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目次2 [神聖の系譜]
『My ブログ』
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《目次2》
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
(一) エデンと流れ出る川
(1) エデンの園
(2) ピソン川
(3) ギホン川
(二) ノアの系譜
(1) ヤペテの子孫
(2) ハムの子孫
(3) セムの子孫
(a) アルペチクサド
(b) ペレグ
(三) アブラムとアブラハム
(四) 祝祭の民
イブル〔ヘブライ〕と〔ハブール〕
(五) 洪水伝説と祝祭
(六) イブル〔ヘブライ〕の神「主」と祝祭
第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
(一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM
(二) 旧約聖書「創世記」における「主」
YHVH 名の初出とその原義
(三) イブル〔ヘブライ〕の神を
何故「主」というのか〔ADNYの背景〕
(四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈
(五) YHVH 名の他の言語による考察
(六) YHVH 神の祖像
〔メソポタミアの物語との関係〕
第三章 旧約聖書「出エジプト記」とモーセ
(一) モーセの信仰
(1) モーセの伝承
(2) モーセ一人エジプトを脱出する
(a) ミディアンの地と祭司一族
(b) モーセの「主」との解逅
(c) 「主」の神性:
自己紹介名「有りて有る者」
(二) モーセと「水」
(1) 「主」の行う水支配の神威
(2) イブル人の「主」の聖名?
YY〔yeya〕
(3) モーセの系譜とその語義
第四章 モーセと「十戒石」
(一) シナイ山における主の「十戒」告知
(二) 主の十戒石
〔あかしの二枚の石板〕の授与
(三) 粛正と「十戒石」の
再授与〔モーセが書いた〕
(四) 「出エジプト記」で述べられた
十戒石の奉祭仕法
(五) モーセ〔レビ族〕の死と埋葬地
第三章 高床式神殿(五) 太陽神 [神聖の系譜]
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『バグダッド下水音頭』
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第三章 高床式神殿
(五) 太陽神
菊花紋

アルパチヤ遺跡ではハラフ期の終末
紀元前五四〇〇年頃にも
彩色土器が盛んに作られたが、
その中には菊花紋を意匠した大皿などが
出土している。
アッシリア時代になって
菊花紋は太陽神帝王の守護神
アッシュル Assur の象徴となる。
同紋様の起源がエジプトにあるとの
解釈もこれまでされてきたが、
アッシリア王が
「角のついた王冠」をいただいている。
※ハラフ期の彩色土器
※菊花紋
※アッシュル Assur の菊花紋
※アレクサンダー大王「角のついた王冠」
(四) 高床式神殿の祭神(3)創造主 [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
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第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第三章 高床式神殿
(四) 高床式神殿の祭神(3)創造主
碗形土器垂幕の図
碗形土器には垂幕の図絵が
二ヶ所に描かれている。
双方とも幕の端に房を付けているので、
明らかにベイル veil である。
一方のベイルは
髪の長い二人の女性の手によって
掲げられている。
布幕の中は空白で何も無い。
ベイルとは何かを覆い隠す幕のことであり、
その向こうに何かが存在するが、
空白は
それを敢えて語らないことにしている
意思の表明である。
この図柄から読み取ることができる状況は
まさに
「ありてなきもの、なきてあるもの」
を見る者が
感得しなければならない
形而上学的表現である。
しかし、
「なきもの」の実体を推測するための材料が
全く提供されていない訳ではない。
まず布幕に付けられている房は紐状で、
幕の内が神聖な場所(聖所)ないし
事柄を秘めていること
及び二人の女性が侍していることから
女性に係わる秘所であると思われる。
ベイルは英語の呼称ではあるがヒントがある。
シュメールの絵文字を捜っていくと、
シュメール語で bar と読まれ、
「聖所」の意味であり、
veil と近似している。
絵文字には碗形土器の意匠では
空白であった囲みの中に
V のマークが書かれているが、
これは土器の女性にも白抜きで
逆三角形が取られているように
女性の性器の象徴であり、
幕の内に女性が坐すことを示している。
シュメール語 bar を
同じ英語に捜ってみると bear があり、
その意味は
「子供を産む」であるばかりでなく
「支える、持つ」の字義があり、
二人の女性が
垂幕を支え持っている行為自体が
「出産」を表意していると解釈できる。
産み出す役目をするのは母の役割である。
この幕の内には母神が坐すことが解ってくる。
シュメール時代に実在した王の名ドゥムジは
アッカド語に Tammuz と転訛し、
神格化され賛美歌が寄せられているが、
その中で「太古の母」である
zikum とすでに紹介した
「天空」が名指しされていると同時に
「空を横断する偉大な母」
と太陽を想起させる表現がある。
シュメール語で
は母は「アマ ama 」といい、
移動していく図柄で、
楔形文字では
となり
天空の中を神が動くことを示す左側に
明らかに母神が太陽である証明となっている。
目を太陽に直に向けると眩みして
何も見えなくなる現象といったものと
考えれば
碗形土器の幕の内に
何も描かれていない意図は
太陽を表していると理解できる。
因みに Tammuz は聖木の呼称となっている。
bar より古いとみられる barg という訓読があり、
同じく聖所を意味する。
この用語はサンスクリット語に入って
praja となって、「出産する、生じる」を
名詞形で
「生殖・繁殖・子孫・創造物」
を意味する。
構成用語 pra- は英語の pre- に対する
接頭語(先の、前の)であるが、
親族関係に使われると祖あるいは
曽の内容となる。
Ja は jan と同義で
「産む、発生させる、出産する、創造する」
の動詞である。
同類語 janka も
「生む、産出す」また名詞として
「父」を表す。
Jaa は「出生・起源」である。
Prajaに係わる熟語 praja-pati は
インドの文献、
歴史がヴェータ時代に諸神を主宰する
至上の神で「子孫の主」であるが、
また
「生産の主、繁殖を司る守護神、
生命の保護者、創造主」と
神話の中で高い地位を与えられた。
同類語 prajña は「知恵」を意味するが
prajña-pra-mita は漢音写で般若波羅蜜多、
つまり「般若経」の祖語で
最高度の知識または理解を示している。
この合成語を解釈すれば、
「原初の起源を知る」ことで、
般若経の条句「色即是空」を悟ることとなる。
以上のことから
碗形土器に描かれた二人の女性が
保持する垂幕意匠には
太陽に象徴されるた大母神である
創造神への信仰が
込められているとしてよいであろう。
この大母神の名をシュメールの原初的母神
フブル Huburu とすることができる。
「バビロニアの新年」で触れたように
セム系アムル人の建てた国
バビロニアにとっては、
その祖神マルドゥクの征服すべき敵であったが、
シュメールあるいはそれ以前の人々にとっては
大母神にして神々の母であった。
その Huburu の字義はゲオルギ語の haeri と
関連がある。
意味は「空、空気」である。
それと同義なのがヘブライ語の HBL(hebel) で、
「空、空虚、息、蒸気」を表わす。
カナン語(アラム語)の aguba(水)が、
インド・ヨーロッパ語圏では、
ドイツ語で Wind 、
サンスクリット語で agua/agha となるように
ゲオルギ語も本来は ha(b)eri
であった と考えられる。
クルド語では hawā(大気、空気)、
スインディー語では havā(空気、風)となっている。
また、
マルタ語の hobla は「妊娠した」の字義である。
これらは Huburu に係わり
椀型の土器のヴェールの向こう(の大母神)の
性格を示唆している。
現在のカトリック教修道女の衣裳や
イスラム教の女性が外出する際に身を覆い、
顔を隠すベイルの起源はすでに
この紀元前六千年前の
アルパチヤの碗形土器に
その端緒があるともいえる。
ところで
dingir とは別に
「天」を表す「アン an 」とも読まれる。
シュメールの三大神のうちのアン神は
アッカド語でアヌ anu と訛するが、
シュメールの神話における
天の諸神の父である始祖神の地位にある。
シュメール語の対称によると
母神「ama」に対して「an」は父神である。
サンスクリット語 ina は
この an の転訛と考えられ、
「主・支配者・太陽」の字義ではあるが
jan の派生語と思われる。
また、 janaka は Enki の転訛であろう。
Enki の意味も父ではあるが、
「創造主」と称した方がよいであろう。
メソポタミアとインダス文明との
関係について
ここで多くを語ることはできないが、
インダス河の河口地帯の西に Kirthar 山脈があり、
そこを流れる川が Hab 川で、
その河口のアラビア海に向かった
前のパキスタンの首都 Karachi の名称は
カルト人が移動したか影響された遺称で、
古代からの地域名 Sinah は Singr あるいは
dingir の祖語の転訛であると考えられる。
インドの創世神話に語られる
太初からの四っの時代(ユガ)のうち、
第一の黄金時代を
クリタユガ krta-yuga というのも
示唆するところがある。
Krta は「作られた」ではあるが、
聖紐の意味もある。
《参考》
※Tell Arpachiyah (Iraq)
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、
マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に
描かれている)
※ARPACHIYAH 1976
※高床式神殿
(四) 高床式神殿の祭神(2)水神 [神聖の系譜]
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第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第三章 高床式神殿
(四) 高床式神殿の祭神(2)水神
アルパチヤの碗形土器には
二人の人間の身長よりも大きい壺が
描かれている。
壺はアッカドのマルドゥク王の場合のように
王の象徴でもあった。
ハラフ期・ウバイド期の神殿に
残された壺の中からは
穀物、動物の骨、魚の骨などが
発見されていて、
神殿への奉納のための容器として
使われたことを示している。
しかし、
牛頭・マルタ十字紋と並列された壺には
単なる貯蔵用容器を表すだけでない
神への期待が込められている。
「水の恵み」を
祈願しているものとみられるのである。
シュメール語の畑を表す
aša は「真ん中に水がある」字義で、
農耕のために水がいかに
貴重視されていたかが解る。
「ア a 」が水、
「シャ ša 」が中央を表す。
高床式神殿の「高み」にある聖所は
suku ないし sug と称したことは
紹介済みだが、
この用語の絵文字は
で、
容器の中に水があることを表している。
楔形文字になると、
刻文は一つでも「池・堤」を表し、
amber と読まれた。
また、
天空 zikum を表す楔形文字は
engur とも読まれ
「深海」ないし「深水」の意味で、
大量の水を想像させる。
河川は「id イドゥ」であるが、
その楔形文字は水と
engur/zikumとの合成語である。
エリドゥの神殿の呼称は
e-engur で「水の神殿」の意である。
Engur の楔形文字を分析すると、
容器(gur)が星型❋(an)を囲んでいる。
つまりengur は an-gur であり、
「天にある容器」と解釈でき、
雨を降らせるために水を貯える
天の壺と考えられる。
壺は dug ないし duk と呼ばれた。
この楔形文字はまた buk とも読まれ、
動詞形になり、「所蔵する」の意味になる。
さらにこの語は「耕作する」にも使われ、
神殿の壺が穀物の豊饒を祈っていることも
理解される。
《参考》
※Tell Arpachiyah (Iraq)
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、
マルタ十字紋等
(アルパチヤ遺跡出土の碗形土器に
描かれている)
(四) 高床式神殿の祭神 (1)豊饒神 [神聖の系譜]
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第三章 高床式神殿
(四) 高床式神殿の祭神 (1)豊饒神
あの碗形土器の高床式神殿には
屋根がついているが、
その形状は牡牛の角のように
上に向かって弧を描いており、
牛頭の象徴であろうことをうかがわせている。
碗形土器の意匠には
マルタ十字紋様が四つ描かれている。
十字紋や卍字紋意匠は
サマッラ土器に特異な紋様である。
十字紋の上に星形と動物の横身姿と思われる
小さな図形がある。
このことにより
十字紋が信仰に係わる何かの象徴と
判断できる。
マルタ十字の名称は地中海の
イタリア半島の西シシリア島の
アフリカ側にある小さな島マルタ
Malta 国 と関係がある。
首都は Vallette である。
マルタ国は
古来独自の文化を保持継続してきたが、
言語的にもラテン語・アラビア語などの
影響を受けながら自国語を守ってきた。
そのマルタ語の中に
神への信奉、敬愛、供施、慈愛を表す言葉
karita があり、
また、
Sinjur は宗教的表現でないが、
主・主人・紳士を意味し、
一般的に
男性を呼ぶ「~さん」に使われている。
北メソポタミアの影響と
考えられる単語である。
国名 Malta は
ラテン語の「結婚させる」の
marto に関係する。
結婚は男女が「交わる」ことであるが、
同島の地理的環境は
東西南北の交通の要所でまさに
「交差点」であり十字の中心である。
以上のことを根拠とすると、
「交差する」ことは
「結婚する」ことで、
動物の場合は「交配させる」ことで、
繁殖を意味することとなる。
シュメール語 bal の派生語
Šahal は子供、子孫を表す。
碗形土器に描かれたマルタ十字紋は
豊饒祈願のシンボルと
考えられることになる。
別の一角にも二つのマルタ十字紋とともに
蛇の姿が描かれている。
これは牡牛の男根の象徴であろう。
シュメール時代に入ってからの、
碑文を刻んだグディア王像を
先に取り上げたが、
同王の時代、
紀元前二千年頃に作られた
神像と思われる人、
頭と牡牛の体した像には、
その腹部に男根がが浮き彫りされている。
土器の蛇には首のあたりに
リボン状の紐を結っている。
紐をつけることは
祝福されていることの目印で
神聖の象徴である。
十字紋はハラフ期の当時
何と呼ばれていたのであろうか。
マルタ語の「主」を表す
sinjur の同類後に
「しるし、標識、記号」を表す
sinjal がある。
sinjur と北イラクの山脈名 sinjer は
同根語で、
sinjer は先にみたように神殿を表わした。
この用語は現在のマルタでは
「主、主人」の意味ではあるが、
古代においては
「神」そのものを意味したように思われる。
するとマルタ十字紋である
「しるし sinjal 」自体が
「神体」の象徴であったことになる。
「神への信奉」を字義とする
karita を持つこの島の人々の基層には
khard 人が存在したと考える。
彼等がマルタ十字紋を
「シンジャル」と
称していたといってもよいだろう。
