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第十一章 日本に祀られたインドの神々:稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山)② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]




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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山)②》
  
 稲荷山は花山であり石山で、
 インドラ神話においてインドラ神は
 sumeru 山の svarga に住む。
 
 稲荷山とは
 インドラ神(佐田彦神)の住居のある
  スメル山なのである。
 
 スメル山はパーリ語で 
 sineru 山といい、
 その意味は「花山」である。
 
 稲荷を「イナリ」と読む理由も
  本実はここにあったと考える。
 
 稲は秦公(はたこう)の「秦(しん)」と
 その意味を同じくする。
 
 その漢語の訓音は qin で、
 英語の中国の呼称 chine の祖語
  と考えられている。
 
 よって中国(chine)の名称は秦国で
 秦は稲の種類名であることから
  「稲国」の意味となる。
 
 よって稲荷は
 「秦荷」とも内容的には表記でき、
 「シナリ」で sineru に符合する。
 
 つまり漢字で稲荷と表記されたのは
 秦公氏(秦中氏、田中家)と荷田家が
 奉祀する神社:秦荷社=
 稲荷社との背景があろう。
 
 『風土記』「山城国」逸文の
 伊奈利社の伝承は
 以上のような背景から生まれたと思う。
 日本古典文学大系「風土記」から転載する。
 
  風土記に曰はく、
  伊奈利と称(い)ふは、
  秦中家忌寸等が遠っ祖、伊呂具の秦公、
  稲粱を積みて富み
  裕ひき、もち、餅を用いて的と為ししかば、
  白木鳥と化成(な)りて飛び翔(かけ)りて
  山の峯に居り、伊禰奈利生ひき。
 
  遂に社の名と為しき。
 
  其の苗商に至り、先の過ちを悔いて、
  社の木を抜(ね)じて、
  家に殖えて祈り祭りき。
 
  今、其の木を殖えて蘇(い)きば福を得、
  其の木を殖えて枯れば福あらず。
 
 稲がなる(伊奈利)を
 その起りとしているが疑わしい。
 
 この伝承中から注意をひくのは
 かえって稲粱である。
 
 「粱」は諸本に「梁」とあると
 同書は注書きしているが、
 粱、梁ともその訓音はリョウ(liang)で、
 稲粱はイナリと読める。
 
 「粱」は「玄米を搗いて白くした米」、
 
 つまり精白米のことで、
 宇迦御魂に相応する。
 
 穀類の茎についているものを
 粱(あわ)というのがその精米過程である。
 
 「禾」を作りとする秦は
 耕地から穫られた種名である。
 
  精製して白く輝く米のイメージは「稲妻」、
 つまり雷電である「大杉」と結びつく、
 それがこの逸文の後半の「木」と係わる。
 
 稲荷社の信仰には
 稲荷神の顕現として
 「験(しるし)の杉」として
 禍福を占ったという。
 
 この杉木が蘇(い)き続けることは
 豊作をもたらす験であった。
 
 稲荷大社の神使は白狐である。
 
 白狐伝承の起源はどこにあるかであるが、
 これもサンスクリット語の 
 jambhu に連なる用語から派生したものである。
 
 Jambhu-ka がそれで
 「山にすむもの、やまいぬ」から
 「狐、狸、狼」を意味する。
 
 そのうち狐になったのは
 「フシミ」の「フシ」が
 ラテン語で fuch 、
 英語で fox というように
 狐であったからである。
 
 これは後に鍛冶職が
 稲荷信仰を盛んに行ったと同じ理由による。
 
 「フシ」は pusy の「吹く」意味で、
 フイゴ(吹子)に通じる。
 
  Pusy(フシ)は藤とも音写される。
 
 鍛冶屋に関係した「藤」の物語は他にもある。
 
 諏訪大社の祭神御名方神が諏訪へ入る際、
 守矢の神が鉄輪(さなぎ)を持って
 戦ったのに対し、
 御名方神は藤枝で戦ったという。
 これは
 製鉄技術の技術レベルを象徴化した寓話で、
 野多多羅に対し、
 御名方神の方は
 フイゴ(吹子)で製鉄する技術を
 持って来たというものである。
 
