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(7) バビロン捕囚を逃れたユダ王国の人々 [神聖の系譜]





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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
  第5部 イブル・ユダ王国に奉祭された
     「十戒石」の運命 
 第1章 エルサレムへの安置
  (7) バビロン捕囚を逃れたユダ王国の人々
 (A)エルサレムに残った人々
 
  「エレミヤ書」の第39章40章を丁寧に読むと、
 ユダ国エルサレムにさえ捕囚を逃れて
 同地に潜行していた人々があったことが
 事実として解ってくる。
 
 「エレミヤ書」第40章は
 預言者エレミヤがバビロンにおいて捕囚から
 解放されてエルサレムへ帰還した経緯を述べている。
 
 しかし、
 ここでは詳しく解釈する必要はない。
 
  第40章は言う。
 
   そこでエレミヤはミツバにいる
   アヒカムの子ゲダルヤのところに行って、
   彼と共に国に残された民の中に住んだ。
 
  また同章12は言う。
 
   そこでユダ人はみな散らされていた
   全ての所からユダの地に帰って来て  
   ミツバのゲダルヤのもとに行き、
   ぶどう酒と夏の果物を非常に多く集めた。
 
  更に第42章12、13にも「残った者」は語られる。
 
   (略)
   身分の低い者も高い者も皆寄って来て 
   預言者エレミヤに言った。
 
   「どうぞ私たちのため、
    この残った者皆のためにあなたの神、
    主に祈って下さい。
    ご覧のとおり、私たちは多くの者から
    ごくわずかだけ残ったのです。
    あなたの神、主が私たちの歩むべき道と 
    なすべきことを
    私たちに告げてくださいますように」
 
 当該部分でいう
 「残された民」あちは「残った者」の
 イブル語はShAR、shorと表記される。
 
 同語は第42章15や第43章5にも用いれている。
 
 その内実は
 バビロン捕囚を逃れてユダ王国内のエルサレムや
 他地方に隠れていた者たちを指す。
 
  また、
  「エズラ書」第9章8、13、14、15には
  以下のようにある。
 
   (9)しかし、
    今しばらくの間私たちの神、
    主の哀れみの依って私たちに
    逃れた者を残しておき、
    私たちのためにご自分の聖なる所の中に
    一つの釘を与えて下さいました。
 
   (13)
    ……事実私たちの神、
    あなたは私たちの科(とが)の受ける刑罰よりも
    このように軽く罰し、
    逃れた者を私たちに残して下さいました。
 
   (14)
    あなたは私たちを怒り、ついには私たちを
    絶ち滅ぼし生き残った者も、逃れた者も
    いないようにされるのではないでしょうか。
 
   (15)  
    イスラエルの神、主、あなたは正しい方です。
    まことに今日あるように私たちは逃れた者として
    残されています。
 
 ここにおいてのイブル語は
 「逃れた者」をPLYTH、peletah、
 「生き残った者」を
 前記のShAR、shorが用いられている。
    
 これらの指摘は新バビロニアのユダ国遠征で
 被害を受けたにしても
 「死ななかった人々」をも含め捕囚(及び死から)
 「逃れ」「生き残った」人々を表している。
 
 このShAR、shorにはバビロン捕囚から釈放されて
 エルサレム帰還した者たちをも表しており、
 「エルサレムに残った者」
 と理解するのが妥当である。
 
  前述が示すとおり
 バビロン捕囚以降の聖典には
 一切「十戒石」にはついては語られていない。
 
 あくまで推測を出ないが、二枚の「十戒石」は、
 ユダ国に「残された者」たちが
 密かに「隠匿」して奉祭していたのである。
 
 さもなければご神体たる「十戒石」無くして
 第二神殿が建設建設されるはずがない。
 
 この新バビロニアの征服という大事件は以降
 「十戒石」は「隠されるもの」となったのである。
 
 (B)ユダ国から避難した人々
 
  「エレミヤ書」の第43章から第46章までは
 バビロン捕囚を逃れてユダ国外、
 具体的には
 エジプトへ避難した集団について語られる。
 
 つまり、
 ユダ国の全てのイブル人が
 新バビロニアのバビロンへ
 強制移転させられたのではない。
 
 エルサレムなどユダ国に
 「残された」人々の様子は前項(A)で述べた。
 
 ここではユダ国外のエジプトに
 「逃れた者」のあったことを紹介する。
 
 彼らは新バビロニアが攻略する以前に
 ユダ国から避難してしまった人々である。
 
 第43章の初めには偽りを語っている者のあることを
 エレミヤに語らせている。
 
   (2)あなたは偽りを語っている。
      私たちの神、主は
     「エジプトに行って寄留してはならない」と
          言わせるためにあなたを遣わされたのではない。
 