牛頭崇拝の文化を
北メソポタミアから持ってきたのである。
シュメール語に入った神をいう場合の
dingir はこの
sinjer の祖語の転訛であると考えられる。
dingir の絵文字は ※
singel を略図したものである。
※
絵文字※は
※
星の抽象化によるものと解釈がされている。
シュメール語の天空を意味する
zikum は
に作られ、
星のある世界ということである。
「高床式神殿の高み」にある
「聖所」は suku で、
十字紋の坐すさらなる「高み」の天空を
「神の坐す聖所」と考え、
zikum と称したと考えられる。
サンスクリット語に七星を表す
krittika (星座名)がある。
この星座は小童である
医方神 kàrttikeya の乳母とされているが、
khard を祖語とする同類語と考えられる。
kàrttikya神の性格はエンキ神によく似ている。
krittika は漢訳では昴宿とされている。
しかし、
インドの神話から判断すると
北斗七星か小熊座であろう。
サンスクリット語には
大熊座(北斗七星)内の星を指す
kratu もあるが、
kàrttikeya が小童であることを
考慮すれば小熊座の方である。
七つの星はひしゃくを表す配置になっていて、
北斗七星の「斗」は
そのひしゃくを意味するが、
またこの形象は角を形作る。
古代のメソポタミアにおいても
khard座と呼ばれたことは十分ありえよう。
サンスクリット語 kratu は
「知恵、知識、犠牲、供犠」を意味し、
カルト人の性向に一致する。
また同類語 kartr は
祭官を意味するばかりでなく、
「創造者」あるいは「創造主」を
字義としており、
最初の知恵者であったことを髣髴させている。
小熊座にある北極星は
天空の中心点にあるものとして
感得されていたと思われる。
小熊座の名称は便宜上使うが、
ギリシャ人が名付けたもので
紀元前六千年期のカルト人には係わりがない。
牡牛座などの星座名も全く同様である。
サンスクリット語では
十字紋、卍字紋を総称して
スワスティカといい
吉兆のシンボルであることは
すでに記述した。
この「スワ」はシュメル語にある
Šabal の同義語と考える。
文法的解釈では
「交差する中央」ではあるが、
十字を表し、子供・子孫をも表す。
紀元前二千五百年頃の史料に、
アッカドのサルゴン王に
征服された土地の中に
北メソポタミアの種族として
スバル人ないし、スバルトゥが現れる。
彼らが十字紋 Šabal 信奉者であり、
それが種族名の由来と考えられるので、
カルト人の中から興ったか、
その別称であったと思われる。
スバル人の呼称の始原は、
しかし
紀元前二千五百年期より
かなり遡ぼるだろう。
ある見解によると
紀元前三千五百年前には現れたとしている。
紀元前三千年頃の
シュメール語に取り入れられた
鍛冶屋を表す thveli は
スバル人の職業的変名である。
スバル人のアナトリアの銅を
商業的に発展させた結果を表す。
このように後世スバル人と呼称されるが、
ハラフ期からウバイド期にかけて
北メソポタミアで
活動していたのはカルト人であり、
彼等は高床式神殿で
天空の極点にある北極星を
スバル星(中心星)とし、
周辺の七星を角座として信仰したと
解釈することができる。
カルトがスバルに代わったことを
証明する明白な根拠がある。
先に述べたように
「創造者・創物主」を表す用語は、
サンスクリット語で kartr であった。
同義の用語がドイツ語にあって、
Schöpher がその用語で、
シュメール語 Šubal に対応する。
サンスクリット語の成立は
紀元前一千年頃からであるのに対し、
ドイツ語の祖語を使うゲルマン人が
現れるのは
紀元前二、三世紀頃と遅い。
ゲルマン神話の主神オーディン伝説を記す
「ヘイムスクリングラ王朝」の成立は
紀元後のことである。
相互の時代的経緯を考え合わせると
カルトがスバルに代わっていることの
証左である。
ドイツ語の Schöphe には前記の他神、
それも「全能の神」を、
さらに「すくう人、汲む人」を内容とする。
スバルがひしゃくの神であり、
北極星を含む角座あるいは北斗七星が
信仰の対象になっていたこ
その動詞形 schöphen の意味は「汲む」のほか、
植物を対象とする使用方法で「受精する」、
戯曲表現で女性が
「妊娠する」の使用例があり、
高床式神殿の豊饒祈願と
合致するところである。
シュメール語に
kalu と表記してスバル
と発音させる慣用句がある。
「豊饒の門」の意味で、
神殿への信仰を思わせる。
《参考》
※Tell Arpachiyah (Iraq)
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、
マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に
描かれている)
※ハラフ期
(三) 高床式神殿と「高み」 [神聖の系譜]
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第三章 高床式神殿
(三) 高床式神殿と「高み」
高床式建物に託された
宗教的想念には埋葬儀礼を脱却した
未来志向の新しい信仰心が
発揚されていると考えられる。
階段 galam
を昇って至るどころでの「高み」は
神聖な場所であったことは明らかである。
Galam を表す楔形文字はまた
sukudとも読まれた。
その意味は「高くする」で、
階段を昇って行くことである。
階段上の聖所は
suku ないし sugと 称された。
高床式建物の構造からすれば、
このような建物が作られ始めた頃には
簡単な仕組みで柱によって
箱を支えるようなもので、
箱中へは人間は入らなかっただろう。
その聖所に穀物を蓄えることを
si-en-gar といい、
貯蔵する容器を sahar(šakar)、
穀倉としての建物は gur と称され、
管理者は sanga で、
神殿の司祭ということであったと思われる。
このような高床式建物は
unu と呼ばれる祭式の場で、
高床式神殿といってもよいであろう。
建物を建てる技術は、洪水神話に語られる
「箱船」の建設技術の基礎になっていると
推測される。
北メソポタミアの Dihok市 の西方
(無土器新石器時代のネムルク遺跡付近)
チグリス川の近くに Allako の町がある。
この町名は、
ギリシャ語のαργω(argo)、
ドイツ語のArche、
英語のArkと同根と思われる。
箱を意味する言葉である。
アッシリア時代ではあるが、
ペルシャ湾のディルムンと
交易する貿易商人をアルク Ark と呼んだ。
「箱」が「商船」の意味に使われたのである。
「箱船」を表記する町が
北イラクのこの地域にあることは重要である。
また「箱を作る人」は、
ドイツ語で Architekt、
現在でいう建築技師である。
箱を備えつけた
高床式神殿を建築することは
貴重な技術革新であったと考えられる。
ウバイド期にエリドゥなどで
発展した煉瓦で建立された神殿技術は、
紀元前五千四百年頃より一千年間くらい続く
後期ウバイド期に入って、
北メソポタミアにも伝波され、
ニネヴェ近郊のテペ・ガウラなどで
煉瓦を積上げ、
壁を作った建物が神殿として
現れるようになった。
シュメール語で
「煉瓦・壁」を表す用語は
sig である。
Sig の同根語がドイツ語にある。
Ziegel が煉瓦を、
Zingel が囲壁、市の城壁などの壁をを表し、
Singel は市の外壁を表す。
この同類語が
北イラクの山脈シンジャール
Sinjer である。
ドイツ語の Zingel には
壁の他に台地や段丘の意味があるが、
これも神殿の基壇である土塁と
解釈できるので結局神殿を意味する。
また、
Zingel の原意は
紐、帯、飾り帯を意味する
Gurtel と関連があるという。
サンスクリット語の縄・紐を表す
gardura と同義語である。
また
カトリック教の聖紐は
Zinglum と称される。
以上の言語から理解すると、
原初的には
紐による縄張りが
行なわれていたと推測される。
高床式神殿を動物の害から守るため
周囲に紐を回らしたのである。
紐を張ることを
Zingel といったのである。
紐は動物の皮革であっただろうが、
次第に垣根を作るようになり、
壁を建てる工夫を思いついたと思われる。
これが
ジンジャ sinjer である。
このように理解すると、
供儀所を備えた神殿の発祥地が
北メソポタミアにあったと考えてよいであろう。
なお、
神殿に穀物を貯蔵する行動は
ウバイド期からウルク期の遺跡
シンジャール山脈にある
グライ・レシュの至聖所内から
大麦・小麦を大量に納めた
甕が見つかっていることからも
慣習であったと考えられる。
Sinjer の祖語は、
シュメール語に波及し、
神・天を表す dingir へ転訛したと考える。
また、
シュメール語 Sahar、Sakarは
ドイツ語の Schrein、
英語のshrineと同根語で、
容器・箱を表すが、
日本の神社も英独語に翻訳する際には
この用語が当てられている。
※高床式神殿と「高み」
(二) 高床式建物と神殿 [神聖の系譜]
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第三章 高床式神殿
(二) 高床式建物と神殿
再三アルパチヤ遺跡の碗形土器に
戻ることになるが、
容器の底円形の中に描かれた図柄は、
日本人の想像力には
瞬間的に反応できるものである。
神社の高床式神殿を
簡単に連想できるからだが、
ヨーロッパの人々にはそうはいかないだろう。
階段を備えつけた神殿は
日本の神社の本殿そのものの構造をもつ。
この高床式建物に表された想念は、
これまでの牛頭信仰の基礎にあった
埋葬儀礼を抜け出しており
葬送と関係はなくなっていると思われる。
「牛頭」を崇拝の対象とした信仰へと
発揚していると思われる。
まずどのような理由により
高床式建物は造られたのであろうか。
推測の範囲に過ぎないが、
農耕が進歩し耕作面積が
拡大したことにより、
麦類が主な穀類であることは
明らかだが、
その収穫量が増え、
重要な種になる穀粒を
安全に保管する必要が
生じたのではないだろうか。
河川の洪水で野生獣の群れの襲撃を
避けるためには高い所に
貯蔵しておくことが有利であったからと
考えられる。
ハラフ期のその当時の草原地帯は
害を及ぼす野生獣を
完全に排除できるような状況では
まだなかったのではないか。
また、家畜化したとはいえ
羊、山羊などは放し飼い状態であっただろう。
シュメールの絵文字など
柵に囲われた様子を礎にした
羊の表記(⊕)がみられるが、
その時代より三千年も古い時代の状況である。
動物を柵内に囲って飼育し始めたのは
何時の頃だろうか。
大ザブ川沿いの
ザウィ・チェミ遺跡の羊の家畜化が
始まった頃は
その必要も全くなかっただろう。
柵が必要になったのは
牛や馬の大型獣の家畜化を
始めた時期以降だろう。
野生の馬や牛が絶滅に近くになり、
その確保の必要に迫られてからと考える。
必要量の不足が予想されて捕獲して保持する
あるいは繁殖させる知恵が働いたのである。
後世十五世紀末に始まった
イングランドの囲い込み運動、
さらに
日本の海岸で1970年代から始められた
ハマチ養殖業はその例である。
アルパチヤの碗形土器に描かれた
この高床式建物の時代は、
まだ野生獣類は草原地帯に大量に棲息し、
人間を脅かす存在であった。
特に牡牛は獰猛でその威力に対する恐れが
神格化され祀られたとの見解もある。
野生獣から収穫した麦などの穀類、
特に種とする穀粒を守り、
神の加護を祈願したと理解したいのである。
神は「高み」に座す。
神の座所に至るためには、
はしごあるいは階段が必要になる。
高床式神殿には必ずはしごか階段が
ついていなければならないのである。
この概念を表わしているのが
旧約聖書創世記第二八章である。
ヤコブがベエルシバを発ってハランへ
向かう途中ある場所で夢をみる。
「その所の石を取って枕とし、伏せて寝た。
時には彼は夢をみた。
一つのはしごが地の上に立って、
その頂は天に達し、神の使いたちが
それを上り下りしているのをみた」。
ヤコブは神の使いの声を聞き、朝目覚めてから
「これは神の家である。
これは天の門だ」。と叫び、
「枕としていた石を取り、それを立てて柱とし、
その頂に油を注いでその所の名を
ペテルと名付けた。
その町の名は初めはルズといった」。
と述べられている。
神は「高み」に座し、はしごを昇らなければ
その家に至ることができないのである。
ペテル bethel で「神の家」の意である。
ルズは多分石を意味する
ギリシャ語 las の音写である。
はしごについて
『The New Jerome Biblical Cmommentary』は
英語の ladder (はしご)ではなく
ramp (斜面路)、つまり
stairway (階段)のことであると解説している。
ペテルは現在のイスラエルの
エルサレムに近いベッレム市で、
古代にはカナアンのうちにあった。
階段を昇って神の家に至るという観念は
西アジアに広くあった、
神殿を建造する際の重要な要素である。
バビロン時代からアッシリア時代を通して
メソポタミアでは数多くのジグラドと呼ばれる
巨大聖塔が造られた。
土塁を高く積み上げ
その上に神殿を設けたのであり、
墓所としてつくられた
エジプトのピラミッドとは性格を異にする。
そして、
頂の神殿に昇るための階段が必ず付設された。
エリドゥの最下層の神殿が
土塁の上に建てられたものと
同様の考え方の表れで、
すでに後の聖塔の構成要素を示している。
専門家が、現在知られる神殿(祠堂)の下には
さらに古い遺構があるのではないかと
疑っているが、
煉瓦で作られた建物ではない、
木造建物ないし葦屋の高床式神殿があったと
推測できるのである。
ジグラドのシュメール語での呼称は
「hur-sag-galam-ma」で
「大きな階段のある山」
の意であった。
hur-sag が山を
「ma」が大きい、高い、
「galam」が階段を表わす。
聖塔における階段は「高み」にある
神殿(神の家)に辿りつくための単なる手段でなく、
信仰の象徴であったさえ思える。
象形文字の牡牛(gu)と階段(galam)は
その刻字が近似している。
つまり、galam は角の別称である。
北メソポタミア地方で牛頭信仰が広がったのも、
死霊は「牛角」である階段を通って神の家に
至るとの想念が発生したからではなかろうか。
galam は、角を表わすラテン語 cornu と
同根語と考えられる。
シュメール語の成句として野牛あるいは牡牛を
意味する am と結合し
galam-am 「野牛の角」となる。
この成句を納得する極めて興味ある
事実が見えてくる。
インド・ヨーロッパ語圏にこの galam-am を
同根語とする呼称が、
地域によって表記は異なるものの
地方名、都市名、川名などとして
広がっているのである。
まず、トルコのアナトリア、タロス山脈の北
チャタル・フユク遺跡の東側にある
karaman 市、そのタロス山脈の東方の端れにある
マラス市の正式名は Kahraman-maras である。
トルコのアナトリア西部に Karamanni 、
イオニアの故地に Germaneik がある。
イランでは、
バクダドの東方ザクロス山脈の山間に
Kermanshah 市、ペルシャ湾への入口
アフガニスタンとの国境への地帯を
Kerman 地方といい、
その北側に Kerman 市がある。
アフガニスタンに入って
シスターナとマルゴ砂漠を
流れる川が helman 川である。
インドの東南部ベンガル湾を
Cormandel 海岸といい、
スリランカの首都は Colombo で、
そして、
ゲルマン German 人および
Germania を上げておかなければならない。
北メソポタミアでは、
原新石器時代の遺跡名
ケルメズ・デレが
galam に由来する名称であることも意義深い。
アルパチャの碗形土器に描かれた
高床式建物
(一) 地名「アルパチヤ」 [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第三章 高床式神殿
(一) 地名「アルパチヤ」
