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第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(1)ウガリット [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(1)ウガリット


 地中海東岸の商業港として

 有名な都市の最初の創設者たちについては
 詳しいことは解っておらず、
 カナン人であったとの
 曖昧な見解が出されているに過ぎない。
 
 しかし、
 有力な創設者として
 ケルト人がやってきたと推測できる
 史料がある。
 
 ラス・シャムラから出土した
 楔形文字の粘土板の中に
 叙事詩的に書かれた
 「ケレト伝説」と呼ばれるものである。
 
 ケレト 
 keret は当然 
 khald の転訛であるが、
 
 ジョン・グレイによると
 ケレトは
 「ウガリットの支配的王家の遠い祖先」
 であったとし、
 ウガリットが
 「ケルト」の末裔であることを示唆する。
 
 伝説によると
 この王は最初
 「さまざまな理由により七人の妻を失う。」
 
 この意義は
 彼が祖地にいられなくなった理由となる。
 
 彼には後継者がなかったので
 新しい花嫁を求めた。
 
 彼は睡眠の中で神からのお告げを受け、
 その指示に従い
 軍隊のように
 彼の全家臣を従えて求婚の旅に出立する。
 
 七日間の旅の後、ある砦にたどり着き、
 花嫁を得て
 
 「七人の息子と八人の嫁」が生まれ、
 後継者を得たが、
 
 彼等がウガリットの人民として
 広まったのであろうと思われる。
 
 ここに繰り返される「七」の数字は
 星空「ひしゃく」の七星を思い出させる。
 
 伝説は、王が病気になり、
 宗教的物語へ展開するが、
 ここでは触れない。
 
 要点は「ケレト」が
 ウガリットの創世の段階で
 深くかかわっていたということである。
 
 ウガリットの主要な商品は
 蜷貝から取られた染料と織物であった。
 
 そして、多分すぐ目の前の島
 キプロス島から
 木材(杉)を入手するために
 船の建造技術を
 発展させたと考えられるが、
 このキプロスからは
 銅が採られりょうになり、
 彼等の航海術は
 さらに重要となったと思われる。
 
 熟練された航海術が
 スバルの金属工匠商人たちを
 遠海へと送り出すこととなった。
 
 以来ペルシャ帝国が
 アレキサンダー大王によって
 滅亡させられるまで、
 その担い手が、
 紀元前12世紀頃
 交代はしたものの長きに渡って
 ウガリットは地中海に
 「海の勇」として君臨していたのである。
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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