SSブログ

(二) モーセと「水」 [神聖の系譜]


My ブログ


神聖の系譜』の目次2へ戻る https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-10-26-3 
「神聖の系譜」出版協力のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]

『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ 
 
   (1) 「主」の行う水支配の神威
 
  当章の初め(一)モーセの伝承に
 彼と水の係わりが深いことを紹介した。
 
 なぜならばモーセを通して操る神威が発揮され
 「出エジプト記」に記述されているからである。
 
 モーセがイブル人たちを
 エジプトから脱出させた際
 そのために水を多大な役目を
 神の導きにより果たした。
 
 次の説話はその後もその人々が
 あちこちとさまよっている間に起きた事件である。
 
 放浪していたシンの荒野には飲水が無かった。
 〔「出エジプト記」第十七章第一-七節〕
 
   主の命令によりイスラエルの人々の
   共同体全体はシンの荒野を出発し、
   旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、
   そこには民の飲み水がなかった。
 
   民がモーセと争い
   「我々に水を与えよ」と言うと
   モーセは言った。 
 
   「なぜわたしと争うのか。なぜ主を試すのか」。
 
 そのような言い争いをした後モーセは主に相談する。
 
 すると主はモーセに言った。
 
   イスラエルの長老数名を伴い、民の前に進め。
 
   またナイル川を打った杖を持って行くがよい。
   
   見よ、
   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。
 
   あなたはその岩を打て。
 
   そこから水が出て民は飲むことができる。
 
   モーセは
   イスラエルの長老たちの目の前で
   そのとおりにした。
 
 つまり、
 ホレブ山の岩の上から飲むことができる水が
 湧き出てきたのである。
 
 その岩が裂け「岩井」あるいは「石井」と
 なったとの説話である。
 
 この際の「ホレブ」名は
 イブル語で KhRV と表記されている。
 
 同語もモーセが神に邂逅(かいこう)した
  KhRVH とイブル語では同義と考えられよう。
 
 しかし、 
 この場面での概念は
  hur-pa〔山-井(泉)〕で「井の山」と
 説話の内容に合致する方がよいだろう。
 
 でも
 KhRVH・KhRV は同一の山で、
 神が威力を発揮して起こすところである。
 
  この山はのちに名称を変えて
  登場してモーセを導く。
 
   (2) イブル人の「主」の聖名? YY〔yeya〕
 
  同聖名については本書において来歴を述べたので
 メソポタミアの神信仰との関係を
 知っていただけたと思うが、ここでさらに
 イブル人の神との関係で述べる。
 
 それが聖名と紹介したように彼等は
 「エヤァ」などとは呼ばない。
 
 「アドナイ ADNY」あるいは
 「ハシェム HShM」という。
 
 しかし、
 この用語は「主」と「水」との因縁を明確に説明でき、
 モーセのホレブ山での奇跡の真因を知ることができる。
 
 「創世記」第二章第五節は次のように述べる。
 
   主なる神が地と天を造られたとき、
   地上にはまだ野の木も野の草も生えていなかった。
 
   主なる神が地上に
   雨をお送りにならなかったからである。
 
   また土を耕す人もいなかった。
 
   しかし
   水が地下から湧き出て土の面をすべて潤した。
 
 ここで述べられている
 「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した」
 との記述は重要である。
 
 ホレブ山の岩井説話も同様であるが、
 人間を含めた動物、植物、つまり
 生物が必要とする「水」は
 「地下から湧き出た水」でなければならないのである。
 
 これはいかにも
 メソポタミア南部の地勢から発想された思念である。
 
 YY〔yeya〕と表記された「主」の神性は
 その地から伝承保持された雨が降らず
 地下水に頼って生きた人々の始めた性格である。
 
  セム語を使う一派で歴史的にはイブル人が
 登場してくるより遥か昔に
 チグリス川、ユーフラテス川の合流地帯に
 勢力を張った
 アッカド人〔『旧約聖書』ではアモリ人という〕
 の泉神が大元ではある。
 
 この時代の粘土板に楔型文字で刻まれた資料
 〔ギルガメッシュ叙事詩改訂版〕に
 「エア神」名があることはすでに紹介している。
 
  さらにその信仰思念は時代を遡った
 シュメール語の e-a は「泉、井」を、
 a-e-a は「泉の水」を指す。
 
 シュメールの都市国家が集中していた
 ペルシャ湾の最奥に当る地域では
 やはり雨が降らず、
 必要な用水は二つの大河から採るか
 地下水に頼るしかなかった。
 
 しかも同時代生物のための水〔真水〕は
 地下からしか得られなかった。
 
 e-a 〔泉〕の用事字構成は
 「上がる-水」で「水が湧き上がる(出る)」である。
 
 雨は同地には降らなかったために
 人々は「地」に対する崇敬の念を強くし
 en-ki〔主-地〕つまり「地神」への信仰を強め、
 人々の守護神の地位へ昇華させたのである。
 
