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(4) ユダ王国の滅亡とユダ族のバビロンへの捕囚 [神聖の系譜]



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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
  第5部 イブル・ユダ王国に奉祭された
     「十戒石」の運命 
 
 第1章 エルサレムへの安置
  (4) ユダ王国の滅亡と
     ユダ族のバビロンへの捕囚
 
  歴代誌(下)第36章17は述べる。
 
   そこで、
   主は彼らのもとに
   カルデア人の王を攻め上がらせた。
 
   彼らは剣で彼らのうちの若い男たちを
   その聖所の家の中で殺した。
 
   若い男も若い女も年寄りも
   老衰の者も容赦しなかった。
 
   彼は神の宮の全ての大小の器具、
   主の宮の財宝としてその司たちの財宝、
   これら全てをバビロンへ持ち去った。
 
   彼らは神の宮を焼き、 
   エルサレムの城壁を取り壊した。
 
   その高殿の全部を火で燃やし、
   その中の宝としていた器具を
   一つ残らす破壊した。
  
 ここにおいて、
 ユダ王国は完全に破壊され滅亡したのである。 
 
 その年は紀元前586年であった。
 
  歴代誌(下)第36章20は続けて述べる。
 
   彼は剣をのがれた残りの者たちを
   バビロンへ捕えて移した。
 
   こうして
   彼らはぺルシャ王国が支配権を握るまで
   彼とその子たちの奴隷となった。
  
 この歴史はメソポタミアの
 ユーフラテス川とチグリス川の
 合流地点付近に建国された
 〔紀元前625年〕カルデア国(新バビロニア) が
 イスラエルに遠征攻略し、
 エルサレムを破壊して
 ユダ王国を滅亡させた時の記録である。
 
 主の神殿初め市中にあった財宝を全て略奪して
 ハビロンへ持ち帰ってしまったと言っている。
 
 そして多くの老若男女が
 虐殺されてしまったとも言っている。
 
 ただそれでも剣難をかろうじて
 のがれた人々をカルデア軍は
 奴隷として連れ去ったのである。
 
 それを「バビロン捕囚」という。
 
  しかし、
 その記述において「神の箱」とか
 「二枚の十戒石」がどうなったかは
 一切説明されていない。
 
 続いて述べられるところによると
 エルサレムには70年の安息、
 つまり捕囚が終わったのは、
 その頃ペルシャが巨大化し、
 クロス〔キロス〕王がカルデアに
 遠征し新バビロニアを壊滅させたからである。
 
 聖書は
 預言者エレミヤが預言していた通りと述べるが、
 クロス王がユダ王国の人々がエルサレムへ
 帰還するのを許したのである。
 
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908 
 

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