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おわりに:②箒木は「智恵の木」 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
《おわりに:箒木は「智恵の木」
 漢訳の大乗仏教では、
 pāram-ita と解釈し、
 
 「知恵によって彼岸に致る」
 
 と理解されてきた。
 
 Pāram(彼岸に)-ita(到った)である。
 
 サンスクリット語学の解釈では
 pārami(最高の)-tā(状態)と分解され、
 prajña が「知恵」であるから、
 prajña-pāramita は
 「最高の(状態の)知識」
 と理解されている。
 
 それは「知恵の完成」を意味し、
 悟りの状態とされる。
 
 本書の第2章 メソポタミアと牡牛の
 「高床式神殿の祭神(3)創造主」でも
 般若波羅蜜(多)に触れ、
 これを「原初の起源を知る」ことと理解した。
 
 北イラクアッシリアのアルパチア遺跡から
 出土した碗形土器に描かれた
 ヴェールの奥についての見解である。
 
 そこには母神が隠れているものと解釈した。
 
 「仏母」の概念は
 このヴェールの向こうの母神に結び付く。
 
 そうすれば、
 pāra-mita の mita は
 サンスクリット語の mātṛ、
 ギリシャ語の mitr、
 ドイツ語の Muttur、
 英語の mother 
 である「母」の可能性が推測され、
 pāra-mita は「原初的大母神」の意味を
 含むと考えられる。
 
 「起源」とは
 「生む(サンスクリット語で praja、
  シュメル語の barg<聖所、多分産所>源」
 で「母」を表す。
 
 Prajña(知恵)は praja(生む)によって
 生まれた言葉である。
 
 「エズラ記(ラテン語版)」13章55は言う。
 
 「あなたは自分の人生を智恵に従って整え、
  あなたの知性を母と呼んだ。」
 
 智恵は母性と係わるのである。
 
 シュメルの大母神 uuburu については
 「高床式神殿の祭神(3)創造主」でも
 見解を述べた。
 
 この碗形土器のヴェールの奥の存在と
 関係がありそうである。
 
 ヴェールの「空白」がヘブライ語で
 HBL(hebel)であり、
 その訓音が酷似しているからである。
 
 大乗仏教の「彼岸に到る」とは、
 このヴェールの向こうに到る意義、
 「空」を悟った上での法性(如如)に
 達することと理解できる。
 
 「性霊集」(巻第7)において、
 空海は述べている。
 
 「我我(カカ)の幻炎を覚って、
  頓に如如の実相に入らむ。」
 「有有の國でて、早く如如の境に入らむ。」
 
 また言う
 「早く有結を脱して、
  頓に無漏に入らしめる。」
 
 空海にとって「有有」とは
 「我我の幻炎」であり、
 「有結」である。
 
 つまり、
 しがらみや煩悩を意味する。
 「如如」が悟りの境界であることが解る。
 
 さらに言う、
 「早く愛河を超え速やかに
  智海に入らしむ。」
 
 そこは智(知恵)の海である。
 
 仏陀の出身シャカ(釈迦)族は
 メソポタミアから
 インドのガンジス河の北方コーサラへ
 移動して来たと言われる。
 
 シャカ族名 śaka は
 シュメル語の sa-ga(牛飼い)が
 祖語であるかもしれない。
 
 このようなアーリア人のグループを
 ヴラーティアーリア人 
 Vrātya-aryan といい、
 階級制度を厳守した
 ヴェーダアーリア人とは違い、
 ヴェーダの祭祀や儀礼に反対する主張や、
 階級制度にも厳格でなかった。
 