 諏訪大社の摂社に藤島社があるが、
 Pusy(吹子)技術を祀ったものと考える。
 
 さらに
 富士山名の「フジ」もこの
 Pusyに原義がある。
 
 古代に活火山であった同山は
 盛んに噴いていたのである。
 
 神使が白狐であり、
 また稲荷神が鍛冶神(鞴神)として
 崇められる背景にはそのような理由がある。
 
 さらに江戸時代になって激しいが、
 商売繁盛の神として絶大な人気を得た。
 
 繁栄の神としての性格は
 豊作をもたらす神として既に古来あった。
 
 その理由を探ると、
 これもサンスクリット語の花 
 puśpa の同類語 puś に由来する。
 
 Puś(Pusyati) は
 「繁栄する、繁茂する、繁盛する」で、
 名詞形 puṣh あるいは poṣu は
 「繁栄、繁盛、豊富」を表わす。
 
 最後に、
 稲荷神社といえば
 赤い鳥居に特徴づけられている。
 
 その理由は五祭神のうちの
 四(しの)大神に係わる。
 
 その呼称を「シノ」としていることは
 西野、科、志野と同様
 花を表わす sūna とも考えられるが、
 この場合は「空虚、大空」を表わす 
 śuna に依拠した
 シネル sineru 山に対応する。
 
 「四」は第四位の表記で、
 サンスクリット語の 
 cuturtha を表わすが、
 その派生語が同義の 
 turya で、その音写が「鳥居」である。
 
 鳥居は四大神名そのものなのである。
 
 しかも第四位は「空(くう)」であり、
 東京の港区の赤坂で
 新宿区四谷の関係でも紹介したように
 「空虚」を表わす用語に 
 ākasa があるため、
 そこから想像された
 日本語の「赤(あか)」を
 鳥居に塗るようになったものである。
 
 鳥居ばかりでなく
 社殿が朱に塗り込められているのは、
 四大神に係わる
 このような背景があるからである。
 
 この状況からしても稲荷山信仰が
 天界 śuna 信仰であることが理解できる。
 
 またインドラ神の住む
 スヴァルガのあるスメル山信仰である。
 
  スメル(シネル)山は
 黄金に輝く山と美称される。
 
 Hemâcala あるいは Hemâdri 
 はその別称で、
 「黄金山」の意味である。
 
 インドの首都ニューデリーの北方
 ヒマラヤ山脈に沿って
 Hemacala 洲がある。
 
 デリー空港から
 カシミールのスリナガルまで
 飛行機で往復したことがあるが、
 その地方のヒマラヤ山脈は
 まさに黄金色に映えていた。




 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 



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第十一章 日本に祀られたインドの神々:稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山① [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]






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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山》
  
  稲荷山信仰は
 二つの部分に依って構成されている。
  一は伏見稲荷大社、
  二は「お山」あるいは「お塚」
 と呼ばれる山の頂方向の諸社である。
 
 だが、
 双方とも全く別というわけでなく
 混合され信仰されている。
 
 お山にある荷田社及び田中社は
 稲荷大社の奉祀家を成す二大族を表徴する。
 
 荷田社は「カタ」で堅真音社の「堅」、
 「和佐」と同じく
 khatā を祖語とする「井、池、泉」で
 紀氏の系譜であることが明らかである。
 
 田中社は、
 石清水八幡宮の奉祭氏家
 「田中家」とも同根であるが、
 稲荷神社を
 元明天皇の和銅4年2月に祀った
 秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)の
 系譜である。
 
 忌寸は
 欽明天皇の幼時に
 夢見て捜させ寵愛したという
 秦公伊呂具の後裔である。
 
 田中は「畑中」と同義で
 「秦中(はたなか)」に符合するばかりでなく
 天道根命の「道根」に即応している。
 
 「秦公」についてその表字が
 太秦の秦氏と同じことから
 弓月君系統の秦氏とする
 見解が通ってきたが、これは疑問である。
 
 「秦公」とは
 和歌山市宮地区の津秦にも
 表わされているように、
 紀氏の祖天道道根命の「道」である 
 patha の音写である。
 
 同語は英語の「通路」を意味する 
 pass (通過する)とも
 同根の用語である。
 
 田中社は稲荷大社の祭神田中大神である。
 
 稲荷山信仰は
 いずれはしても紀氏の信仰に係わる。
 
 『延喜式神名帳』には
 山城国紀伊郡に
 「稲荷神社三座名神大」とある。
 
 現在の祭神は次の五座となっている。
 
 『梁塵秘抄』には
  「稲荷をば三つの社と聞きしかど
   五つの社なりけり」
 とあるので
 平安時代初期に三座であったものが
 平安末期には五座となったことを示している。
 
