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第一章 ウケ(牛)と保食神 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第一章 ウケ(牛)と保食神》
 ウケモチ(保食)神は
 日本書紀特有の神名である。
 天照大神が葦原中国に
 この神がいることを
 聞き及んで月夜見尊を派遣する。
 月夜見尊が到着すると、
 保食神は
 国の方向に首を回して
 口から飯を出し、
 海に向かって
 鯺の広物、
 鯺の狭物を口から出し、
 また
 山に向かうと麤物柔物を口から出し、
 これらを総てを
 百個もの机に積み上げてご馳走としたが、
 月夜見尊はご馳走するのに
 口から吐き出したものでするなど
 汚らわしい、卑しいかぎりだと怒って
 剣で保食神を殺してしまう。
 口から出すというイメージは
 牛の反芻機能を言ったものと考えられる。
 ウケモチのウケが牛であることが
 「口から出す」働きから知れる。
 
 神名を漢字で保食(ほじき<音読>)
 と書くのは、
 サンスクリット語 
 bhojana を音写したもので
 語意は「食事、膳、饌」で、
 この神の職能そのものである。
 月夜見尊が天上に帰り、
 天照大神に奉上すると、
 大神は怒って
 今度は天熊人を派遣する。
 同神が到着した時には
 保食神はすでに死んでおり、
 その
 頭に牛と馬が
 顱の上に粟、
 眉の上に蚕、
 眼の中に稗、
 腹の中に稲、
 陰部には麦と大豆・小豆が化生していた。 
 そこで、
 天熊人はこれらのものを持って
 天照大神に献上した。
 大神は喜んで
 蒼生が食べて生活するのに
 必要なものだといって
 五穀(稲・粟・稗・麦・豆)を
 水田、畑に挽き、
 秋には盛大な収穫を得る。
 また
 口の中に蚕を含んで
 そのまま糸を抽き出し、
 これが養蚕の起こりと記している。
 
 『古事記』では、
 須佐之男命が
 大気津比売神に食物を乞ったので、
 鼻口及び尻より
 種々の味物を取り出し
 料理して進物としたところ、
 これらの様子を見てしまった
 須佐之男命が怒って
 大気津比売神を殺してしまい、
 その身の頭に蚕、
 二つの目に稲種、
 二つの耳に粟、
 鼻に小豆、
 陰部に麦、
 尻に大豆が生えたと記している。
 この大気津比売神はこれまで
 「オオゲツヒメ」と呼称されてきたが、
 やはり
 「ウケツヒメ」は少々無理があるとしても
 「オゲツヒメ」と称されるべきと考える。
 死体化生の信仰は
 ユーラシア大陸に
 広く行われきたところである。
 保食神を祀る神社は
 長崎県の松浦郡に多く、
 その代表的な神社は
 松浦市御厨町郭公尾免の
 保食神社である。
 阿知女作法の
 「オケ」は
 「ウケ」で、
 また
 『記・紀』の汙気、覆槽の本源は
 すべて牡牛である。
 そして、
 天石屋戸の神集いは牛を殺して(伏せて)
 火の中に投げ入れる。
 つまり
 供儀に捧げる祝祭であったのである
 「伏す」はサンスクリット語の
 Huで
 「火の中に投げ入れる、捧げる」である。
 『日本書紀』の「火處焼き」は
 燔祭(はんさい)と解釈できる。
M.K記
 

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第一章 「牛祝祭」 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第一章 「牛祝祭」》
  諏訪大社の祝は御射山祭を主宰する祭官で、
 その祭典が謝肉祭であったことを述べたが、
 この謝肉祭とは二十世紀になって
 日本語に取り入れられた言葉である。
 ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどの
 カトリック教で
 キリストの復活祭前四旬節(四十日の斎戒期)の
 直前に行われる祝祭、
 カーニバルの内容翻訳語である。
 古代日本では
 犠牲祭のことを何と呼んでいたのだろうか。
 『日本霊異記』には
 「牛の宍(しし)の饗」という表現が出てくる。
 中巻二十四話、
 奈良時代聖武天皇の御世平城京左京の
 檜磐嶋という人物の話である。
 『続日本紀』延暦十年に
 「牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず」、
 『日本霊異記』中巻五話
 「漢神の祟りにより牛を殺して祭ったが、
  病気が直らなかった」
 によって理解できるように、
 奈良時代に
 漢神を祭るための祝祭だったことが知られる。
 漢神はまた「韓神」で
 『延喜式神名帳』に
 宮内庁坐神三座のうち
 園神社、韓神社に座とある
 宮中神三十六座のうちに祭られている神である。
 『古事記』では
 須佐之男命が
 大山津見神の女神大市比売を娶して
 生まれた子大年神の御子神韓神として出てくる。
 因みに
 次弟會富理神は上記の国神を関係するよいう。
 この「韓」は韓半島に係わる韓とは
 直接的に関係の無いことを
 ここでは言っておきたい。
 韓神に供儀するこの祭を
 その頃何と呼んでいたか推測できないが、
 牛祝祭と呼ぶこととする。
 「牛宍饗」の宍(しし)は毛物の肉のことで、
 転じて獣・猪・鹿も
 「しし」と呼ぶようになった。
 「にく(肉)」は祝祭によって
 神に捧げられた宍の意であると
 考えている。
 諏訪大社信仰とは
 「鹿食免(かじきめん)」の幣あるいは
 「鹿食免箸」があった。
 諏訪明神の許し(免)があれば
 宍を食しても構わないというものであった。
 
