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(一) モーセの信仰② [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
第二部 メソポタミアとイブル〔ヘブライ〕
 第三章 『旧約聖書』「出エジプト記」とモーセ
  
  (2) モーセ一人エジプトを脱出する
        
  (b) モーセの「主」との邂逅
 
 「出エジプト記」第三章第一節は
  次のように展開する。
 
  モーセは舅(しゅうと)であり
  ミディアンの祭司である
  エトロの羊を飼っていたが、
  あるときその群れを
  荒れ野の奥へ追って行き、
  神の山ホレブに来た。
 
  その時柴の間に燃え上がっている
  炎の中に主の御使いが現れた。
 
  彼が見ると、見よ、
  柴は火に燃えているのに柴は燃え尽きない。
 
  モーセは言った。
 
  「道をそれて
   この不思議な光景を見届けよう。
   どうしてあの柴は燃え尽きないのだろう」。
 
  主はモーセが道をそれて
  見に来るのをご覧になった。
 
  神は柴の間から声をかけられ、
  「モーセよ、モーセよ」と言われた。
 
  彼が「はい」と答えると神が言われた。
 
  「ここに近づいてはならない。
   足から履物を脱ぎなさい。
   あなたの立っている場所は
   聖なる土地だから」。
 
  「わたしはあなたの父の神である。
   アブラハムの神、イサクの神、
   ヤコブの神である」。
 
  モーセは神を見ることを恐れて顔を覆った。
 
 モーセが「主〔神〕」に邂逅したのは
 「神の山ホレブ」であった。
 
 同語はイブル語聖書には
 HR-HALHYM・KhRBH とある。
 
 この HR はシュメール語と同じ
 〔hur〕で「山」を表す。
 
 続く H イブル語文法で合成語の際の」 
 「~の」との助詞で 
 ALHYM は「神」であるから
 「神の山」となっている。
 
 次の KhRBH は
 イブル語では「荒地、荒野」の語義、
 現在のシナイ半島、エジプトの東方に
 広がる地帯の印象から「砂漠」を想像させるが、
 
 上記の引用から推察すれば、
 羊が喰う牧草がまばらにしても広がっているし、
 この山には「柴」がある。
 
 決して全くの荒野(砂漠)ではないのである。
 
 そこで KhRBH を分析すると、
 KhR は HR とはほとんど同音で同義、
 また VH は
 シュメール語の Bi で「宗儀の」語義で
 hur-bi〔山-神霊〕と解釈され、
 ここでの同山名は「神(霊)の山」である。
 
 つまり、
 この山でモーセは「神」に邂逅したのである。
  
  (c) 「主」の神性:自己紹介名「有りて有る者」
 
 「出エジプト記」第三章の後段(第一三・一四節)
 にはモーセと「主」との会話があり、
 次のようにある。
 
  モーセは神に尋ねた。
 
  「わたしは今
   イスラエルの人々のところへ参ります。
   彼等に
   「あなたちの先祖の神が、
    わたしをここに遣わされたのです」
  と言えば、
  彼らは「その名は一体何か」
  と問うに違いありません。
  「彼らに何と答えるべきでしょうか」。
  神はモーセに
  「わたしはある。わたしはあるという者だ」
  と言われ、
  また
  「イスラエルの人々にこう言うがよい。
  『わたしはある』という方が
  わたしをあなたたちに遣わされたのだと」。
 
 ここに記述されている「わたしはある」の
 イブル語は AHYH で
 「わたしはある。わたしはある」は
 日本聖書協会などは
 「わたしは有って有る者」と訳している。
 
 確かにイブル語の原典には
 AHYH-AShR-AHYH (ַהיה־ַסהר־ַהיה)とある。
 AHYH をイブル語文法により解釈すると、
 A は一人称単数の AN〔わたし〕で、
 HYH は「ある、居る、存在する」である。 
 
 また中段の AShR は関係代名詞で
 「~のところの」で、同語を英訳すると解かり易い。
 
 I am who (that) I am となる。
 ※I am that I am is a common English translation of the Hebrew phrase אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה’ehyeh ’ăšer ’ehyeh ([ʔɛhˈjɛh ʔaˈʃɛr ʔɛhˈjɛh]) – also "I am who I am", "I am what I am" or "I will be what I will be" or even "I create what(ever) I create".[1] The traditional English translation within Judaism favors "I will be what I will be" because there is no present tense of the verb "to be" in the Hebrew language. So for example to say "I am a sailor" in Hebrew would be Ani Malakh (literally in English is "I sailor").
 
 この HYH には現在ばかりでなく未来、
 いうなれば「永久に」との概念も内包されていよう。
 
 これらの表現の意図するところは
 「神の実在」の強張である。
 
 YHYH 語が『旧約聖書』に初めて出てくるのは
 「創世記」第一章三節の天地創造の段で、
 「光あれ」と言った、
 その「あれ〔命令形〕」が
 同語で YHY〔~あれ〕とある。
 
 また第二九節の「生き物」の創造の段に
 YHYH 語が出、
 「食べ物になる」の「それは~になる」
 との使用になっている。
 
 語頭の Y は「それ」の語義で本書前章で詳説した
 YHVH 名と同じ語頭の Y と同じ用法である。
 
 「創世記」第三章第五節の
 「地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった」
 と「ある」の語義で YHYH は記されている。
 
 ここでは否定語が付されて「ない」となっている。
 
 これらは植物についてであるが、
 動物に関してもこの用語が記されている。
 
 同第一章第二十節に「生きている魂」
 という用語に HYH は使われており、
 「物」のうちでも「生き物」、水中のもの、
 空を飛ぶものを対象にしており
 「生物の創生」と
 その「生息」を含めた表現となっている。
 
 まさに
 「天」のすべてに「神」は実在しているとの主張が
 「有る者 AHYH」には含まれている。
AHYH-AShR-AHYH (ַאֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה)
エヒイェ・アシェル・エヒイェ
我は有りて有る者
  •  


     変換表
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    \ / yy vy vv S X t x r q C c P p `
       
        : | - + u V O o、A a e E i ^o ^a ^e ^
 
   ≪参考≫
  神の山ホレブ
 八咫烏鏡
M.K記

 連絡先:090-2485-7908


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