これまで説明の対象にしてきた
碗形土器を出土した
アルパチヤ遺跡からは、
その他にも牛頭意匠をあしらった
鉢形土器などの彩色土器類が
発見されていることは先に説明した。
これらの土器類は
外から輸入されたものでなく、
この域内で焼成されたものであることは
イスマイル・ヒジャラなど
イラクの専門家の発掘調査により
明らかになっている。
ここに
「牛頭信仰」の拠点があったことを知らせる
土器類の遺留状況である。
アルパチヤ Arpachiya遺跡は
ニネヴェの東側でそう遠くない地点に
位置している。
ニネヴェは
アッシリア帝国の中心都市であった。
紀元前1800年頃に
北メソポタミアに君臨し始めた
古アッシリアは首都を南下させ、
新アッシリアの紀元前9~7世紀になると
ニネヴェを中心とする地域に
首都を置くようになる。
アッシリア語の牛頭を表す用語は
アルプ alpu である。
この言葉は北メソポタミア起源でもないし、
シュメール語でもない。
紀元前1600年を少々遡る頃
地中海沿岸のカナアン地方で
発明された原カナアン文字の系統に
連なる言葉である。
この文字は、
楔形文字の表意文字に対し、
表音文字の始源となり、
フェニキア語(ウガリト文字)、アラム語、
後のヘブライ語、アラビア語の
基礎となったばかりでなく、
その波及はフェニキア文字を取り入れた
ギリシャ文字やラテン文字へと広がり、
現在使われている
アルファベットの根源でもある。
アッシリア語 alpu は
この原カナアン語 alp を
移入した呼称である。
因みに alp は
フェニキア文字などで変化し、
現在の「A」になっており、
この文字体系を alphabet というのである。
アルパチヤの地名はこの alpu に起源をもつ。
ハラフ期からカルト
khald と称されていた「牛頭」は、
多分中期アッシリア時代からか
アルプに変名したのである。
その後「土地」ないし「境界」を意味する
tô をつけ、
地名として Arpachiya が成立し、
現在に至っていると考えられる。
この地方に「牛頭信仰」の拠点としての
神殿があったことを
示しているといえるだろう。
旧約聖書創世記十章二二に出てくる
セムの子孫名
アルパクサデ Alpaxadは
このアルパチヤの地に係わる
名称であることを付記しておきたい。
※イラクの考古学者イスマイル・ヒジャラ
(ISMAIL HIJARA)が1976年に報告した:
IRAQ VOLUME XLII PART2 AUTUMN 1980
ARPACHIYAH 1976
by ISMAIL HIJARA AND OTHERS
ARPACHIYAH1976
※ARPACHIYAH 1976 ISMAIL HIJARA AND OTHERS
※Tell Arpachiyah (Iraq)
※地名「アルパチヤ」
(七) 牛頭崇拝と角 [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(七) 牛頭崇拝と角
牡牛を表すシュメール語で多用されているのは、
「グ gu、 グドゥ gudu 、グドゥル gudr 」で、
この語はサンスクリット語にも入り、
gu あるいは go として使われている。
「ウケ」あるいは「オックス」は
インド・ヨーロッパ語圏の用語で
シュメール語にはみえない。
シュメール語で角を意味する用語は
「シ si 」であることは
エリドゥの遺物を分析した際、紹介した。
この単語は「目」をも意味する。
また、
「ア a 」という腕、力を表す単語が
「ア・アム a-am 」と熟語になって
角の意になる。
「アム am 」は野牛の意味で、
a-am は「野牛の角」となる。
この語も慣用句化されているようである。
ギリシャ語の角を表す言葉は
kepatos あるいは kepos 、
ラテン語では cornu 、
ドイツ語で horn 、
英語で horn あるいは geweih である。
このうち cornu 系統は
エーゲ海のクレタ島のミノス文化より
始まった比較的新しい、
といっても
紀元前1450年から1375年頃とされる
線文字Bに表われる用語である。
それに対し
「ケラトス keratos 」はかなり古くから
北メソポタミアで生まれた用語であると
判断できる。
その理由を説明するのは
帰納法的展開を要するのでややこしくなる。
ハラフ期からのこの地方における角の呼称は、
現代の表現でも実在する
khard あるいは chald であったと考える。
このカルトないしケルトの崇拝者たちは
自称をカルトリ khardli ないし
カルダエ chalda と称して、
現在においても北イラクに居住しているほか、
トルコでは東部アナトリア地方などに
二千万人にのぼる人々がいる。
この人々の文化が
紀元前五千年期から三千年期にかけて
盛大であったことを
これまであまり評価されてこなかった面があり、
再評価すべきと考えている。
また、
歴史時代への過渡期に当たって彼等の文化は
南・中央ヨーロッパの全域に
影響を与えたと考えられる。
ハルシュタット文化を興したのを初め、
広域に分布した
ケルト Celt・Kelt 文化は
その影響の波及したものであろう。
ここでは多くは述べられないので
後述することとしたい。
ハラフ式土器の広がりは、
ハッスーナ期やサマッラ期に比べて
格段に拡大している。
専門家が推測しているとおり、
その新しいファッションの土器類を
使用したのは一種族だけではないであろう。
ハフリ地名のある地域も広大である。
そのような環境のなか、
北メソポタミアに
カルト(牛角)信仰の連帯感が広がり、
カルト人としての集団意識が
芽生えたのではないだろうか。
そして、
人々はハフリたちによって
統率行動を取っていたと考えられる。
また、
このカルト信仰を行なっている土地を
ハブールと称したといってよいだろう。
シュメール語に「イ I 」という語がある。
「高める・上げる」を意味する。
ドイツ語の同意語は heben で、
「持ち上げる、起こす、引き上げる、掲げる」
と内容が広がる。
この heben に対応する
英語が heave である。
独英の単語が
古代の北メソポタミアと
どのような経緯で関係あるのか
具体的に証することはできないが、
「牛頭を掲げる」の「掲げる」の表現に
係わりがあると思われる。
つまり、
現在に継承されている
iberi 、 eberi の同義語と考えるからである。
「牛頭を掲げる者」は固有名詞となり、
牛頭の「信奉者」ないし「崇拝者」をも
内包して使用されるようになったと
思えるのである。
Khald-iberi 、 Celtiber は
ギリシャ語やラテン語にもみえる
ギリシャ・ローマ時代の呼称である。
シュメール語の中に
「 i-ab-ri 供儀の牛を献げる」
という表現があり、
その文法上の慣習から母音短縮が起こり
ibri ないし ebri の
用語が生まれた可能性もある。
ともあれ古代において
カルトイベリが存在したことは
史料の上でも確かな事実である。
牛角信仰を持った人々の名称が
カルト人ばかりでなく、
「牛角を掲げる人々」としての
カルトイベリ人でもあったことを
確認しておきたいのである。
※ハラフ式土器
(六) 牛頭崇拝とハフリ [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(六) 牛頭崇拝とハフリ
シュメル語に
「アブレ ab-re」という言葉がある。
直訳した意味は「踏みつける牛」である。
飯島紀の
『シュメール人の言語・文化・生活』に
紹介されている。
ルーブル博物館所蔵のグデア像Bに刻まれた
楔形文字碑文の一説である。
グデアは王名で、
紀元前二千年百年頃ラガシュ市を治めていた。
ラガシュ市は、
その当時のペルシャ湾の西北海岸沿いにあり、
シュメル人によって設立された都市と
みられている。
「ab-re」の一節は神殿建設に関する
グデア王の業績について
述べられている一段に記されたもので、
「ab」は牛を表し、
せまい意味では雌牛となり、
「e」は「踏みつける」の意味で、
文法的には「踏みつける牛」となる。
「牛を踏みつける」行為は、
ここまで紹介した緒資料に登場した
牛を屠殺する者の重要な行動要素である。
よって、
「ab-re」は「犠牲に供される牛」
と解釈されるだろう。
ここで留意したいのは、
この表現が
慣用句化される固有名詞となっていると
思われることである。
紀元前二千百年頃に神殿において
牛を供犠する祝祭が行われていたことを
記録する一条であり、
その牛を指して
「アブリ」と称していた事実である。
ハラフ期のアルパチヤ遺跡の時代からは
約四千年の隔たりがあるが、
慣用句化されている様子からすると、
その語の起源はかなり遡るだろう。
「ファファリ phahare 」と
読める楔形文字がある。
司祭あるいは聖職者を表す用語である。
楔形文字「ファ」だけでは
枝・翼を意味するが、
また、
「シャ」とも読まれるので「ファファリ」は
「シャブラ Śabra」とも表記され、
同じく司祭・聖職者の意味である。
シュメル語で表現された
「ファファリ」を構成する
楔形文字と意義との間に
相関関係を理屈づけるのは難しいので、
この用語は移入されたものと思われる。
そこで語源として想起する用語は
「ハフリ habre 」である。
ハフリは明らかに
司祭、祝祭の主催者の役目を持っている。
ハフリは「ファファリ」と
同根語であると考えられるのである。
Abre と habre とも
当然関連があると判断でいるが、
シュメル語の楔形文字の上で
関係づけるのは難しい。
しかし、
ハフリが牛の屠殺に担わる者であっても、
牛に対する崇拝者であったと判断できる。
そして、
牛信仰の故郷が北メソポタミアであることは
牛頭を掲げた住居跡が多く出土するなどの
事情から明らかである。
北メソポタミアにおける
「ハフリ」に関係する地名を
現在の地名などがから拾ってみる。
まず第一に
これまで何回か取り上げた
トルコからシリアの東端を流れる
ハブール( Khabūr )川、
チグリス川がトルコの西方から来て
イラクへ入る直前に
東方からの流れを吸収して南流を始めるが、
その合流点にある町が
ハブル( Habur )、
それより西方 Midiya との間に
イディル Idil とともにあるのが
ハベルリ Haberli で
アッシリア時代の碑文で
確認されている町である。
また、
チグリス川がイラクへ流れ入る地点で
東方より合流するトルコに水源を持ち
イラクの北端を流れる川が
ハブール( Khabūr )川の町である。
さらに、これまで注目を繰り返してきた
大ザブ川は「ハブールの大ザブ川」と
イラクでは呼ばれている。
トルコ領を流れる大ザブ川沿いに
ハッカリ(Hakkari)の町がある。
これは「ハフリ」の
トルコ語転訛と考えられる地名である。
その東南方にシャムダールの山峡がる。
その大ザブ川がイラクに入り
北方から西方へ流れを変えるあたりから
下流一帯をハブリウリ(Habūri-uri)と
アッシリア時代には呼んだ。
そこからかなり南方の地域になるが、
バクダッドの東方イラン領に
ハボール(Habor)山脈がる。
ハボールから東方のザグロス山脈を越えた
テヘランの南方に広がる砂漠が
カビール(Kavir)砂漠と呼ばれる。
因みにシリアのハブール川に
ハッサカ付近で
西方のトルコから流れきて合流する川を
シャブール(Shabūr)川という。
ここに列挙して地名の中に
Khabūr あるいは Kavir
と表記される所もあるが、
これは飯島紀の「前掲書」によると
奉献をを意味する熟語として
gaba-ri-a という語があるので、
この語との関連があるかもしれない。
どちらにしても神への奉献は供犠であり、
本来的に同類語と考えられる。
以上の紹介で解るように
ハフリの地名のある地域は
新石器時代に大量の野牛が
狩猟された地域である。
特に集中している地点が、
北イラクのシンジャール山脈の北方、
トルコとの国境に広がる
山岳地帯と草原地帯との
分れ目一帯であることが
改めて確認できた。
一般に
この草原地帯をハブール高原と呼んでいる。
※グデア像B
⦅ハラフ期の土器について⦆
⦅ハブール川⦆
ハブール川
(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor、
Habur、Chabur、
アラム語:ܚܒܘܪ,
クルド語:Çemê Xabûr,
アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
⦅ARPACHIYAH 1976⦆
(五) 野牛狩と殺牛技法 [神聖の系譜]
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第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(五) 野牛狩と殺牛技法
チャタル・フユク遺跡の一祠堂の壁には、
狩猟の情景が描かれていた。
その壁画が復元されている。
壁の中央には
長さ二メートルに及ぶ太った雄牛が描かれ、
その周囲を腰巻あるいは
褌として獣皮を巻いた人々が
弓や槍を持って野生動物を追い回している。
人に比べて雄牛は巨大である。
人がつけている腰巻は
祭儀の装束ともみられている。
アルパチャ遺跡出土の碗形土器にも
野生牛二頭と狩人一人の狩猟意匠が
描かれている。
狩人が弓を引いて背には
三叉の矛らしきものが
負わされていることはすでに紹介した。
三叉の矛はデーヴィー女神が水
牛の魔物マヒシャ・ドゥルガーを
圧倒する時に携えられ、
水牛ないし雄牛の背に
突き立てられた武器である。
紀元前六千年紀のハラフ期に
すでに野生牛を仕留める技法が
確立していたのではなかろうか。
その技法は、
スペインなどで盛んに開催されている
闘牛ショウの過程が参考になる。
闘牛の規則と作法によると
1チーム7人で殺牛に当たる。
1人が馬上から
牛の首根を刺すことから始まる。
牛の力を削ぎ、弱らせるためである。
古代の野牛狩の場合は
弓矢を打ち込み牛の弱まるのを待ったであろう。
闘牛ショウの場合は
赤い布を駆使した見せ場が展開され、
最後牛の命を絶つために
剣士(マタドール)が
剣で頚椎の間をねらって突きこむ。
心臓につながる筋肉と神経を
切断するためである。
牛を瞬時にして絶命させるには
剣を突く角度が重要であるという。
マタドールの行為は、牛の咽喉を切る、
つまり、屠殺を意味する。
三叉の矛は牛を弱らせるために使われた
槍の役目を果たしたと思われる。
日本の
『古事記・日本書紀』に記述された
天石窟前おける
天鈿女命の舞踏に隠された伝承を辿ると
紀元前六千年期の
北メソポタミアに起源があることとなる。
シュメル人が
南メソポタミアに現れる時期よりも
アルパチヤ遺跡の時代は三千年も古い。
その当時、
牛や雄牛などを何と呼んでいたかを明かす
言語的史料は全くない。
言葉を書くという技術を
まだ思いついていなかったのである。
その事実を確認した上で、
推測を展開してみたい。
※アルパチャ遺跡出土の碗形土器
※チャタル・フユク遺跡:狩猟の情景
※出典:未発育都市
(四) 埋葬儀礼と牛頭 [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
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第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(四) 埋葬儀礼と牛頭
ケルメズ・テレ遺跡が属する原新石器時代
(紀元前九千三百年~八千五百年頃まで)
と同時代の遺跡が北シリアにある。
アレッポの東方、ユーフラテス川のトルコから
流れ出し大きく曲がって東流を開始する地点に
現在アサド湖と呼ばれる人造湖が
造成されているが、
その東近くにあるムレイビト遺跡がそれである。
ここでも円形ないし楕円形の住居が
原新石器時代の古い時期から
永きにわたって使用された遺構として、
残されている。
遺物の中から動物の骨が発掘され、
野生のロバ、鹿、野牛を
狩猟していたことが解る。
しかし、注目すべきは、
動物の頭骨が
建物の壁に掛けられていたことを
示す発掘があったことである。
