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第十二章 大国主神と大物主神:青垣と神社 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十二章 青垣と神社
 「青垣」を
 三輪山そのものとする考えを述べた。
 それは『古事記』の原書に
 「倭青垣東山」とあることに依る。
 「垣」は天門である三輪山そのものであり、
 「青」は緑の樹木に包まれていることを
 想起させる。
 サンスクリット語の
 「垣、囲壁」を表わす 
 kaksyā は kakṣa と同類で
 双方とも「帯」の意味を含む。
 『古事記』雄略天皇条の歌に
 「みもろに築く玉垣」とある「玉」は
 サンスクリット語の
 dāna の音写で「帯、紐」を意味し、
 「玉垣」は神殿などの周囲に設けられた垣で、
 瑞籬などをいうものである。
 帯は環状にして使用されるもので、
 mālā は「環」を表わし御諸の原語 
 mih(megha)-mālā の構成語で、
 環が輪であることから三輪となっている。
 この環こそ三輪山の垣なのである。
 サンスクリット語 
 kakṣa (垣) の同義語に 
 kāñci (垣) があるが、
 これはラテン語の 
 cingo 、cinxi、cingulum と
 祖語を同じくする。
 その祖語は
 北メソポタミアの山脈
 シンジャール sinjer に
 遺留されている。
 Sinjer はドイツ語に 
 Zingel (囲壁、市の城壁、段丘)、
 Sigel (市の外壁)となっている。
 またサンスクリット語に 
 śṛṅga があり、その本意は「角」である。
 パーリ語では śinga と表記される。
 シンジャール山脈のある地方は
 ハブール地方で
 牛角信仰の主要な地域であったとの考察を
 第2章:メソポタミアと牡牛で展開した。
 同語はまた
 「小塔、高さ、頂点、山頂、峰」の
 意味を持つが、
 śṛṅga-gāta は
 「三角形、三角形の場所」を表わす。
 その訓音は、
 śṛṅga-vera が
 生姜:しょうがを意味するので、
 英語の ginger 、
 ドイツ語の Ingwer にあるように
 「シンジャール」 であることに間違いない。
 「角」が
 カルト(ケルト)人の祖語であることは
 第3章:カルト人の進出などで考察した。
 ラテン語の cerat は「角」であるが、
 ドイツ語 Gurt は「帯、紐」である。
 これらの用語が持っている概念が
 シンジャールである。
 「青垣」はこの 
 sinjer を祖語とする
 サンスクリット語の
 śṛṅga(シンガ):角を音写した用語である。
 メソポタミアの
 アルパチア遺跡から出土した碗に描かれた
 高床式建物の屋根は
 牛角の形容をみせていた。
  