   (3)(略)あなたをそそのかして私たちに逆らわせ、
     私たちをカルデア人の手に渡して私たちを死なせ、
     また私たちをバビロンへ引いて行かせようと
     しているのだ」
 
   (4)全ての将校と全ての民は「ユダの国に留まれ」
     という主の御声に聞き従わなかった。
 
   (5)そして
     カレアハの子ヨハナンと全ての将校は
     散らされていた国々からユダの残りの者全てを
      
   (6)男も女も子供も王の娘も、
     それに侍従長ネブザルアダンが
     シャファンの子アヒカムの子ゲダルヤに
     託した全ての者、
     エレミヤとネリヤのバルぐを連れて 
  
   (7)エジプトの国に行った。
     彼らは主の御声に従わなかったのである。 
 
 第4章において、
 主なる神はエジプトに寄留した者たちに対して
 エレミヤを通して語る。
 
   (12)私は寄留したエジプトの国に
     住んでいる者たちを取り除く。(略)
 
   (13)私はエルサレムを罰したと同じように
     エジプトの国に住んでいる者たちを
     剣と飢饉と疫病で罰する。
 
   (14)エジプトの国に来てそこに寄留している
     ユダの残りの者のうち逃れて生きる者、
     帰って行って住みたいと願っている
     ユダの地へ帰る者はいない。
     ただの逃れる者だけが帰れよう。
 
 バビロン捕囚の事件が起こったのは
 紀元前6世紀のことである。
 
 エジプトへ逃れ避難した者のうちには神の預言を
 恐れたのか同地を捨てて更にナイル川を上流へ向かい、
 現在のエチオピアを定住の地とした人々さえある。
 
 ギリシャのヘロトドスの「歴史」(紀元前5世紀)に
 「エチオピア」の地名が表れる。
 
 同語のギリシャ語理解は
 「黒い(赤褐色の)人」として知られるが、
 原初的には同地に避難したユダ国人たちが
 その信仰を守ろうとそこでの自分自身を
 IDHといったことに始まろう。
 
 「エチオピアEthiopia」を分析すると以下のようになる。
 
 IDH(イブル語)とは
 本来「集団、会象、大象」との語義ながら、
 「イブル人の共同体」との固有な意義で
 使われるようにもなっていた。
 
 その発音はiedahで、Ethiopiaあるいは
 ギリシャ語のAithiopiaとの関係は次のようになる。
 
  Ie-d-o-h
  Ai-thi-o-p(h:f:p):Eithi-o-i-[a]
 
 ヘロトドスの「歴史」に最初に記述されているのは
 巻4・183で「穴居エチオピア人」と」あり、
 その補足にAithiopsとある(Aithioph)。
 
 紀元後1世紀のギリシャ語文献
 「エリュトラ―海案内記」にAETHIOPIAとの表記がある。
 
  さてエジプトへ寄留したユダ国人と基として、
 後のアレキサンダー大王のエジプト征服後の
 ギリシャのカナアン、エジプト支配下に
 ユダ国人たちは「聖書」を初めてギリシャ語に翻訳した。
 
 それは「ギリシャ語七十人訳聖書」といわれる。
 
 その時期は紀元前285年頃からとされている。
 
 「聖書」をギリシャ語でBIBLOSといい、
 ラテン語など
 ヨーロッパ諸語でBIBLEというようになるが、
 その原語は
 ”パピルス(ナイル川岸に生えていた葦の一種)”に依る。
 
 その葦を薄く削いでつなげ紙状にしたもので
 羊皮紙より使い勝手が良かったに違いない。
M.K記
連絡先:090-2485-7908
 

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