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(一) シナイ山における主の「十戒」告知 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第四章 モーセと「十戒石」
 
  (一) シナイ山における主の「十戒」告知
 
 「出エジプト記」第十九章は次のように始まる
 
   イスラエルの人々はエジプトの国を出て
   三日目のその日にシナイ荒野に到着した。
 
   彼らはレイフィディムを出発して
   シナイの荒野に着き、荒野に天幕を張った。
 
   イスラエルはそこで山に向かって宿営した。
 
   モーセが神のもとに登って行くと、
   山から主は彼に語りかけて言われた。
 
   「ヤコブの家にこのように語り、
    イスラエルの人々に告げなさい。
    あなたたちは見た。
    私がエジプト人にしたこと、
    またあなたたちを鷲の翼に乗せて
    私のもとに連れて来たことを。
    今もし私の声に聞き従い、
    私の契約を守るならば、
    あなたたちは全ての民の間にあって
    私の宝となる。
    世界は全て私のものである。
    あなたたちは私にとって
    祭司の王国、聖なる国民となる。
    これが
    イスラエルの人々に語るべき言葉である」。
 
    モーセは戻って民の長老たちを集め、
    主が命じられた言葉を全て彼らの前で語った。
 
    民は皆一斉に答えて
    「私たちは主の語られたことを全て行います」
    と言った。
 
 この「シナイ」は
 初め荒野の呼称として登場してくる。
 
 同語のイブル語は SYNY で
 一般的に「柴」の語義である。
 
 「柴」が「出エジプト記」には既に
 モーセが「ホレブの山」で神に邂逅した際
 「燃えない柴」 SVF 名称で登場している。
 
 その時の「ホレブ」名は hur-bi〔山-神霊〕で
 「神の山」であった。
 
 この第十九章において「荒野」を称する
 「シナイ」を単に「柴」とだけ解釈して
 おくのには疑問がある。
 
 Za-NA-A〔土地-ない-水〕で
 「水のない土地(地方)」
 と解釈するのがよいと考える。
 
  ここの「山」でモーセは神々に会った。
 
 つまり、
 同山は「ホレブの山(神の山)」に違いない。
 
 第一九章は続けて言う。
 
   モーセが民の言葉を主に取り次ぐと、
   主はモーセに言われた。
   
   「見よ、私は濃い雲の中にあって
    あなたに臨む。
    私があなたと語るのを民が聞いて
    いつまでも
    あなたを信じるようになるためである。」
 
   モーセは民の言葉を主に告げた。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「民のところに行き、
    今日と明日彼らを聖別し、衣服を洗わせ、
    三日目に民の全員の見ている前では
    主はシナイ山に降られるからである。
    民のために周囲に境を設けて命じなさい。」
 
   「山に登らぬよう、また境界に触れぬよう
    注意せよ。
    山に触れる者は必ず死刑に処される。
    その人に手を触れずに石で打ち殺すか
    矢で射殺せねばならない。
    獣であれ、人であれ、
    生かしておいてはならない。
    角笛が長く吹き鳴らされとき、
    ある人々は山に登ることができる。」
 
 ここで
 その山名が「シナイ山」と初めて述べている。
 
 SYNY は既述のように、また
 「出エジプト記」第三章で説かれているように
 「柴」の山であった。
 
 しかしそれだけでは
 この節の最初に敢えてそう記述する理由が
 明らかではない。
 
 「ホレブの山」名でもよい筈である。
 
 「シナイ」名「出エジプト記」第十七章で
 「岩の上に」水を出させた隣の山名でもある。
 
 その「ホレブ」は hur-pa〔山-泉〕と解釈し
 「シナイ」はまた si-nag〔与える-(水)飲むこと〕で
 「水を飲ませる」との語義があった。
 
 そこでこの第十九章の主題
 「主が民に十戒を与える」であることを勘案すると
 SYNY の背景には 
 SI-NA-AG〔与える-石-命令(指図)〕で
 「命令(戒)の石を与える」がある。
 