そのような住居の慰留は今までのところ
ムレイビト遺跡を以って最古とする。
馬、牛、鹿(ガゼル)などの大型有蹄獣の狩猟は
次の無土器新石器時代
(紀元前八千五百年から七千年頃まで)
に入ると盛んに行われるようになる。
アナトリアのタウロス山脈の西側にある
ハジラル遺跡では二万五千体に及ぶ
牛の遺骨が堆積していた。
また、イランのテヘランの北側、
カスピ海の南岸に広がるエルブス山脈にある
タペ・サンギチャハマック遺跡からは
約六千体の牛の遺骨が
確認されたとの報告がある。
同遺跡からは
馬の遺骨四千一百体も確認されている。
ケルメズ・テレ遺跡の埋葬住居のなかには
人間の頭骨だけで動物の頭骨はなかった。
ムレイビト遺跡では、ケルメズ・テレのような
埋葬儀礼に新しい想念が添加されて
動物の頭骨が壁に掛けられるようになったと
解釈できるだろう。
ザウィ・チェミ遺跡の時代から
その永いメソポタミアの
永い古代史の中で人間の頭骨が
壁に揚げられていたとの報告は聞かない。
ただし、タウロス山脈の北方にある
チャタル・フユク遺跡では部屋の中の祭壇上に
四つの頭骨が並べられていた例はある。
埋葬住居の床面か床下に埋葬されているのが
普通である。
ムレイビト遺跡の場合、
どのような理由によって
動物の頭骨を壁に掲げるようになったのか
まだ過分の推測は許されないだろう。
しかし、
無土器新石器時代の遺跡からは
その推測が許されるような遺構が表れる。
動物の頭骨、
特に牛頭が壁に掛けられた遺跡が増え、
ザクロス山脈のケルマンシャーの東方にある
ガンジ・ダレ遺跡、
北イラクのモスールの北方にあるネムリス遺跡、
トルコのダイヤルバキル北方のチュユヌ遺跡、
そして無土器時代から、
次の粘土で容器などを作るようになる
土器新石器時代への過渡期に当る
チャタル・フユク遺跡である。
チュユヌ遺跡でも一つ住居内に雄牛の頭骨が
人間の頭骨と混在してみつかった。
その上、
犠牲用に使われたと推測される建物と
儀礼に使われたらしい建物との
三つの建物跡があり、
埋葬儀礼の拡大した構成と考えられている。
北イラクの紀元前七千五百年頃の
ネムリス遺跡でも
牛頭が壁に掲げられた跡が出土した。
この遺跡は
ケルメズ・テレ遺跡とチグリス川を挟んだ
そう遠くない位置にある。
同遺跡からは鳥形石偶も発掘され、
その抽象的な形作りは力強い。
チャタル・フユク遺跡の発掘は、
動物の頭骨の掲示、
動物のに似せ泥で作った像、
壁に描いた動物像など
多くの儀礼的遺物を明らかにした。
同遺跡には十四層にわたる生活面が
堆積しており、
最下層は
紀元前六千八百五十年から六千三百年頃
までとされている。
注目すべきは祠堂の多さで、
各民家に必ず
聖所が備えつけられているといってもよく、
1961年から1963年までの間に
ジェームス・メラートが発掘した
住宅区街からは
広さが大小の祠堂十六箇所が確認された。
これらは神殿ではない。
彼がいうとおり祠堂である。
チャタル・フユク遺跡において
壁に掲げられた動物の頭骨の特徴は、
その多くが土製であることであるが、
本物の頭骨や角を芯に
使っているものもみられる。
最も多い動物の頭像は
雄牛、雄羊、雄鹿の頭像も作られた。
これらの頭像は祠堂の中に一体だけではなく、
三個、五個、七個と奇数に合わせて
壁に掲げられるか、台座に置かれていた。
人間の頭骨が床に置かれるのは
これまでの慣習と変わっていない。
このような状況から推測すると、
埋葬儀礼に係わる牛頭への崇拝が
すでに成熟していただろうということが解かる。
本物の牛頭骨は少なく、
塑像が多くなった状況は、
形式化が始まっていたと判断してもよい。
また、
民家の祠堂で燔祭(はんさい)が
行われたとは考えられず、
儀式のみが祠堂内で行われたと思われる。
そうすると
燔祭はすでに行われなかったのだろうか。
前世代のチュユヌ遺跡の例でみられたように、
犠牲祭は
集落内の別の聖所で行ったとおもわれる。
それが神殿である。
民家の祠堂は納骨堂と考えてよいであろう。
チャタル・フユク遺跡での神殿の姿を
まだみることができないのは残念である。
人々が住宅に入るのは屋根からであった。
民家の屋根と屋根との間には
梯子(はしご)が掛けられ、
屋根を伝って行き来した造りになっている。
地面には中庭はあるものの路地はなく、
特異な空間である。
建物内には祠堂だけでなく、
生活のための部屋もあり、
人々が住んでいたのも確かである。
この区域が
周宗教的特別区でないのであれば、
人々の死霊に対する想念を
表しているのではなかろうか。
その信仰の想念を
明らかにすることは難しいが、
確かな事実は牛頭に対する信仰が
盛んであったということである。
チャタル・フユク遺跡のある地域は、
トルコの地中海に岸に迫る
タロス山脈の北側に位置する。
その山脈中にあるハジラル遺跡から
大量の牛骨が発見されたことを述べたが、
タロスとはギリシャ語の牛を意味する
ταυρς(tauros) に依っており、
多くの野牛が棲息していたことを
伝える呼称である。
チャタル・フユク遺跡の文化について、
マックス・マロワンは、
北メソポタミアからの影響があって
成り立ったと述べていることを
補足しておきたい。
同遺跡の後期の時代は、
土器新石器時代が始まった
ハッスーナ式土器、
サマッラ式土器の時期に当たる。
彩色土器の紋様の中に
幾何学紋様、植物紋様と共に
動物意匠が描かれ始めた時代である。
そして、
ハラフ期になると、チャタル・フユクのような
聖所に牛の頭骨を
大掛りに掲げる遺構は消えていく。
その代わりに
彩色土器の中に宗教的意匠が増える。
彩色土器の牛頭意匠が宗教的想念を
表したもであることは、
アルパチア出土の碗形土器ですでに確認した。
同遺跡は、チグリス川で沿いで、
ケルメズ・デレ遺跡、ネルリク遺跡から
少々南下したところに位置する。
この遺跡の彩文土器の特徴は、
これまで言及してきた碗形土器ばかりでなく、
その他の鉢形土器に表された
牛頭意匠やマルタ十字紋で、
極めて宗教的色彩が強い。
そのような彩色土器は
犠牲や儀礼に使用されたと考えられよう。
同遺跡の下層には方形の家屋、
上層になると円形の建物が築かれていた。
シンジャール山脈の南側に位置する
ヤリム・テペでも
サマッラ期(Ⅰ)
ハラフ期(Ⅱ)
ウバイド期
に及ぶ遺構のうち
Ⅱ期の遺跡から方形家屋と共存して
円形建物が発掘されている。
※チャタル・フユク(ヒュユク)遺跡
※サマッラ期(Ⅰ)
※ハラフ期(Ⅱ)
※ウバイド期
(三) 埋葬儀礼 [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(三) 埋葬儀礼
ザウィ・チェミおよびシャニダールの
両遺跡では埋葬儀礼が
すでに始まっていたことを指摘できる。
シャニダール洞窟の墓地では、
遺骨と共に小さな箱状に形作られた台座と
思われる石が並べられていた。
また、ザウィ・チェミの遺跡では
円形の家やシャニダール洞窟で
並列されていたのと
同じ方形の石を配列した石囲いがもられた。
これらの石の配列は
葬送儀礼との関係を示唆している。
何らか式典のような作業があったに違いない。
埋葬儀礼の様子は
次の原新石器時代の遺跡とされる
モスールに近い
ケルメズ・デレ遺跡ではより
具体的にみえてくる。
最も古い建物跡は、
日本古代の竪穴住居のように
地面を掘り込んで
外淵を地面より高く土で盛り上げて
壁を作った円形住居であったが
その内部に石と漆喰でできた
矩形の柱石状構造物と
石の環状配列が残されていた。
また、
胴体をはずされた人間の頭骨が
六体発見されたので、
単なる住居でなく埋葬に係わる儀礼の場で
あったことをうかがわせる。
環状の石の配列は炉と考えられており、
葬送に当り燔祭を行ったことを推測される。
エリドゥの神殿の供物台の上で
供物が焼かれたり、
湯沸かし器で魚が煮られたことを思い出せば、
この無土器の新石器時代においては、
供物を焼くことが調理することであり、
炉が調理の場であった。
供物台の元祖であると
考えてよいのではないだろうか。
そうすれば、
エリドゥの最古と思われる最下層から
第四層の神殿建物の外に作られた
円形の構造物をは
火を焚いた炉または
窯であったことが推測される。
一辺三メートルに足らない建物の中で
供物を調理することはできなかったのである。
それに続く時代には神殿建物自体が拡大され、
内部で火を使っても危険が無くなり、
供物台上で焼いた痕跡が
残されることとなったのである。
柱石状の立体物は
祭壇になる以前の神の依代であることが
判ってくる。
あるいは葬送の式礼の中で
死んだ者の頭骨を
その柱(台座)に置いて
儀礼を行ったとも考えられる。
頭骨を胴体から離し、別のところに
しかも集落の一定箇所に埋葬するのは
西アジアでの死者を葬送する方法として
よく行われた慣習である。
パレスティナ、レヴァント、
そしてアナトリア高原の遺跡で
一般化していた方法である。
頭骨に塗装したり、
飾り付けしたものさえ発見されている。
このような儀礼については、
一種の祖先信仰を表しており、
祖先が死後も残されたものに対して
強い影響を及ぼすため、
祈りや犠牲を捧げることによって、
鎮めねばならないと信じられていたというのが
専門家による理解である。
※メソポタミアの埋葬儀礼
(二) 角の崇拝② [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(二) 角の崇拝
この集落ではまた
作物の栽培のための用具が発見されている。
しかし、
突然に表われたという様子で、
この集落の人々が
耕作を思いついたかどうかは解らないし、
農耕集落の形とはえない段階にある。
にもかかわらず、
マックス・マロワンは、
羊の家畜化と野菜の栽培の発生は
大きな経済的革命を
予告するものだと評している。
ザウィ・チェミ遺跡のある
北限イラクの東側の地域は
前歴史時代の動物家畜化に係わる歴史に
重要な役割を果たしたことが理解できた。
そして、
その後の歴史時代においても
この地方の人々が時代のまにまに
活発な活動をしたと考えられる。
現在の地名にその文化遺産を残している。
第一に遺跡で登場した Zawi は
大ザブ川の Zab と同じく
シュメール語の羊飼いと同根であると考える。
大ザブ川沿いにある町ゼバル
Zebarは羊飼いの町であり、
ハリル山系の東端の延長の山々
Spilik 山地の名称も羊飼いと関係があろう。
ゼバルから南方のイランとの国境方面の町
Ramandiz は牡牛(英語 ram )。
さらに南方の Arbil は赤鹿、
この赤鹿の名はザクロス山脈の南方になるが、
スーサを中心としたエラム Elam 、
そしてその地方名
ルリスタン Luristan に反映している。
町 Gawra は鹿の角の意である。
Gawra は
ギリシャ語の κερος
ドイツ語の Gehörn
英語の Corn と同根語である。
『旧約聖書』創世記に記される
エデンを流れ出た川が
四っに分流したうちの一つである
ギホン Gihon 川は
このガウラを流れる
大ザブ川の別称であると考えられる。
大ザブ川沿いの町ゼバルから
上流へ遡及してしばらくすると
北方のトルコから国境を越えて
英語名シャニダール川、
現地名ではシャムディルナ川
Shamdrna (シャムディの川)が合流する。
その川の上流国境を越えたトルコ領内には
Shamdr 山があり、
山の東方に Samdinli の村がある。
この深い峡谷のイラク領の一角に
シャンデル洞窟があり、
ザウィ・チェミ遺跡と
同時期の遺物が発見されている。
ザウィ・チェミ遺跡あたりの人々が
冬の寒い季節に登って来て
この洞窟を住居としたのではないかとの
見解が出されている。
洞窟内から二十六体の人骨が
発見されたために有名になったが、
この洞窟は墓地として使われたのである。
ところで、
Shamdr の語幹となる語は
シュメールの šum と同根であると考える。
絵文字に表される
Sam の意味は「咽を切る」で、
「虐殺する」あるいは「屠殺する」である。
さらに「供与する」の意味まで含まれる。
語尾 dr は「~する人」あるいは
「~する者」の意である。
Shamdr はサンスクリットは取り込まれて、
祝祭における屠殺者 šamitr となっている。
犠牲獣を屠殺し解体して調理するのが
その役目である。
以上のように山狭の一角に
羊を家畜化した最古の地に関係ある地名が
集中してみられるのである。
羊の家畜化を始めた人々が、
その羊を屠殺することに
特別の想念を興しただろうことは
容易に想像できるが、
当地域付近から羊に対する崇拝や
祝祭に関連ありそうな遺構や遺物は
いまのところみつかっていない。
また、
ザウィ・チェミ、シャニダール洞窟の文化が、
地域において後世へ継承されたかについて
専門家は考古学的確証を得ていないので
否定的である。
さらに、
この山狭で屠殺に関連した宗教的儀式が
成立したとはいえない状況である。
しかし、
この地域の羊飼いたちは
流動性を持った生活者であった。
トルコのヴァン湖周辺の黒曜石や
現在の地名でも「銅の町」意味する
ダイヤルバギル市の北にある
エルガニ・マデンから粗銅を
また、
イラクのアルビルよりさらに南へ離れた
キルクークから
アスファルト用の瀝青を手に入れている。
彼等は文化を伝播させる行動力を
十分備えていたと判断してもよいだろう。
シュメール語で売買する意味の用語は
šam である。
発音が šum に近似している。
貨幣にによる交換はなく、
物々交換による
交易であったに違いない時代、
羊飼い達は羊を追いながら遠出を行い、
物々交換が成立すると羊を屠殺して
手渡しを行ったのかもしれない。
屠殺者は売買人なのである。
羊飼い達は、
彼等の流動性を生かして
次第に商人としての性格を
確保していったと十分考えられる。
※世界の文字
(二) 角の崇拝① [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(二) 角の崇拝
エリドゥ市のウバイド期の神殿建物の中から
奇妙に曲がった釘状のものが発見された。
先のラッパ状の飲み口のついた
「魚湯わかし器」と同じ時期である。
この遺物は頭の部分が先の方で曲げられ、
先端が尖っている。
粘土製で焼成されているが、
塗装されたものと素焼きのものとがある。
発掘時の調査では
壁に打ちつけられた様子は全くないので、
その目的があったことは否定されている。
その多くが
魚の骨などと共に
神殿裏の土中に埋められていたので、
やはり信仰に係わる役目を果たしたと
専門家は推測している。
彼等はこれを「角」と呼んでいるが、
多分それが正しいと思われる。
シュメル語は角のことを
シ ši というが、
基になっている絵文字の※によく似ている。
※絵文字の形象羊の角
この形象は羊の角を表すとみられる。
メソポタミアを取り囲む山岳地帯で
現在も飼われている雄羊の角は、
牛や鹿のように起立することなく、
頭の側面に従って下がって生える。
しかも巻くこともなく先の方で
顔面の方へカーブを取るのが大半である。
よって、
釘状の遺物は
「雄羊の角」を象徴したものと考える。
エリドゥの神殿への供犠は
絶対的に魚であった。
しかし、魚には角がない。
人々はかって信仰の依代として
崇めてきた動物のシンボルであり、
崇拝の依代の代表であった角を
粘土製の角で代用したと推測できる。
海岸地帯でしかも湿地帯であった地域は、
灌漑によって農地化し
小麦などの穀物は生産できても、
多量の牧草を要する家畜の飼育は難しく、
頻繁に供犠するほど
獲保できなかったのであろう。
彼等の信仰には角が重要であったのだ。
彼等の宗教的祖地は
牧畜が行われていた地域に
あったと考えられよう。
シュメル語で羊飼いを
シパ sipa と呼ぶ。
この言葉は
ヘブライ語で seber 、
ドイツ語で Schäfer 、
英語で sheperd となり、
西アジアからヨーロッパにかけて
広く使われている呼称である。
羊は人間によって
最初に家畜化された動物ともいう。
紀元前九千年頃に羊は家畜化された。
その痕跡を残すのが、先に触れたが、
ニネヴェの南で
チグリス川へ東方から合流する
大ザブ川の上流、
シャニダール川との合流点に近い
ザウィ・チェミ
Zawi Chemi 遺跡である。