  下社   宇迦之御魂神 <中央座>
  中社   佐田彦大神 <北座>
  上社   大宮能売大神 <南座>
  田中社  田中大神 <最北座>
  四大神社 四大神 <最南座>
 
 カッコ内は稲荷大社本殿内の配置を指す。
 
 これにより解かることは、
 稲荷大社の主神が宇迦之御魂大神であるが、
 お山においては
 そうではなさそうだということである。
 
 中社の佐田彦大神とは猿田彦神の別称で、
 大宮能売神は天鈿女神の別称である。
 
 佐田彦神はまた塩土老翁神であり、
 つまるところ
 インドラ神がその祖像である。
 
 大宮能売神は佐田彦の妻となり
 猿女氏の祖とされた、
 日本で
 『古事記』の天孫降臨により
 構想された組合せの妃神である。
 
 ここで
 第1章祝祭を再認してみなければならない。
 
 「ウケ」とは牡牛の意味であり、
 それはまた神饌を表わすものであった。
 
 豊宇気毘売神(登由宇気神)は
 「神饌神」であった。
 
 宇迦之御魂大神の「宇迦」は
 このウケと同義である。
 
 西アジアにおいて祝祭で
 供犠された牡牛と小麦は
 一対の組合せであった。
 
 『古事記』に須佐之男命が切り殺した
 大気津比売神の屍から
 
  「頭に蠶生り、二つの目に稲種生り、
   二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、
    陰に麦生り、尻に大豆生りき、
   故、ここに神産巣日の御祖命、
   これを取らしめて種と成しき」
 
 『日本書紀』では
 保食神を
 月夜見尊が殺したとの伝承になっているが、
 
  「粟、稗、麦、豆を畠の種とし、
   稲を水田の種とされた」とある。
 
 「宇迦之御魂」とは
 これら穀類の「種」を表わしているのである。
 
 つまり西アジアでの小麦は
 稲作地帯に入り、米に変ったのである。
 
 現在中国の雲南省の牛殺祭に
 牛頭にかけられるのは
 「ゴウ」と呼ばれる米粥である。
 
 日本でも最近まで殺牛の際には
 米を食べさせた。
 
 また飼育を牛を売り払う前日に
 ご飯を与えることは習慣になっていた。
 
 稲荷大社においては、
 特に稲種が尊重されたとの理解ができる。
 
 宇迦之御魂を
 「倉御魂神」と「宇迦」を「倉」と
 表記している理由もそこにある。
 
 「倉:クラ」は
 サンスクリット語の 
 kūra の音写で、
 その語義は「飯」である。
 
 よってその意味は「飯御魂」となり
 「稲御魂」と同義である。
 
 稲種に対する信仰である。
 
 同社の祭事稲荷祭は
 現在4月8日に近い
 日曜日は行われているが、
 
 『今昔物語』巻28の第一話
  「近衛舎人どもの稲荷詣でに
   重方女にあふものがたり」しは
 
  「今は昔、衣曝(きさらぎ)の始午の日は、
   昔より京中に上中下の人稲荷詣でとて
    参り集ふ日なり」
 
 とあるとおり
 「如月の始午日」に行われた春耕祭で、
 また歌垣のような行事であったとみられる。
 
 歌垣には
 祝祭(殺牛祭)がつきものであった。
 
 「餌袋(えぶくろ)、破子(わりこ)、
   酒など持たせ、つれて参りける」
 
 とあるようにここが宇迦の山でもあった。
 
 春の歌垣が新畑祭で播種祭であることは
  記述のとおりである。
 
 お山には大杉大神あるいは
  大杉社、傘杉社がある。
 その「杉」は
 サンスクリット語の 
 śuci(śucyah) の移入である。
 
 その意味は
 
  「輝く、光を発する、白く輝く」で、
 
 これは雷電、電光をいっているのである。
 
 傘も同じく kaśa で「光輝」の意味であり、
 インドラ神の武器である。
 
 佐田彦大神奉祀に合致する。
 
 山頂近くには「雷石」があり、
  「おせき社」がある。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 
 

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