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第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)クレタ島:ミノス [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)クレタ島:ミノス


  後にミノス王の分身としての
 ミノタウロス「ミノスの牡牛」の物語が語られる。

 
 ミノタウロスは上半身が牛、下半身が人間、
 時にはその反対に描かれる
 人間と牡牛との合体した神である。
 
 神話では
 ミノスの妻パシパエが牝牛に変身して牡牛と交わり
 ミノタウロスが生まれたと語られているが、
 
 その印象は青銅で造られた巨人タロスと重なってくる。
 
 ミノタウロスはアテナイの英雄テーセウスにより
 クレタ島で退治されるとの物語が続く。
 
 バビロン市の守護神マルドゥク神が
 シュメルの信仰の象徴である
 牡牛を圧殺したように
 アテナイの勢力が
 クレタ島の勢力を制圧したとの解釈が成り立つだろう。
 
 アテネ神とクレタ文化のもう一方の英雄とみられる
 ポセイドンとのアッチカをめぐっての戦闘も
 両勢力間の軋轢である。
 
 ポセイドンは海神で三叉の矛を持ち、牡牛に跨る、
 アゲーノールの父神である。
 
 クレタ島の商人たちはエーゲ海地域において、
 ミケーネ文化の勢力が拡張する以前、
 活発な活動を展開していたと考えられる。
 
 線文字Bの粘土板が
 ペロポンネソス半島のメッセニアの町ピュロスで
 出土していることはもとより、
 古いポセイドン神殿は各地にあった。
 
 その代表がアテネから南東の岬スニオンにある
 「ポセイドン神殿」で長きに渡り
 篤い信仰を集めていた。
 
 トルコのアナトリアのエーゲ海沿岸にも
 その勢力の痕跡がみられる。
 
 ミュシアにクレタ島と同じ
 イディの名を持つ山があることはその代表である。
 
 ストラボン『地誌』には
 トロイ(トロイゼン)ではポセイドンが祭られており、
 ポセイドニア(ポセイドンの町)と
 呼ばれていたという。
 
 また、
 彼等のネットワークはカナン地方にも何らかの形で
 張り巡らされていただろう。
 
 あの牛頭のリュトン(角杯)がみつかるからである。
 
 「海の民」よりかなり古い時期で、
 多分ケルト人の交易網に組み入れられ、
 地中海に飛躍してたのであろう。
 
 勿論ギリシャ人が成立する以前のことである。
 
 パイアーキア島(クレタ島)の王アルキノオスはいう。
 
 「パイアーキア人たちにとっては矢や鞏は役立たず、
  檣や櫂や釣合いのよくとれた船に力を注ぎます。
  彼等は点々と白い波が波立っている海を
  航海するのが好きなのです。」
 
M.K記


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