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第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(7)息長<気長>氏の背景 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー
 
 
 (7)息長<気長>氏の背景
 神功皇后は『記・紀』によると、
 第14代仲哀天皇の正妃〔皇后〕で,
 
 その元名を
 
 『古事記』は「息長帯比賣命」、
 『日本書紀』は「気長足姫尊」と記す。
 
 双方とも呼称は「オキナガタラスヒメ」という。
 
 「息長氏」を考える場合、
 皇后の出自であることが
 大きな理解の助けの役目をなす。
 
 その息子「品陀和気命」
 『古事記』は
 
 第15代応神天皇となり、
 第25代武烈天皇まで
 5世紀の永きまでを、
 
 また伝承によれば、
 第26代継体天皇も
 応神天皇の苗裔とされていることから、
 
 5世紀の大古墳時代から
 7世紀の飛鳥時代までと
 
 その族類は「大和」における
 政権の中心に位していた。
 
 そういう大族の背景を考察するが、
 
 まず
 
 仲哀天皇の和名
 「帯仲日子」について解釈する。
 
 同語は「タラシナカヒコ」という。
 
 「タラシ」は thalassioe で「海」を
 「ナカ」は nha で「船」の複数形である。
 
 その語義は「海船団」となり、
 天皇の和名は
 
 「海の船団の男子」にして「海船団長」となる。
 
 崇神天皇(第10代)の系譜に列なる
 族類の来歴を名称として継承している。
 
 そこで「オキナガ」だが、
 oky-nha〔速い船〕の音写で
 すでに指摘したように「軍船」を示す。
 
 その表記に「長」があることからして
 「軍船の船〔艦〕長」となろう。
 
 でも
 「長」は「ナガ」で
 「ナカ:中」とは違うので
 oky-nau-agos〔速い船の指揮者〕とする
 妥当かもしれない。
 
 同氏族は崇神天皇の「東征」の際、
 三段橈船運行の指揮を執っていた者で
 あったとすることができる。
 
 息長氏が定着した滋賀県坂田郡米原町の
 「能登瀬:ノトセ」は 
 nautos の音写で「船乗り」である。
 
 また郡名
 「サカタ:坂田」は多祁理宮の地
 廿日市市の「佐方」と同様 
 thugatir〔娘:処女〕の音写で「戦争の女神」
 
 あるいは
 「航海安全の女神」であるアテネ神を指す。
 
 「オキナガタラシ姫」はよって
 「速い船(軍船)の指揮者海の女子」となり、
 その息子応神天皇の系譜もまた
 崇神天皇の東征に
 協働したイリ〔ギリシャ〕族の
 後裔であることを示している。
 
 神功皇后の系譜は、
 開化天皇〔第9代〕と
 意祁都比売命の息子日子坐王を始めとし、
 次に山代之大筒木真若王、
 次に迦邇米王雷、
 次に息長宿禰王、
 次に息長日子王とあり、
 同王のうちの長姉が
 息長帯比売命である。
 
 なお、
 応神天皇名の
 「品陀(ホムダ)」
 「品治(ホムチ:吉備国の郡名<前出>)」、
 
 日子坐王の
 「坐:ナマス」の源語は
 すべてギリシャ語の
 Hmthih で「マケドニア」ないし
 ギリシャの北方オリンポス山あるいは
 オシリス山付近を指す地称である。
 
 M.K記

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