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(6) エルサレムの第二神殿の建設 [神聖の系譜]



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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
  第5部 イブル・ユダ王国に奉祭された
     「十戒石」の運命 
 第1章 エルサレムへの安置
  (6) エルサレムの第二神殿の建設
  前記(5)ユダ族などのエルサレムへの
 帰還で歴代誌(下)の最終末において
 次の文句を紹介した。
 そこには神殿の再建について述べられている。
   ペルシャの王クロスは言う。
   
   『天の神、主は地の全ての王国を
    私に賜った。
  
    この方はユダにあるエルサレムに
    ご自身のために宮を建てることを
    私に委ねられた。
    
    あなた方が、全ての主の民に
    主の民に属する者は誰でも、
    その神、
    主がその者と共におられるように。
    
    その者は
    ユダにあるエルサレムに上がり、
    イスラエルの神、
    主の宮を建てるようにせよ。
    この方は
    エルサレムにおられる神である』。
 この文面で明白にユダ族などがエルサレムに
 「王の宮」の神殿を建ててもよいとの許可が
 クロス王から出されたのである。
 神殿の再建完成までの経緯は
 「エズラ書」第2章から第9章までに詳しい。
  第2章68は言う。
   一族のかしらのある者はたちは
   エルサレムにある主の宮に着いた時、
   それをもとの所に建てるために、
   神の宮のために
   自分から進んで捧げものをした。
   すなわち
   彼らは自分たちでできることとして
   工事の資金のために
   金6万1千ダリフ、銀5千ミナ、
   祭司の長服百着を捧げた。
  第3章述べる。
  彼らはあくまで
  祝祭の、犠牲を神に献げる
  〔供儀の〕民であった。
   イスラエル人は自分たちの町々にいたが、
   第7の月が近づくと、
   民は一斉にエルサレム集まって来た。
   (略)
   彼らは第7の月の第1日から
   全焼の生贄を主に捧げ始めたが、
   主の神殿の礎はまだ据えられていなかった。
   彼らは石切工や木工には金を与え、
   シドンとツロの人々には
   食べ物や飲み物や油を与えた。
   それは
   ペルシャの王クロスが与えた許可に依って
   レバノンからから
   海路ヤフォに杉材を運ぶためだった。
 かってソロモン王が初めて神殿を建てた際、
 レバノンのヒラム王の協力得たように、
 どうしても同地の
 木材(レバノン杉)が必要だったある。
  続けて言う。
   彼らが(バビロンから)エルサレムにある
   神の宮にのところに着いた
   翌年の第2の月にシェアルティエルの子
   ゼルバペルとエホツァダクの子
   ヨシュアとその地の兄弟たちの
   祭司レビ人たち、及び捕囚からエルサレムに
   帰って来た全ての人々は主の宮の工事を
   指揮するために20歳以上のレビ人を
   立てて工事を始めた。
   こうして
   ユダ人ヨシュアとその子、その兄弟たち、
   カデミエルとその子たちは一致して立ち
   神の宮の工事をする者を指揮した。
   レビ人ナダテの一族と
   その子、その兄弟たちもそうした。
   建築師たちが主の神殿の礎を据えた時、
   イスラエルの王ダビデの規定に依って
   主を賛美するために祭服を着た祭司たちは
   ラッパを持ち、
   アサフの子らのレビ人たちは
   シンバルを持ち出て来た。
 この記述に依って判ることは、
 この建築の主な人々がユダ族及び
 祭司としてのレビ族であったことである。
 更に注意を引くのは
 新バビロニア〔カルディア〕のネブカデネザルの
 ユダ国征服に依ってイスラエル人〔ユダ族など〕の
 虐殺が行われたが、生き残った者たち全てが
 捕囚としてバビロンに連れて
 行かれたのではなかったとの事実である。
 ここに上げられたシェアルティエルの子や
 ヨシュアとその兄弟たち、
 また祭司のレビ人は捕囚を逃れて
 エルサレム周辺に残り得た者の
 後裔と解釈される。
  建築工事は着々と進められた。
 しかし周辺勢力の圧力で中止されることもあった。
 その様子をここに述べる必要はない。
  第5章からペルシャのクロス王の
 次のダリヨス王が
 この建設を支援した様子が記述されている。
  第6章14からは次のように述べ、
  建築が完成し終わったことを
  明らかにしている。
   ユダ人の長老たちは
   預言者ハガイの子ゼカリヤの預言に依って、
   これを建てて成功した。
   彼らはイスラエルの神の命令により、
   またクロスとダリヨスとペルシャの王
   アルタシャスタの命令に依って
   これを建て終えた。
   こうしてこの宮は
   ダリヨス王の治世の第6年〔紀元前515年〕
   アダルの月の3日に完成した。
 《参考》レバノン杉と屋久杉
   
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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