ここの集落跡の最深層から、
つまり、
この集落の頭初の遺物の堆積から
大量の骨類が出土したが、
その大部分は赤鹿のものであった。
野生の羊の骨も混じっていたが
家畜化した動物の骨はまだ無かった。
しかし、
その上層の遺物から
家畜された羊の骨が発見されたのである。
山羊はまだ野生であった。
※絵文字の形象羊の角
※メソポタミアの野生の山羊の角及び羊の角
(一) 彩文土器 [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第二章 メソポタミアの開明期
(一) 彩文土器
エリドゥに神殿を建てた人々とは
どのような人々であろうか。
エリドゥ市の成立の過程から、
人々がここに来てから
神殿を建てる信仰心を
獲得したと考えるのは難しい。
やはり、
移住してきた第一の先住民が、
彼等の生活思想として
持ち込んで来たと
考えるのが妥当であろう。
エリドゥ市が成立した
ウバイド期のうちに
同市と共通した文化風土を
持った遺跡文化を
他の地に求めざるを得ない。
メソポタミアの開明の舞台
となったのはペルシャ湾近くの
両大河の河口地域ではない。
両河の源であり、
この平野を取り巻く山脈と
平野との境界地帯であった。
レバノン山脈、
トルコのタロス山脈から
アナトリアの山岳地帯、
イラク北端のシンジャール、
ハルルの両山脈、
そしてイランの
ザクロス山脈へと山塊は連なる。
これらの山々に育まれて
人々は文明への胎動を始め、
揺籃期を送ったのである。
チグリス川の支流、
大ザブ川のそのまた
支流シャニダール川に
近い新石器時代の集落で
羊の家畜化を始めたのは
紀元前九千年期の初期であった。
マイケル・ローフの資料によると、
北方の山地一帯には
野生の大麦小麦が分布していた。
また羊やヤギ、鹿などの生育に
適した土地でもあった。
そのような環境の中、
紀元前七千年期には
天水農耕を利用した
集落が形成され始め、
土器が作られるようになった。
その土器新石器時代初期を
原ハッスーナ文化という。
そして紀元前七千年期半ばになると
土器製作に発達がみられ、
単調なものから、
彩文刻文を持つ洗練された土器が
作られるようになった。
これを
原ハッスーナ文化の
発展したものとの判断から
ハッスーナ文化という。
この名称は
ニネヴェの南方
チグリス川と大ザブ川の合流点の
わずか西方に位置する
ハッスーナに因む。
紀元前七千年期の終わり頃になると、
このハッスーナ文化の中から
新しい形式の土器が作られるようになる。
焼成精度は向上し、
チョコレート色の彩文が
見事に描かれたのが
象徴である。
この文化の範囲は大きく広がり、
西方はハブール川近くバグーズまで、
東方はイランのザグロス山脈、
そして
南方はチグリス川下流のサマッラ市、
さらにそこから
東南の遺跡チョガ・マミまで至った。
遺跡名サマッラが
この土器文化の呼称とされた。
サマッラ期の大きな事件は、
人々がかなりの距離の運河を掘り、
それを維持する灌漑技術を
習得したことである。
サマッラ文化の南端に位置する
チョガ・マミ遺跡で
運河跡が見つかっている。
この灌漑用水路発見されている
運河の最古のものである。
遺物の中には大麦などに
天水農耕期とは違う
新しい改良品種の作物もみられ、
天然の品種より実の太りがよくなって
収穫量の増加を果しただろうことの
証拠とみられる。
灌漑技術は天水農耕地帯に増収穫が、
雨の少ない地帯でも農耕できる
農地開墾が可能となった。
紀元前六千年頃になると、
ハッスーナ文化は
ハラフ文化に取って替られる。
この文化は
サマッラ文化よりさらに広い地帯に
影響をもたらした。
天水農耕の南限に沿って
西方はユーフラテス川の最西を越え、
現在のアレッポ辺りまで、
南東はザグロス山脈まで達した。
この期には
土器製作に技術的向上がみられ、
二室構造の窯で焼成した彩文土器は
見事であった。
粘土の質も粒子がきめ細かく、
色彩はサーモン・ピンクが多かった。
ただ、
この広い分布圏内には
土器形成の異なりが
地域によって表れることから判断して
同一民族が
その担い手であったとはいえないという
見解をマイケル・ローフは述べている。
ハラフの名称は
ハブール川とその西方ユーフラテス川との
間にある
ウルファ市に近い遺跡名テル・ハラフに因む。
ハラフ文化の後にやってきたのが
ウバイト文化である。
その分布範囲には
エリドゥのあるペルシャ湾沿岸から
チョガ・マミの辺りまで
両大河の周辺に限られた狭い地域である。
その最古の遺跡は
紀元前五千九百年頃までに
遡及するとされる。
このエリドゥの
最古の遺跡から始まる時期を
ポラダの編年表では
エリドゥ期と呼んでいた。
この文化の象徴は
サマッラ文化との類似が
みられるという点である。
ロンドン大学の
ジェイムス・メラート教授は、
サマッラ文化の顕著な広がりが
南メソポタミアやフジスタンを
中心としてみられ、
エリドゥなどの遺跡が
サマッラ中期・後期文化の
大きな影響を受けていると指摘した。
さらに
北メソポタミアでは
天水農耕が可能であるが、
南メソポタミアは灌漑をしないと
農耕が不可能なのであり、
この灌漑農耕によって
シュメールやアッカドの文明が
可能となったといえようとも述べている。
灌漑技術の発明は人々の生活に
革命的変化をもたらしたのである。
その最高の技術は単に人から人へ、
地方から地方へ
伝播されたというのではなく、
技術者達が賢者として移動していったと
十分考えられる。
サマッラ文化の
エリドゥへの影響について、
マックス・E.L.マロワンも
「ケンブリッジ古代史」の中で
「エリドゥの陶器が持つ重大性は
疑いもなく
かなり北方のサマッラと知られる
彩文土器のグループから
影響を受けていることである」
と述べている。
西アジアの土器は
彩文土器が多いことに
特徴があり、
メソポタミアではハッスーナ期から
刻線文などの幾何学紋が頻繁に使われた。
サマッラ文化以降には
動物や植物の意匠をほどこしたものが
増大したほか、
物語を意匠として展開させた平皿なども
みられるようになった。
サマッラ土器に卍字紋が
たくさん用いられている点は
見逃せない。
卍字紋とは、
マルタ十字紋様、
鉤十字紋を幾何学図形・動物意匠、
時には植物とみられる意匠で
紋様化したもので、
宗教的表現と判断できるものもある。
古代ギリシャでいうブクラニオン、
牡牛の頭を正面からみた形も角を
長く強調して描かれている。
動物の中ににはレイヨウが
抽象化された形で多く描かれている。
IRAQ VOLUMEXLII より抜粋
ハラフ期初期の彩文土器になるが、
イラクの考古学者
イスマイル・ビジャラ(ISMAIL HIJARA)が
1976年に報告した:
IRAQ VOLUME XLII PART2 AUTUMN 1980
A RPACHIYAH 1976
by ISMAIL HIJARA AND OTHERS
ARPACHIYAH1976
※ARPACHIYAH 1976 ISMAIL HIJARA AND OTHERS
※アルパチヤ
アルパチヤ遺跡出土の碗形土器に描かれた
彩文土器意匠には驚きがある。
日本の神社に酷似した
建物意匠が描かれているからである。
アルパチヤは
ニネヴェのすぐ東に隣接する遺跡である。
建物意匠ばかりでなく、
この碗形土器には宗教的物語が語られていて
興味深い。
図の
第一段には牛頭の正面、
マルタ十字、蛇とマルタ十字、
さらに二人の人間とその身長より大きい壺、
第二段には半面の牛頭と幕と思われるものに
二人の髪の長い女性。
第三段には二頭の牛と矛を背に負い
弓を手に持った狩人、幕と思われる布、
そして
第四段円の中には
斜めの階段つき高床式建物を描いている。
この建物の構造は
日本の神社の本殿そのものである。
メソポタミア北部のしかも
紀元前六千年期の神殿が
日本の神殿とどう結びつくのだろうか。
また、この碗形土器を紹介する
増田精一は
「西アジアでは、
布幕はその背後に
聖なるものの存在を
象徴する時に用いられる」
とコメントしているが、
日本の神殿においても
垂幕はつきものである。
この碗に描かれた布幕の内に坐す神は
どのような存在なのだろうか。
今のところその神名は不明である。
さて、
サマッラ文化・ハラフ文化の彩文土器に
表現された卍字紋意匠、
正面向きの牛頭意匠は製作者たちの
共通な想念によっていると考えられる。
卍紋は
サンスクリット語で svastika
スワスティカという。
スワは吉兆の意、
スティカは
英語でいうステッカーで
形象のことである。
日本で仏教寺院のマークと決め付けている
卍字紋は元より、
多くの神社が神紋としている巴紋も
この範疇に入ることは明らかである。
この卍紋が使われた
サマッラ・ハラフの両文化の
分布するセンターが
後に紀元前三千年期以降に
なってからではあるが
カルトゥ、スバル人の国と
呼ばれたことを
想起していただけると思う。
卍紋とスバル人とを結びつけることは
できるだろうか。
メソポタミア北方に生まれた
サマッラ・ハラフ両文化の陶器に
表された彩色紋様が
南メソポタミアへ伝播し、
影響したことは確実である。
多様な紋様のうち幾何学意匠は
紀元前五千年期初めの
ウバイド期初期から
エリドゥ、ウルまたその近郊の
テル・ウェイリ遺跡などに表れ、
紀元前三千年頃まで、
専門家がいうウルクまで続いた。
そしてこの間
南部の陶器製作者は
北部から影響され続けたのである。
エリドゥ市の神殿跡から発見された
ラッパ状の長い飲み口を付けた
フィツシュ・ケトル(魚湯わかし器)と
称される容器の同類が
ニネヴェの北に位置する
テペ・ガウラの遺跡からも
発見されていることからも解る。
テペ・ガウラのものの方が
製作時期が早い。
メロワンは、
この比較をもって
南部メソポタミアの陶器が
北方から影響を受けたとことの
証拠としている。
※彩文土器
M.K記
連絡先:090-2485-7908
(二) エリドゥ [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
(二) エリドゥ
紀元前五千年紀に神殿が
エリドゥに建てられ始めたという事実は
重要である。
シュメールの楔形文字文書の中に
『王名表』がある。
この地を支配してきた
原初からの歴代王朝の記録で、
現存する最古の写本は
前二千年紀初頭作成されたものである。
この写本を紀元前四世紀になって
バビロニア人でベロソスという書記が
転写した写本は
「王様が天より下ってきたのち、
エリドゥ市が王権の(所在地)となった」
から始まっている。
マイケル・ローフによると
エリドゥについて叙事詩が語る。
葦は生えていなかった。
木はできていなかった。
家は建てられていなかった。
都市はできていなかった。
大地はすべて海であった。
そして、
エリドゥがつくられた。
エリドゥの地は何もない処女地であり、
ここに初めて王権を保持した人々がやってきて
家々を建て集落を形成し
都市を築いたというのである。
先に述べたとおり、
エリドゥは本来シュメール語ではない。
その意味も不透明で確定されてはいない。
「降臨の地」という解釈もできよう。
「リドゥの神殿」とも解釈できる。
「エ É 」がシュメール語で
多用される家ないし神殿を、
日本語でいうところの「イエ」で、
リドゥ ridu をリタ rta と解釈できる。
紀元前二千前紀に北メソポタミアで活躍し、
専門家によっては
スバル人の別名として扱われている
フルリ人が信奉する神名の一つである。
エリドゥの神殿はウル・ナンム(地名)で、
その遺構が発掘された。
ウバイド期から十八回の再建が行われ、
最古の神殿は建物遺物があるだけで
本当に神殿かどうか疑わしいが、
その上に建てられた
第二の神殿は確かなものである。
薄い壁で造られた
二・八メートル四方の小さな
礼拝祠堂という方が似つかわしい。
それも一部の壁が欠落したり、
内部の配置など建前が不完全で
実際あった様子がみられない。
第三の神殿になって、
第二の神殿より若干敷地面積が大きくなり、
建物の見取が判明してくる。
部屋の中に祭壇と供物台が一つずつ据えられ、
時代の経過と共に建物規模は拡大され、
祭壇の位置が奥の壁に着けられていることに
変わりがないものの、
祭壇と供物台との間は広げられ、
この中央の広間で礼拝に係わる祭事が
行われたことを推測させる。
また、
神殿は常につき堅められた土台の上に
建てられている。
この土台の高度化が後に聖塔(ジクラト)へと
発展したのだとの理解がされている。
祭壇と供物台が対になっているのも
その後のメソポタミアにおける
神殿構成上の基本的要素となっている。
大きな建物が造築されるようになると、
補強のため
外側に扶壁がつけられるようになるのも
特徴である。
供物台も、単に供物を置いただけでなく、
台上で犠牲を焼いた痕跡の確認された
遺構もある。
建物の外には炉跡が最古の神殿の時代から
掘られていた。
その形は建物の壁と同様
日乾煉瓦で固めた円形であった。
現在、
イラクのどこにもエリドゥの都市名はない。
古代の名を現在までそのまま受け継いでいる
ウル市の南にある
テル・アブ・シャハラインが遺跡地である。
古代においては
ペルシャ湾はこの辺まで入り込み、
エリドゥはその海岸近くに建てられたのである。
供物だったものの中に魚の骨が
多くみられるのもそのためである。
エリドゥを建てた人々が
どのような人であったか
実際のところ明らかでないが、
この地方への第一の移住民であったことは
確かである。
近郊のウル市も同時期かそう遅からず
創建されたところであるが、
後世には建造されたが、
頭初には神殿の造築がなかったので、
両市が連携していたのではないかとの推測が
なされている。
その後紀元前三千年頃、伝承ではあるが、
海の方からか東南のペルシャ高原からか、
シュメール人といわれる
頭の黒い人々がやって来る。
彼等もその素性はよく解っていない。
現在彼等と言語の性格を同じくする言語は
他に捜し得ていないので
膠着語の仲間に入っている。
シュメール人は、
前三千年紀のうちに西北方から圧し寄せてきた
アッカド人を始めとする
セム系民族に吸収されるか、
あるいは外地へ移動したのか、
前二千年紀が始まる前とは
固有集団としての動きを
この地域から全く消してしまった。
「シュメール」の呼称は
アッカド時代になって表れるが、
本来土地の呼称で彼等自身は
キ・エン・ギ Ki.en.gi
〔土地-(主人)-葦〕、と呼んだ。
それは葦の土地(葦原)の意であった。
シュメール人は
第一の移住者たちの文化を
拒否したわけではなく、
その伝統を引き継いだ。
そして革新・発明も行った。
その例が文字の発明であり、
神話の集大成であった。
第一の先住民が移動してきた
紀元前五千年紀のウバイト期から
文書が書かれた粘土板ができるまで
二千年の年月が経っている。
文書の遺留物のうち、
我々にみられるようになったのは
ウルク市から発見された
絵文字の粘土板がその嗃矢(最初)である。
シュメール語での判読はされているものの、
その当時これらの文書を使った人々が
何と読んだかは
今のところ専門家の努力にもかかわらず
不明である。
しかし、
これらの絵文字は
楔形文字の原型と考えられている。
ウルク市は現在のワルカ市(ワルカ遺跡)
シュメール時代はウヌ unu と呼ばれ、
旧約聖書にはエレクと
記述されている町である。
エリドゥと同じく
市名の基になっている意味は
諸説考えられているが不確定である。
私見では、
絵文字が発見された土地であることを
第一の理由として
「言語」ないし「書き言葉」
つまり文字を表しているのが
ウヌの原語である。
※エリドゥの神殿
M.K記
連絡先:090-2485-7908
(一) バビロニアの新年祭 [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第一章 祝祭〔供犠〕の起源
(一) バビロニアの新年祭
新バビロニア時代
(紀元前六二五年~五三九年)
バビロン市で毎年行われた
新年祭での神殿における祝宴の最中
朗誦された
市の守護神マルドウク神への
賛歌を紹介する。
バビロンの『創世神話』と呼ばれる
『エヌマ・エリシュ』の
クライマックスとなる部分である。
〔マルドウクは〕後ろからついて来た
「悪風」を彼女の顔に吹きつけた。
ティアマトが彼を飲み込もうとして、
