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(四) 祝祭の民 イブル〔ヘブライ〕と「ハブール」 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第一章 旧約聖書「創世記」とメソポタミア
  
  (四) 祝祭の民   イブル〔ヘブライ〕と「ハブール」  
   
  アブラムはヘブロン Hebron で
 祭壇を築いたと記述されるが、
 実際は祭壇を築いたから
 そこをヘブロンと呼ぶ地名ができたのである。
 
 さらに重要なことは、
 この時を以って初めてイブルびと 
 IVRY(Hebri・HIBRY〔の-イブル〕) 
 となったのである。
 
 祭壇設置の後の
 「創世記」第一四章において
 初めて
 「ヘブルびとアブラム」と
 ヘブルびとの呼称が現われる。
 
 この条句はヘブルびと、
 いわゆるヘブライ人の誕生を
 語っているのである。
 
 祭壇を築いたのは祝祭を行うためである。
 
 ヘブライ人の祝祭は燔祭に限られる。
 
 その火祭はヘブライ語で 
 IVLH(Ivlai) と呼ばれる。
 
 その様式は祭壇の上で犠牲を焼くことである。
 
 この訓音が IVRY と極似しており、
 これがその原語であると推測されるのである。
 
 ヘブロンはアブラハムの墳墓があるほか、
 ダビデ王が初めての都を建てた町である。
 
  この「創世記」第十三章に至るまで
 ヘブルの名称は一切登場していない。
 
 例え近似したエベルなどの
 呼称があったとしてもである。
 
 IVRY(Hebri)は、
 「掲げる」意味の 
 hebeen(ドイツ語)、
 bar(シュメル語)、
 アッカド語の hawilu(崇拝者) 
 との同類語である。
 
 ということは
 カルト・イベリ人の呼称と関係することになる。
 
 また祭壇を築いて祭儀を行うのは
 ハフリ(祝)の行為であり、
 セム族(供儀の人々)である由縁である。
 
  ヘブライのヨルダン川の両岸から
 地中海沿岸の地方は
 サマリア Samaria 地方である。
 
 この地方名は現在の
 サバステア Sabastea 町が
 サマリアといわれていたことによるが、
 セム Shem 族の名に依るものである。
 
 その別名サバステは、
 ローマ時代などには Sebaste であったが、
 その語義はヘブライ人がユダヤ教の儀式に従って
 家畜など供儀の動物を屠殺することを意味する。
 
 サマリアは「供儀の地」の意味であり、
 セムがシュメル語の šum に依ることがわかる。
 
 ヘブルはハブール(祝)と同義なのである。
 
 サンスクリット語の 
 Svista は「正規の献供」を意味する。
 
  ユダ YHVDH の名称は、
 アブラハムの孫ヤコブの子として
 初めて現われる。
 
 後の紀元前十世紀に
 ヘブライ国を統一したダビデ王は、
 このユダ家の出身で
 その王国が分裂した時
 南方にできたのがユダ王国で、 
 現在ヘブライ人がユダヤ人と呼ばれるのは
 ダビデ王の偉業の成果に依拠するのも一因である。
 
 彼等は三日月を象徴として信奉する。
  
 三日月は
 メソポタミアの支配的王権の象徴である
 太陽、金星とともに重要である。
 
 新バビロニアの紀元前6世紀の
 ナボニドス王のものとみられる石盤には、
 月、太陽、金星が刻まれている。
 
 新アッシリア時代においても
 紀元前7世紀のエサルハドンが
 サムアルに建てた石碑、
 紀元前九世紀の
 シャムシ・アダト五世のカルフから
 出土した石碑にも刻まれている。
 
 三日月神はシュメール語でナンナ神といい、
 ウル市の主祭神でナンナ神殿があった。
 
 アブラムの一族が居住していた
 「カルディアのウル」で、
 発掘により知られている神殿は
 紀元前二一一二年から二〇〇四年にかけての
 建物とみられる。
 
 ナンナ神はセム語系である
 アッカド語ではシン Sin 神と呼ばれるが、
 その祖語は en-zu (神-月)である。
 
 ところで、
 月神を象徴する月の造形が満月でなく、
 なぜ、三日月なのであろうか、。
 
 それは紀元前八世紀の
 サムアルのバル・ラキブの石板に
 うかがわれるように
 牛頭の角を模しているからである。
 
 ウル市からは紀元前四千年紀の遅い時期に
 製作された牡牛に
 大麦を刻んだ石製の鉢がつかっている。
 
 大麦と牡牛の組合せは
 犠牲にされる牡牛を表しており、
 ウル市においても牛供犠が行われていたことを
 示唆している。
 
  カルディアのウルにいたアブラム一族が
 この月神信仰に馴染んでいたと十分推測できる。
 
 アブラムの一族はハランに移るが、
 ハランからそう遠くない
 アレッポにも月神殿があった。
 その軌跡には月神の影がつきまとう。
 
  ヤコブの子ユダが生まれた時、
 母は
 
 「わたしは今、主を褒め称える」
 
 といって
 ユダと名づけたといっている
 「ほめたたえる」は
 セム語(アッカド語)で harwiru であり、 
 YHVDH(Judah) は月崇拝者(賛美者)を意味する。
 