 後述するように
 ヴェーダアーリア人の
 バラモン教に反対したのが、
 仏教、ジャイナ教、
 ヴィシュヌ神を尊崇する
 ヒンドゥー教派であった。
 
 ヴラーティヤ Vrātya は
 「正統バラモンの社会・
  慣習のそとにある者」
 を意味する。
 
 彼らがメソポタミアから渡来したことは
 定評のあるところである。
 
 また、『旧約聖書』「創世記」は
 アブラ(ハ)ムがシュメルの
 カルディアの地から
 ハランを経てカナンへやって来たと
 物語っている。
 
 その祖の中に
 アルパチクサデの名前があり、
 それはアラム語で「牛頭」の意味で
 アルパチア遺跡と関係あると
 
 第5章 ノアの系図
 (3)セムの子孫で述べたように、
 ユダヤ教にも
 メソポタミア北部スバルトゥあるいは
 ハブールの
 想念が継承されていると考えられる。
 
 マックス・ウェーバーが
 「ヤハウェはインドのインドラに似ている」
 と述べたのにも似て、
 シャカ族とヘブライ人との間に
 共一の土壌があったと推測される。
 
 ただし、その思念において
 前者の仏教では「空」が重要視され、
 後者では「有」である「如如」が
 主眼とされたのである。
 
 仏陀(シッダルタ)は
 シャカ族国の王子であった。
 
 「箴言」
 「伝道の道」
 「知恵の書 Sapientia」での
 ソロモン王は
 「ダビデの子」と
 表わされている王子である。
 
 双方の「知恵」の教典には
 酷似した条件が覗われる。
 
 あるいは般若波羅密多心経の影響で
 ヘブライの教典は著されたのかもしれない。
 
 「色即是空、空即是色」の対句は
 「伝道の書」第3章2-8の詩句にみられる。
 
 3:2
  生きるに時があり、
  死ぬるに時があり、
  植えるに時があり、
  植えたものを抜くに時があり、
 
 3:3
  殺すに時があり、
  いやすに時があり、
  こわすに時があり、
  建てるに時があり、
 
 3:4
  泣くに時があり、
  笑うに時があり、
  悲しむに時があり、
  踊るに時があり、
 
 3:5
  石を投げるに時があり、
  石を集めるに時があり、
  抱くに時があり、
  抱くことをやめるに時があり、
 
 3:6
  捜すに時があり、
  失うに時があり、
  保つに時があり、
  捨てるに時があり、
 
 3:7
  裂くに時があり、
  縫うに時があり、
  黙るに時があり、
  語るに時があり、
 
 3:8
  愛するに時があり、
  憎むに時があり、
  戦うに時があり、
  和らぐに時がある。
 
 「伝道の書」第7章11は言う。
 
 「知恵は遺産にまさり、
  この地に住む人々の利益になる。」
 
 この智恵の想念の興りはユダヤ教の世界に
 新しい雰囲気が起こり始めた証拠であった。
 
 第5章1は述べる。
 
 5:1
  神の宮に行く時には、その足を慎むがよい。
  近よって聞くのは
  愚かな者の犠牲をささげるのにまさる。
  彼らは悪を行っていることを
  知らないからである。
 
 神の家である「神の宮」に行く時には 
 心を静めて、
 神の声(知恵の意見)を聞きなさい。
 
 無思慮の者が
 ただ犠牲を献げるためにやってくるより、
 犠牲を献げなくても
 神の声を聞く者の方を喜ぶと
 言っているのである。
 
 犠牲を献げる行為から、
 より精神的あるいは
 形而上学的宗教行動へと
 移りつつあった時代であり、
 戒律の遵守が
 より重要になってきたのである。
 
 だが、
 そのような神の意思は
 紀元前8世紀に著されたとされる
 「第一イザヤ書」第1-39章に
 既にその萌芽がみられる。
 
 第1章11-13は述べる。
 
  神は、神の宮(わたしの庭)を
 「踏む荒らされていること
  怒っているのである。」
 
 その第11章2は言う。
 
 11:2
  その上に主の霊がとどまる。
  これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、
  主を知る知識と主を恐れる霊である。
 
 そして、「箴言」第12章1は言う。
 
 12:1
  戒めを愛する人は知識を愛する、
  懲しめを憎む者は愚かである。
 
 死海文書を作成したといわれる
 クムラン宗教団は
 エネッセ派と推測されているが、
 彼らの宗旨は戒律の厳守にあった。
 
 紀元前2世紀から
 紀元前後にかけてのことである。
 
 「知恵」を主張する経典は
 「箴言」「伝道の書」
 のほかに
 「知恵の書 Sapienbia」
 「シラ書(集会の書)Ecclesiaticus」があり、
 前者は紀元前100年から50年の間に、
 後者は紀元前190年頃の著述とみられている。
 
 その他「ヨブの書Job」、
 「詩篇Psalmi紀元前10-2世紀の間に
  生まれた話を纏めたもの」
 「稚歌Cantigum Cantic紀元前440年頃」
 も含めて
 「教訓書」あるいは
 「聖文学」の呼称で纏められている。
 
 その風潮は、
 新しい宗教キリスト教を
 生むこととなったのである。
 
 それより6百年も早く、
 紀元前6世紀に
 インドにおいては、
 祝祭を掌握し俗悪化した
 バラモン教に対し反抗する宗教として
 仏教やジャイナ教が興ってきた。
 
 魔訶般若波羅密多経の最後部に
 
 「羯諦  羯諦  波羅羯諦 波羅僧羯諦」
 
 とあるが、
 この羯諦(ぎゃてい)の原語は
 サンスクリット語の ghāta(ghatin)で
 「消滅する、殺害する」のいみであり、
 
 その節句は
 
 「減殺せよ、減殺せよ、
  バラモン教を減殺せよ、
  バラモン僧(沙弥)を減殺せよ」
 
 というのである。
 
 般若心経(知恵心の教典)とは、
 バラモン教に対する
 大反抗の始まりであったのである。
 犠牲の貢献によるのでなく、
 智恵によって生きるべきだというのが
 その主張である。
 
 『旧約聖書』の「智恵」の教典は
 レビ記に詳説されているような
 犠牲祭を行わない方向へと導いたもので、
 仏教とその方向が似ている。
 
 ガド族は本書の
 第16章 「旧約聖書のガド族」
 でみたように、
 それよりかなり古い時代から
 犠牲祭を止めていた。
 
 キリスト教が盛んになるに従い、
 新しい祭儀の方針を出したが、
 結局祝祭を行わないようになった。
 
 祝祭の民ヘブライ人も
 ついに犠牲祭(祝祭)を
 行わなくなったのである。
 
  「箴言」第14章24
 
 14:24
  知恵ある者の冠はその知恵である、
  愚かな者の花の冠はただ愚かさである。
 
 との詩句があるが、
 この「冠」は
 サンスクリット語においては
 śikhin と表記されている。
 
 その字義は
 「髪のふさを持っている」にして
 「最高の知識を得た」である。
 
 漢訳では「螺髻、妙識」などとされ、
 
 「髻を持っている」者である。
 
 同類語 
 śikṣā が
 「知識、教訓、熟達」を表し、
 śikṣā-pada は
 「道徳の教訓」で「戒」を表わす。
 Śikhin は日本へ来て、
 
 大国主命の別称
 「葦原色許男命」あるいは
 「八意思金神(思兼髪)」名となっている。

 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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