口を開いた時
彼は「悪風」を送り込み、
彼女が口を閉じられないようにした。
凶暴な風は彼女の腹に突撃したので、
彼女の体は膨張し、
彼女の口は大きく開いた。
彼が矢を放つと、
それは彼女の腹を引き裂き、
それは彼女の内臓を突き通し、
その心臓を断ち割った。
このようにして彼女を征服し、
彼は彼女の生命を断った。
彼は彼女の死体を投げ倒し、
その上にたった。
マルドゥクとティアマトの戦いの最終場面で、
この一節が朗々と轟くと周囲の聴衆から
「オウー」といった歓声が聞こえてきそうだ。
ティアマトとは塩水を意味し、
海を表すアッカド語である。
ティアマトはここでは魔物として登場する。
最後の一節はドゥルガーを圧倒した
デーヴィー女神の勝ち誇った有様と
全く同じく死体を投げ倒し、
つまり
伏せてその上に立ったという表現になっている。
インドの「デーヴィー・マハートミヤ」の
クライマックスと同じであることが
確認できる。
また、
「エヌマ・エリシュ」神話では、
マルドゥク神が
どのような理由により
バビロン市の王位を
掌握することになったかの経緯を
述べるのが主題であるが、
デーヴィー女神が他の神々によって
魔物マヒシャと戦う任務を
担わされることになったと同様、
マルドゥク神も他の神々の集会によって
魔物ティアマトと戦う任務を
与えられることになったのである。
「デーヴィー・マハートミヤ」では、
その経緯の重要性を
さほど重大なことと
解釈しているようにみえないが、
「エヌマ・エリシュ」における
マルドゥク神の場合は、
神々の集会で推薦され魔物と戦い退治して
勝利したことにより
王位に就くという決定的な
教訓が含まれており、
バビロン市が
どうしてマルドゥク神を
都市神としているかを
教宣しているのである。
ここに引いた
「エヌマ・エリシュ」の一部は
紀元前三〇〇年頃の
比較的新しい粘土板文書によるものである。
この創世神話はけっして新しくはない。
ジョン・グレイは
「現存する最古の断片は
前一千年紀のものであるが、
その神話は言語や文体から判断して
前二千年紀初頭の原本に
遡り得ることは確実である」
といっている。
前二千年紀の初頭とは
セム系民族のアッカドの人々が徐々に
西北方から葦原である
両大河の河口方面へ在り、
先住の民族と摩擦を起こしていたが、
前二三五〇年に
サルゴン大王により
遂にシュメルの諸都市を圧倒し、
彼等の帝国を成立させ、
アガデに彼等の都市を建設した頃である。
ティアマトとは
塩水の海の意であると紹介したが、
シュメルの諸都市にとっては
原初的な神々の母神
フブルの別称でもあった。
アッカドの人々の神である
マルドウク神が湿地
つまりシュメル原初的母神を
圧倒したというのは、
シュメルの諸都市を
治下に敷いたという
事跡の象徴であったのだろうか。
マルドゥクの
マル maru は息子の意、
ドゥク dug は壺の意味である。
メソポタミアでは
壺を持った神像が多く造られた。
神の壺から流れ出る水は
塩からい潮水ではなく、
淡水で甘い水である。
人々に豊饒と安らぎをもたらす
神の恵みである。
マルドゥク神はそのため
アッカド語で エア Eá 、
シュメル語のエンキ Enki 神の
息子とされる。
エンキ神は「地の神」の意であるが
水神である。
地を掘ると淡水が湧き出てくる
井戸ないし泉の神というのが
専門家の見解である。
シュメールの万神殿には三大神がおり、
「天空の神」アン An 、
「大気の神」エンリル Enlil 、そして
「水の神」であるエンキ神である。
少々混沌とするが、
シュメールの人々にとって
原初的母神と述べたフブルは
アン神の父祖神といわれる
アンシャル神とともに
もう一つ古い世代の神で
あったと考えられる。
シュメール人がこの地にやって来て
活躍したのは
紀元前三千紀である。
それ以前紀元前五千年紀に
第一の先住民が移住してきてから
二千年が経過した頃である。
第一の先住民が集落を作り、
神殿を建てた都市
エリドゥの名称もシュメール語ではない。
第一先住民の移動し定住した時期を
専門家は一般にウバイド期と呼んでいる。
※「エヌマ・エリシュ」神話
『神聖の系譜』目次1 [神聖の系譜]
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メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《目次1》
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第一章 祝祭〔供犠〕の起源
(一) バビロニアの新年祭
(二) エリドウ
第二章 メソポタミアの開明期
(一) 彩文土器
(二) 角の崇拝①②
(三) 埋葬儀礼
(四) 埋葬儀礼と牛頭
(五) 野牛狩と牛屠殺技法
(六) 牛頭崇拝とハフリ
(七) 牛頭崇拝と角
第三章 高床式神殿
(一) 地名「アルパチヤ」
(二) 高床式建物と神殿
(三) 高床式神殿と「高み」
(四) 高床式神殿の祭神
(1) 豊饒神
(2) 水神
(3) 創造主
(五) 太陽神
第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕第一章 祝祭〔供犠〕の起源 [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第一章 祝祭〔供犠〕の起源》
メソポタミアとは「二つの川の中央」を
意味するギリシャ語を地方名としたものである。
古代メソポタミア文明は
現在のイラクとシリア、トルコ、イランの
地籍の一部を含んで発展拡大した文明である。
イラク国ではペルシャ湾に近い地方を
シュメール、その北をアッカド、
その北方のバクダドを中心とする地帯を
バビロニア、
そのまた
北方シリア・トルコ・イランの国境に
挟まれたモスールを中心とする地帯を
アッシリアと呼んでいる。
歴史的時代区分の呼称もこの地方名の
南からの序列で呼ばれてきたのである。
シュメール前代は
紀元前六千年代から始まっているが、
南部において
シュメール人の都市国家文化が興隆化したのは
紀元前三千年代、
アッカド時代は二三五〇年から、
バビロン王朝の時代は
紀元前一八三〇年からとされている。
一方北方ではスバル人がシュメール前代より
勢力を持っていたと考えられるが、
紀元前二千年頃からアッカドの勢力と
スバル人の一部が混合して
古アッシリアが勢力を拡大し始める。
アッシリアは、古アッシリア、中期アッシリア、
新アッシリアと三回にわたり
メソポタミア中原に覇を唱えた。
この間栄枯盛衰は激しいものがあったが、
紀元前五三九年に新バビロニアが
イランのスーサから興った
ペルシャ帝国によって滅亡させられて、
メソポタミアの古代文明の時代は
終わりとなった。
古代日本へ渡来した人々の系譜
※古代日本へ渡来した人々の系譜
※紀元前2千年紀
神聖の系譜:あとがき [神聖の系譜]
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《あとがき》
本書は、研究及び記述の理解を容易に
また効率よくするため、
参照した資料名は本文中に記載する方針で
進めてきました。
しかし、
記述できなかった資料もまだありますし、
参考資料でも再確認していただいた方が
よいのもありますので、
それらを整理しここに記載することにします。
一、Zei chenliste der Archaishen Uruk
[Green und Hasns J.Nissen von unter
Mitarbeit Peter und K.Engund]
gebr.Mann Verg,Berlin
一、Hur rians and Subarians,Ignace F.Gelb,
The Oriental institute of the University
of Chicago,Studies in Ancient Oriental
Civilization No 22,The University
of Chicago Press,Chicago Illinois
一、The Comparative Arecheology of Early
Mesopotamia,Aun Louise Penkins,
The Oriental institute of the University
of Chicago,Studies in Ancient Oriental
Civilization No 25,The University?
of Chicago Press,Chicago Illinois
一、Peoples of Old Testament Times,
D.T.Wiseman
for The Society for Old Testament Study,
Oxford at the Clarendon Press
一、IRAQ Vol XLII PART 2,Autumn 1980
一、The Cambridge Ancient History,
Cambridge University Press,Cambridge
一、古代のメソポタミア
〔図説世界文化地理大百科〕
Cultural Atlas of Mesopotamia and?
the Ancient Near East.
マイケル・ローフ著、松谷敏雄監訳、朝倉書店
一、シュメール人の言語・文化・生活 飯島紀、集英社
一、The Oxford English-Hebrew Dictionary,
The Oxford Center for Hrbrew and Jewish
Studies,Oxford,New York,
Oxford University Press
一、現代ヘブライ語辞典、キリスト聖書塾
一、全国神社名鑑、日本神社本庁
一、角川日本地名大辞典、角川書店
一、日本歴史地名大系、平凡社
本書の原稿は2016年の中頃には整理を終え
ほぼ完成していたが、出版については
あまり積極的な行動をしていなかった。
歴史学講座「創世」にご参加の方々には
目次を公開してお知らせしていたところ、
皆様から出版への期待が高まってきて、
その中のお一人
金原政敏
さんが身を乗り出しこられ、
是非出版すべきだと助力を申し出られた。
結局のところその他にも源川昇さん、
宮崎茂さん、櫛田幸弘さん、吉本舜一さん、
小松洋一さんなどが支援下さり、
出版を支援下さり、
出版を実現する運びとなった。
誠に講座参加の方々には感謝ばかりです。
※金原政敏:プロローグ
さて最後になりましたが、本書の出版を
負って下さいました創英社のみなさんにも
お礼申し上げます。
作業の展開は極めて平凡な羅列の連続で
文章の単調さに耐えて
編集していかなければならず、
その忍耐に感謝します。
担当していただいたみなさんのお陰で、
わたしたちの本が若々しく華やいで、
春のように生き生きとしてきました。
これは明石千尋さん初め関係された方々の
心の表れと嬉しく思っています。
本書が日本ばかりでなく世界の歴史を
解釈する上で役に立ち、
多くの方々の目に留まれば
幸いこの上ありません。
最後に本書に沢山の時間を費やされた
読者の皆様にお礼を申し上げます。
「さよ(い)なら」
SYN-NIL,siyui-nalla
〔加護ー崇高な〕「聖なるもの」
(神)のご加護(がありますように)
<英語 The divine Protection>
小嶋 秋彦(こじま あきひこ)
1946年 長野県生まれ
早稲田大学文学部卒業
東邦生命保険相互会社
財団法人海外技術者研修協会勤務
1988年より歴史研究に専念
1999年から2年「創世紀」執筆
2002年8月 歴史学講座「創世」開講
〔草加市(古代史)〕
2006年8月 「再成塾」開講
〔草加市(近世史・近代史)〕
2006年10月 歴史学講座「創世」うらわ塾
〔現さいたま塾〕開講
2009年2月 歴史学講座「創世」葛飾塾開講
〔松戸市〕
2012年2月 「さいたま再成塾」開講
〔さいたま市〕
2017年5月 歴史学講座「創世」狭山塾開講
〔狭山市〕
※2014年12月25日 初版出版
「日本創世記:倭人の来歴と
邪馬台国の時代」出版
※2019年7月8日 初版出版
「神聖の系譜:メソポタミア
〔シュメール〕ヘブライ
そして日本の古代史」
著者 小嶋秋彦
発行・発売 創英社/三省堂書店
〒101-0051
東京都千代田区神田神保町1-1
℡:03-3291-2295 Fax:03-3292-7687
制作 プロスパー企画
印刷/製本 藤原印刷
#57934;Akihiko Kojima 2019 Printed in Japan
ISBN978-4-86659-074-5 C0020
※「神聖の系譜」後の計画として、
以下の著書を小嶋秋彦氏が出版するよう
計画を進めており、
すでに原稿著述を始めております。
一、日本社会の基盤となっているヘブライ文化
一、「漢」という羊飼いの国「中国」
一、水稲作の発祥と伝播〔シナと日本〕
一、中臣氏の来歴と春日大社
神聖の系譜:まえがき [神聖の系譜]
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「神聖の系譜」出版協力のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《まえがき》
日本の神社の祖地は
メソポタミアであった。
<神に犠牲を献げる〔供犠〕文化を知らな
世界の古代史は解らない>
この本を手に取って下さって”ありがとう”
all-gado〔神-偉大な〕
「大いなる神(に感謝を)」
エルサレムを退避した
創英社/三省堂書店
「神聖の系譜」
メソポタミア[シュメール]
ヘブライ&日本の古代史
まえがき
「日本の古代史には
謎が多く秘められています。
特に5世紀以前の歴史には
それが顕著です。
当講座は
そのような不明のままになっている謎を
『記・紀』などの日本の古代史料は元より、
中国、インド、メソポタミア、
ギリシャなどの古代史料を参照しつつ
解明すべく挑戦しております。
よって当講座は
古代の秘密のヴェールを切り裂く
独特の研究成果となっております」。
これは平成十四年に歴史を学講座「創世」を
開始して以来、
月々の案内書に記述している慣用句です。
本書の状況も全くこれに同じです。
当「神聖の系譜」は必然上記の
中国、インド、メソポタミア、ギリシャなどの
古代史料を丁寧に研究した結果として
知り得た内容を基礎に
日本を取り巻く古代史について
整理したものです。
著者が最も嫌うのは「語呂合わせ」です。
それは多くの歴史解釈の上に弊害を
もたらしています。
その害を除くためには関連事項の「系譜」を
正確にして明白に弁明しなければなりません。
それぞれの事項の背景を説明できなければ
ならないのはも当然です。
本書は誠に地道な作業を繰り返して
一般の方々に
公開できる段階に至っているのです。
用語によって現代と古代では
概念が異なっている例が多くあります。
日本の事情からいうと、
七世紀天武天皇がすべての「記述」は
漢字に統一するとの勅命を出してしまったため、
かなりの混乱を
平安時代に至るまで来しています。
ここでは例を挙げるのはよしますが、
あの『古事記』さえ、
その序文の中に
「華夏」だの「周王」などあることからすると、
編者太安万侶等がシナの
『史記』などを読んでいて、
その影響に書き上げられたものとみられます。
日本の史料がそんな状況下で作成されたことを、
二十一世紀の今日では認識すべきでしよう。
さて、
本書の「神聖」について辞書の「言辞林」は
「①けがれなく尊いこと。
清らかで冒しがたいこと。
またそのさま」と記している。
それから例として歴史上の事項であった
「神聖同盟」を上げ
「ウィーン会議直後の一八一五年九月、
ロシア皇帝アレクサンドロス一世の
提唱により結成された列国君主の同盟。
キリスト教の友愛と正義の精神で
平和維持をはかることを誓約」
と説明している。
また「神聖ローマ帝国」の例も略記している。
この解説からすると西欧のキリスト教の人々の
精神を表わすように思われてしまう。
そこで「神聖」の漢字の発祥についてみる。
まず、諸橋轍次の「大漢和辞典」にもあるが、
「聖」字について
白川静の「字通」や「字統」に詳しい。
