SSブログ

第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(7)息長<気長>氏の背景 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『稲作養蚕』Inasaku Yousan https://matmkanehara.hatenablog.com/
『日本紀元』(Nihon Kigen) https://matmkanehara.blog.fc2.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4








(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー
 
 
 (7)息長<気長>氏の背景
 神功皇后は『記・紀』によると、
 第14代仲哀天皇の正妃〔皇后〕で,
 
 その元名を
 
 『古事記』は「息長帯比賣命」、
 『日本書紀』は「気長足姫尊」と記す。
 
 双方とも呼称は「オキナガタラスヒメ」という。
 
 「息長氏」を考える場合、
 皇后の出自であることが
 大きな理解の助けの役目をなす。
 
 その息子「品陀和気命」
 『古事記』は
 
 第15代応神天皇となり、
 第25代武烈天皇まで
 5世紀の永きまでを、
 
 また伝承によれば、
 第26代継体天皇も
 応神天皇の苗裔とされていることから、
 
 5世紀の大古墳時代から
 7世紀の飛鳥時代までと
 
 その族類は「大和」における
 政権の中心に位していた。
 
 そういう大族の背景を考察するが、
 
 まず
 
 仲哀天皇の和名
 「帯仲日子」について解釈する。
 
 同語は「タラシナカヒコ」という。
 
 「タラシ」は thalassioe で「海」を
 「ナカ」は nha で「船」の複数形である。
 
 その語義は「海船団」となり、
 天皇の和名は
 
 「海の船団の男子」にして「海船団長」となる。
 
 崇神天皇(第10代)の系譜に列なる
 族類の来歴を名称として継承している。
 
 そこで「オキナガ」だが、
 oky-nha〔速い船〕の音写で
 すでに指摘したように「軍船」を示す。
 
 その表記に「長」があることからして
 「軍船の船〔艦〕長」となろう。
 
 でも
 「長」は「ナガ」で
 「ナカ:中」とは違うので
 oky-nau-agos〔速い船の指揮者〕とする
 妥当かもしれない。
 
 同氏族は崇神天皇の「東征」の際、
 三段橈船運行の指揮を執っていた者で
 あったとすることができる。
 
 息長氏が定着した滋賀県坂田郡米原町の
 「能登瀬:ノトセ」は 
 nautos の音写で「船乗り」である。
 
 また郡名
 「サカタ:坂田」は多祁理宮の地
 廿日市市の「佐方」と同様 
 thugatir〔娘:処女〕の音写で「戦争の女神」
 
 あるいは
 「航海安全の女神」であるアテネ神を指す。
 
 「オキナガタラシ姫」はよって
 「速い船(軍船)の指揮者海の女子」となり、
 その息子応神天皇の系譜もまた
 崇神天皇の東征に
 協働したイリ〔ギリシャ〕族の
 後裔であることを示している。
 
 神功皇后の系譜は、
 開化天皇〔第9代〕と
 意祁都比売命の息子日子坐王を始めとし、
 次に山代之大筒木真若王、
 次に迦邇米王雷、
 次に息長宿禰王、
 次に息長日子王とあり、
 同王のうちの長姉が
 息長帯比売命である。
 
 なお、
 応神天皇名の
 「品陀(ホムダ)」
 「品治(ホムチ:吉備国の郡名<前出>)」、
 
 日子坐王の
 「坐:ナマス」の源語は
 すべてギリシャ語の
 Hmthih で「マケドニア」ないし
 ギリシャの北方オリンポス山あるいは
 オシリス山付近を指す地称である。
 
 M.K記

nice!(0)  コメント(0) 

第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(6)琉球あるいは沖縄 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『稲作養蚕』Inasaku Yousan https://matmkanehara.hatenablog.com/
『日本紀元』(Nihon Kigen) https://matmkanehara.blog.fc2.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4




(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー
 (6)琉球あるいは沖縄
 紀元2世紀後半に
 ギリシャの地誌家パウサニスが著した
 「ギリシャ案内記」に絹の産地の情報として
 「セリアの島」との記述がある。
 
