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(二) 旧約聖書「創世記」における「主」YHVH 名の初出とその原義 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (二) 旧約聖書「創世記」における「主」
      YHVH 〔ヤハウェ〕名の初出とその原義 
  
  さて『旧約聖書』全体において最も貴重な
 神の表記はYHVH〔ヤハウェ〕名である。
 
 この名称が記載される最初は「創世記」
 第二章第四節の初めである。
 同記述は次のようである。
 
    天地万物は完成された。
 
 第七日の日に、神は御自分の仕事を完成され、
 第七日の日に、神は御自分の仕事を離れ、
 安息なさった。(中略)
 
  これが天地創造の由来である。
 
  主なる神が地と天とを造られた時、
  地上にはまだ野の木も、
  野の草も生えていなかった。
 
  主なる神が地上に雨を
  お送りにならなかったからである。 
  また土を耕す人もなかった。 
 
 この「主なる神」のイブル語が
 YHVH-ALHYMで、
 第二章においてALHYMだけの記載で
 三回出た後第四回目、
 第一章からは三四回目の初登場となっている。
 
 この第二章から始まる用件は「生き物」で、
 まず「野の木」や「野の草」である。
 
 「木」といっても
 発芽は草の芽のようなものである。
 
 この第二章ではYHVH-ALHYMが一一回、
 第三章では九回、
 第四章に進むとYHVHだけがとなり、
 八回記載される。
 
 その後の章では
 YHVHだけが記述される場合が多くなる。
 
 しかし、
 時としてALHYMが使われたりし、
 そこに使用規律があるとはみられない。
 
  そこでYHVHの語義解釈を加えていきたい。
 
 ALHYM同様同語についても
 イブル語の解釈はできる。
 
 その詳細は後述する。
 
 ここではALHYMについて
 シュメール語解釈が
 可能だったことを踏まえて
 同様シュメール語で解釈する。
 
 この第二章第二節では
 「野の草」が象徴的に
 取り扱われていると注目する。
 
 つまりYHVHはシュメール語の 
 en-pa-ba〔主-もたらす-草〕で
 「草をもたらす主」との
 解釈が可能だからである。
 
 En〔主〕が「a」であるのは上記した
 ALHYM〔わたしは有る者〕の
 A が an〔わたし〕の
 合成語の「主語」となっているのに
 同様であるし、
 
 『旧約聖書』において向後
 YHVHはモーセの「十戒」のうちの
 一条「やたらに主の名を呼ぶな」とに従い、
 
 ADNY〔アドナイ:主人〕と呼称される
 実際に照らしてみると、
 やはり
 en〔主・主人〕とするのが妥当である。
 
 さて次の pa は
 「贈る、与える」とも用いられているが、
 
 ここでは「生じさせる」の意義で
 「もたらす」であり、
 
 ba〔草〕その出自が羊飼いたちのイブル人、
 また草の一種「麦」を食糧とする
 イブル人にとっては
 特別の「生き物」「植物」である。
 
 この「草をもたらす」との観念は
 ADNYと共にYHVH名の代わりに
 呼ぶこととなっているHsHM〔ハシェム〕の
 シュメール語解釈に一致する。
 
 同語は pa-sham〔もたらす-草〕で、
 YHVHとHsHMとは同語となる。
 
 つまり、
 baとShMは表音は違えども同じ「草」を表す。
 
 双方と「地上」に
 初めて「生き物」を「生じさせ」た
 神の仕事としての共通意義を持っている。
 
 これらがYHVH名が
 第二章に初めて記載された理由である。
 
 YHVH-ALHYM は「存在〔天地〕」を
 造られた方が、
 地上に「生物〔草〕を生やさせた」となる。
 
 そして、
 「創世記」第三章で
 「主」は「人間」を造られる経緯が語られる。
 
   ≪参考≫「創世記」第二章
1 こうして天と地と、その万象とが完成した。
2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、
5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。
6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。
7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。
8 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。
9 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
10 また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。
11 その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、
12 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。
13 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。
14 第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。
15 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
16 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
17 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
18 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
19 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
20 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
21 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
22 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。
23 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
24 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
25 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
  
M.K記

 連絡先:090-2485-7908


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