彼の解説によると同字の本字は「聖」字で、
その概念は
「祝祷して祈り、
耳をすませて神の応答するところ、
啓示するところを聴くことを示す」とある。
ここでいう「祝祷(しゅくとう)」とは
広辞苑がいうような
「キリスト教で牧師が礼拝式の終わりに
会衆のためにする祈?」などではない。
どうも日本の現代文化は
キリスト教に大分影響されすぎている。
白川静がひく「祝祷」とは祝祭を以って
神に祈祷、つまり供犠することを指す。
そして従順に
「神の応答するところ、啓示するところを聴き」
その啓示の意義の通り行動することを
祈った者は求められるのである。
聖字内にある「口」は「入れ物:器」を示し、
祝祭のための生贄(いけにえ)を
台の上にそなえることを意味する。
「神聖」も同じことで、
「聖」により神に対する祈?であるとの内容を
具体的に表現したものとなる。
「聖」字が甲骨文字から始まったのであるから、
シナの古代において祝祭が行われていた
証明となっているわけである。
漢字のうち最も「祝祭」を表わすものは
「商」で、
分解した解説は除けるが白川静によると、
神の前に台を置いてその台上に
いけにえを献げるとの作りである。
「口」は「口のある動物」によるので、
この際の「いけにえ」は
羊、牛、豚などの動物であった。
商王朝〔殷〕は一般の人々から
祈祷をする宗教行為を取り上げ禁止し、
王〔皇帝〕の独占とした。
そしてまた羊飼いである「羌族」という
人間までも犠牲にした。
多くの甲骨に何人犠牲にしたらよいかとの
「占い」の問いかけが書かれて残っている。
そのために、羌族の中心人物であった
呂尚〔太公望〕は周の王であった文王と結託して
商王朝を滅ぼしたのである。
彼が川で釣のついていない糸を
垂らしていたなどの
伝承は後から付け加えられた
挿話にしかすぎない。
ところでこのシナの古代における祝祭は
メソポタミアからもたらされた祭儀で、
紀元前三千年からもう始められていた。
商などシナの黄河文化は
紀元前二千年頃からである。
祝祭が大きな役目を果たしていた地域として
インドについても
若干説明しておかなければならない。
その祭儀はアーリア人によって展開されたが、
彼等がヒンズークシ山脈を越えて
インドアジア大陸へ進出し始めたのは
紀元前一五〇〇年頃で、
メソポタミアの近くから牛飼いを集団として
千年位かけて南下してきた。
そして
紀元前八〇〇年頃にバラモン教を成立させた。
この宗教は祝祭を行う信仰であった。
同教の第一の聖典はリグ・ヴェータで
紀元前二〇〇〇年頃から始まり、
インドへの進入の際にはインドラ神を中心とする
東征の勢力として描かれている。
このヴェータ類を信奉する人々を
バラモンという。
本来は祭官だけだったが、
ヴェータの諸神を信奉し祝祭を行なう者を含めて
バラモンというようになった。
バラモン教の祝儀には牛の生贄も含まれていて、
後のヒンズー教とはその信仰には違いがある。
この信仰もメソポタミアから伝承されたもので
メソポタミアの文化の影響したものであった。
そして、
本書が主に対象とするのがヘブライ文化で、
また日本文化である。
一般に「ヘブライ」というが、
本来は IBR で IBRY はヘブライ人である。
「ヘブライ」は HIBRY
〔H-IBRY, の-イブル人〕で
「ヘブライ人の」と解釈されるのが
イブル語の語義である。
彼等もまた「供犠の人々」であった。
詳説は本編の中で行なうが、
その素地はメソポタミアの
「シュメール」であった。
そして最後に日本であるが、
全国的に広がって鎮座している神社では
二十一世紀の今日でも、
神に対する奉献を日々欠かさず行っている。
その教義の物品
動物など生き物〔宍〕ではないが、
その本質はメソポタミアに発祥したものである。
この「供犠」の文化を系統的にあるいは
系譜立てご説明申し上げるのが
本書の目的となっている。
本書を全般に亘って目通しするのは
かなり忍耐が要ると思います。
この本に対処しようと決意下さった皆様方には
まず本心からお礼を申し上げたいと思います。
「ありがとう」
ALH-GDY, ali-gadol
〔神-偉大な〕
「大いなる神」に感謝を。
古代日本へ渡来した人々の系譜
M.K記
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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《目次》

第一部 神聖の始まり〔メソポタミア〕
第一章 祝祭〔供犠〕の起源
(一) バビロニアの新年祭
(二) エリドウ
第二章 メソポタミアの開明期
(一) 彩文土器
(二) 角の崇拝
(三) 埋葬儀礼
(四) 埋葬儀礼と牛頭
(五) 野牛狩と牛屠殺技法
(六) 牛頭崇拝とハフリ
(七) 牛頭崇拝と角
第三章 高床式神殿
(一) 地名「アルパチヤ」
(二) 高床式建物と神殿
(三) 高床式神殿と「高み」
(四) 高床式神殿の祭神
(1) 豊饒神
(2) 水神
(3) 創造主
(五) 太陽神
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
(一) エデンと流れ出る川
(1) エデンの園
(2) ピソン川
(3) ギホン川
(二) ノアの系譜
(1) ヤペテの子孫
(2) ハムの子孫
(3) セムの子孫
(a) アルペチクサド
(b) ペレグ
(三) アブラムとアブラハム
(四) 祝祭の民
イブル〔ヘブライ〕と〔ハブール〕
(五) 洪水伝説と祝祭
(六) イブル〔ヘブライ〕の神「主」と祝祭
第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
(一) 旧約聖書「創世記」の神「主」ALHYM
(二) 旧約聖書「創世記」における「主」
YHVH 名の初出とその原義
(三) イブル〔ヘブライ〕の神を
何故「主」というのか〔ADNYの背景〕
(四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈
(五) YHVH 名の他の言語による考察
(六) YHVH 神の祖像
〔メソポタミアの物語との関係〕
第三章 旧約聖書「出エジプト記」とモーセ
(一) モーセの信仰
(1) モーセの伝承
(2) モーセ一人エジプトを脱出する
(a) ミディアンの地と祭司一族
(b) モーセの「主」との解逅
(c) 「主」の神性:
自己紹介名「有りて有る者」
(二) モーセと「水」
(1) 「主」の行う水支配の神威
(2) イブル人の「主」の聖名?
YY〔yeya〕
(3) モーセの系譜とその語義
第四章 モーセと「十戒石」
(一) シナイ山における主の「十戒」告知
(二) 主の十戒石
〔あかしの二枚の石板〕の授与
(三) 粛正と「十戒石」の
再授与〔モーセが書いた〕
(四) 「出エジプト記」で述べられた
十戒石の奉祭仕法
(五) モーセ〔レビ族〕の死と埋葬地
第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
第一章 旧約聖書のイブル人部族化
(一) イブル人の部族化と十二部族
(二) イブルの十二部族の嗣業の地
〔カナン〕への変化
(三) レビ族の役務と定住
(四) イブライ王国の南北分裂
〔ユダ王国(南)とイスラエル王国(北)〕
(五) 「ヨシュア記」の
ガド族・マナセ族・ルベン族の築いた
祭壇と「証拠」
第二章 失われたイスラエルの十支族の流浪
(一) イスラエル十支族のアッシリアによる
強制移住〔捕囚〕メディアへ
(二) メディアから安定へ
〔エズラ書のアルザレと「パリサイ」〕
(三) 月氏〔大月氏〕とシルクロード
(四) クシャン王朝と絹貿易
(五) パルチアの台頭と強力化
(六) 海洋交易商人へ〔アラビア海方面に南下〕
(七) 小月氏
第三章 イブル人の極東への遷征
(一) イブライ王国ソロモン王の海洋交易船団
(二) 旧約聖書「イザヤ書」の
「地の果ての島々」
(a) 「地の果て」と「島々」
(b) 海に満ちる者
(三) 韓半島の「月支国」及び
「クダラ」「シラギ」
(四) 魏志倭人伝の伊都国の背景
〔イトの語義と由来〕
第四部 「十戒石」をイスラエル人は
日本へ移転させた
第一章 祭壇事件とヨシュアの説示
(一) 「ヨシュア記」のガド族・マナセ
ルベン族の「祭壇」事件
第二章 日本に奉祭されているイスラエルの神
(一) 大国主(大己貴)神と少名毘古那(少彦名)神
第三章 「十戒石」の九州南部から
伊都国〔北九州〕への移動
第四章 山口県日本海沿岸へ
第五章 石見国〔島根県〕
第六章 出雲国〔島根県〕の出雲大社・佐太神社
第七章 物部神社と気多神社
〔兵庫県、京都府の日本海岸〕
第八章 北陸の秘密
〔福井県、石川県の石部神社〕
第九章 富山湾岸〔富山県〕
第十章 新潟県における「十戒石」の移動
第十一章 秘匿
第五部 イブル・ユダ王国に奉祭された
「十戒石」の運命
第一章 エルサレムへの安置
(一) エルサレムへの運び上げ
(二) ダビデ王の神殿建設準備
(三) ソロモン王の奉祭〔神殿建設〕
(四) ユダ王国の滅亡と
ユダ族のバビロンへの捕囚
(五) バビロン捕囚の終焉
(六) エルサレムの第二神殿の建設
(七) バビロン捕囚を逃れたユダ王国の人々
(八) 神の箱〔十戒石〕は行方不明となった
(九) 神の箱〔十戒石〕は
ユダ王国の祭司〔レビ族〕と
ユダ王国王家〔ユダ族〕によって
秘匿された
第二章 神の箱〔十戒石〕の
エルサレムからの退避行
(一) 紅海を南下してジプチへ
(二) 極東へ運ばれた神の箱
第六部 神の箱の日本列島到着後の遍歴
第一章 南九州から太平洋岸を北上した
「十戒石」を乗せた船
(一) 大隅国囎於郡・肝属郡
(二) 日向国那賀郡
(三) 紀伊国海部郡粟島神社、加太神社
(四) 常陸国葦浦、堀出神社、酒列磯前神社
(五) 宮城町、気仙郡石巻、女川、
大船渡〔宮城県〕
(六) 道後と陸奥
(七) 陸の国〔岩手県〕
(八) 「北」〔岩手県・青森県〕
(九) 十勝・足寄(陸別)〔北海道〕
(十) 常呂・北見・佐呂間〔北海道〕
第二章 神の箱の佐呂間からの逃避
(一) 東北地方に大地震頻発〔秋田地震〕
(二) 佐呂間からの海路脱出
(三) 大洗〔茨城県〕への到着
第三章 大洗磯前神社
(一) 阿字ヶ浦〔葦浦〕の由来
(二) 大洗磯前神社〔東茨城郡大洗町磯浜町〕
(三) 「常道」と「常陸」の由来
(四) 「ヒタチ」の由来
(五) 「延喜式」神名帳の「薬師菩薩神社」
(六) 淡島神社・疱瘡神社・鷺森神社
(七) 大地震と大洗町
第四章 タベ文化圏〔常陸・陸奥・出羽〕
(一) 言葉「タベ」「ダッぺ」
(二) 地名の由来(まとめ)
(三) モーセ信仰の神社
第七部 神域
第一章 イブル人は供義を終焉させた
第二章 神域
第三章 「聖地」
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『地中海・ヨーロッパ』 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『地中海・ヨーロッパ』
「ギリシャ神話」呉茂一
1995年 岩波書店
岩波文庫33-405「歴史」ヘロトドス
松平千秋訳 1995年 岩波書店
岩波文110-1「ギリシャ神話」アポロドース
高津春繁訳 1996年 岩波書店
ちくま学芸文庫
「神話学入門・ギリシャの神々」
ジェーン・E・ハリソン
船木裕訳 1994年 筑摩書房
岩波文庫5137-5139「イーリアス」ホメロス
呉茂一訳 昭和42年 岩波書店
岩波文庫407-1「ガリア戦記」カエサル
近山金次訳 1988年 岩波書店
「世界の歴史4ギリシャ」
村田数之亮・衣笠茂
1989年 河出書房新社
「アナバシス」
松平千秋訳 1985年 筑摩書房
「世界の歴史3」
ギリシャ・ローマの栄光
昭和59年 講談社
大英博物館双書
「線文字B-古代地中海の諸文字」
ジョン・チャドウイック
細井敦子訳 1996年 学芸書林
「ローマ皇帝の使者中国に至る」
ジャン=ノエル・ノベール著
伊藤晃・森永公子共訳
1996年 大修館書店
「紀行モロッコ史」 那谷敏郎
1984年 新潮社
「ギリシア・ローマ神話図詳事典」
水之江有一 1994年 北星堂書店
図説世界文化地理大百科
「古代のギリシア」
ピーター・レ-ヴィ
平田寛監修・小林雅夫訳
1984年 朝倉書店
「ローマ都市の起源」
イェシュタード 朝香正訳
1983年 みすず書房
「アフリカを知る事典」
監修:伊谷純一郎 1989年 平凡社
「エーゲ文明への道-
シュリーマンとエヴァンズの発掘物語」
レオナード・コットレル著
幕田愛訳 前田耕作監修
1992年 原書房
「古代クレタ文明-エーゲ文明の謎」
ハンス・パルス 関楠生・小川超訳
1981年 祐学社
「スペインハンドブック」原誠編
1982年 三省堂
「スペイン:歴史と文化」
ヘンリー・カメン 丹羽光男訳
東海大学出版会
世界の大遺跡5
「エーゲ海とギリシアの文明」
三浦一郎編著 江上波夫監修
1990年 講談社
「クレタ文明讃歌」加藤静雄
平成8年 サンエイジング
「バスク人」ジャック・アリエール
萩生生訳 1992年 白水社
「迷宮のミノア文明」
ルイズ・スティール
1998年 主婦と生活社
「ローマ都市の起源」
エイナール・イシュタード
朝香正訳 1983年 みすず書房
<ヨーロッパ>
ブリタニカ叢書
「ゲルマン人の神々」
ジョジュル・デュメジル
吉田敦彦訳・松村一男訳
1980年 ブリタニカ
「ヴァンダル興亡史」
松谷健二 1995年 白水社
「原始ゲルマン人の秘密」
S・フィシャー=ファビアン
片岡哲史訳
1981年 佑学社
世界各国史4「ロシア史(新版)」
岩間徹編 山川出版社
「新編西洋史辞典」
京大西洋史辞典編纂会
平成5年 東京創元社
「ケルト神話」
プロインシァス・マッカーナ
松田幸雄訳 1996年 青土社
「西洋の歴史(古代・中世編)」
山本茂・藤縄謙三・早川吉弥・
野口洋二・鈴木利章編
ミネルヴァ書房
「ロシア・ソ連を知る事典」
監修川端香男里・佐藤明・
中村喜和・和田春樹
平凡社
「スイス 歴史から現代へ」
森田公一 1980年 刀水社
「ハザール謎の帝国」
S.A.プリエート二ェヴァ
城田俊訳 新潮社
図説「ケルトの歴史」
鶴岡真弓・松村一男
1999年 河出書房
「ケルト人」
ゲルハルト・ヘルム
関楠生訳
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『メソポタミア・地中海東岸』② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『メソポタミア・地中海東岸』②
Ismail Hijara et.al「Arpachiyah 1976」
Iraq vol.XLⅡ part2、1980.
The Holy Bible containing
the Old and New Testament,
set forth in 1611 and
commonly known
as The King James Version,
American Bible Socity, New York.
THE BIBLE containing
the Old and New Testament
revised standard version,
revised A.D.1881-1885 and
revised A.D.1901
compared with the most ancient authorities
and revised A.D.1952,
second edition of the New Testament A.D.1971,
American Bible Socity, New York.
The Holy BIBLE containing
the Old and New Testament
new revised standard version,
Oxford University Press.
Holy Bible from Ancient Eastern Text,
George M. Lama's Translations
From Aramaic of the Peshitta.
Die Bibel in Heutigen Deutsh.
