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(三) イブル〔ヘブライ〕の神を 何故「主」というのか〔ADNYの背景〕 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (三) イブル〔ヘブライ〕の神を何故「主」
               というのか〔ADNY(アドナイ)の背景〕
  
  「主〔神〕」という構想は
 イブル人が始めた観念ではない。
 
 メソポタミアの未だシュメール時代が
 ペルシャ湾岸に芽生えるよりかなり以前、
 内陸部現トルコとイラクとの境
 「黄金の三角地帯」辺りに
 
 人類が野生の草〔大麦・小麦〕から
 穀物を収集し、季節を選んで種を播く
 天水農耕〔雨〕に気付いた頃からの発想である。
 
 穀物は野生の動物を狩るよりは遥かに容易に
 「食料」として人々には入手でき、
 人々の生活を守った。
 
 そのため人々は、
 「穀物」を「種」として
 「保管」するのに智恵を絞り、
 野生の動物などに雪が降り
 地上に青草などが無くなって、
 ひもじくなり人々の食料を
 横取りされないよう工夫した。
 
 その構造物が
 シンジャール地方で生まれた
 高床式建物で、
 二階部分に「穀物」は種としても
 安置されたのである。
 
 その様子は
 本書第一部でかなり詳しく紹介してある。
 
 この発明は後にまで
 フルリ〔丘の人〕あるいは
 スバル〔天〕に人として
 永く同山岳地帯に生き一部は南下して
 シュメールの文化を生み出した。
 
 その時代的過程は
 『旧約聖書』「創世記」の
 ノアの後裔のうちの「セム」系として
 当第二部第一章(一)(3)セムの子孫
 で説明してある。
 
 当該「穀物」または「大麦」の
 シュメール語名が en であり、
 その en を蓄える行為を 
 si-en-gar
 〔穀物(大麦)を蓄える:si~garが蓄える〕
 といい、
 上記のシンジャール「sinjar」
 〔地方名:山地名〕名となっている。
 誠に山岳地帯の植物〔木・草〕帯と
 砂漠地帯の境に位置している。
 
  この木造の高床式建物の構造物が
 シュメルが最初の都市エリドゥの祭壇跡の
 最下層に木造のため腐って跡形もないが、
 オックスフォード・ケンブリッジ両大学の
 発掘調査隊がその存在を確認している。
 
 時代はその後シュメールから
 アッカド、バビロンと下るが、
 次第にその構造物は
 木造から日干しレンガで組立て構築され、
 大型・高層化され、
 セム語でジクラトと称され
 「バベルの塔」へと変型していった。
 
 それがメソポタミアの神への
 信仰の中心に位置した。
 
 その塔の頂上にはシンジャル〔神社〕が、
 つまり神殿が建てられていた。
 
 イブル族の族長となったアブラハムは
 その父テラの時代「カルディアのウル」に
 いて後に北方へ移って行った。
 
 カルディアとは
 バビロン地方の一般名であった。
 
 つまり、
 イブル人たちはメソポタミアの信仰を
 体現していた人々であった。
 
  さて、
 彼等の歴史課程も重要だが、
 高床式建物が
 シンジャール山脈の東はずれ
 アルパチア遺跡の丘の地下から
 一九八七年に出土した出土品の鉢の
 内底円形中にある建物の意匠から
 その思念を考察してみる。
 
 上階である高床へは梯子〔階段〕で上がる。
 
  その上階には黒く塗り込んだ四角形が見え、
 これは箱でその中に
 貴重品を保管〔蓄える〕したとの表れで、
 
 その品こそ 
 en〔大麦:穀物及びその種〕だったのである。
 
 この en との表音が
 シュメール語の楔形文字は
 異なるものの「主〔主人〕」の意義として
 使われるようになった。
 
 穀物が人々を護り、
  種を播くと育ててくれるのだから
 「神」との観念に至り定着され
 使われるようになったと見ることができる。
 en は「主なる神」なのである。
 
 このような紀元前の古い時代からの背景を
 理由として
 前節(二)で YHVH 名を解釈した際
 その最初の語 Y を en〔主〕としたのである。
 
 イブル人の神信仰にはメソポタミアの文化が
 色濃く踏襲されているのである。
 
  いわゆる「十戒」の条項の制約により
 聖名 YHVH 呼称ができないことにより
 すでに紹介した
 HShM との呼称と共に頻繁に用いられる
 ADNY〔アドナイ〕についても考察する。
 
 この ADNY 一般語義も「主:主人」である。
 この用語の『旧約聖書』での初出は
 「創生記」第一九章で、
 同章での使用はいわゆる人間関係で、
 その仲間うちの「主人」を表す。
 
 同後段二三章からの
 アブラハムの伝承になると
 ほとんどそのアブラハムを
 「主人」と呼びかけるのに使われている。
 
 ただし、
 第一九章第一八節にある
 
 「ロトは言った。主よ、できません」
 
 とある ADNY はやはり 
 YHVH「神」のことらしい。
 
 そのロトに答えていう第二一節には
 VYAMR-XLYV〔言った-彼に〕とあり、
 その主語がない。
 
 だが、
 第一語の Y は
 「主」が語る際の慣用句であり、
 一八節においてロトが
 「主よ、~」と呼びかけた相手は
 「神」にするのが妥当だろう。
 
 また第二三章第六節の
 ADNY-MShYA-ALHYM との羅列では
 単に「人である主人」
 とだけのようではない。
 
 その語義は〔主-首長-神(複数)〕で
 「神々の首長である主」とも解釈され、
 『旧約聖書』の信仰世界で
 ALHYM や YHVH 名を「主」たる ADNY と
 呼称する理由になっているようである。
 
 次に同語をシュメール語で解釈すると、
 AD-Na-u〔父祖-人-草〕とあり、
 「草の人の父」となる。
 
 AD〔父〕語はイブル語では AB(V) で、
 キリスト教とも共通の「父なる神」の観念で
 通称され、「主」と同義である。
 
 「草の人」は
 『旧約聖書』「創世記」で
 アダムの二人の息子「麦を作るひと」としての
 カイン〔第三章「土を耕す者」〕及び
 アベル〔同「羊を飼う者」〕の
 背景からすると、
 「イブルの人々」との理解ができる。
 
 因みに
 「土を耕す者」とは
 「地に麦の種を播く者」だし、
 「羊を飼う」には
 その食料〔えさ〕となる青草〔牧草〕が
 なければならない。
 
 ADNY はつまり
 イブル人たちの「父神」を示していて、
 それが彼等の「主」なのである。
 
 それは YHVH 名や MShM 名と共一なる
 「生物誕生」に係わる思念を表している。
  
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

 


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