 仏教の影響により
 肉食が禁じられたなかで特別の扱いである。
 日本に食肉料理文化が発展しなかったには、
 平安時代に殺牛信仰が禁止されたためで、
 韓半島のおいても
 同様の殺牛信仰が広がっていたが、
 禁止などということが起こらなかったので
 肉食文化は発達し、
 現在その芳名を高めているのである。
 さて、
 牛祝祭の実態は
 どのようなものであっただろうか。
 専らに描写した記録は残念ながら
 今のところ見当たらない。
 古典の中から抽出しなければならない。
 手掛かりは阿智である。
 阿智神社の祭神思金神は
 天照大御神の前を政る祭官であることは
 すでに解明されたが、
 阿智神に係わる事項として、
 神楽の一種で作法を重要視する
 阿知女作法なるものがある。
 神楽は夕暮れ後庭燎が焚かれ、
 和琴だけによる演奏が鳴り、
 作法が開始され、唱和も始まる。
  本方「アチメ、オ、オオ、オ」
  末方「オケ、アチメ、オ、オオ、オ」
  本方「オ、オケ」
 ここに唱和される
 「オ、オオ」は呼び掛けの事で、
 本来は神をほめる言葉であるが、
 アチメ、オケとなんだろうか。
 伝承によると
 天鈿女(天宇受売命)が
 天石窟(天岩屋戸)の前で
 奏した神楽舞に起源があるという。
 古事記、日本書紀の
 その場面を転記してみる。
 『古事記』
  八百萬の神、天安の河原に神集ひて、
  高御産巣は神の子、思金神に思はしめ、
  常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を
  集めて鳴かしめて、…略…
  天宇受売命、
  天の香山の天の日影を手次(たすき)に
  緊(か)けて、
  天の眞折(まさき)を縵として、
  天の香山の小竹葉(ささば)を
  手草(たぐさ)に結(ゆ)ひて、
  天の岩屋戸に汗気伏せて蹈(ふ)み
  登杼呂許志(とどろこし)、
  神懸(かみがか)り為(し)て、
  胸乳を掛き出で裳緒(もひも)を
  香登(ほと)に忍(お)し垂れき。
  璽に高天の原動(どよ)みて、
  八百萬の神共に咲ひき。
 『日本書紀』
  八百萬神、天安河に會(つど)ひて、
  其の祈るべき方を計ふ。
  故、思兼神、深く謀(はか)り
  遠く慮(たばか)りて、
  遂に常世の長鳴鳥を聚(あつ)めて、
  互に長鳴せしむ。
  …略…又猿女君(さるめのきみ)の
  遠祖天細女命(あめのうずめのみこと)、
  則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、
  天石窟戸の前に立たして、
  巧(たくみ)に作俳優(はざをさ)す。
  亦天香山真坂樹を以って鬘にし、
  蘿(つた)を以って手繦(たすき)にして、
  火處焼き、履槽置(うけふ)せ
  (履槽此れをば于該(うけ)と云ふ)、
  顕神明之憑談す(顕神明之憑談。
  此をば歌牟鵝可梨(かむがかり)と云ふ)。
 『古事記』にはないが、
 『日本書紀』に「火處焼き」とある。
 これは燔祭をいうのか、
 さもなければ古語拾遺の
 「挙庭燎」と同じく
 阿知女作法で庭燎が
 焚かれるのと同様である。
 『古事記』に「神懸り為て」、
 『日本書紀』に
 「顕神之憑談(歌牟我可梨)して」
 とあることから
 天鈿女命は御座であることが知られる。
 御座が種々の身飾り品を着けて
 舞を踊ったというのである。
 注目したいのは小竹葉(ささば)(古事記)で、
 『日本書紀』の「茅を綣いた矛」であり、
 手草に踊ったものである。
 矛は、鉾であるが、桙もある。
 正倉院の宝物の中に楽桙、
 つまり演舞用の矛が
 二例宝庫南倉に納められている。
 二例とも1977年の正倉院展に出展されたが、
 伎楽に用いられたと考えられており、
 まさに天石窟戸を想い起させる。
 一例は桧製で、「桙というに」ふさわしい。
 三叉形に彫出し黒漆で塗布された
 桙形先端のみ
 長さ39.3センチメートルのものである。
 第二の楽桙は、
 穂先が脇鈷一本だけの二又形状、
 鉄製で「桙」というべきである。
 径2.2センチの樫木の柄に
 金銅製金具を嵌め、
 目釘に壺金具を通して表裏に
 四弁花文の座金を装飾した
 全長105.3センチメートルの矛である。
 ところで小原一夫「南島入墨考」によると、
 八重山諸島の入墨文様のうちに
 「竹葉」と呼ばれるものがある。
 矢ともいうが、形状は三叉形である。
 つまり竹葉は三叉矛を表す。
 古語拾遺に「鐸をつけた矛」、
 つまり
 鈴をつけた矛という用語が出てくるが、
 これを実物説明するものが、
 先に触れた
 長野県辰野町に鎮座する
 矢彦神社に伝えられている。
 この「矢彦」が
 八重山諸島の入墨紋様でもわかるように
 矛を表すのだが、
 「鐸鉾(さなぎのほこ)」に
 実状をうかがい知ることができる。
 この鉾は毎年7月27日の例祭
 「御射山神事」
 つまり御狩の神事に登場する。
 鉄鐸(宝鈴)一個をつけた
 三叉鉾に柄を入れて
 長さ1.8メートルあり、
 同じ長さの麻製の和幣がつけられる。
 矢彦神社に近い
 塩尻市小野に鎮座する小野神社には
 社宝「神代鉾」が
 11個の鉄鐸と共に納められている。
 この鉾も三叉鉾で和幣が垂らされている。
 こちらも
 御射山神事に用いられたものであるが、
 御射山祭といえば諏訪大社が大元で、
 同社と上社にも鉄鐸が宝物となっている。
 先に触れた神長官の申立ともども
 御射山祭の御狩神事において
 獲物と屠殺する道具を
 奉祭したのが鐸鉾である。
 小竹葉は三叉鉾であったのである。
 『記・紀』に載る天鈿女命の所作は、
 平安時代の11月中寅日、
 宮中で行われる例祭鎮魂祭に反映している。
 9世紀後半の貞観儀式によると、
 雅楽の演奏と唱和、
 つまり
 阿知女作法に則りと思われるが、
 御巫舞が奉納された。
  「御巫、宇気槽を覆せ、
   その上に立ち桙をもって槽を撞く。
   十度畢(おわ)るごとに、
   佰・木綿縵を結ぶ。
   おわりて御巫舞おわる。」
 『古事記』において天鈿女命が
 「汙気伏せて蹈み登杼呂許志」。
 『日本書紀』において
 「覆槽(于該)伏せ足をふみならした」
 場面を
 貞観儀式は上記のように記している。
 宇気槽、中が空の船形の桶を伏せ、
 御巫がその上に乗って、
 木製の矛で槽を撞く儀式となったのである。
 これが10世紀初めの延喜式になると、
 宇気槽が臼に、
 桙(木製の矛)が杵に替えられ、
 結果稲籾を臼に入れて木槌で撞く、
 米収穫を内容とする儀式へと変転する。
 儀式当日には
 御巫がこの米を炊いて供物として
 祭所に奉るのが行事であった。
 