1982, Deutche Bibelge sellshaft
Heilige Schrift des Alten und
des Neuen Testament, Privilegere,
Württembergishe Bibelanstartt,
Stuttgart, Deutsh.
Evangelical Comontary on the Bible
edited by Walter A.Elwell, 1989,
Baker Book House, Grand Rapids,
Michigan 49516.
The New Jerome Biblical Commentary
edited bt Raympnd E.Broown, SS,
Fitzmyer,S.J., Roland E.Murphy, O Carm.
1990, Prentice Hall, Englewood Cliffs,
New Jersey 07632.
The Anchor Bible GENESIS, introduction,
translation, and notes by E.A.Speisen,
Doubleday & Company, Inc.,
Garden City, New York, 1987.
Studies in Biblical and semitic Symbolism
by Maurice H.Parbridge, N.A.,
the Library ofBiblical Studies
edited by Harry M.Orlinsky,
Ktav Publishing House, Inc.,
New York 1970.
The Cambridge Ancient History,
Volumue Ⅰ Part1,
Prolegomena and Prehistory
editied by
I.E.S Edwards F.B.A.,
the late C.J. Gadsd F.B.A.,
N.G. Hammond,
Cambridge University Press,
Cambridge, London 1970.
The Cambridge Ancient History,
Volumue Ⅰ Part2,
Early History of the Middle East
editied by
I.E.S Edwards F.B.A.,
the late C.J. Gadsd F.B.A.,
N.G. Hammond,
Cambridge University Press,
Cambridge, London 1970.
Archaeological History
of the Ancient Middle East,
Jack Finegan,
Dorest Press, New York, USA, 1986.
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『メソポタミア・地中海東岸』① [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『メソポタミア・地中海東岸』①
「聖書」日本聖書協会
➀1955年版改訳 ②新共同訳1987年
「聖書の世界」総解説 1992年 自由国民社
「驚くべき旧約聖書の事実」竹内均 1991年 同文書院
「メソポタミアの神話」
ヘンリエッタ・マコール著 青木薫訳 平成6年 丸善
「旧約聖書の世界」高橋正男 1990年 時事通信社
「オリエント神話」ジョン・グレイ 森雅子訳 1993年 青土社
「シュメル文明-古代メソポタミア文明の源流」
ヘルムト・ウーリッヒ 戸叶勝也訳 1988年 佑学社
「ヒッタイト帝国-消えた古代民族の謎」
ヨハネス・レーマン 内野隆司・戸叶勝也訳 1984年 佑学社
「フェニキア人-古代海洋民族の謎」
ゲルハルト・ヘルム 関楠生訳 1985年 河出書房新書
「レバノン杉のたどった道」金子史郎 1990年 原書房
「ペルシャ湾」横山三四郎/新潮選書 1989年 新潮社
「トルコ歴史紀行-小アジアの回廊」 ダンカン・フォーブス著
月村澄枝訳 1992年 心交社
「エジプト神話」ヴェロニカ・イオンズ酒井傳六訳 1988年 青土社
「新アルメニア史」佐藤信夫 1988年 泰流社
「トルコ・アイルランド」 朝日旅の百科・海外編9
昭和55年 朝日新聞社
「シリア/レバノン/イスラエル/ヨルダン」
朝日旅の百科・海外編19 昭和56年 朝日新聞社
図説世界文化地理大百科
「古代のメソポタミア」 マイケル・ローフ
松谷敏雄監訳 1994年 朝倉書店
図説世界の考古学2 「古代オリエントの世界」
監修江上波夫 昭和59年 福武書店
「鉄を生みだした帝国-ヒッタイト発掘」
大村幸弘 昭和56年 日本放送出版協会
民族の世界史11 「アフロアジアの民族と文化」
矢島文夫編 山川出版社
人類史叢書6 「オリエント古代文明の源流」
増田精一 1986年 六興出版
「メソポタミア文明」
ジャン・ポッテロ/マリ=ジョセフ・ステーヴ
監修者矢島文夫 訳者高野優 1994年 創元社
「地中海都市の興亡-アンティオキア千年の歴史」
G:ダウニー 小川秀雄訳 昭和61年 新潮社
世界各国史11「西アジア史(新版)」
編著前嶋信次 昭和55年 山川出版社
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%84%E5%9B%BD%E5%8F%B211%E3%80%8C%E8%A5%BF%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%8F%B2(%E6%96%B0%E7%89%88)%E3%80%8D&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=-1&oq=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%84%E5%9B%BD%E5%8F%B211%E3%80%8C%E8%A5%BF%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%8F%B2%28%E6%96%B0%E7%89%88%29%E3%80%8D&ai=Fm2CR_ZBQxW2T6MT3T18PA&ts=1411&fr=top_ga1_sa
「旧約聖書神学事典」東京神学大学神学会
1983年 教文館
「聖書考古学序説」ロナルド・ハーカー
杉勇訳 学生社
「バビロニア」ジャン・ボッテロ
松本健監修 南條郁子訳 1996年 創元社
「メソポタミア-文字・理性・神々」
松島英子訳 1998年 法政大学出版局
「世界の歴史/古代のオリエント」
杉勇 昭和52年 講談社
岩波講座 「世界歴史/古代のオリエント・地中海世界Ⅰ」
1969年 岩波書店
「世界の歴史/古代文明の発見」貝塚茂樹編
昭和57年 中央公論社
「<世界の歴史1>
人類の起こりと古代オリエント」
大貫良夫・前川和也・渡辺和子・屋形禎亮
1998年 中央公論社
「神の伝説」ジャック・マイルズ 秦剛平訳 青土社
世界の大遺跡3「地中海アジアの古都」
小川英雄編著 江上波夫監修 1990年 講談社
世界の大遺跡4「メソポタミアとペルシャ」
増精一編著 江上波夫監修 1990年 講談社
「古代オリエントの神話と思想-哲学以前」
H.フランクフォート、H.A.フランクフォート、
ジョンA.ウィルソン、トーキルド・ヤコブセン
山室静・田中明訳 1997年 社会思想社
岩波新書655「人種とは何か」寺田和夫
1974年 岩波書店
岩波文庫「古代ユダヤ教」
マックス・ウェーバー
内田芳明訳 1996年 岩波書店
「旧約聖書」
1997年 岩波書房
図説世界文化地理大百科
「新聖書地図」ジャーン・ロジャーソン
三笠宮崇仁監修 1988年 朝倉書店
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『インド・南亜大陸』② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『インド・南亜大陸』②
「バガバーッド・ギータ」
スワミ・プラバヴァーナンダ、
クリストファ・イシャウッド共編
熊沢教真訳 昭和52年 ヴェーダンタ文庫
「インド神話伝説辞典」菅沼晃編 昭和60年 東京堂出版
「インドの旅」藤田弘基・茂市久美子 昭和63年 ぎょうせい
「夢か、マハラジャ」内山澄夫 1988年 朝日新聞社
カタログ「インド古代彫刻展」
東京国立博物館・京都国立博物館・
日本経済新聞社 1984年 日本経済新聞社
「古代インドの王権と宗教-王とバラモン」 山崎元一 1994年 刀水書房
民族の世界史7「インド世界の歴史像」
辛島昇編 1988年 山川出版社
日本新書395「日本語以前」大野晋 1987年 岩波新書
「不思議の国インド」紅山雪夫 1995年 トラベルジャーナル
「神秘のインド大紀行」
N.H.K取材班・岡田正大
平成3年 日本放送出版会
世界各国史10「インド史」編著山本達郎
昭和56年 山川出版
講座東洋思想第1巻「インド思想」
責任編集 宇野精一・中村元・玉城康四郎
1982年 東京大学出版会
東洋文庫553
「ニーテイサラ-古典インドの政略論」
カアーマンダギ 上村勝昭訳 1992年 平凡社
東洋文庫637・638
「古代インドの言語哲学-ブラフマンとことば」
ベルトハリ 約注 赤松明彦 1998年 平凡社
「世界の歴史4巻 唐とインド」 塚本善隆編 昭和51年 中央公論社
「世界の歴史5巻 ガンジス文明」 中村元 昭和54年 講談社
「ヒンドゥー教」
二ロッド.C.チョウドリ 森本達オ雄訳 みすず書房
「アシャカ王とその時代」
山崎元一 1982年 春秋社
「アーリアとは何か」
津田元一郎 人文書院
世界古典文学全集 「ヴェーダ・アラヴェスター」
辻直四郎編 昭和42年 筑摩書房
Culture and Kulture Race-Origins,
H.Bruce Hannah,
1919,Culcutta University.
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『インド・南亜大陸』① [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『インド・南亜大陸』①
中村元選集「インド古代史上下」
中村元 昭和53年 春秋社
中村元選集「ヴェーダンタ思想の展開」
中村元 春秋社
中村元選集9巻「東西文化の交流」
中村元 昭和53年 春秋社
中村元選集10巻「インド思想の諸問題」
中村元 昭和56年 春秋社
中村元選集16巻
「インドとギリシャとの思想交流」
中村元 昭和54年 春秋社
東洋文庫「ミリンダ王の問い(全3巻)」
中村元 昭和38・39年 平凡社
「リグ・ヴェーダ讃歌」辻直四郎訳 岩波文庫
「アタルヴァ・ヴェーダ讃歌」-古代インドの呪法-
辻直四郎訳 岩波文庫
「ウパニシャッド」辻直四郎 岩波文庫
「世界の名著1バラモン教典原始仏典」
責任編集:長尾雅人 昭和50年 中央公論社
「古代インドの歴史」R.S.シャルマ
山崎利男・山崎元一訳
1985年 山川出版社
「インド神話」上村勝彦 1991年 東京書籍
「インド神話」ヴェロニカ・イオンズ
酒井傳六訳 1990年 青土社
「ガンダーラから正倉院へ」田辺勝美
1988年 同門舎出版
「インド民衆の文化誌」小西正捷
1986年 法政大学出版局
「インドの民族宗教」斎藤昭俊
昭和59年 吉川弘文館
「インド考古学の新発見」B.K.タパール
小西正捷・小磯学訳 1990年 雄山閣出版
岩波新書619
「インドの曙-ヴェーダとウパニシャッド」
辻直四郎 1971年 岩波書店
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『東南アジア・中央アジア』 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『東南アジア・中央アジア』
「もっと知りたいタイ」
綾部恒雄・永積昭編 平成3年 弘文堂
「もっと知りたいベトナム」
桜井由躬雄 平成3年 弘文堂
新書東洋史(7)「東南アジアの歴史」
永積昭 昭和52年 講談社
地球の歩き方93「ベトナム」
1994年 ビッグ・ダイヤモンド社
東洋文庫「黄色い葉の精霊」
訳 大林太良 昭和43年 平凡社
「倭族から日本人へ」
鳥越憲三郎 昭和60年 弘文堂
「世界の歴史14インドシナ文明の世界」
石井光雄 講談社
<中央アジア>
「アレクサンダー大王-未完の世界帝国」
ピエール・ブリアン著
桜井万理子監修 1991年 創元社
「バクトリア王国の興亡」
前田耕作 1992年 第三文明社
「シルクロード鉄物語」
窪田蔵郎 1995年 雄山閣出版
「シルクロードを掘る」
樋口隆康 朝日カルチャーVブックス
シルクロードの考古学(2)「西域紀行」
樋口隆康 昭和61年 法蔵館
https://search.yahoo.co.jp/image/search?ei=UTF-8&p=%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E8%80%83%E5%8F%A4%E5%AD%A6(%EF%BC%92)%E3%80%8C%E8%A5%BF%E5%9F%9F%E7%B4%80%E8%A1%8C%E3%80%8D+%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E9%9A%86%E5%BA%B7+%E6%98%AD%E5%92%8C61%E5%B9%B4+%E6%B3%95%E8%94%B5%E9%A4%A8#mode%3Ddetail%26index%3D0%26st%3D0
「敦煌-砂漠の大画廊」
井上靖 NHK取材班
昭和55年 日本放送出版会
世界の歴史12巻
「中央アジアの遊牧民族」
岩村忍 昭和52年 講談社
「大月氏-中央アジアに謎の民族を尋ねて」
小谷仲雄 1999年 東方書店
「エルミタージュ美術館4
スキタイとシルクロードの文化」
五十寛之 NHK取材班編著
1989年 日本放送出版協会
「シルクロードの黄金遺宝
-シバルガン王墓発掘記」
V.I.サリアニディ著 加藤九祚訳
1988年 岩波書店
「アルバム-シルクロード考古学」
樋口隆康 昭和61年 法蔵館
「シルクロード物語」
松本和夫 1981年 論創社
東洋文庫545
「西域文明史概論・西域文化史」
羽田亨 1992年 平凡社
『創世記・参考資料』歴史資料:参考資料『中国・韓半島』② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《『創世記・参考資料』&あとがき》
歴史資料:『中国・韓半島』
「韓国神話」金両基 1995年 青土社
「謎の西南シルクロード」
鄭延良、王矛・王敏編 1994年 慶友社
岩波新書324「朝鮮」金達寿 昭和47年 岩波書店
歴史・美術ガイド「韓国の史を歩く」金両基 昭和63年 みずうみ書房
「韓国の古代遺跡1新羅篇(慶州)」
監修 森浩一 編著 東潮・田中俊昭
昭和63年 中央公論社
朝日選書「中国の少数も民族地帯ゆく」鳥居瀧蔵 朝日新聞社
「新中国の考古学」
中国社会科学院考古学研究所編著
関野雄監修 1988年 平凡社
世界の神話7
「中国の神話-天地を分けた巨人」
君島久子 筑摩書房
「雲南の照葉樹のもとで」
佐々木高明編著 日本放送出版協会
「日本文化の源流・北からの道・南からの道」
佐々木高明・大林太良 小学館
「アジアの稲作文化と日本」
諏訪春雄・川村湊編 1996年 雄山閣
中公新書1517「古代中国と倭族」
鳥越憲三郎 2010年 中央公論社
「哈萨克族簡史」1987年 新疆人民出版社
「瓦族簡史」1985年 雲南教育出版社
「哈尼族簡史」1985年 雲南人民出版社
「哈尼族社会歴史調査」
雲南省編修委員会編
1982年 雲南民族出版社
「彝族文化史」馬学良等編著
中国文化史坐書周谷城主編、
1989年 上海人民出版社
「百越民族文化」
蒋炳釗・呉綿吉・卒土成著
1988年 学林出版社
「山海経逐字索引」
香港中文大学中国文化研究所
先秦両漢古籍逐字索引叢書
1988年 商務印書館
東洋文庫260
「苗族民話集-中国の口承文芸2」
村松一弥編訳 1986年 平凡社
東洋文庫264、283
「東アジア民族史-正史東夷伝(全2巻)」
約注井上秀雄他 1986年・昭和51年 平凡社
東洋文庫324「荊楚歳時記」
約注守屋美都雄 昭和53年 平凡社
東洋文庫372、425、454、492
「三国史記(全4巻)」
約注井上秀雄 1980~1983年 平凡社
東洋文庫500「中国古代の祭礼と歌謡」
M.グラネ 内田智雄訳 1989年 平凡社
「雲南の少数民族」宋恩常主編
雲南民族学院民族研究所
1990年 中国雲南人民出版社・
日本放送出版協会
「長江文明の謎-古代蜀王国の遺宝」
除朝龍 1999年 双葉社
「謎の古代王国・三星堆は何を物語るか」
除朝龍 1999年 日本放送出版協会
「華陽國志校補圖注」
常璩撰、任乃強校注
1987年 上海古籍出版社
M.K記
連絡先:090-2485-7908
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