 この守護神信仰がバビロンの時代を経て高揚し、
 イブル人においても「主」として
 崇拝されることとなったのである。
 
 イブル人の信仰を理解する上で
 YY(泉神) 名は極めて重要である。
 
 因みにシュメール語の「地下水」を表す用語に
 ap-su〔水-池:za-ab(地-水)〕がある。
  (二) モーセと「水」
  
   (1) 「主」の行う水支配の神威
 
  当章の初め(一)モーセの伝承に
 彼と水の係わりが深いことを紹介した。
 
 なぜならばモーセを通して操る神威が発揮され
 「出エジプト記」に記述されているからである。
 
 モーセがイブル人たちを
 エジプトから脱出させた際
 そのために水を多大な役目を
 神の導きにより果たした。
 
 次の説話はその後もその人々が
 あちこちとさまよっている間に起きた事件である。
 
 放浪していたシンの荒野には飲水が無かった。
 〔「出エジプト記」第十七章第一-七節〕
 
   主の命令によりイスラエルの人々の
   共同体全体はシンの荒野を出発し、
   旅程に従って進み、レフィデムに宿営したが、
   そこには民の飲み水がなかった。
 
   民がモーセと争い
   「我々に水を与えよ」と言うと
   モーセは言った。 
 
   「なぜわたしと争うのか。なぜ主を試すのか」。
 
 そのような言い争いをした後モーセは主に相談する。
 
 すると主はモーセに言った。
 
   イスラエルの長老数名を伴い、民の前に進め。
 
   またナイル川を打った杖を持って行くがよい。
   
   見よ、
   わたしはホレブの岩の上であなたの前に立つ。
 
   あなたはその岩を打て。
 
   そこから水が出て民は飲むことができる。
 
   モーセは
   イスラエルの長老たちの目の前で
   そのとおりにした。
 
 つまり、
 ホレブ山の岩の上から飲むことができる水が
 湧き出てきたのである。
 
 その岩が裂け「岩井」あるいは「石井」と
 なったとの説話である。
 
 この際の「ホレブ」名は
 イブル語で KhRV と表記されている。
 
 同語もモーセが神に邂逅(かいこう)した
  KhRVH とイブル語では同義と考えられよう。
 
 しかし、 
 この場面での概念は
  hur-pa〔山-井(泉)〕で「井の山」と
 説話の内容に合致する方がよいだろう。
 
 でも
 KhRVH・KhRV は同一の山で、
 神が威力を発揮して起こすところである。
 
  この山はのちに名称を変えて
  登場してモーセを導く。
 
   (2) イブル人の「主」の聖名? YY〔yeya〕
 
  同聖名については本書において来歴を述べたので
 メソポタミアの神信仰との関係を
 知っていただけたと思うが、ここでさらに
 イブル人の神との関係で述べる。
 
 それが聖名と紹介したように彼等は
 「エヤァ」などとは呼ばない。
 
 「アドナイ ADNY」あるいは「ハシェム HShM」という。
 
 しかし、
 この用語は「主」と「水」との因縁を明確に説明でき、
 モーセのホレブ山での奇跡の真因を知ることができる。
 
 「創世記」第二章第五節は次のように述べる。
 
   主なる神が地と天を造られたとき、
   地上にはまだ野の木も野の草も生えていなかった。
 
   主なる神が地上に
   雨をお送りにならなかったからである。
 
   また土を耕す人もいなかった。
 
   しかし
   水が地下から湧き出て土の面をすべて潤した。
 
 ここで述べられている
 「水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した」
 との記述は重要である。
 
 ホレブ山の岩井説話も同様であるが、
 人間を含めた動物、植物、つまり
 生物が必要とする「水」は
 「地下から湧き出た水」でなければならないのである。
 
 これはいかにも
 メソポタミア南部の地勢から発想された思念である。
 
 YY〔yeya〕と表記された「主」の神性は
 その地から伝承保持された雨が降らず
 地下水に頼って生きた人々の始めた性格である。
 
  セム語を使う一派で歴史的にはイブル人が
 登場してくるより遥か昔に
 チグリス川、ユーフラテス川の合流地帯に
 勢力を張った
 アッカド人〔『旧約聖書』ではアモリ人という〕
 の泉神が大元ではある。
 
 この時代の粘土板に楔型文字で刻まれた資料
 〔ギルガメッシュ叙事詩改訂版〕に
 「エア神」名があることはすでに紹介している。
 
  さらにその信仰思念は時代を遡った
 シュメール語の e-a は「泉、井」を、
 a-e-a は「泉の水」を指す。
 
 シュメールの都市国家が集中していた
 ペルシャ湾の最奥に当る地域では
 やはり雨が降らず、
 必要な用水は二つの大河から採るか
 地下水に頼るしかなかった。
 
 しかも同時代生物のための水〔真水〕は
 地下からしか得られなかった。
 
 e-a 〔泉〕の用事字構成は
 「上がる-水」で「水が湧き上がる(出る)」である。
 
 雨は同地には降らなかったために
 人々は「地」に対する崇敬の念を強くし
 en-ki〔主-地〕つまり「地神」への信仰を強め、
 人々の守護神の地位へ昇華させたのである。
 
 この守護神信仰がバビロンの時代を経て高揚し、
 イブル人においても「主」として
 崇拝されることとなったのである。
 
 イブル人の信仰を理解する上で
 YY(泉神) 名は極めて重要である。
 因みにシュメール語の「地下水」を表す用語に
 ap-su〔水-池:za-ab(地-水)〕がある。
 
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

   


nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。