 その高床式建物を守るために垣、壁が
 備え付けられただろうことも考察した。
 それらを総合した神殿 
 sig (壁)-gur (穀倉)が
 シンジャールなのである。
 「青垣」 の音訓は 
 sei-en (日本語音訓)だが、
 古語では sin-gan であったとみられる。
 垣は「クァン、グワン」と訓まれた。
 漢音に於いては qing-yen である。
 Singan は śṛṅga または
  その同義の śṛṅgaka である。
 三輪山はその śṛṅga の概念に合致する
 円錐形の山容である。
 三輪山は確かに緑の樹木に包まれ、
 その状態から「青」が連想され
 用いられたと想像できるが、
 実は「青」には別の理由も考えられる。
 桜井茶臼山古墳の遺物の中に
 碧玉製の玉杖があったのを始め、
 三輪山の山ノ神祭祀遺跡からは
 五個以上の碧玉製曲玉、
 南麓の脇本遺跡の菅玉など、
 この周辺からは
 緑色、青色の宝玉が多く出土している。
 それには理由があり、
 大物主神であるインドラ神は
 indra-nīla といって青玉(サファイア)、
 緑柱石(エメラルド)と結びつけられ、
 それらの宝玉に飾られているからである。
 Nīla は
 「青、蒼、青緑、紺青」の色を表わす。
 さらに「黒い、暗青色」を含む。
 Mahā-nīla はサファイアをいう。
 この概念が「青」字を使わせたのである。
 「神社」は青垣がさらに転訛された表現である。
 三輪山は神殿を必要としないので
 青垣が妥当であったが、
 「本殿/神殿」を備えた宮にとっては
 その表現は相応しくなかった。
 神社の定型は
 アルパチア遺跡の碗に描かれた
 高床式建物同様、
 神体を斎(ゆま)はる聖所への階段があり、
 屋根には角状の千木が施されている。
 また神殿の前には拝殿が建てられ、
 その左右から壁を継ぎ、
 神殿を包む囲壁とされる。
 神殿地には
 神職以外入れないというのが原則で、
 ここが天空界であることを示唆している。
 その象徴として鳥居を設け
 神社が天空界であることを参拝者に
 教えている。
 神社(ジンシャ)とは
 日本固有の用語ではなく、
 ハフリ:祝と同様
 メソポタミアから始まった
 宗教用語なのである。
 第5章 旧約聖書「創世記」でみたように
 祝祭の宗族ユダヤ教の
 宗教施設シナゴーグ synagogue (英語) も、
 「集会所」がその役柄で、
 宗旨として神体を持たない理由によるが、
 その祖語も sinjer であろう。
 キリスト教の教会
 kirche(ドイツ語)、 
 church(英語)なども
 祖語は「角」である kert である。
 「神社」が
 サンスクリット語の śṛṅga 、
 パーリ語の sīng (角)= sinjer に
 由来するとして少しもおかしくない。
※高床式神殿、牛頭、
 空白の布幕、幕と婦人、
 マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の
 碗形土器に描かれている) 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
イメージ 1
※ARPACHIYAH 1976
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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第十二章 大国主神と大物主神:瑞垣(籬)と三ツ鳥居 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十二章 瑞垣(籬)と三ツ鳥居
  第10代崇神天皇の宮城は、
 『古事記』で「師木の水垣宮」、
 『日本書紀』で「磯城の瑞籬宮」という。
 
 瑞籬は古語で「ミスカキ」と訓まれた。
  
 「ミス」とは何か。
 
 『古事記』のいう「水」であろうか。
 
 いやこれは「御簾」のことで、
 スダレのことである。
 
 そして、「ミスカキ」の表現するものは、
 大神神社の象徴「三ツ鳥居」なのである。
 
 現在も鳥居の中央に赤く縁取られた御簾が
 注連縄(しめなわ)とともに垂らされている。
 
 三ツ鳥居は「御簾鳥居」であったと
 思えるほどである。
 
 しかし、それは妥当しない。
 
 この鳥居は
 集合された三ツの鳥居であるからである。
 鳥居には壁がつけられており、
 その壁の部分を瑞垣と呼んでいる。
 
 瑞垣は矢来のことで
 細い竹などで縦横に組んだ柵をいい、
 その細密に組んだり格子状にした垣をいう。
 
 三ツ鳥居の場合は左右の板壁の上の部分に
 交差した格子を浮彫りし、
 兎(うさぎ)と流水が施されている。
 
 この「垣」を追求することは
 三輪山・大神神社を理解することになる。
 
 つまり、
 三輪山が「青垣東山」であるからである。
 
 「青垣」を大和盆地を包囲する山々とする
 見解が一般的であるが、
 三輪山そのものとも考えられる。
 
 「垣」は日本固有の用語ではない。
 
 インド・ヨーロッパ語圏の用語である。
 
 サンスクリット語の 
 kakṣa あるいは kakṣya 、
 ドイツ語の Heck 、 Hecke 、
 英語の hedge と
 祖語を同じくすると理解され、
 その語義は「囲壁、柵、垣」と共通している。
 
