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(五) 洪水伝説と祝祭 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
   (五) 洪水伝説と祝祭  
     
  ノアの箱舟として知られる洪水伝説は
 旧約聖書にだけ特異の物語ではない。
 
 メソポタミアの粘土板の楔形文字文書のなかに
 二つの伝承があるのである。
 
 そのうち最も神話として
 完成され残されているものは、
 紀元前二千年頃のアッカド語の文書
 「ギルガメッシュ叙事詩」に
 語られているものである。
 
 ギルガメッシュは紀元前三千年紀初期の
 シュメールの都市ウルクの王で、
 ギルガメッシュの英雄物語とともに、
 不死を探求して旅に出、
 ウトナピシュティムという不死を
 与えられた者から聞かされる。
 
 物語は、ジョン・グレイ
 「オリエント神話」などすでに
 日本語に翻訳されているので、
 ここでは同書からウトナピシュティムの
 船が洪水が治まってからニシル山に
 着いてからの七日目以降の詩句を転載する。
 
  七日目になった時、
  私は鳩を派遣し、解き放した。
  鳩は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので
  鳩は戻った。
 
  そこで、私は燕を派遣し、解き放した。
  燕は飛び去ったが、帰って来た。
  どこにも休む場所が見えなかったので、
  燕は戻った。
 
  そこで、
  私は烏を派遣し、解き放した。
  烏は飛び去り、水が引いたの見て、
  彼は食べ、旋回し、カアカア鳴き、
  そして戻らなかった。
  
  そこで
  私は四つの風に全てを解き放し、
  そして、犠牲を捧げた。
  私は山の頂上に神酒を注いだ。
  私は七つ、また七つと祭器を置いた。
  私はそれらの壺の台の上に、
  草と杉の木とテンニンカを積み上げた。
 
  神々はその香を嗅ぎ、
  神々はその甘い香を嗅ぎ、
  神々は蝿のように、
  犠牲の施主のまわりに群がった。
 
 もう一つのメソポタミアの洪水伝説を記す
 粘土板の文書はニッブ―ルから出土した。
 
 しかし、
 こちらはすでに破損などによる
 読解不可能な部分や欠落があり、
 「ギルガメッシュ叙事詩」ほど完全ではないが、
 上記箱舟の部分は読取りが可能であった。
 
 この粘土板の物語はギルガメッシュ叙事詩より
 古いものと考えられている。
 
 旧約聖書のノアあるいはウトナピシュティムに
 当たるこの粘土板の王はジウスドラという。
 
 ヘルムート・ウーリッピヒ「シュメール文明」より
 その部分を転載する。
 
  恐るべき嵐が荒れ狂った。
  同時に破壊的な大洪水が起こった。
  七日七夜にわたって、
  嵐と洪水は国中を被った。
  巨大な箱舟は、
  嵐の中を波の間に間に揺れ動いた。
 
  その時、太陽の神が現れ、天と地を照らした。
  太陽神ウトゥの光は
  巨大な箱舟の中に差し込んだ。
 
  王、ジウスドラは、
  ウトゥの前にひざまづいた。
  王は一頭の牡牛を屠殺し、
  沢山の羊を犠牲に捧げた。
 
 次に旧約聖書創世記第八章から、
 前記に当たる大洪水後の部分を抜粋して転載する。
 (日本聖書協会版)。
 
  四十日たって、
  ノアはその造った箱舟の窓を開いて、
  からすは地の上から水がかわききるまで、
  あちこち飛びまわった。
 
  ノアはまた地のおもてから、
  水がひいたかどうかを見ようと、
  彼の所からはと放ったが、
  はとは足の裏をとどめる所が
  見つからなかったので、
  箱舟のノアのもとに帰ってきた。
  水がまだ全地のおもてにあったからである。
  彼は手を伸べて、これを捕え、
  箱舟の中の彼のもとに引入れた。
 
  それから七日待って再びはとを箱舟から放った。
  はとは夕方になって彼のもとに帰ってきた。
  そのくちばしには、オリーブの若葉あった。
  ノアは地から水がひいたのを知った。
  さらに七日待ってまた
  はとを放ったところ、
  もはや彼のもとには帰ってこなかった。
  (中略)
  ノアは
  共にいた子らと、妻と、子らの妻たちを
  連れて出た。
  また、
  すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、
  すべての地の上に動くものは皆、
  種類にしたがって箱舟を出た。
 
