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(4) 酒列磯前薬師菩薩神社 [神聖の系譜]



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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第6部 神の箱の日本列島到着後の遍歴
第1章 南九州から太平洋岸を北上した
「十戒石」を乗せた船
(4) 常陸国葦浦、堀出神社、酒列磯前神社
茨城県ひたちなか市の太平洋岸に
「阿字ヶ浦」との砂浜がある。
そこは『日本書紀』景行天皇紀に
日本武尊の東国遠征の途次に
通過した「葦浦」である。
また
その近辺に
堀出神社及び
酒列磯前神社が鎮座している。
実は紀伊国粟島神社に安置されていた
「神の箱」は神功皇后あるいは
応神天皇勢力の圧迫を逃れてか、
そこを出て更に東へ向かい
静岡県沿いから房総半島(千葉県)の
東端へ廻り北上を続けた。
そして一時この「葦浦」の地に
寄留していたのである。
その聖所場所が表記の二神社に係る。
ただ結果として日本武尊の東征軍団の
圧迫の危険からさらに
太平洋岸を北上することになってしまった。
何しろその後にも
景行天皇自身までが来襲したのだから。
「葦浦」との地名に依って
彼らの東征以前の名称といってよく、
それ以前に当地に
「神の箱」は安置されていたと判断できる。
そこが「阿字ヶ浦」となった理由は
本書の後段第3章で述べる。
芦浦の葦「アシ」
IShR、Iesher〔十〕十戒名
 
〇堀出神社
〔ひたちなか市阿字ヶ浦〕
堀出「ホリデ」
BRYT、berit〔契約〕
十戒石は「契約の石板」という。
江戸期に入って淡島神社〔和歌山市〕
の信仰が遷されたという。
祭神の誉田別尊(応神天皇)は
神功皇后の皇子名。
境内社の難産除神社は
淡島神社に神功皇后の
お産伝承が入っていたのが
ここに遷されたものだろう。
〇酒列磯前神社
〔ひたちなか市磯崎町〕
酒列「サカツラ」
ZVGY-TsVR、zugy-tsur〔二つ一組の-岩〕
石の二枚一組、二枚の石板
磯崎「イソサキ」
IShVV-SKH、yishuu-sukuae〔定住地-幕屋〕
幕屋の定住地、
「契約の石板」は
櫃に納められていた。
その箱を安置するために
移動が解かっていれば
天幕〔幕屋〕が使われたが、
長い間の鎮座には幕屋が建てられるとの
命令をモーセは神に命じられた。
それがSKH、sukuae〔幕屋〕である。
同社がこの時期の安置所つまり聖所である。
由緒書や「全国神社名鑑」に
祭神少彦名命、大名持命とある。
粟島神社に同じである。
「延喜式」神名帳 常陸国那賀郡
酒列磯前薬師菩薩神社
その祭儀に薬師〔医療〕が存在していることを
平安時代に資料が示している。
「契約の二枚の石板」は
現在
阿字ヶ浦周辺には安置されていない。
前に説明したとおり、
「神の箱」は
さらに北方へと移動して行ったのである。

『古代日本へ渡来した人々の系譜』

 


小嶋秋彦(歴史研究家)原図

https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-03-14-4

 

M.K記(責)

   連絡先:090-2485-7908


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