 その詳細は終章で解釈を行うが、
 その島の近くに
 「アバサAbasa」と「サカイアSaxaia」という
 二つの島があるといっている。
 
  Abasaはサンスクリット語の 
 abhasa〔光〕また
 
 Saxaia も同 
 sucyah〔輝く、光を発する〕の
 
 ギリシャ語表記した呼称である。
 
 前者は現在の沖縄本島を指す。
 
 浦添市の市役所のある地称「安波茶」として、
 また本島西方の伊是名島と久米島の間にある島
 「粟国島」名として遺留されている。
 
 そして後者はそこから南方の先島諸島の
 「サキ」として遺留されている。
 
 紀元2世紀の中頃には日本列島西部の情報が
 ギリシャに伝えられていたのである。
 
 西方からギリシャの軍船団が渡来したのは、
 紀元3世紀の終末から4世紀初頭の間である。
 
 その軍船集団が一時この沖縄地域に
 滞留していたことは以下の説明で明白である。
 
 その影響が現在までに遺されているのである。
 
 第一の証左が「琉球」名である。
 
 「リユウキュウ」はギリシャ語の 
 leukos〔輝く、ピカピカの、白い〕の音写で、
 同地をそれより先にサンスクリット語呼称で
 abhasa〔光〕といっていたのを
 ギリシャ語呼称に変換したのである。
 
 その上に「阿児奈波」と
 奈良時代にまで記録される地方名を遺した。
 
 「アゴナハ」は 
 agono-nhasの音写で「軍船」の語義である。
 
 「ナハ:nahas」は naews〔船〕の複数形である。
 
 この呼称は後に「オキナハ:沖縄」となるが、
 これは 
 oku-nawas の音写で「速い船」との語義で
 実際また「軍船」を表わす。
 
 南部の市名
 「ナハ:那覇」は
 明らかに 
 nhas〔船の複数形〕である。
 
 沖縄におけるギリシャとの共通事項を
 二つだけ挙げておきたい。
 
 同地の信仰で使われる
 「神歌」を「オモロ」というが、
 
 これはあの
 「イーリアス」
 「オディセア」の
 
 作者といわれる
 ホメロスの元称 
 Omhros と同根語で、
 
 上記二書はともに
 「神々についての詩歌」を述べたもので
 「神歌」そのものの「オモロ:omoros」である。
 
 また
 沖縄の人々が犠牲祭あるいは日常で焼肉するのに
 ヤギを好むのは、
 地中海域〔ギリシャ・ローマ〕の祝祭で
 犠牲にされるのはヤギ〔山羊〕で、
 その伝統が沖縄にもたらされ
 遺留された伝統の繁栄である。
 
 あの
 エーゲ海は 
 Aigaion または 
 aigeos とやぎ名に係わる用語である。
 
 M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

nice!(0)  コメント(0) 

第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(5)崇神・垂仁・景行天皇の和名 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『稲作養蚕』Inasaku Yousan https://matmkanehara.hatenablog.com/
『日本紀元』(Nihon Kigen) https://matmkanehara.blog.fc2.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4




(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー

 
 (5)崇神・垂仁・景行天皇の和名
 (a)崇神天皇:ミマキイリヒコイニエ命
 
  『古事記』御眞木入日子印恵命
  『日本書紀』御間城入彦五十瓊殖天皇
 
 ミマキ:「御」を尊敬語すれば「マキ」 maxi で
     「戦闘」を表わす。
  
  また「ミマキ」とすれば 
  memixa で「交戦する」の意味を持つ 
  meignumi 完了形で「戦闘に勝利した」の意味が
       含まれていることになる。
 
