SSブログ

第十五章 大黒柱と大己貴命:諏訪大社の「御頭」・大黒柱①  [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十五章 大黒柱と大己貴命:
諏訪大社の「御頭」・大黒柱 
 
  前章で「柱を建てる」のが
 建御名方神の字義であり、
 
 大国主神の国譲りに登場する
 水戸神の本義であることを紹介したが、
 
 その大国主神国譲りを了承した際に
 述べた言葉に次の様にある。
 
  前節で転載した節句のすぐ前で
  此の葦原中国は、命の隋に既に獻らむ。
 
  唯僕が住所をば、
  天っ神の御子の天津日継知らしめす
  登陀流天の御巣如して、
  底津石根に宮柱布斗斯理、
  高天の原に氷木多迦斯理て治め賜はば、
  僕は百足らず八十垧手に隠りて侍ひなむ。
 
 この部分について、
 日本古典文学全集は
 次の様に現代語訳している。
 
  この葦原中国は
  天っ神の御世のままに
  すっかり差しあげましょう。
 
  ただ私の住まいをば
  天っ神の御子神聖な皇位におつきになる
  光り輝く壮大な御殿のように、
  地底の岩盤に宮柱を太く立て、
  高天原に千木を高くそびえさせて
  お造り下さるならば、
  私は(百足む)多くの道の曲がり角を
  経て行く遠い所に隠れておりましょう。
 
  このように述べたのは、
  大黒主神が根の国の須佐之男命を訪ねた時
 
  「その我が女須世理毘売を嫡妻と為て、
   宇迦能山の山本に、
   底津石根に宮柱布刀斯理、
   高天の原に氷橡多迦斯理て居れ」
 
 といわれていたからである。
 
 水戸神が建てただろう
 「天の御舎」は
 
 「底津石根に宮柱布年(刀)斯理、
  高天原に氷木多迦斯理て」
 
 建てられた。
 
 まず最初に宮柱が太く立てられたのである。
 
 「柱」は
 伊邪那岐命と伊邪那美命の
 神婚に当っても
 
 「其の島に天降り坐して、
  天の御柱を見立て、
  八尋殿を見立てたまひき。」
 
 とあるように
 諾册二神においても重要である。
 
 また
 水戸神の孫
 櫛八玉神が大国主神の膳夫となりて
 奉祀するに際し
 
 「鎌海布の柄を鎌りて、燧臼に作り、
  海蒪(こも)の柄を以ちて燧杵に作りて、
  火を鎌り出て」
 
 とあるように
 
 その本来の像は
 燧杵である鐟木にあると考えられる。
 
 諾册二神の
 「天の御柱」はまた
 「天之御中主神」と称揚されていると考える。
 
 同神は
 『古事記』の天神の第一で
 高天原の主宰神とみられている。
 
 それは八尋、
 つまり広大な殿(屋敷)の宮柱である。
 
 この「柱」は、杵築大社では
 「心御柱(しんのみはしら)」であり、
 「宇豆柱」もその宮柱に入るだろう。
 
 前掲「出雲大社」において
 千家尊統は
 
 「大社造の本源たる 
  出雲大社の心の御柱は
  その巨大性が注目されるのであり、
  要たる「ダイコク様」の俗称も
  生ずる由縁である。」
 
 と述べている。
 
 「ダイコク様」について考えてみる。
 
 大辞泉は「大黒柱」として
 
 ① 民家の土間と床との境の中央に立てる
   特に太い柱、
   また建物の中央に最初に建てる柱、
   亭主柱、
 
 ② 家や国の中心となって
   それを支える人
 
 とする。
 
 広辞苑は
 
 「大黒柱、大極柱」として
 
 ① 家の中央にあって最初に建てる柱、
   建物柱、
 
 ② 民家の土間と床上部との境にある
   特に太い柱、亭主柱、
 
 ③ 転じて家や団体の中心となり
   支えとなっている人
 
 とする。
 
 いずれにしても
 
 第一に家の中央に最初に立てられる太い柱で、
 
 第二に家や団体を中心となって
 支える人の二つの意味がある。
 
 「柱を建てる職匠」神、建御名方神の
 māna に「建物、住宅、祭壇」の意味がある。
 
 祭壇を主殿とする神社である
 杵築大社の心の御柱は俗称ではなく、
 まさに「大黒柱」である。
 
 その主神が大国主神である。
 
 本書は第12章「大黒主神」において
 「大国」は「大黒」であることを主張した。
 
 大神神社の磐座神社、
 拝殿のある所の名称が「大黒谷」であり、
 
 それに連なる禁足地の
 大宮谷も大黒谷であった
 可能性があると述べた。
 
 また「黒」に関係して
 現在の大阪湾である墨江の「茅淳海」、
 
 そして
 「大国主を奉祭する氏族」で
 
 ④都農神社
 
 その祭神が大己貴命、
 「都農」が「チヌ」で「黒」であること、
 「日向風土記」逸文で
 「黒頭」がみえることを紹介した。
 
 大国主神が杵築大社の祭神でるからには
 「心の御柱」が「大黒柱」であって
 何の不思議もなく、
 その名称の発祥が
 ここにあると考えてもよいのである。
 
 千家尊統は
 
 「祭神は大国主神であるが、
  大国を『ダイコク』とも読むところから、
  仏教のダイコク天に 
  中世から習合されて考えられ、
  頭巾をいただき、
  右手に小槌、
  左手に嚢を背負い、
  米俵の上に乗る福神の姿を、
  人に這うのである。」
 
 と述べている。
 
 確かにそれは
 古代末から中世にかけての
 史実であったかもしれない。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。