SSブログ

(四) クシャン王朝と絹貿易 [神聖の系譜]



神聖の系譜』の目次3へ戻る https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-11-25-1 
「神聖の系譜」出版協力のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]

『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第三部 イブル〔ヘブライ〕の十二部族
 
  第二章 失われたイスラエルの十支族の流浪
  (四) クシャン王朝と絹貿易 
  
  大月氏国五翕候時代は四十年続くが、
 紀元前二〇年頃から五翕候のうち貴霜ギリシャ名
 ヘラウスが統一行動を始める。
 
 そして紀元後四五年に他の翕候国を圧えて
 グジュラ・カドフィセスにより
 クシャナ王朝が成立する。
 
 カドフィセスの王朝はその子
 ウーマ(カドフィセス二世)の時代
 一四四年まで続き、
 その後やはり于闐出身とみられる
 カニシカ王がその王権の座につき
 支配王族が交替する。
 
  カドフィセスの王朝が富み盛えたことが
 インドの仏典により知られる。
 
 中村元の「インド古代史」によると
 
 「クシャーナ帝国の財力は
  ローマとの貿易によって蓄積されたことも
  相当大きかったに違いない。」とし、
 
 その実情を次のように述べる。
 
   クシャーナ族が西北インドを
   支配した時代になると、
   ローマとの交通が活発になり、
   商業活動が盛んになった。
 
   当時水路の旅行は盛んに行われたらしい。
 
   陸路の旅行は困難であるが、
   水路の旅行は安易であるということが、
   当時の仏典にも盛んに強調されている。
 
   この時代にはインドからローマに輸出された
   莫大な奢侈品と交換に、
   ローマから多くの金が大量に移入された。
 
   クシャーナ帝国の商人はローマとの交易を開き、
   絹・香料・宝石・染料などを売って
   ローマの黄金を獲得した。
 
   プリニウスの伝えるところによると、
   その当時は毎年五千万 sesterius の金を
   ローマからもち去ったが、
   それに対して送ってよこした商品は
   原価の百倍で売られたという。
 
 そして
 「このローマの金の大量移入を
  可能ならしめた発端は、
  先グジャラがローマと使節を
  派遣したことに求められるべきであろう。」
 とする。
 
  このようにタリム盆地を通じて
 玉・絹の交易路を確保していた大月氏族は
 ローマとの交易を成立させ、
 それまでのペルシャから小アジア方面への交易網を
 活用していたが、
 後には海路に大量輸送へと転換をはかることになる。
 
 ※出典:吉川弘文館
  世界史年表・地図
  標準世界史地図 14p
三世紀のアジア
三世紀のアジア.jpg
M.K記

 連絡先:090-2485-7908


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。