  主はその香ばしいかおりをかいで、
  心に言われた。
 
  「わたしはもはや二度と人のゆえに
   地をのろわない」
 
 この三つの洪水伝説を並べてみると、
 旧約聖書の「ノアの箱舟」伝承は
 明らかにメソポタミアの物語を
 取り入れたものであることが解る。
 
 パレスティナから、
 紀元前一二〇〇年頃製作の洪水伝説を語る
 粘土板の断片がみつかっていることは、
 旧約聖書が製作される以前に同伝説が
 カナァン地方に持ち込まれていたことを
 明らかに示している。
 
 旧約聖書「創世記」の執筆者が
 メソポタミアの資料を参照して、
 独自の神話に組み替えたのだと推測される。
 
 旧約聖書の信奉者であるヘブライ人との
 関係はどうなったのか。
 
 ノアの系図の子孫テラは
 カルディアのウルにおり、
 その子ハランはそこで死んだ。
 
 テラはその子アブラムなどとともにそこ
 カルディアのウルを出た(第二章)と
 語られている。
 
 カルディアのウルは
 南メソポタミアの民族との親密さを語る。
 
  創世記に使われるヘブライ語の箱舟は
 tebach であるが、これは
 シュメール語による理解によると
 「行く葦屋」teb-ach 、
 つまり動く葦屋ということになる。
 
 Teb はシュメール語の tsavi、 
 ach は e(á)(家)-gi(葦)の転訛と考えられる。
 
 ギルガメッシュ叙事詩において、
 神々の支配者であるエンリル神は大洪水を
 起こして人間を滅ぼすことを決めるが、
 エンキ神のアッカド名であるエア神が、
 それを人間に語ることを
 禁じられているにもかかわらず、 
 シュルパックのウタナシュティムの葦屋に至り、
 彼にではなく彼の葦屋の壁に向かって語る。
 
  王子エアは
  秘密を守る誓いを立てたにもかかわらず、
  彼等の言葉をわたしの葦屋に向って繰り返した。
 
  「葦屋よ、おお棚よ、壁よ、
   家を壊し、舟をつくれ、
   富を捨て、命を求めよ」
 
 ウタナシュティムの屋敷は葦屋であったのである。
 
 そして彼は家を壊して舟を作ることにする。
 
 そのために集めたのが大工と葦工であった。
 
 エア神にいわれたように間口と奥行を等しくした
 方舟を作ったのであるが、これは葦舟で、
 tebach の原形と考えられるのである。
 
 旧約聖書においては
 いとすぎの木で箱舟が作られた。
 
  箱を表わす用語は、
 英語で ark  
  ドイツ語で Arche であるが、
 アッシリア時代ペルシャ湾の貿易商人たちは
 アルク・ティルムンと呼ばれており、
 箱が舟であるとの概念がみられる。
 
 シュメール語の海は ma 、
 ヘブライ語の海は yam であるが、
 ノア Noah はこの ma を転訛させて作られた
 呼称と考える。
 
 創世記は
 シュメール Shmer を
 シナル Snar という。
 
 M と N との転換が同様にみられる
 ギリシャ語では海は mere となるが、
 日本では古来から船名に付けられる
 「丸」はこの語の流用である。
 
  モーセの姉ミリアムやイエス母聖母
 マリヤ(ヘブライ語で Miryam)も
 海に因んだ名称である。
 
  三つの洪水伝説共通する事項のうち、
 注目すべきは方舟から解放された後
 犠牲が捧げられていることである。
 
 ウトナピシュティムは
 
 「そして犠牲を捧げ、山の頂上に神酒を注いだ」
 
 と語り、
 
 ジウスドラは
 
 「一頭の牡牛を屠殺し、沢山の羊を犠牲に捧げた」。
 
 またノアは
 
 「主に祭壇を築いて
  すべての清い鳥のうちから取って
  燔祭を祭壇の上にささげた」
 
 と語られる。
 
 祝祭はメソポタミアの宗教的伝統として
 重要な慣習である。
 
 ここで旧約聖書を信奉する人々が
 祝祭の儀礼を持っていることを
 同書を読む者に初めて明白にしている。
 
 ≪参考≫
 ギルガメッシュ叙事詩
  
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

 

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