 更にその遠祖は
 シュメル語にある 
 kak (棒、杭)にある。
 
 Kak-šar は「園の杭」となる。
 
 この kakšar から派生したのが 
 kavkasis (ラテン語 caucasas)で、
 コーカサスの語幹 
 kavkas は「囲い」の意味を成す。
 
 コーカサス山脈は黒海とカスピ海の間にあり、
 高い岳で5000メートルを越す。
 
 大小二つの山脈があり、
 その山間に
 グルジア国やアゼルヴァイジャンなどがある。
 
 第4章カルト人の移動で紹介したように、
 グルジアのカルトヴェリ(イベリア人)は
 古代メソポタミアのスバル人の後裔である。
 
 彼等は紀元前4・5世紀に移って来てから
 この峻烈な山々に天然の要塞(囲い)と考え、
 そう呼んだに違いない。
 
 グルジア人の中に
 イメレディと呼ぶ人々がいる。
 
 彼等がメソポタミアの
 テル・ブラクの前4千年紀の神殿から
 大量に見つかった
 「眼の偶像」の創造者であるとの見解も述べた。
 
 眼( mat )は太陽の象徴であったが、
 この用語は
 インド・ヨーロッパ語圏に移入され、
 ギリシャ語に ημέρα として残る。
 
 サンスクリット語の 
 ahar と同義で「日、昼」を表わす。
 
 この用語が古代日本にやって来て
 「ヒモロギ」となる。
 
 Ημέρα-γη は
 「日(太陽)の土地」の語義で
 「神籬」と表記される。
 
 「日神」あるいは「天照神」の坐す所をいう。
 
 崇神天皇の時、
 天照大神が遷座された斎宮は
 礒城神籬といわれる。
 
 三輪山は 
 divasa(日、昼)である dyaus 神、
 大物主神(事代主神)を祀り、
 既にして神籬である。
 
 幽宮(カクレノミヤ)という
 神の鎮まる宮居をいう表現がある。
 
 『日本書紀』に伊弉諾尊が
 淡路に幽宮を構えて隠れられたいう。
 
 「カクレ」は「隠れ」で
 「垣」の向うに入ることをいう。
 
 「垣の向う」はまた「日向」である。
 
 「日向御子」はウシャス女神で
 暁の神であることを述べたが、
 スバル人の後裔が
 グルジアの暁を表わす
 ziskari は za-kari (天‐門)
 と構成されている。
 
 つまり
 日向御子(高宮神社)の鎮座する
 三輪山は天門であり、
 三ツ鳥居はその象徴である。
 
 大神神社の神域には本殿(宝倉)がない。
 三輪山を神体と考えている。
 
 三輪山の禁足地前に三ツ鳥居があり、
 その前に拝殿があり、
 拝殿への入口には鳥居は無く、
 〆柱が立てられているのみである。
 
 いかに三ツ鳥居が重要であるかが解かるが、
 三輪山自体が天門(神門)である。
 
 ここで三ツ鳥居の意義について
 考察してみたい。
 
 ウシャス女神は「御子」であるからには、
 その親神は「日向」である。
 
 日向神はいうまでもなく
 ディアウス神であり、
 divasa で日神である大物主神であるが、
 暁(天門)の向う(奥)に坐す(次に現れる)のは
 太陽である天照大神ということになる。
 
