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(五) 「ヨシュア記」のガド族・マナセ族・ルベン族の築いた 祭壇と「証拠」② [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
 
  第一章 旧約聖書のイブル人部族化
 
  (五) 「ヨシュア記」の
     ガド族・マナセ族・ルベン族の築いた
     祭壇と「証拠」
 
 この記述は極めて重要なので少々長いが転載した。
 
 その要点は、
 ガド族等は燔祭、素祭など犠牲を献げる、
 つまり祝祭のための祭壇を
 築いたのではないといっている。
 
 祝祭のための祭壇はエルサレムの祭壇
 ただ一つでしか許されるものではなく、
 それをアルターALTARという。
 
 これに対し、
 ガド族等が築いたのは祝祭を行わない祭壇で、
 MZBK(mizbeykhe)と言う。
 
 そして、その祭壇ではヨシュアに言われたように
 「戒め」MZB(mizbe・戒律・祈り) と
 「律法」TORH(tore・告示)を
 「慎んで行」うためのものである。
 
 そしてルベンの子孫、ガドの子孫および
 マナセの半部族と他の部族の間、また、
 それそれの子孫の間においても
 それが証拠となるよう
 祭壇の型を同じくしないで証拠としたという。
 
 この証拠の意味は誓約である。
 
 このような説明により、イスラエルの人々は
 攻め上がるのを止めることとした。
 
 第三二章の終わり三三、三四で言う。
 
   そしてイスラエルの人々は神を誉めたたえ、
   ルベンの子孫、および
   ガドの子孫の住んでいる国を滅ぼすために
   攻め上がろうとは、もはや言わなかった。
 
   ルベンの子孫とガドの子孫は、
   その祭壇を「あかし」と名付けて言った。
 
   「これは、我々の間にあって、
    主が神にいますというあかしをするものだ。」
 
 この「あかし」のヘブライ語は IDVT(edut)である。
 
 英訳本聖書が witness 証人(音が似ている)と
 訳しているように「証拠・あかし」で
 あることに本義は間違いない。
 
 だが、この用語は
 ドイツ語の Eid 、
 英語の oath であり、
 「宣誓、誓約」を意味し、
 特に「神にかける誓い」を表す。
 
 「宣誓」とは大きな声で述べること、
 つまり「叫び」ある。
 
 ガドの出生に当ってその名前が
 シュメール語の ga-du(叫ぶ)に係わる
 用語であることを説明したのは
 この事件に連なるからである。 
 
 また edut の E は原カナアン絵文字で
 「叫ぶ人」であるといい、
 hō と訓んだとの説もあり、
 フェニキア文字、ギリシャ文字を経て
 現在の字形 E になったものである。
 
 「叫ぶ人」は
 単に大きな声を出している人のことではなく、
 シュメール語から継承された「神を讃える」
 ār に係わると考えられる。
 
 ガド族の祭壇は IDVT(edut) と呼ばれる
 「宣誓、誓い」、「あかし」である。
 
 IDVT は「民数記」第九章十五にも
 「あかしの幕屋」 AHL-HIDVH〔天幕-証拠〕として
 用いられており、
 神とイスラエル人の間の
 「契約」を表す用語でもある。
 
 IDVT はIDYVT(ediut) とも表記される。
 
 「創世記」第二一章三一の
 「彼らがそこで誓いをしたからである」とある
 「誓い」をアメリカ聖書協会の古い版では
 oath としている。
 
  祝祭を行わないガド族の祭壇には、
 律法・トーラー TORH を納める
 「神の契約の箱」のみが
 安置されることになったのである。
 
 この箱は『旧約聖書』において
 「神の箱」「契約の箱」「あかしの箱」
 などと呼ばれる。
 
 一九四八年に死海の北西岸のクムランから
 『旧約聖書』のヘブライ語版が発見され、
 死海文書(写本)として知られている。
 
 学問的にその発見地の名称から
 ワディ・クムラン文書という。
 
 これは羊皮紙に書写されたもので
 巻物となっていた。
 
 これらの巻物の年代は
 紀元前三世紀の中葉から紀元前二世紀末以降、
 巾広くみて紀元前後二世紀に属するとされている。
 
 ガド族が
 アッシリアのシャルマネセル五世により
 メディアの周辺へ捕囚されたのは
 紀元前七世紀のことであったから、
 その間に四、五百年の隔たりあるので
 確定的な推測はできないが、
 ガド族の祭壇に納められていたのは
 死海文書と同様羊皮紙に書かれた巻物の
 「律法」であったと思われる。
 
 あるいはクムラン文書中にもある銅板に
 印刻したものだったのだろうか。
 
 捕囚以前にはモーセ五書といわれる
 創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記
 やその他の記紀も成立していたので、
 祭壇の「神の箱」には、
 これらの聖書も納められていたと推測される。
 
 『旧約聖書』を総称して
 ヘブライ語では TNKh という。
 
 また、
 箱を意味するヘブライ語は 
 KFSH、SAKTL、KISTL、ARN がある。
 
 祭壇を安置する所は寺院ないし神社であるが、
 神との会見の場で
 会堂あるいは公会堂、また教会という。
 
 これを BYT-HNSD〔家-会合〕と言う。
 
 これまで「神社」と用語を同じくすると
 述べてきたシナゴーグはギリシャ語名である。 
 
M.K記

 連絡先:090-2485-7908


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