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第十一章 日本に祀られたインドの神々:稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山① [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]






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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
稲荷(黄金山信仰(3)稲荷山》
  
  稲荷山信仰は
 二つの部分に依って構成されている。
  一は伏見稲荷大社、
  二は「お山」あるいは「お塚」
 と呼ばれる山の頂方向の諸社である。
 
 だが、
 双方とも全く別というわけでなく
 混合され信仰されている。
 
 お山にある荷田社及び田中社は
 稲荷大社の奉祀家を成す二大族を表徴する。
 
 荷田社は「カタ」で堅真音社の「堅」、
 「和佐」と同じく
 khatā を祖語とする「井、池、泉」で
 紀氏の系譜であることが明らかである。
 
 田中社は、
 石清水八幡宮の奉祭氏家
 「田中家」とも同根であるが、
 稲荷神社を
 元明天皇の和銅4年2月に祀った
 秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)の
 系譜である。
 
 忌寸は
 欽明天皇の幼時に
 夢見て捜させ寵愛したという
 秦公伊呂具の後裔である。
 
 田中は「畑中」と同義で
 「秦中(はたなか)」に符合するばかりでなく
 天道根命の「道根」に即応している。
 
 「秦公」についてその表字が
 太秦の秦氏と同じことから
 弓月君系統の秦氏とする
 見解が通ってきたが、これは疑問である。
 
 「秦公」とは
 和歌山市宮地区の津秦にも
 表わされているように、
 紀氏の祖天道道根命の「道」である 
 patha の音写である。
 
 同語は英語の「通路」を意味する 
 pass (通過する)とも
 同根の用語である。
 
 田中社は稲荷大社の祭神田中大神である。
 
 稲荷山信仰は
 いずれはしても紀氏の信仰に係わる。
 
 『延喜式神名帳』には
 山城国紀伊郡に
 「稲荷神社三座名神大」とある。
 
 現在の祭神は次の五座となっている。
 
 『梁塵秘抄』には
  「稲荷をば三つの社と聞きしかど
   五つの社なりけり」
 とあるので
 平安時代初期に三座であったものが
 平安末期には五座となったことを示している。
 
  下社   宇迦之御魂神 <中央座>
  中社   佐田彦大神 <北座>
  上社   大宮能売大神 <南座>
  田中社  田中大神 <最北座>
  四大神社 四大神 <最南座>
 
 カッコ内は稲荷大社本殿内の配置を指す。
 
 これにより解かることは、
 稲荷大社の主神が宇迦之御魂大神であるが、
 お山においては
 そうではなさそうだということである。
 
 中社の佐田彦大神とは猿田彦神の別称で、
 大宮能売神は天鈿女神の別称である。
 
 佐田彦神はまた塩土老翁神であり、
 つまるところ
 インドラ神がその祖像である。
 
 大宮能売神は佐田彦の妻となり
 猿女氏の祖とされた、
 日本で
 『古事記』の天孫降臨により
 構想された組合せの妃神である。
 
 ここで
 第1章祝祭を再認してみなければならない。
 
 「ウケ」とは牡牛の意味であり、
 それはまた神饌を表わすものであった。
 
 豊宇気毘売神(登由宇気神)は
 「神饌神」であった。
 
 宇迦之御魂大神の「宇迦」は
 このウケと同義である。
 
 西アジアにおいて祝祭で
 供犠された牡牛と小麦は
 一対の組合せであった。
 
 『古事記』に須佐之男命が切り殺した
 大気津比売神の屍から
 
  「頭に蠶生り、二つの目に稲種生り、
   二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、
    陰に麦生り、尻に大豆生りき、
   故、ここに神産巣日の御祖命、
   これを取らしめて種と成しき」
 
 『日本書紀』では
 保食神を
 月夜見尊が殺したとの伝承になっているが、
 
  「粟、稗、麦、豆を畠の種とし、
   稲を水田の種とされた」とある。
 
 「宇迦之御魂」とは
 これら穀類の「種」を表わしているのである。
 
 つまり西アジアでの小麦は
 稲作地帯に入り、米に変ったのである。
 
 現在中国の雲南省の牛殺祭に
 牛頭にかけられるのは
 「ゴウ」と呼ばれる米粥である。
 
 日本でも最近まで殺牛の際には
 米を食べさせた。
 
 また飼育を牛を売り払う前日に
 ご飯を与えることは習慣になっていた。
 
 稲荷大社においては、
 特に稲種が尊重されたとの理解ができる。
 
 宇迦之御魂を
 「倉御魂神」と「宇迦」を「倉」と
 表記している理由もそこにある。
 
 「倉:クラ」は
 サンスクリット語の 
 kūra の音写で、
 その語義は「飯」である。
 
 よってその意味は「飯御魂」となり
 「稲御魂」と同義である。
 
 稲種に対する信仰である。
 
 同社の祭事稲荷祭は
 現在4月8日に近い
 日曜日は行われているが、
 
 『今昔物語』巻28の第一話
  「近衛舎人どもの稲荷詣でに
   重方女にあふものがたり」しは
 
  「今は昔、衣曝(きさらぎ)の始午の日は、
   昔より京中に上中下の人稲荷詣でとて
    参り集ふ日なり」
 
 とあるとおり
 「如月の始午日」に行われた春耕祭で、
 また歌垣のような行事であったとみられる。
 
 歌垣には
 祝祭(殺牛祭)がつきものであった。
 
 「餌袋(えぶくろ)、破子(わりこ)、
   酒など持たせ、つれて参りける」
 
 とあるようにここが宇迦の山でもあった。
 
 春の歌垣が新畑祭で播種祭であることは
  記述のとおりである。
 
 お山には大杉大神あるいは
  大杉社、傘杉社がある。
 その「杉」は
 サンスクリット語の 
 śuci(śucyah) の移入である。
 
 その意味は
 
  「輝く、光を発する、白く輝く」で、
 
 これは雷電、電光をいっているのである。
 
 傘も同じく kaśa で「光輝」の意味であり、
 インドラ神の武器である。
 
 佐田彦大神奉祀に合致する。
 
 山頂近くには「雷石」があり、
  「おせき社」がある。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 
 

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