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第二章 日本に奉祭されているイスラエルの神 [神聖の系譜]


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『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
 第四部 「十戒石」をイスラエル人は日本へ移転させた
 
  第二章 日本に奉祭されているイスラエルの神
 
  (一) 大国主(大己貴)神と少名毘古那(少彦名)神
 
  『古事記』に以下のような記述がある。
 
 少々長いが日本古典文学大系から転載する。
 
  大國主神、出雲の御大の御前に坐時、
  波の穗より天の羅摩船に乘りて、
  鵝の皮を内剥に剥ぎて、衣服と爲て、
  帰り来る神有き。
  (中略)即ち、
  久延毘古を召して問はす時に、
 
  「此れは神産巣日神の御子、
   少名毘古那(少彦名)神ぞ」
 
  と答えて白しき、
 
  「故爾神産巣日御祖命に
  白し上げたまへば、
  答へ告りたまひ、
  葦原色許男命と兄弟と爲て、
  其の國を作り堅目堅めよ」
 
  とのりたまひき。
 
  故爾により大穴牟遲と少名毘古那と
  二柱の神相並ばして、
  此の國を作り堅めたまひき。
 
  然て後は、
  其の少名毘古那神は常世国に戻りましき。
 
  故、其少名毘古那神を顕はし白せし
  謂はゆる久延毘古は今は山田の曾富謄といふぞ。
  (略)
  是に大國主神愁ひて告りたまひしく、
 
  「君独して何にか能く此の國を相作らむや」
 
  とのりたまひき。
 
  是の時に海を海を光して依り来る神あり。
 
  其の神の言いたまひしく、
 
  「能く我が前を治めば、
   吾能く共に與に相作り成さむ。
   若し然らずば國成り難けむ」
 
  とのりたまひき。
 
 また、 
 『日本書紀』にも同場面の記述がある。
 
  さて、
  大己貴命と少彦名命とは力をあわせ、
  心を一にして天下を経営された。 
 
  また
  この世の青人草と家畜のために
  療病の方法を定められ、
  鳥獣や昆虫の災害を除くために
  まじないを払う方法を定められた。
 
  だから百姓は今に至るまでみな
  この神の恩を受けているのである。
 
  むかし、大己貴神が少彦名命に向かって
 
  「おれたちのつくった国は果たして
   よくできたといえるだろうか」
 
  と語られると、少彦名命は答えて
 
  「できたところもあるし、
   できなかったところもある」
 
  と仰せられた。
 
  この二柱の神の相談には
  深い意味があるらしい。
 
  その後少彦名命は熊野の御崎に行かれて
  そこからとうとう常世郷に去られた。
 
  別伝では淡嶋に行かれて、
  そこで粟茎ののぼられたところ、
  弾かれて常世郷に渡り着かれたという。
  (略)
  するとそのとき神々しい光が海を照らし、
  やがて
  その中から忽然と浮かび上がってくる神がある。
 
 大国主神名は
 日本へ渡来したイブル人たちが「神」を
 呼んだ呼称のうちの最高位にある。
 
 その語義は
 「ガド族の国の神(主) 」である。
 
 「大」は 
 GDLH、guduluah(名詞形)の
 「大きいこと、偉大さ、名誉、栄光」と
 ヤコブの子として生まれ、
 名前が与えられた経緯伝承に合った
 内容そのものからなっている。
 
 形容詞形は GDVL、gualol で
 「大きい、偉大な、強い、激しい」である。
 
  上記にある「葦原色許男命」は 
 大国主神へ習合された名称であるが、
 その語義は
 「メソポタミアのシュメール出自で
  神域を守る男の祭司」となる。
 
 「葦原」はシュメールを
 KI-EN-GI〔地-の-葦:葦の地〕を由来とし、
 「色許男:シコオ」は
 SUKI-男〔高床式神殿の神域-男〕で
 「シュメールの神殿の祭司」で、
 メソポタミアに祖地を持つ
 イブル人の「主」を示唆している。
 
 「大穴牟遅」との表記はここでは誤記で
 「大名持」と記述されなければならい。
 
 『旧約聖書』の「主」の隠称の一つに
 HShM、hashem があり、
 ShM〔名前:主の御名〕によっていて
 「大名持」はそれに対応している。
 
 因みに
 「大穴にすむ蛇(はえずるもの)」で、
 奈良県桜井市の大神神社の蛇神を指す用語に依る。
 
 また
 「大穴持」との類似した表記も使われるが
 これは IS-MAH〔穴-大〕-持で
 「鉱山の坑道を設けている」との語義で
 「イヅモ:出雲」の
 最初期の呼称の起こりに由来する。
 
 出雲(島根県)に銅鉱が発見され、
 同地の発展の基礎となった。
 
 「少名毘古那:スクナヒコナ」は
 「神の臨在を伝授する者」がその語義で、
 「神の僕(しもべ)」の役目を示している。
 
 「スクナ」は ShKhyNH、shekhinnah
 〔シュキナー:神の臨在:神の栄光〕、
 「ヒコナ」は ShN、sukan〔天幕、幕屋〕と
 解釈すれば「(知識を)授ける幕屋の神」となる。
 
 「大国主少彦名神」名は
 「(智識を)伝授する幕屋のガド族の神」ともなる。
 
  『古事記』の少名毘古那神は
 「海を光して依り来る神」、また
 『日本書紀』少彦名命は
 「神々しい光が海を照らし、
  その中から忽然と浮かび上がってくる神」であった。
 
 双方とも「光」を後光としている。
 
 つまり、
 栄光〔神の臨在〕をもたらす者である。
 
 『旧約聖書』において
 モーセが主から戒めを与えられたシナイ山から
 下山するとき、彼の顔は光に輝いていたと
 「出エジプト記」は記している。
 
  次に
 「久延毘古」の「クエ」は GVAL、guoael で
 「救世主、救済主、贖い主」との
 「主」の名前であるし、
 「山田の曾富謄」とは
 「海の国の土師〔裁判官〕」である。
 
 「山田:ヤマタ」は YMYT、yamati 
 〔「海の」あるいは「海人」〕で
 「大和」を「ヤマト」という理由に同じで、
 ”日本”を表す。
 
 「曾富謄:ソホド」は 
 ShVT、shofet〔裁判官、判事〕で、
 この全体の語義は
 「海国〔海に満てる者たち〕の土師(裁判官)」となる。
 
 大国主神が少名彦名神に彼らの造った国の
 出来具合について問うたところ、
 「或は成せる所もあり、或は 成らざる所あり」
 と答えて
 裁定を下したところに裁判官の役目がみえる。
 
 《参考》創世記:大己貴神と少彦名神
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908 
 

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