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第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(4)カナアン(カナン) [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カナン神話》

 


  現在使われている

 アルファベッドの「A」の原義は

 「牡牛の頭」である。

 

 紀元前千六百年前の

 カナンで発明された原カナン絵文字から始まる。

 

 この絵文字を基礎として、

 表意文字「フェニキア文字」に発展し

 ギリシャ文字、ラテン文字となり、

 現在の「A」となってきた。

 

 絵文字「牡牛の頭」は alp と読まれ、

 アルファベッドの語幹であることは

 すでに紹介した。

 

 これはカナン人たちの

 「牡牛の頭」に対する想念を記録する史料である。

 

 カナン神話における祖神は「神」を意味する

 エル el で「創造物の創造主」として知られるが、

 「牡牛」によって象徴される。

 

 エル神の神族中の立場は

 シュメル神話のエン En 神に類似している。

 

 しかし、ジョン・グレイは

 「カナン人がメソポタミア人の

  複雑な構造をもった万神殿で

  宇宙論について何も知らなかったことは

  明らかである。」と述べるので、

 シュメルのエン神を

 直接に移入したものとはいえないようにみえる。

 

 だが、

 ウガリットに近いユーフラテス川岸にある

 原新石器時代のムレイビト遺跡から

 「牛頭崇拝」の痕跡が

 みつかっていることからすると、

 古来「牛頭」を表意する祖語が

 北メソポタミア方面、地中海東岸地帯にわたって

 共通していた可能性はあろう。

 

 ムレイビト遺跡と

 チグリス川沿いのケルメズ・テレ遺跡とは

 同時代的遺跡で、

 双方とも同様な

 「牛頭掲示」の慣習が残されていたことは

 紹介済みである。

 

 「A」が「エイ」と発音されるように

 カナン絵文字の牛頭は

 「アルプ」というより

 「エルプ」に近かっただろうと思われる。

 

 創造主エル名は明らかに

 「牛頭」信仰と関係があろう。

 

 エル神はラス・シャムラから出土した

 「ウガリット文書」において

 「彼は通常世を離れて、はるか遠く座し、

  二つの川の流れ出る所で玉座についている者」

 と描かれている。

 

 「二つの川の流れ出る所」を

 どこに比定できるか不明であるが、

 牛頭信仰の痕跡があえる所としてチグリス川が

 アナトリアの山岳地から

 メソポタミアの平原へと流れ出し、

 また、

 ハブール川の水源地であるハブール平原の

 スバルトゥと考えることもできる。

 

 ケレト伝説とも関係するが、

 エル神は「遠く離れ」た

 ケレト人の祖地の神であり、

 カナンにおいては活動しない神であったのである。

 

 カナン神話で支配的権威を誇る神は

 バアル・ハダトである。

 

 バアル神は天の宮廷の王位に着くと、

 牡牛の角をつけた王冠により象徴されるようになる。 

 その祭儀に供される獣は牡牛である。

 

 その性格は

 南メソポタミア神話の

 エンリル、マルドウク、アダト、

 アッシリアのアッシュル神に類似しており、

 「行政官」である。

 

 バアル神話における同神の演ずる主要な役目は

 農業の収穫に係わる季節循環と

 節々の式典に登場することである。

 

 また、

 同神の持物は雷光で、

 雨をつかさどる天候神でもある。

 

 農業地帯であるカナンにとって

 バアル神に代表された

 牛頭信仰は盛大であった。

 

 バアル神殿も数多く造営され、

 『旧約聖書』にはその様子がたくさん語られ、

 信仰の根強よかったことがうかがわれる。

 

 さらにバアル神の演じる役目は

 「海」あるいは

 「海の王子」である「海流の支配者」

 と戦ったことである。

 

 バビロン市の守護神マルドゥクは

 「海」であるティアマトである海は

 ペルシャ湾の高潮ないし洪水と考えられるが、

 ウガリットにおいても高潮や洪水と戦う

 季節的状況があったのだろうか。

 

 地中海の自然環境を考慮すると否定的になる。

 

 また宗教的理由から

 マルドゥク神の英雄譚を

 移入したというものでないだろう。

 

 カナンの独自性から発想された

 神話であると考えられる。

 

 つまり、

 ウガリット市が海の交易都市国家で

 あることによるからで、

 海の荒れることは圧殺しなければならないし、

 季節風や海流を知り尽くし制圧することは

 海外進出の重要な用件であったはずである。

 

 ※原カナン絵文字


 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 


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