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(四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第二章 イブル〔ヘブライ〕の神「主」の神格
  
   (四) YHVH〔yahavah〕名のイブル語解釈
  
  この神名はイブル語で
 解釈できないわけではない。
 
 それどころかイブル語で解釈される
 その神性は強勢で『旧約聖書』全体に
 流れている神の態度そのままで
 あるばかりでなく、
 キリスト教『新約聖書』においても
 全く変えられていない。
 
  宗義上からすると、
 その呼びかけさえ禁止されているのだから、
 その用語を解釈するなど以っての外である。
 
 しかしながらかなりのヘブライ学者が
 その由来・語義を明白にしようと試みている。
 そこでも本書も妥当と理解される
 イブル語での考察を行う。
 
 ではどういうイブル語 YHVH の単語を
 形成したのか具体的に分析する。
 
 まず語頭の"Y"は主語で、
 三人称単数男性形に対応する用語で、
 日本語で短絡的にいえば 
 「彼」「それは」である。
 
 また後半の HVH 部分は
 現在のイブル語では KhVH で 
 別の綴りでは HVVH で、
 
 前者は現在の表音で khivuh といい、
 ミレトス社の辞典はその語義を
 「言う、述べる、表現する、言明する」とし、
 
 後者は現在の表音で hoveh となり、
 「表す、示す、述べる、指摘する、
  指示する、呼ぶ」とあり、
 二語ともほとんど同義である。
 
 前者の三人称単数男性形現在で
 NKhVH〔nekhivuh〕となる。
 
 また後者は三人称単数男性形未来では
 YKhYH〔yehivuh〕 となる。
 
 また後者は
 三人称単数男性形現在で
 NHVVH〔nehoveh〕 、
 三人称単数男性形未来が
 YKhVH〔yekhoveh〕である。
 
 YHVH はこれらを包含した用語と考える。
 
 これらの表現に最も近似した語義を
 日本語で表すと、
 
 「そ(彼)は言明する」で、
 
 その意義として
 「彼は呼びかける」
 「彼は召す」ともなる。
 
 これらの方向は
 『旧約聖書』の「主」の
 神性そのものを示している。
 
  第一に指摘できるのは
 「創世記」第一章の初めからすぐ第三節に
 
 「神は言われた。"光あれ"」とある
 
 「言う」から始まっている。
 
 その単語はAMRで、
 正に直裁的な「言葉を発する」ではあるが、
 同語はその章の
 第六、九、一一、一四、二四、二六、
 二八、二九節に用いられている。
 
 つまり「主」は「言う」のがその神性である。
 
 『旧約聖書』の全体には
 終始「言う」との用語が、
 この AMR 、また DBR〔語る〕初め
 数多く表現されている。
 
 それら用語の役目は
 「呼びかける」「導く」との趣旨であり、
 そこには「命令」が含まれている。
 
 「創世記」第六章第一三節にも
 この AMR を用いて
 「神はノアに言われた」と
 大洪水を起こすことと共に
 箱舟を造ることを言明をする。
 
 そして第二二節で
 
 「ノアはすべて
  神が命じられたとおりに果たした」
 
 となる。
 
 神〔主〕の命令に従ったことで
 ノアの家族は洪水の難から
 救われることができたのである。
 
 このように神〔主〕の「言明」は絶対である。
 
  YHVH 名の別呼称として紹介した
 HShM 名にしても
 イブル語 HShMY I〔hishmiy ia〕に係わり、
 
 「宣言する、発表する、通知(報告)する」
 
 の語義である。
 
 何しろ現在のユダヤ教においても
 ShMY-YSRAL との祈りの祭りがある。
 
 その語義が
 「聞け、イスラエル」で、
 「通告」を人々に
 「聞け」強要(命令)している。
 
 そして僕(しもべ)〔信仰者〕となった人々は
 「アーメンAMEN」
 〔然り、そのとおりです〕といい、
 神の命令に「服従する」というのが
 その宗旨である。
 
  また主YHVHは服従者〔信仰者〕には
 徹底的にその「生」を保証するというのが
 その究極的意向である。
  
 イブル語のYHVHのHVHに近似した用語に
 YRHがある。
 
 その語義は
 
 「示す、指示する、質問する、命令する」で、
 
 実際使われる活用形にHYRH〔horah〕とある。
 
 同語の近似語が留意されるYKhKhで
 実際の活用形がNYKhKh〔noxakh〕で
 
 「確信する、納得する、~が真実であると解る」
 
 で
 
 「真実を明らかにする、
  証明〔立証〕する、叱る」
 
 の語義となる。
 
 同語の変化 HYKhKh〔huxakh〕は
 「証明する」にしてまた
 「証明される」ともなる。
 
 これらの語群から、
 主なる神は信仰者に結果として「証明」が
 与えられるまで「導く」のである。
 
 「創世記」第二四章第四四節に
 
 「主が主人の息子のためにお決めになった方」
 
 とある中の「決めた」は
 HKhYKh〔hoxykh〕で
 「証した」との語義である。
 
  さて
 AMRと共に「語る」語義のイブル語として
 DBRを紹介したが、
 同語を用いた教典があり、
 それについて説明しておきたい。
 
 それはモーセ五書のうちの日本語で
 「申命記」と称されているもの
 
 〔他は
  「創世記」
  「出エジプト記」
  「レビ記」
  「民数記」〕で、
 
 そのイブル語名が
 DBRYM〔DBRの複数形〕である。
 
 同語は「語る、話す」との動詞形と
 
 「語、単語、言葉」となる名詞形にも
 同綴りで用いられ、
 当該「申命記」では
 名詞用法でその意義は
 「神の言葉」となる。
 
 「申命記」の最初第一章第一節は
 次のように始まる。
 
 「モーセはイスラエルのすべての人に
  これらの言葉を語った。」
 
 この「言葉」が
 DBRYM〔debariym〕であり、
 「語った」がDBR:ダベルである。
 
 つまり同語は「神の言葉」であり、
 モーセが語ることによって人々に
 「告げ」られたのである。
 
 モーセが語った言葉は
 「神の言葉」で命令である。
 
 その前の第三節に
 
 「モーセは主が命じられたとおり
  すべてのことを
  イスラエルの人々に語った」
 
 とあり、
 この「語った」もDBRであるが、
 主が語る事々は「命令」なのであり、
 それには従わなければならない。
 
 それが神〔主〕と信仰者との約束である。
  
M.K記

 連絡先:090-2485-7908

 


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