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第7章 卑弥呼の「倭錦」(2)弥生時代の「絹」 [日本創世紀]

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(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
 
 日本創世紀
 ―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 
《第7章 卑弥呼の「倭錦」
 
(2)弥生時代の「絹」
 
 1989年7月
 吉野ヶ里遺跡から出土した甕棺の中から
 染色した絹の織物がみつかったと報じられた。
 
 朝日新聞は18日
 「日本最古の染色絹、見えた!弥生の色」と
 見出しを付けている。
 
 佐賀県教育委員会が
 京都工芸繊維大学の布目順郎名誉教授に
 鑑定してもらった結果を17日発表したもので、
 「約30種の織物中から透き目絹」を確認したとある。
 
 同委員会が編集した2008年3月発行の
 『弥生時代の吉野ケ里』に
 「朱が付着した透目の絹、弥生時代中期」とある。
 
 また「縫目の残る絹織物」も紹介されている。
 
 その解説には
 
 「吉野ヶ里遺跡からは弥生時代中期から
  後期の甕棺墓7基の棺内から出土した
  人骨や銅剣、貝殻製腕輪などに付着して
  多数の絹や大麻の布片が発見された。
 
  布目順郎氏の分析研究によって、
  絹は日本産の絹糸で数種類の織り方を
  もつことなどが判明した。
 
  また、
  絹布の中には貝紫や日本茜で
  染めたものも確認され、
  粗末な麻の布を身にまとっていただけという
  弥生人の印象からは程遠い高度な
  弥生の染織文化が証明されていた」
 
 とある。
 
 ここに「絹や大麻の布片」が出てきた事実は、
 倭人伝の
 「種禾稲紵麻蠶桑絹績」との記述に対応する。
 
 「紵麻」は「大麻」に、
 「蠶桑絹績」が絹に係わっていて、
 吉野ヶ里遺跡のこの時期が倭人伝の時代、
 つまり
 邪馬台国<弥奴国>の時代に相当しているといえよう。
 
 布目順郎氏はそれ以前に
 
 『繊維の考古学』
 『絹の東伝』との著述により、
 
 弥生時代前中後期の遺跡から絹が出土したのは
 北九州に限られていて、
 瀬戸内海以東、出雲や近畿方面の絹出土は
 古墳時代前期からと指摘している。
 
 つまり
 紀元2、3世紀〔卑弥呼の時代〕に
 おいて養蚕を行っていたのは九州方面のみで、
 卑弥呼が
 絹をかなりの量産出した地域にいたことを
 倭人伝の記述からすると、
 邪馬台国の所在がどこだったかは明白である。
 
  M.K記

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