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(六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
    (六)イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神聖
     
  ノアは方舟が大洪水の後、
 地に着いてから神に犠牲を献げた。
 
 セムはシュメル語の šum (供儀する)、
 アルパクサデは牛頭(牛首)の意味であった。
 
 アブラムはアッカド語による神話において
 神々に献供する者の名であった。
 
 ヤコブは
 「神の門」「神の家」を夢に見て石柱を立て
 神に収穫物の十分の一を献供することを約束した。
 
 モーセも
 
 「アカシア材で燔祭(はんさい)の祭壇を造った
  (出エジプト記第三八章)」のである。
 
  モーセは主によって啓示を受ける。
  あなたはイスラエルの長老たちと一緒に
  エジプトの王のところへ行って言いなさい。
 
  『ヘブルびとの神、
   王がわたしたちに現われました。
   それでわたしたちを三日の道のりほど
   荒野に生かせて、
   わたしたちの神、
   主に犠牲をささげることを許してください』
 
  と。
 
 それがヘブライ人たちを
 エジプトから解放するための
 第一歩の手段であった。
 
 ここにも表れるように
 主ヤハウェに犠牲をささげる行いは
 重要な宗教的行為であった。
 
 しかも
 ヤハウェはヘブライ人に燔祭を行うことを求め、
 生であったり、煮たりすることは許されなかった。
 
 燔祭の儀礼について詳細に解説しているのが
 「レビ記」である。
 
 そこには供え物が、牛、羊ないし
 山羊、鳥など穀物についても
 それぞれの供儀の仕方について述べられている。
 
 どのような内容であったか、
 牛の場合のみについて(日本聖書教会版)転載する。
 
  アブラムはカルディアのウルに
 父テラとともに居住していた。
 
 そこはシュメールと呼ばれた土地である。
 
 その原義は šum-e-lu (供儀する-を-動物)で
 あったかもしれない。
 
 ヘブライ人は、
 祝祭を中枢とする文化を強力に推進した
 民族であったのである。
 
   もし、
  その供え物が牛の燔祭であるならば、
  雄牛の全てものをさ献げなければならない。
  会見の幕屋の入口で、
  主の前に受け入れられるように、
  これをささげなければならない。
 
  彼はその燔祭の獣の頭に
  手を置かなければならない。
  そうすれば受け入れられて、
  彼のために贖いとなるであろう。
 
  彼は主の前でその子牛をほふり、
  アロンの子なる祭司たちは、
  その血を携えてきて、
  会見の幕屋の入口にある祭壇の周囲に、
  その血を注ぎかけなければならない。
 
  彼はまた、その燔祭の獣の皮を剥ぎ、
  節々に切り分かたなければならない。
 
  祭司アロンの子たちは祭壇の上に火を置き、
  その火の上に薪をならべ、
  アロンの子なる祭司たちは
  その切り分けたものを、
  頭および脂肪と共に、
  祭壇の上にある火の上の薪の上に
  並べなければならない。
  その内臓と足とは水で洗わなければならない。
 
  こうして
  祭司はそのすべてを祭壇の上で焼いて
  燔祭としなければならない。
 
  これは火祭であって
  主にささげる香ばしいかおりである。
 
  ≪参考≫出エジプト記 第 38 章
1 ついで、彼は、アカシヤ材で全焼のいけにえのための祭壇を作った。長さ五キュビト、幅五キュビトの四角形で、高さは三キュビト。
2 その四隅の上に、角を作った。その角はその一部である。彼は祭壇に青銅をかぶせた。
3 彼は、祭壇のすべての用具、すなわち、つぼ、十能、鉢、肉刺し、火皿を作った。そのすべての用具を青銅で作った。
4 祭壇のために、その下のほうに、すなわち、祭壇の出張りの下で、祭壇の高さの半ばに達する青銅の網細工の格子を作った。
5 彼は四つの環を鋳造して、青銅の格子の四隅で棒を通す所とした。
6 彼はアカシヤ材で棒を作り、それに青銅をかぶせた。
7 その棒を祭壇の両側にある環に通して、それをかつぐようにした。祭壇は板で中空に作った。
8 また彼は、青銅で洗盤を、また青銅でその台を作った。会見の天幕の入口で務めをした女たちの鏡でそれを作った。
9 彼はまた、庭を造った。南側では、庭の掛け幕は百キュビトの撚り糸で織った亜麻布でできていた。
10 柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
11 北側も百キュビトで、柱は二十本、その二十個の台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀であった。
12 西側には、五十キュビトの掛け幕があり、柱は十本、その台座は十個。柱の鉤と帯輪は銀であった。
13 前面の東側も、五十キュビト。
14 その片側には十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、その台座は三個であった。
15 庭の門の両側をなすもう一方の片側にも十五キュビトの掛け幕があり、柱は三本、台座は三個であった。
16 庭の周囲の掛け幕はみな、撚り糸で織った亜麻布であった。
17 柱のための台座は青銅で、柱の鉤と帯輪は銀、その柱の頭のかぶせ物も銀であった。それで、庭の柱はみな銀の帯輪が巻きつけられていた。
18 庭の門の幕は、刺繍されたもので、青色、紫色、緋色の撚り糸と、撚り糸で織った亜麻布とでできていた。長さは二十キュビト。高さ、あるいは幅は五キュビトで、庭の掛け幕に準じていた。
19 その柱は四本。その台座は四個で青銅であった。その鉤は銀であり、柱の頭のかぶせ物と帯輪とは銀であった。
20 ただし、幕屋と、その回りの庭の釘は、みな青銅であった。
21 幕屋、すなわち、あかしの幕屋の記録は、次のとおりである。これは、モーセの命令によって調べたもの、祭司アロンの子イタマルのもとでの、レビ人の奉仕である。
22 ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルは、主がモーセに命じられたことを、ことごとく行なった。
23 彼とともに、ダン部族のアヒサマクの子オホリアブがいた。彼は彫刻をし、設計をする者、また青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍をする者であった。
24 仕事すなわち聖所のあらゆる仕事のために用いられたすべての金は、奉献物の金であるが、聖所のシェケルで二十九タラント七百三十シェケルであった。
25 会衆のうちの登録された者による銀は、聖所のシェケルで百タラント千七百七十五シェケルであった。
26 これは、ひとり当たり一ベカ、すなわち、聖所のシェケルの半シェケルであって、すべて、二十歳以上で登録された者が六十万三千五百五十人であったからである。
27 聖所の台座と垂れ幕の台座とを鋳造するために用いた銀は、百タラントであった。すなわち、一個の台座に一タラント、百の台座に百タラントであった。
28 また、千七百七十五シェケルで彼は柱の鉤を作り、柱の頭をかぶせ、柱に帯輪を巻きつけた。
29 奉献物の青銅は七十タラント二千四百シェケルであった。
30 これを用いて、彼は会見の天幕の入口の台座、青銅の祭壇と、それにつく青銅の格子、および、祭壇のすべての用具を作った。
31 また、庭の回りの台座、庭の門の台座、および、幕屋のすべての釘と、庭の回りのすべての釘を作った。

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