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第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:②イザヤ書のシニム [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
《第十六章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰・月氏とシルクロード:イザヤ書のシニム
 
 「海沿いの国々」の初出は
 イザヤ書第11章10である。
 
 「その日主は再び手を伸べて、
  その民の残れる者を
  アッスリア、エジプト、パテロス、
  エチオピア、エラム、シナル、ハマテおよび
  海沿いの国々からあがなわれる。」
 
 そのエラムは、現イラン・ザクロス山脈南で
 スーサがその中心であった。
 
 パテロスは創世記第10章に
 ミツライムから出た氏族名にあるので
 エジプトの一部である。
 
 シナルは創世記第10章に
 「シナルの地」とある
 シュメルを指す。
 
 ハマテは現シリアのハマとされている。
 
 列王紀下第17章24に
 
 「かくてアッスリアの王は
  バビロン、クタ、ハマテ及び
  セパルワイムから人々をつれてきて、
  これをイスラエルの人々の代わりに
  サマリヤの町々におらせた」とある。
 
 それに続くのが「海沿いの国々」であるから、
 地中海東岸地域とみるのが妥当であろう。
 
 しかし、
 第40章以下の同語は
 違う内容となると考えられる。
 
 主はこれらの国々の民を支えて
 決して見捨てないと述べ
 「わたしのもとに来て静まれ」と
 そのシオンへの帰還を促している。
 
 第41章25は言う。
 
  わたしは北から人を奮い立たせ、彼は来る。
  彼は日の昇るところからわたしの名を呼ぶ。
 
 また、第43章5-7は言う。
 
  わたしは東からあなたの子孫を連れ帰り
  西からあなたを集める。
  北に向かっては、行かせよ、と
  南に向かっては、引き止めるな、よいう。
 
  わたしは息子たちを遠くから
  姫たちを地の果てから連れ帰れ、と言う。
 
  かれらは皆、
  わたしの名によって呼ばれる者、
  わたしの栄光のために創造し、
  形づくり、完成した者、
 
 その地の果ての人々とはどんな人々か。
 
 第42章10-12は言う。
 
   新しい歌を主に向かって歌え、
   地の果てから主の栄誉を歌え、
   島々とそこに住む者よ、
   ケダル族の宿る村々よ、呼ばわれ、
   セラに住む者よ、喜び歌え、
   山々の頂から叫び声をあげよ、
   主に栄光を帰し、
   主の栄誉を島々に告げ知らせよ、
 
 「海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの」とは、
 海洋を利用して活動をしている者、
 つまり交易商人を表している。
 
 第6章 イスラエル人と月氏の
     「海洋交易商人」で
 
 月氏であるイスラエル人が
 絹を扱う海洋交易に
 乗り出したとの見解を述べたが、
 この一節はまさにそのことを
 明白に言っているのである。
 
 エズラ記第13章に
 
 「海から昇る人」の説話が語られるが、
 これもヤハウェ神の威光が海洋に及んだこと、
 
 つまり、
 イスラエル人が少なくとも
 紀元前3、2世紀に海洋を舞台に
 活動していたことを示しているのである。
 
 イザヤ書第11章に表わされ
 「海沿いの国々」は
 地中海の東岸地域を言ったものであろう。
 
 しかし、
 第2イザヤ書に表われる
 
 「海沿いの国々と島々」は
 そのその限りでないと考える。
 
 イスラエル人の海洋貿易商人たちは
 紀元前に
 インド洋のより広い地域に活動の場を拡げ、
 さらに太平洋海域まで
 伸長していたと考えられる。
 
 『漢書地理志』が記録する
 交易商人の寄港地などのネットワークは、
 その交易網を説明したものである。
 
 上記に転載した第40章28の
 
 「主はとこしえの神、
  地の果ての創造者であって」
 
 とある「地の果て」は
 イスラエル人の活動地域が
 そこまで広がったことを示しているのであり、
 単なる詩的美辞麗句ではないと考える。
 
 第41章5は
 
 「海沿いの国々は見て恐れ、
  地の果ては、おののき、
  近づいて来た」とある。
 
 その9は
 
 「わたしは地の果てから、
  あなたを連れてき、」
 と語る。
 
 それが
 第3イザヤ書(56章から66章)の終わり
 
 第66章19になると、
 
 「わたしの名声を聞いたことも、
  わたしの栄光を見たこともない
  遠い島々(海沿いの国々と島々)に遣わす。
  彼らはわたしの栄光を国々に伝える」となる。
 
 エゼキエル第27章15は言う、
 
 「ローヅ島
  (日本聖書協会版は、こう表記するが、
   原語はデダンで、アラビア半島の紅海の奥
   アカバ湾に近い内陸の通商路の町とみられる)
  の人々はあなたと取引し、
  多くの海沿いの国々(島々)は、
  あなたの市場となり、象牙と黒檀とを、
  みつぎとしてあなたに持ってきた。」
 
 本書の第7章の
   「メルッハとオフル」でみたように
 象牙と黒檀はインド、南アジアの特産品である。
 
 その「遠い島々」が指して地域が
 アラビア海以遠にあることが知られる。
 
 イザヤ書第41章から43章までは
  捕囚のために
 イスラエルの地を去らされた人々の、
 それまで知られなかった情報を語り、
 彼等にシオンへ向けて帰還することを進めて、
 その正義が行われるよう、
 それらの人々を支援する神の誓いを述べている。
 
 イザヤ書の sinim が載る第49章は、
 
 「海沿いの国々と島々」に
  呼びかけが行われるが
 ここに極めて重要な条句が述べられている。
 
  海沿いの国々(と島々)よ
  わたしに聞け、
  遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ
 
  (略)
 
  主は言われる、
 
  「あなたがわがしもべとなって
   ヤコブのもろもろの部族をおこし、
   イスラエルのうちの残った者を
      帰らせることは、
   いとも軽いことである。
   (だが、それよりも)
   わたしはあなたを、もろもろの
   国びとの光となして、
   わが救いを地の果てにまでいたらせよう」と
 
 この分節は「秦」の末裔と考えられるすべての
 人々に対して述べられている主の告示である。
 
 その主旨は、
  彼等に対し、故地へ帰還しなくても
 構いませんと言っているのである。
 
 第40章から捕囚された人々にイスラエル、
 
 すなわち
 約束(嗣業)の場であるカナンへ帰ることを
 強力に支援すると説いてきた。
 
 だが、
  「秦」の国々のイスラエル人には、
 「帰らせることはいとも軽いことである」が、
 それらの人々は、その地の
 「国びととの光となして、
  わが救いを地の果てまで
  至らせよう」と言っている。
 
 つまり、
  今居住する国に留まり、
 信仰を守ってくれれば祝福しましょうと
 言っているのである。
 
 これは
 ガド族が島の国にイスラエルの聖地を
 創建することを容認する節句である。
 
 いかでか遠いカナンまで帰る必要があろうか。
 
 申命記第33章(28-29)を再び記す。
 
  イスラエルは安らかに住み
  ヤコブの果は穀物とぶどう酒の地に
  ひとりいるであろう。
 
  また天は露をくだすであろう。
 
  イスラエルよ、あなたはしあわせである。
 
  だれがあなたのように、
  主に救われた民があるであろうか。
 
  安来市の安来を流れる川名
 「木戸」は
    KDVSh (キドゥーシュ) の音写で
 安息日や祭日の食事前に創造を賛美し、
  (日+賣)いを感謝して、
 ぶどう酒やパンを祝福する祈りである。
 人々は感謝を込めて祈りを献げていたのである。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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