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第十四章 牛頭と鹿頭:『古事記』の御名方神 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十四章 牛頭と鹿頭:『古事記』の御名方神
 
  建御名方神が史料に登場する
 『古事記』を第一とする。
 そこでは
 同神は大国主神の御子として物語られる。
 その部分を日本古典文学大系から転載する。
  (大国主神が)是(ここ)に亦白しけらく、
  「亦我が子、建御名方神有り、
   此れを除きて無し。とまをしき。
   如此白す間に、其の建御名方神、
     千引(ちびき)の石(いわ)を
   手末(たなすゑ)に擎(ささ)げて来て、
   誰ぞ我が国に来て、
     忍び忍びに如此物言ふ。
   然らば力競べ為(せ)む。
    故、我先に其の御手を取らむ。
   と言ひき。
    故、其の御手を取らしむれば、
   即ち立氷(たちひ)に取り成し、
   亦剣刃(つるぎば)に取り成しつ。
   故爾に懼(おそ)りて退(しぞ)き
     居(を)りき。
    爾に其の建御名方神の手を取らむと
    乞ひ帰して取りたまへば、
     若葦を取るが如(ごと)、
    つかみ批(ひし)ぎて投げ離ちたまへば、
    即ち逃げ去(い)にき。
     故、追ひ往きて、
    科野(しなのの)国の
     州羽(すは)の海に迫め到りて、
    殺さむとしたまひし時、
     建御名方神白しけらく、
   「恐(かしこ)し。
    我(あ)をな殺したまひそ。
    此の地(ところ)を除(お)きては、
    他処(あだしところ)に行かじ。
    亦我が父、
      大国主神の命(みこと)に
      違(たが)はじ。
    八重事代主神の言(こと)に違はじ。
    此の葦原中国は天つ神の御子の命の
    隨(まにま)に献(たてまつ)らむ。」
    とまをしき。
 この神話のために
 山陰地方から東北地方の日本海側の
 神社の信仰と歴史を覆い隠したり、
 故意に曲げたりして解からなくした面がある。
 以下の考察は
 そのような隠された部分を明らかにする。
 ここで、
 建御名方神は
 大国主神の御子として物語られる。
 しかし、
 『古事記』はその誕生について
 直接的には何も説明していない。
 上記の挿話は
 突如として語られている感じがある。
 大国主神のもう一人の御子とされる
 事代主神については別のところで、
 母の名を神屋盾比売命と記している。
 「先代旧事本紀」の地神本紀に
  「次に高志沼河姫を娶りて一男を生む。
   児建御名方神、
     信濃国諏方郡諏方神社に坐す」
 とあり、
 その母が
 高志の沼河姫であることが示唆される。
 『古事記』では
 大国主神の別称である八千矛神と
 「高志国の沼河比売」との妻婚いの歌と、
 その嫡后須勢理比売の嫉妬の歌謡が
 長く記載されている。
 ここで重要なのは、
 その父名が「八千矛神」であることである。
 実際同神名を主祭神とする
 八剣神社(諏訪市小和田宿)が
 諏訪大社上社本宮の地に鎮座している。
 高志沼河姫神は、
 新潟県西頚城郡内であった
 糸魚川市一之宮に
 奴奈川神社が鎮座するように
 姫川に産するヒスイ(硬玉)を採っていた
 この地方の支配的氏族の姫と
 考えられているが、
 諏訪地方では
 茅野市本町鬼場の御産石神社に
 祀られている。
 「諏訪神社明細帳」は同神が
 高志国から鹿に乗って
 大門峠を越えて来たと語っている。
 八剣神社は諏訪湖が冬に結氷し、
 前面に張りめぐらされると、
 その水圧で氷が盛上るように裂け
 氷脈ができる「御神渡り」を
 神の表徴として拝観する神事を
 掌っている神社として知られる。
 先に転載した
 建御名方神と御雷神の決闘(力競べ)の場面で
 後者が手を掴むと
 その手が「即ち立氷に取り成し」とあるのは
 『古事記』の著者がこの「御神渡り」を
 知っていたからではないかと推測させる。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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