(1) 紅海を南下してジプチへ [神聖の系譜]
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『至福の時:イキガイ』
(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
第5部 イブル・ユダ王国に奉祭された
「十戒石」の運命
第2章 神の箱〔十戒石〕の
エルサレムからの退避行
(1) 紅海を南下してジプチへ
エルサレムから南方へ退避すれば、
そこはシナイ半島で、紅海の 深奥には
モーセが「天神」の教えを受けたシナイ山 、
そしてアカバAgabah に至り
メデアンMede-an〔地-天神:MIDY-AN〕へと移れる。
集団はその紅海の深奥地に留まることをまだ危険と感じ、
紅海を船で南航し、
アラビア海との境界に位置する
現在のジプチ DJBOUTIに至り
そこに停留したと推測される。
何しろ同国名の原語YHVDH、yehudeであるからである。
紀元後1世紀半ばの
「エリュウトラ―海案内記」には同地名はない。
紀元後70年頃は同案内記が書かれた後で
それに載っているはずもない。
また紀元後2世紀の
パウサニアスの「ギリシャ案内記」にも同名表記はない。
YHVDH、yehudeがDJBOUTIと変わった理由は
ずっと後のこと、
20世紀初期にここをフランスが植民地にしたことに依る。
フランス語聖書には「ユダYHVDH」をJuifsと
表記しており、
同語に依拠して現地名はできたのである。
Y〔Ju:DJI〕-HV〔BO〕-〔TI〕 と解釈される。
因みに同語はギリシャ語でIoudu、ラテン語でJudaea、
ドイツ語Judāa、英語Judaiと
イブル語の「日本YPN」がJapanと
表記されるのと同じである。
紀元後70年代からずっとYehudeであったろう。
当時紀元前から近隣のエチオピアには
ユダ国の天神教が信奉されていた。
その理由は前章(7)-(B)で述べてある。
その頃の同地にはアクスム王国という国があった。
現ジプチ国内タジュラアTadjourah湾の
南アデンに望んでジプチの町があるが、
その南岸奥にアルタArtaとの町がある。
これもイブル語のARVZ、aruzの移入で
「箱に詰められた」の語義で「十戒石」が
箱に収められてここに運び込まれて
安置されていたとの傍証となる。
「エリュトラー 海案内記」には発音のよく似た
Aualitesとの港名があるが、
それは現ソマリア国内で現
セイラSayla付近であることが明白に解っていて
アルタが紀元一世紀の周末以降に成ったことが
判明している。
ジプチでの「神の箱」の安置は
4世紀の中頃まで約250年近くは続いただろう。
その聖所は天幕による「仮庵」であった。
ジプチ国の西隣りはとAFARいうが、
同語はイブル語のAHLの音写で
「天幕:幕屋」であるからである。
エチオピアにおいては
紀元331年に
アクスム王国がキリスト教に改宗してしまった。
この時点で「神の箱」は再び危機を迎えることになった。
2020-04-18 22:48
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