SSブログ

第八章 北陸の秘密 〔福井県、石川県の石部神社〕 [神聖の系譜]



神聖の系譜』の目次4へ戻る https://matmkanehara.blog.ss-blog.jp/2019-12-19
「神聖の系譜」出版協力のお願いhttps://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4




[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]


『神聖の系譜』
メソポタミア〔シュメール〕
ヘブライ&日本の古代史
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦 
 
 第四部 「十戒石」をイスラエル人は日本へ移転させた
   第八章 北陸の秘密
     〔福井県、石川県の石部神社〕
 
 (A)「北陸」の語義
 
 「北陸」の秘密を知るには当然ながら
 その語義を考究しなければならないが、
 そのためには
 この地方福井県から新潟県に亘る
 広く信仰されている少彦名神や
 その関連の神社について知ることが必要である。
 
 北陸地方は「延喜式」に
 「北陸道、若狭爲近国、越前、加賀、能登、
  越中、右爲中国、越後、佐渡、右爲遠国」とあり、
 「北陸道」は
 現在の福井県、石川県、富山県、新潟県を指す。
 
 この「北陸」は『延喜式』、『和名抄』共に
 訓を欠いており、何と言われたのか不明である。
 
 史書においては、
 『日本書紀』の崇神天皇10年9月の条に
 「大彦命以って北陸に遣わす」、
 景行天皇25年の秋7月の条にも
 「武内宿禰を遣わしたまひて、
  及び東方の諸国の地形且
  百姓の消息を察しめたまふ」とあるが、
 双方とも後世の知識に依る記述と考えられる。
 
 これに対し、『続日本紀』巻第3、
 文武天皇の時大宝3年(703年)春正月の条に
 「従七位上高向朝臣大足于北陸道」に遣わすとあり、
 7世紀末までに
 東海道、山陰道、山陽道、南海道、西海道と共に
 その地域的概念が固められたとみられる。
 
 「北陸」の音訓を一般に「ホクロク」としているが、
 『日本書紀』の傍記に「クスカノミチ」、
 平安時代の書である「西宮紀」に「クルカノミチ」、
 「北山抄」には「久流加之道」と訓まれている。
 
 文武天皇時に「北陸道」と決めたものの、
 平安時代の識者たちはその地域の伝承などから
 固有の呼び方をしていたのである。
 
 このことからも北陸道が「北の陸の道」を
 旨とした呼称でないことが察せられる。
 
 上記六道名はそれぞれのその縁りが明白であるが、
 「北陸」だけが曖昧でである。
 
 「西宮紀」は「キタノミヤ」と「キタ」という。
 
 これは「北」に通じるが、
 実際は別の由来があると考える。
 
 「キタ」は但馬国気多郡(現在兵庫県城崎郡日高町)、
 石川県羽咋市寿家町の気多神社、
 同小松市額見町の気多神社、
 同七尾市藤橋町の気多本宮神社、
 富山県高岡市伏木町の気多神社、
 同新湊市三日曽根の気多社、
 新潟県上越市五智の居多神社(古くは気多神社)と
 山陰から北陸の各所に亘ってある
 「気多」に依る呼称である。
 
 (B)石部神社
 
 石部「イシノヘ」は
 「石船」で「岩船」と同じく「十戒石」を載せた、
 物部氏が運行する宗教的船を表す。
 
 (1)石部神社〔延喜式神名帳「越前国今立郡〕
        (現)福井県鯖江市磯部町
 祭神:吉日古命、吉日売命 
 
 吉「キチ」(Heb.),תֶתַֻ,KTV,tetau 文字、筆跡
 ※祭神を二神にしているのは
  「十戒の石板」が二枚に依ることに因む。
 
 (2)宮村(山+石)部神社〔延喜式神名帳「加賀国江沼郡」〕
        (現)石川県加賀市宮町、
 祭神:磯部薬師
 磯部「イソヘ」石部、石船に同じ
   
 (3)菅生石部神社〔延喜式神名帳「加賀国江沼郡」〕
        (現)石川県加賀市岡町
 主祭神:菅生石部神
 
 (4)氣田御子神社〔延喜式神名帳「加賀国江沼郡」〕
    (現)石川県小松市岡町(羽咋市寺屋家町)
 主祭神:大己貴神
 
 (5)石部神社〔延喜式神名帳「加賀国能美郡」〕
    (現)石川県小松市能見山
 主祭神:櫛日方別命
 
 (6)神田神社〔延喜式神名帳「加賀国石川郡」:カムタ〕
  (現)少彦名神社に比定されている。(石川県小松市)
 