 三叉の矛は木製の槌に変わったのであった。
 宮中行事の変転にかかわらず、
 信濃の神社では、
 神代鉾として古式が
 守られてきたことになる。
 
 汙気を日本書紀が覆槽と表記し始めたことに
 遠因があると思うのだが、
 これを中が空の船形樋と解釈したのは
 日本古典文学大系の解釈などに
 従った表現である。
 しかし、戦闘の武具であり、
 狩の道具である矛を手革に結いて
 伏せた桶の上で足踏みをしながら、
 なぜ、
 天照大御神に
 石屋戸からお出ましいただくよう
 舞踊するのだろうか。
 単に大騒ぎをすればよいのだろうか。
 それならば、
 もっと音を出す器もあろうというものである。
 茅を纏いた矛は漢字の語呂合わせで、
 やはり笹(小竹葉・茅)に
 過ぎなかったのだろうか。
 そうではない。
 ウケ(汙気・覆槽)の解釈に
 問題があるのである。
 結論を明かせば、
 ウケとは牡牛(雄牛)を広くは牛を意味する。
 天石屋戸の神集いの情景は
 牛祝祭のスケッチなのである。
 ウケ・ウケソウは、
 サンスクリット語 
 uksan の転訛である。
 タイ語では水牛のことを 
 ekuaye という。
 Ai/aye 「~公」の意味で、
 エクアイは牛公である。
 インド・ヨーロッパ語圏の
 英語では ox 、
 ドイツ語では ochs となり牡牛を意味する。
 我々が現在使う「ウシ(牛)」は
 このウケの転訛と考える。
  M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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