 天照大神は天界の支配的神である。
 
 この「天・天空」を表わす用語が 
 cuturth (第四位で空(くう)を象徴する) の
 派生語で tūrya で、
 これも第四位の「空」を表わす。
 
 「空」は「天空、天界」に通じ、 
 tūrya はその象徴である。
 
 この用語が「鳥居」と転写されたのである。
 
 その様子は既に
 第11章の「稲荷、黄金山信仰」で、
 稲荷神社の赤鳥居
 に対する想念として紹介した。
 
 大神神社の場合も既にみたように
 雲や太陽神への信仰から
 天空への想念が強い。
 
 tūrya は traya (tri-) に
  その訓音が近くその字義が
 「三」 を表わし、
 「三重の、三より成る、三種の」
 の意味でもある。
 
 これらの概念を表現したのが
 「三ツ」鳥居である。
 
 traya と祖語を同じくする。
 
 同様の概念で鳥居を「三」に構えたのが
 京都市右京区太秦森の
 東木嶋坐天照御魂神社の境内にある
 三角形、三本柱の鳥居である。
 
 「天照御魂」とはこの三ツ鳥居とみられる。
 
 町名森の東の「東」は「日向」であろう。
 
 三輪山には中世の史料に一部
 「神体杉木」あるいは磐座に
 当てるものがあるほか、神体は無い。
 
 大神神社のご神体は「天」なのである。
 
 そして三輪山はその天門であり、
 三ツ鳥居は天門の象徴なのである。
 
 三ツ鳥居の扉は年中閉ざされたままである。
 
 春秋の大祭においてさえも、
 御開扉と称するものの
 宮司が御簾を巻き上げるに過ぎない。
 
 しかも
 御簾の向うには幔(とばり)が掛けられていて
 中央の扉を拝観することはできない。
 
 ただ年に一度
 元旦の午前1時から始まる
 繞道祭:にょうどうさい(ご神火まつり)に
 おいてのみ開扉される。
 
 それは
 垣内で鑚火を採るためであるが、
 ご神火とは
 天照若御魂神にして日向御子、
 ウシャス(暁)である
 「天照大神」の象徴と考えられる。
 
 天門より参られる
 天照大神をお祭りするのであり、
 それは初日の出を拝礼するのと
 同じ意義を持つ。
 
 三ツ鳥居の本鳥居の柱の前に
 「唐居敷」と呼ぶ方形の石が据えられている。
 
 この二つの石は柱を支えるのでもなく、
 鳥居の構造に係わるものでもない。
 
 特別の意義があって置かれた様子である。
 
 「唐居敷」は
 「唐を置き据える」とみられ、
 「唐」の持つ意味が重要である。
 
 「カラ」はサンスクリット語の 
 kīla の転訛である。
 
 その語義は「杙、閂、橛釘」で、
 これが indra-kīd となると
 「門前の杭」、「入口の土合石」の意味となる。
 
 閂は釘である。
 
 橛は「門の中央に立ててある低い杭」で
 「門前の杭」であり、
 「入口の土台石」は
 唐居敷が象徴するに相応しい。
 
 ここで
 三ツ石を置いているのは
 脇鳥居を持つ構造で
 本鳥居が中央であるからであろう。
 
 Indra-kīd の indra は
 インドラ神によるが、
 ここでは
 猿田彦神の性格を考察した際に
 明らかにしたが、
 「案内する、紹介する」門を
 主旨とした意味合いである。
 
 摂社玉列神社(桜井市慈恩寺)の境内には
 猿田彦社が鎮座している。
 
 『日本書紀』が大物主神の神妃となった
 勢夜陀多良比売命の父を
  「三嶋溝橛」と「橛」字を使っているのは、
 彼がやはり大神神社の信奉者
 であったことを物語っていると
 みることができる。
 
 三ツ鳥居は、三輪山を天門とする、
 その前に立つ「垣」であり、
 門前の「杙」である。
 
 大神神社の霊威の象徴として
 「清めの砂」がある。
 
 建物の普請や造作に際して
 その地に振り撒かれる。
 
 この「砂」はまた
 「天空、虚空」の意味を持つ
 サンスクリット語の 
 śuna に由来する信仰である。
 
 稲荷大社の場合でも
 「砂」が関係していた。
 
 Śuna の近似音語 
 sūna は「花」を表わすが、
 「ほとぎ、そん」といった
 三枝祭(ゆりまつり)
 に欠かせない神饌である。
 
 同祭は
 率川(いさがわ)坐大神御子神社の
 例祭である。
 
 三枝の花(笹ゆり)を
 岳(ほとぎ)、罇(そん)という
 酒樽を飾ってお供えをするという。
 
 「そん」は罇(酒樽)とされているが、
 その神饌の主体は笹ゆりである花であり、
 sūna の転訛したものと考えられる。
 
 三枝祭の特殊神饌では
 折櫃(おりびつ)を柏葉で迎う。
 
 この「柏葉」で神饌を奉る禰宜を
 「かしわ手」といい、
 「膳夫」と
 表記されるようになったと推測される。
 
 三輪山信仰は天空への信仰なのである。
 
※三輪山信仰
※三ツ鳥居
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908
  

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