 神田「ガウタ」(Heb.),גַֻדָל,GD,gaudol ガド族の神社
 
 (7)神田神社〔延喜式神名帳「加賀国加賀郡」:カンタ〕
 
 神田「ガンタ」(Heb.),גַֻדָל,GD,gaudol ガド族の神社
 
 (C)気田大社と大穴持像石神社〔石川県羽咋市〕
 
  気田神社の祭神は大己貴命である。
 
 北陸地方では同神と共に
 少彦名神を祀る神社が多い。
 
 神社本庁の「全国神社名鑑」をみると、
 「スクナヒコ神」を神社名を祠は
 福井県13社、石川県29社、富山県12社、
 新潟県3社と57社に及ぶ。
 
 それは少彦名神に対する
 信仰の厚さを示すものである。
 
 特に多いのが石川県であるが、
 この加賀、能登の地域は
 イスラエル人の活発に活躍した地域である。
 
 金沢市諸江町にも少彦名神社が鎮座する。
 
 諸江「モロエ」(Heb.),מָלַה,MLKh,molah の音写で
  「船乗り、船員」を意味する。
 
 『記・紀』において
 少彦名神が海から寄り来る姿は、
 同神が船乗りであることを示している。
 
 その同類語にはNVT(not)があり、
 これが「能登」の祖語で
 「船の舵取り、楫取り」を意味する。
 
 またその同類語には
 「水をかくこと、(櫂で)船をこぐこと」を
 意味するKhTYRH(khatiyrak)があり、
 これが「キタロク」で
 「北陸」の祖語とみられるのである。
 
 「北陸」は「船乗り」である
 少彦名神を以って生まれた地方名と考える。
 
 鹿島郡鹿西町金丸に
 能登比古神社が鎮座するが、
 鎮座地名「金丸」の「カナマル」は
 (Heb.),כַנֶיה־מָלַה,KhNYVH-MLKh,kaneyh-molah 
  で船乗りの宿営地・宿泊地であり、
 少彦名神の
 一時的奉祀地であったことを物語っている。
 
 宿営地(野営地)とは奇妙な解釈であるが、
 理由がある。
 
 その理由は、同地に鎮座し「延喜式」神名帳
 にも載る宿名彦像石神社が明らかにしてくれる。
 
 「像石(かたいし)」が重要な謎解きの要点である。
 
 「像石」名を持つ神社がもう一社
 神名帳の能登國に載る。
 
 羽咋郡の大穴持神像石神社で、
 現在羽咋市寺家に同名で
 気田神社の東方200㍍に鎮座している。
 
 祭神は大己貴神と少彦名神である。
 
 「大己貴神と少彦名神」で
 両神が一体である様子は既にみた。
 
 ここにおいてもそれは同様と考えられる。
 
 また現在
 七尾市黒崎に宿那彦像石神社鎮座している。
 「延喜式」神名帳に載る同名社について
 二社が論社となっているようだが、
 実態は以下のようなことである。
 
 つまり能登の羽咋市寺家に奉られた
 少彦名神が鹿西町金丸、七尾市黒崎へと
 奉祭地を遷して行ったのである。
 
 いかなる理由に依りそうしなければ
 ならなかったのかはここでは問わない。
 
 「金丸」とは少彦名神である
 「船乗りの宿営地」であるから、
 三カ所共一時的に本殿が置かれたに
 過ぎないと考える。
 
 本殿が移転したことは
 ご神体の移動を意味するが
 そのご神体が「像石」である。
 その「像石」こそ
 ヨシュアに授けられた
 「十戒の石板」のことであり、
 ここに渡来したイスラエルの人々が
 最も重宝した「証し」で、
 「契約の箱」に納められ保たれていたものである。
 
 「像石」は、「像」が示すように石に形像が
 刻まれているのであるが、
 その「カタ」とは「字、文字、筆跡」の
 KhTV(khetau)であり、文法的に解釈すれば
 KhTVV(khetau)で「カタ石」は
 「文字で書かれている・石」となり、
 神が十戒を書いてモーセに渡した石板を表している。
 
 それは而も「二枚一組」である。
 
 羽咋市の大穴持神像石神社の鎮座地名
 「寺家」は「ジケ」で「一対、二つ一組」を
 意味するZVGの音写である。
 
 同社は一般に「オナッサマ」と親しまれているが、
 これは「お石様」の意味である。
 
 「オナ」はAVN(石)である。
 
 鹿西町金丸の南隣りに当たる
 曽根、羽咋市の下曽根の「ソネ」は
 ShNY(sheney)の音写で、ZVGと同義の用語で
 あるばかりか、その隣り大町の「ダイ」も
 DV(duu)の音写で上記ニ語と全く同義の用語で
 二枚の石板に係る。
 