 イリヒコ:「ヒコ〔日子・彦〕」は「男子」。
 
 「イリ」は Ellas、Ellin の音写で
 「ギリシャ」「ギリシャの(人)」で「ギリシャの男子」
 
 イニエ: eunai〔錨〕、 eunaoios〔錨〕ながら
      動詞として「舟を導く」の語義がある。
 
 ◎和名の語義:戦争に勝利したギリシャ人の男にして
        軍船を引導した天皇
 
 (b)垂仁天皇:イクメイリヒコイサチ命
 
  『古事記』伊久米伊理毘古伊左知命
  『日本書紀』活目入比古五十狭茅天皇
 
 イクメ:
 iaxhma〔叫び声〕、
 iaxiu〔叫び声、叫び〕
  
 イリヒコ:崇神天皇に同じ「ギリシャ人の男子」
 イサチ:isti〔審判者(法と正義を心得ている人)、
        仲裁者〕。
  これは名詞形。
 
  形容詞形では「知っている、精通している」
 
 ◎和名の語義:神への祈りを大声で叫ぶ
 
  ギリシャ人の男にして(法と正義を心得ている)
 
  審判者の天皇
 
  「垂仁」とは「法と正義<仁>をよく心得ていて、
   それを高らかに叫び行う<垂す>」となる。
 
 (c)景行天皇:オウタラシヒコオシロワケ命
 
  『古事記』大帯日子淤斯呂和気命
  『日本書紀』大足彦忍代別天皇 
 
 タラシ:tarros〔橈〕
 大タラシ:「大きな(長い)橈」で三段橈船や二段橈船
       などの軍船で使われる橈
 
 オシロ:othros オシリス山<テッタリア地方にある山>
 
 ワケ〔別〕:別れて来た
 
 オシロ別:ここではオシロ出身の者あるいは
      オシロ出身者の子孫
 
 ◎和名の語義:(三段橈船の)大きな橈をあやつる
 
  漕ぎ手を指揮した男でギリシャのテッタリア地方の
  オシロ山地出身者の後裔
 
 「景行」の
 「ケイ〔ケヒ〕」は koppi の音写で
 「橈、櫂、橈柄」で「ケイ行」は
 「橈で行く(航海する)」で、
 「軍船を指揮する者」となる。
 M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(4)崇神天皇と「大和」 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『稲作養蚕』Inasaku Yousan https://matmkanehara.hatenablog.com/
『日本紀元』(Nihon Kigen) https://matmkanehara.blog.fc2.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4




(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー

 (4)崇神天皇と「大和」
 「神武天皇の東征」は
 「崇神天皇東征」との見解を
 これまでの「行宮」の説明から指摘強調したい。
 
 岡田宮の付近には「シマヅ:島津」との地称があり、
 
 「尊崇する、崇拝する」の語義であった。
 
 次の多祁理宮の
 
 「タキリ」は「哮」で「大声で叫び」ながら
 「神に呼びかける、祈り求める」であると紹介した。
 
 これらの意義は「神を尊敬する」のであり、
 第10代天皇の御名「崇神」と同義である。
 
 この証左から当該者の素性は明白である。
 
 さらに「大和」を考慮すればさらに確信となろう。
 
 同用語は音読み訓読みのいずれにおいても
 
 「ヤマト」とは読めない。
 
 つまり当て字である。
 
 「ヤマト」は前に紹介したヘブライ人の用語で
 「海の人」の語義である。
 
 その背景は本書の終章で解説する。
 
 崇神天皇の勢力が奈良盆地に入来する以前から
 同地に勢力のあった人々の用語である。
 
 「大和」の可能な読み音は
 「ダイワ」あるいは
 「オウワ」であるが、
 後者はすでに「大倭」として紹介した。
 
 つまり「ダイワ」のみが
 この「崇神」勢力集団と係わる呼称である。
 
 その「ダイワ」はギリシャ語における
 theo-philes〔神-愛する〕の音写で
 「神を尊崇する」との語義である。
 
 つまり「崇神」である。
 
 Theo〔神〕は
 インド・ヨーロッパ語圏の祖語を共通にし、
 
 サンスクリット語の deva 、
 ラテン語の divvas、また
 英語の divine である。
 
 Theo-philes は
 ラテン語に 
 dei-fico、deas-facio となり、
 「神として崇拝する」である。
 
 ドイツ語では 
 deifizieren〔神として崇める〕、
 
 英語で 
 deify〔神聖視する〕ともなり、 
 
 「ダイワ」とは「神として崇拝(尊崇)する」
 
 あるいは「神の崇拝者」を表わしており、
 崇神天皇の勢力の慣習を現わしている。
 M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 
 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(3)天鳥船・天鳥楠船 [日本創世紀]