 ≪参考≫
  「創世記」第一三章及び第一四章
 
第13章
1 アブラムは妻とすべての持ち物を携え、エジプトを出て、ネゲブに上った。ロトも彼と共に上った。
 
2 アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた。
 
3 彼はネゲブから旅路を進めてベテルに向かい、ベテルとアイの間の、さきに天幕を張った所に行った。
 
4 すなわち彼が初めに築いた祭壇の所に行き、その所でアブラムは主の名を呼んだ。
 
5 アブラムと共に行ったロトも羊、牛および天幕を持っていた。
 
6 その地は彼らをささえて共に住ませることができなかった。彼らの財産が多かったため、共に住めなかったのである。
 
7 アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちの間に争いがあった。そのころカナンびととペリジびとがその地に住んでいた。
 
8 アブラムはロトに言った、「わたしたちは身内の者です。わたしとあなたの間にも、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間にも争いがないようにしましょう。
 
9 全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。
 
10 ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。
 
11 そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。
 
12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。
 
13 ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。
 
14 ロトがアブラムに別れた後に、主はアブラムに言われた、「目をあげてあなたのいる所から北、南、東、西を見わたしなさい。
 
15 すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。
 
16 わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします。もし人が地のちりを数えることができるなら、あなたの子孫も数えられることができましょう。
 
17 あなたは立って、その地をたてよこに行き巡りなさい。わたしはそれをあなたに与えます」。
 
18 アブラムは天幕を移してヘブロンにあるマムレのテレビンの木のかたわらに住み、その所で主に祭壇を築いた。
 
第14章
1 シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオク、エラムの王ケダラオメルおよびゴイムの王テダルの世に、
 
2 これらの王はソドムの王ベラ、ゴモラの王ビルシャ、アデマの王シナブ、ゼボイムの王セメベル、およびベラすなわちゾアルの王と戦った。
 
3 これら五人の王はみな同盟してシデムの谷、すなわち塩の海に向かって行った。
 
4 すなわち彼らは十二年の間ケダラオメルに仕えたが、十三年目にそむいたので、
 
5 十四年目にケダラオメルは彼と連合した王たちと共にきて、アシタロテ・カルナイムでレパイムびとを、ハムでズジびとを、シャベ・キリアタイムでエミびとを撃ち、
 
6 セイルの山地でホリびとを撃って、荒野のほとりにあるエル・パランに及んだ。
 
7 彼らは引き返してエン・ミシパテすなわちカデシへ行って、アマレクびとの国をことごとく撃ち、またハザゾン・タマルに住むアモリびとをも撃った。
 
8 そこでソドムの王、ゴモラの王、アデマの王、ゼボイムの王およびベラすなわちゾアルの王は出てシデムの谷で彼らに向かい、戦いの陣をしいた。
 
9 すなわちエラムの王ケダラオメル、ゴイムの王テダル、シナルの王アムラペル、エラサルの王アリオクの四人の王に対する五人の王であった。
 
10 シデムの谷にはアスファルトの穴が多かったので、ソドムの王とゴモラの王は逃げてそこに落ちたが、残りの者は山にのがれた。
 
11 そこで彼らはソドムとゴモラの財産と食料とをことごとく奪って去り、
 
12 またソドムに住んでいたアブラムの弟の子ロトとその財産を奪って去った。
 
13 時に、ひとりの人がのがれてきて、ヘブルびとアブラムに告げた。この時アブラムはエシコルの兄弟、またアネルの兄弟であるアモリびとマムレのテレビンの木のかたわらに住んでいた。彼らはアブラムと同盟していた。
 
14 アブラムは身内の者が捕虜になったのを聞き、訓練した家の子三百十八人を引き連れてダンまで追って行き、
 
15 そのしもべたちを分けて、夜かれらを攻め、これを撃ってダマスコの北、ホバまで彼らを追った。
 
16 そして彼はすべての財産を取り返し、また身内の者ロトとその財産および女たちと民とを取り返した。
 
17 アブラムがケダラオメルとその連合の王たちを撃ち破って帰った時、ソドムの王はシャベの谷、すなわち王の谷に出て彼を迎えた。
 
18 その時、サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒とを持ってきた。彼はいと高き神の祭司である。
 
19 彼はアブラムを祝福して言った、「願わくは天地の主なるいと高き神が、アブラムを祝福されるように。
 
20 願わくはあなたの敵をあなたの手に渡されたいと高き神があがめられるように」。アブラムは彼にすべての物の十分の一を贈った。
 
21 時にソドムの王はアブラムに言った、「わたしには人をください。財産はあなたが取りなさい」。
 
22 アブラムはソドムの王に言った、「天地の主なるいと高き神、主に手をあげて、わたしは誓います。
 
23 わたしは糸一本でも、くつひも一本でも、あなたのものは何にも受けません。アブラムを富ませたのはわたしだと、あなたが言わないように。
 
24 ただし若者たちがすでに食べた物は別です。そしてわたしと共に行った人々アネルとエシコルとマムレとにはその分を取らせなさい」。  
  
 
M.K記

 連絡先:090-2485-7908


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