが、
 日本では古来から船名に付けられる
 「丸」はこの語の流用である。
 
  モーセの姉ミリアムやイエス母聖母
 マリヤ(ヘブライ語で Miryam)も
 海に因んだ名称である。
 
  三つの洪水伝説共通する事項のうち、
 注目すべきは方舟から解放された後
 犠牲が捧げられていることである。
 
 ウトナピシュティムは
 
 「そして犠牲を捧げ、山の頂上に神酒を注いだ」
 
 と語り、
 
 ジウスドラは
 
 「一頭の牡牛を屠殺し、沢山の羊を犠牲に捧げた」。
 
 またノアは
 
 「主に祭壇を築いて
  すべての清い鳥のうちから取って
  燔祭を祭壇の上にささげた」
 
 と語られる。
 
 祝祭はメソポタミアの宗教的伝統として
 重要な慣習である。
 
 ここで旧約聖書を信奉する人々が
 祝祭の儀礼を持っていることを
 同書を読む者に初めて明白にしている。
 
 ≪参考≫
 ギルガメッシュ叙事詩
  
M.K記

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