『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『稲作養蚕』Inasaku Yousan https://matmkanehara.hatenablog.com/
『日本紀元』(Nihon Kigen) https://matmkanehara.blog.fc2.com/
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1 
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4


(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー

(3)天鳥船・天鳥楠船
 『古事記』上巻に
 
 「鳥の石楠船神、亦の名は天鳥船と謂ふ」とあり、
 
 出雲の国譲り伝承で
 
 「爾に天鳥船神を建雷神に副へて遣わはしたまひき」
 
 とある。
 
 建雷神はそこでは武神として描かれ、
 「天鳥船神」には
 それを授ける〔副へる〕性格がみえる。
 
 『日本書紀』の神代上にも
 
 「天磐櫲樟船」あるいは
 「鳥磐櫲樟船」との記述がある。
 
 同呼称の
 「トリ:鳥」はギリシャ語の
 tri〔英語のthree〕の音写で「三」を表わす。
 
 「イワクス:石楠・磐櫲樟」も
 aiakos〔舵、舵柄〕の音写である。
 
 「鳥船」とは「三段船」、
 「石楠船」は「舵船、舵取船」となるが、
 これは「舵付三段橈船」で、
 いわゆる古代ギリシャや地中海東岸域で
 盛んであった「軍船」の称である。
 
 三段橈船は
 (2)の「(b)多祁理宮」でふれた。
 
 この勢力集団の重要な軍備である。
 
 ギリシャ語での同語は
 tri-hreos、
 tri-hris などと表記される。
 
 「延喜式」神名帳備後国〔広島県東部〕
 品治郡に載る
 
 「多理比理神社」名の
 
 「タリヒリ」は同語の音写であるし、
 
 「箆取神社」〔倉敷市連島〕の
 「ヘラ:箆」も
 その
  hres、hris音写で、神社名は「橈取」、
 
 つまり「船子」で
 古来船乗りたちの信仰が篤かった由縁もそこにあり、
 理解できる。
 
 ギリシャの三段橈船は、
 漕ぎ手が船眩左右に百人近くが階段状に並び、
 長い船外に突出する橈(櫂)を一本ずつ担って
 指令者の合図(笛あるいは太鼓)に合わせて漕ぐもので、
 速く漕げば速度は増す。
 
 その用員は船が大きくなると二百人位、
 小さい船でも五十人は位ほどが運行に使われた。
 
 当該「天鳥船」の漕ぎ手たちは
 また戦士でもあったはず。 
 東征に当たっての船数はそう多くはなく、
 二、三船にすぎなかったろう。
 
 つまり戦闘兵数も多くて
 三百人程度と少人数であったとみられる。
 
 そうした小規模の軍団でよくも
 多数の兵士を用意できる
 「敵」を征し得たものだ。
 
 そこには武器の違いがあったはずである。
 
 本書では詳しい解釈は除くが、
 当軍団は鉄製の武器を使用したのである。
 
 同時代在来の勢力の使用する
 金属武器は青銅製のもで、
 その効果において絶大な戦力差がある。
 
 鉄の精製や鉄鍛冶のギリシャの技術は
 「ふいご」にあった。
 
 あの安仁神社〔高嶋宮〕の所在地名
 「藤井」は
 phusi〔吹く、ふいご〕の音写で、
 同地で鉄剣などを製作したと推測される。
 
 「高嶋」を「コウシマ」とするのは
 kausomai〔熱くする〕、
 
 単に「コウ」であっても
 kau と同義であるからである。
 
 『日本書紀』は同所で
 「兵倉を蓄えて」といっている。
 ※三段橈船
M.K記
 

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:学問

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。