 また七尾市名は現在「ナナオ」であるが、
 古くは「シテオ」であったはずである。
 
 市内に「下(した)町」があり、
 近くに藤原四手諸神社名がある。
 
 「シテオ」はShTY-AVNの音写でShTY(shetey)は
 接頭語の「二つの」で、AVNは「石」であるから、
 同語は「二枚の石」の意味であり、
 「七尾」は本来「二枚の(十戒の)石板である」。
 
 寺家、曽根、大
 
 ※羽咋市の大穴持神像石神社には境内に
  石柵に囲まれた長さ90cm、幅60cm、
  地上に見える部分24cmの「地震石」ないし
  「地震圧え石」と呼ばれる霊石がある。
  
  鹿西町の宿那彦像石神社には
  「総丈一尺七寸余の薄緑石の真石」が
  ご神体として伝えられている。
 
  また七尾市の同名社でも
  「たて七尺二寸、下三尺八寸、上幅二尺五寸」の
  「像石」を少彦名神のご神霊として祀っている。
 
  同像石は同社が昭和23年まで鎮座していた
  海が見える薬師の森に鎮まっていたが、
  尚和39年の国道開設のため
  東南に120㍍移され祠に納められている。
 
  これ等の霊石は実のところ
  ご神体(像石)そのものではない。
 
  イスラエルの人々の習慣からすると、
  GVLL(golel)と呼ばれる
  墓所の入口に置かれた丸石に当るもので、
  まさに「おさえ石」であり、
  「十戒の石板」を護っていた
  磐座を示しているものである。
 
 (D)能登・羽咋と宿那彦像石神社(石川県)
 
 (1)能登国羽咋郡(和名抄) 
 
 能登「ノト」(Heb.),נָת,NVT,not (船の)舵取り
 
 羽咋「ハガイ」(Heb.),כהַגַֻי,KhGY,khaguay 
         ガドの第二子:物部氏の祖名
 
 羽咋「ハクイ」(Heb.),הֶגֶה,HGH,hegeh (船の)舵
 
 ※能登と羽咋は「船の舵」に係わる
  共一の類似技術用語で同義
 
 (2)気多神社〔延喜式神名帳「能登国羽咋郡」〕
 
 「全国神社名鑑」気多神社 (現)羽咋市寺家町
 祭神:大己貴命
 
 気多「ケタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡
 
 (3)大穴持像石神社
  〔延喜式神名帳「能登国羽咋郡」〕
 「全国神社名鑑」大穴持像石神社 (現)羽咋市寺家町  
 祭神:大己貴命、少彦名命
 
 像石「カタ」(Heb.),כֶתַֻ,KTV,ketau 文字、筆跡
 
 像「カタ」(動詞形)KTV、katau 書く、記す。
 
 ※「像石」は「文字が書か(刻ま)れた石。」
 
 寺家「ジケ」ZVG、ziueg(動詞形)に対する。
 
 (形容詞形)(Heb.),זֻגִי,ZVGY,zugiy 対の、二つ一組の
 
 ※この地に「二枚一組」の(十戒の)文字が
  刻印された(書かれた)石が奉祭されていたのである。
 
  それらは「船乗り(舵取り)」によって
  当地にもたらされた。
 
  つまり「石船」で運ばれて来たのである。
 
 (4)宿那彦名像石神社
  〔延喜式神名帳「能登国能登郡」〕
 「全国神社名鑑」宿那彦名像石神社
  (石川県鹿島郡鹿西町金丸)
 祭神:少彦名命、他
 
 鹿島「カシマ」(Heb.),,HShM,hashuem 
         (神の)御名、神の別称
 
 金丸「カナマル」(Heb.),KhMYH-MLKh,, 
         〔宿泊地-船乗り〕船乗りの宿泊地
 
 ※羽咋市寺家の地は「像石」にとっては
  安心のできる所ではなかった。
 
  そのため「像石」はまた移動を始め、
  陸路を東へ行き、第一の宿泊地(宿営地)が
  「ハシェム」の地であったが、その後更に
  七尾市から城山(七尾城がある)周辺の
  山中を越えて富山湾岸の黒崎へと至った。
 
 (5)宿那彦名像石神社
  (現)富山県七尾市黒崎
 祭神:少彦名神
 
 ※この神社には「巨石神霊」伝承がある。
 
  ≪参考≫福井県・石川県の石部神社

 

 像石・能登・羽咋・宿那彦神
M.K記
連絡先:090-2485-7908 
 

nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。