第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力(4)崇神天皇と「大和」 [日本創世紀]
『歴史徒然』History Tsuredure https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
『歴史創世』Rekishi Sousei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史徒然』Rekishi Tsuredure http://blog.livedoor.jp/matmkanehara10/
『歴史再考』Rekishi Saikou https://momo-momo-matmkanehara-momo.blogspot.com/
『歴史創世』Rekishi Saisei https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/
『歴史講義』Rekishi Kougi http://matmkanehara.seesaa.net/
『日本紀元』(Nihon Kigen)
『猶本光サポーターズサイト』http://hikaru-naomoto.net/
『浦和レッズレディース』http://www.urawa-reds.co.jp/ladies/
『日本創世紀』の目次へ戻るhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-12-1
「神聖の系譜」出版協賛のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
日本創世紀
―倭人の来歴と邪馬台国の時代―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
《第6章 軍船で侵攻して来た西方軍事力》
ー崇神天皇と「イリ:人」の勢力ー
(4)崇神天皇と「大和」
「神武天皇の東征」は
「崇神天皇東征」との見解を
これまでの「行宮」の説明から指摘強調したい。
岡田宮の付近には「シマヅ:島津」との地称があり、
「尊崇する、崇拝する」の語義であった。
次の多祁理宮の
「タキリ」は「哮」で「大声で叫び」ながら
「神に呼びかける、祈り求める」であると紹介した。
これらの意義は「神を尊敬する」のであり、
第10代天皇の御名「崇神」と同義である。
この証左から当該者の素性は明白である。
さらに「大和」を考慮すればさらに確信となろう。
同用語は音読み訓読みのいずれにおいても
「ヤマト」とは読めない。
つまり当て字である。
「ヤマト」は前に紹介したヘブライ人の用語で
「海の人」の語義である。
その背景は本書の終章で解説する。
崇神天皇の勢力が奈良盆地に入来する以前から
同地に勢力のあった人々の用語である。
「大和」の可能な読み音は
「ダイワ」あるいは
「オウワ」であるが、
後者はすでに「大倭」として紹介した。
つまり「ダイワ」のみが
この「崇神」勢力集団と係わる呼称である。
その「ダイワ」はギリシャ語における
theo-philes〔神-愛する〕の音写で
「神を尊崇する」との語義である。
つまり「崇神」である。
Theo〔神〕は
インド・ヨーロッパ語圏の祖語を共通にし、
サンスクリット語の deva 、
ラテン語の divvas、また
英語の divine である。
Theo-philes は
ラテン語に
dei-fico、deas-facio となり、
「神として崇拝する」である。
ドイツ語では
deifizieren〔神として崇める〕、
英語で
deify〔神聖視する〕ともなり、
「ダイワ」とは「神として崇拝(尊崇)する」
あるいは「神の崇拝者」を表わしており、
崇神天皇の勢力の慣習を現わしている。
M.K記
2019-04-18 01:26
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0
コメントの受付は締め切りました