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第7章 卑弥呼の「倭錦」(1)倭人伝が記す倭国の「絹」 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第7章 卑弥呼の「倭錦」
 
 (1)倭人伝が記す倭国の「絹」
  倭人伝においては
 倭国と魏とは朝貢貿易を行っていた。  
 
 その交易品のうち最も注目すべきは絹製品である。
 
 魏歴景初2年〔238〕12月の記録に
 魏国が倭からの使節に贈った品目のうちに
 
 「絳地交龍錦五匹」
 「紺地同文錦三匹」
 「白絹五十匹」
 
 とある。
 
 「錦」「絹」とあることから、
 それらが絹製品であることが明白である。
 
 同条にはまた「汝所獻上貢直」とあり、
 倭からの貢奉品と同価値に
 それらの贈呈品は相当すると述べ、
 「朝貢貿易」の様式であることを記している。
 
  正始4年(243)の記録には
 「倭王複遣~上獻~倭錦絳青縑緜衣帛~」とある。
 
 ここにおける
 「錦」「縑緜」「帛」も絹製品の称である。
 
 つまり倭国において養蚕が行われ絹を得て
 織物にした品を魏に献上したとある。
 
 本書第5章「(1)倭人伝が記す倭の養蚕」で、
 
 倭国では邪馬台国時代すでに養蚕が行われ、
 「縑緜」などという織物があったことを説明した。
 
 上記倭からの献上品のうち注目されるのは
 「倭錦」との記述である。
 
 「錦」は日本語では一般的に「ニシキ」というが、
 漢語では
 「脱文解字」〔紀元後1世紀、最古の辞典〕では、
 
 「染絲織之」とあり、
 
 まず糸を染色して次にこれを織ったものとの説明で、
 日本語では「あやおり」という。
 
 倭人伝があえて「倭錦」といっているからには、
 魏(支那)にはない
 倭国特有の染色によった
 糸を使って綾〔紋様〕織りにした織布と推測される。
  M.K記
 

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