 AG には「命令する、指図する」と共にまた
 「愛する」との語義もあって、
 主の民に対する態度がみえてくる。
 
 「愛」があるこそ、こうしろ、ああしろと
 指図して戒(いましめ)て導くのである。
 
 その主要な戒の数は「十」であり
 「十戒」となる。
 
 第十九章は続けて言う。
 
   モーセは山から民のところへ下って行き、
   民を聖別し、民に命じて
   「三日目のために準備をしなさい。」
   (中略)
   三日目の朝になると、
   雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、
   角笛の音が鋭く鳴り響いたので
   宿営にいた民は皆震えた。
 
   しかし、
   モーセが民を神に会わせるために
   宿営から連れ出したので、
   彼らかは山の麓に立った。
 
   シナイ山は全山煙に包まれた。
 
   主が火の中を
   山の上に降りられたからである。
 
   煙は炉の煙のように立ち上がり、
   山全体が激しく震えた。
 
   角笛の音が益々鋭く鳴り響いたとき、
   モーセが語りかけると、
   神は雷鳴をもって答えた。
 
   主はシナイ山の頂きへ降り
   モーセを山の頂に呼び寄せられてたので、
   モーセは登って行った。
 
   主はモーセに言われた。
 
   「あなたは下って行き、
    民が見ようとして越境し多くの者が
    命を失うことのないように警告しなさい。」
   (中略)
   モーセは主に言った。
 
   「民がシナイ山に登ることはできません。」
   (中略)
   主は彼に言われた。
 
   「さあ、下って行き、
    あなたはアロンと共に登って来なさい。」
 
 ここに語られるように
 「雷鳴と稲妻」及び「煙〔雲〕」は
 主の坐すところに必ず表れる象徴である。
  
 また重要な事項は、
 モーセと兄アロンを伴って主のいる
 シナイ山の頂の登上したということである。
 
 つまりアロン・モーセの兄弟二人が
 「十戒」の告知の場に臨んでいたのである。
 
 そしてそれ以降この家系は主の、
 つまり
 「天主教」の祭司の役目を負うことになる。
 
 しかし、
 主と話ができたのはモーセだけであった。
 
  第二十章で「十戒」が神〔ALHYM〕によって
 言いわたされる。
 
 この主は「神」との表記で表れる。
 
 それまでは「主 YAVH」と表記されている。
 
 第二十章は語る。
 
   神はこれら全ての言葉を告げられた。
 
   私は主、あなたの神、あなたを
   エジプトの国奴隷の家から導き出した神である。
 
   〔第一〕
   あなたには、
   私をおいて他に神があってはならない。
 
   〔第二〕
   あなたはいかなる像も造ってはならない。
   上は天にあり、下は地にあり、
   また地の下の水の中にある
   いかなるものの形を造ってはならない。
   あなたはそれらに向かってひれ伏したり、
   それらに仕えたりしてはならない。
   私は主、あなたの神、
   私は感情の神である。
   私を否(いな)む者には父祖の罪を
   子孫に三代四代まで問うが、
   私を愛し私の戒を守るものには
   幾十代にも及ぶ悲しみを与える。
   ※この「感情」との翻訳は意訳で、
    本来「妬(ねた)み」の語義である。
 
   〔第三〕
   あなたの神、主の名を
   みだりに唱えてはならない。
   みだりにその名を唱える者を
   主は罰せずにはおかない。
 
   〔第四〕
   安息日を心に留め、これを聖別せよ。
   六日の間働いて、
   何であれあなたの仕事をし、
   七日目にあなたの神、主の安息日であるから、
   いかなる仕事をしてはならない。
   あなたも息子も娘も、男女の奴隷も家畜も、
   あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
   六日の間に主は天と地と海と
   そこにある全てのものを造り、
   七日目に休まれたから、
   主は安息日を祝福して聖別されたのである。
 
   〔第五〕
   あなたの父母を敬え。
 
   〔第六〕
   殺してはならない。
 
   〔第七〕
   姦淫してはならない。
 
   〔第八〕
   盗んではならない。
 
   〔第九〕
   隣人に関して偽証してはならない。
  
   〔第十〕
   隣人の家を欲してはならない。
   隣人の妻、男女の奴隷、牛、ろばなども
   隣人のものを一切欲してはならない。
 
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

 


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