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第十五章 大黒柱と大己貴命:諏訪大社の「御頭」・大黒柱② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十五章 大黒柱と大己貴命:
諏訪大社の「御頭」・大黒柱 
 
  大漢和辞典は、
 大黒天(大黒神)について
 
 ① 三宝(仏法僧)を愛し、
   五衆を護り、飲食を充饒するという神、
   始めは仏法を護り戦闘神也、
   後には主福の神となり、
   厨房に安置す。大黒天」
 
 として mahā-kāla の移入を述べ、
 
 ② 七福神の一、
   我国では神仏習合の結果、
   大国主と紹介するのは
   大黒の音が大国主神の大国に通じた
   大国主神の別名大己貴命の字大己貴
   ダイコキが大黒に近いので誤用したもの
 
 と解釈している。
 
 これら一般に認められている通説は
 「大国」が「大黒」になったというものである。
 
 本書は古代の太初において
 「大黒」が「大国」になったと
 説明しているのである。
 
 そして
 「大黒柱」は
 「大国主神の柱」であるといいたいのである。
 
 大国主神が
 多芸志の小浜に鎮座するために建てた
 天の御倉の宮柱こそ
 「大国柱」の始まりである。
 
 そして、
 大国主神は
 日本の歴史上最も早く、
 広く大衆から支持され信奉された
 「神格」を備えた神名なのであり、
 最初に家で
 国体、国家の中心となり支えとなった
 神なのである。
 
 次にその理由を明らかにする。
 
 第12章の「大国主神」などで、
 同神が「大黒」であり、
 「睪」であると述べ、
 出雲国風土記に載る。
 
 現在の
 八束郡東出雲町出雲郷の
 阿太加夜神社の祭神阿太加夜多久比売命、
 斐川郡多伎町多伎の多伎神社、
 口田儀の多伎芸神社の祭神も
 「多久神」の比売神であり、
 「多久神」は
 大国主神のことであると説明した。
 
 これまで、
 大物主神は devasa の音写で
 インドラ神であり、
 その神がもつ竜神、剣持神、牡牛の神などと
 その形容される多くの神像を
 提供してきたが、
 大国主神については
 一切それらしい肖像を提起してこなかった。
 
 ここで初めて開示することとなる。
 
 大国主神である
 「大黒主神」の祖像は「大山椒魚」である。
 
 「多久」と訓む
 「繹魚」は「爾雅」によると「鯢(げい)魚」で
 「山椒魚」を意味する。
 
 その注に
 
 「今鯢魚似鮎、四脚、前似[猿(袁→彌)]
  猴、後似狗、聲如小兒啼、大者長八九尺。」
 
 とある。
 
 サンショウウオには二種類ある。
 
 体長大きくても
 15~20センチメートルのものと
 大山椒魚である。
 
 「繹魚」の「大者謂之鰕」、「鰕、繹魚」とする。
 
 「繹」の訓名について
 
 大漢和辞典は
 「セキ、シャク、エキ、ヤ「とく」とも
 「睪声」と記す。
 
 「睪」は「エキ、ヤク、デフ、ネフ」と共に
 「タク、ヂャク(正誤)」と記しており、
 これまで「睪」字を用いてきた理由は
 ここにある。
 
 つまり
 「睪」は山椒魚であり、
 その大なるものを「鰕」というが、
 それが「大山椒魚」である。
 
 小型の山椒魚魚の種類は
 棲息地域によって分散している。
 
 本州に特徴的な種類は
 「黒サンショウウオ」である。
 
 全体的にその背の色は暗褐色(黒)である。
 
 また、
 古来「黒焼」ともいわれ、
 
 干物にされるか焼かれて
 精力剤あるいは
 子供の病の薬として用いられた。
 
 イモリとその形がよく似ており
 「イモリの黒焼」といわれたものには
 山椒魚が含まれているに違いない。
 
 「黒」とは山椒魚であり、
 「大黒」とは「大山椒魚」である。
 
 大山椒魚は
 前記の「爾雅」の説明にあるように
 体長が8、9尺という。
 
 これは中国の尺度であるが、
 日本で確認されているものでは、
 大きなもので
 160~180センチメートルに成長する。
 
 彼等は清水がある峡谷にしか棲息しない。
 
 そして驚くべきことに、
 その寿命は
 80年~100年を超す場合もあるという。
 
 古代における
 人の一生は50年程度だったと
 推測されている。
 
 その時代に
 100年を生きる動物は
 それだけで「神」として
 尊崇される意義が十分あったはずである。
 
 縄文時代から日本の国土の人々は
 大山椒魚あるいは小さいものにしても
 その他の山椒魚を
 信仰の対象として
 大事にしていたと思われる。
 
 その証拠が曲玉(勾玉)である。
 
 山椒魚は両棲類の生き物で
 清い水のある滝つぼなどの石の下で
 水中の穴に左右対になった卵嚢を生むが、
 その形がバナナの房のように曲がっていて
 勾玉と同型である。
 
 長さは種類によって違うが、
 2~15センチメートル程度である。
 
 卵嚢には
 150~300の卵が包まれている。
 
 まさに「曲がった卵(玉子)」である。
 
 勾玉は
 縄文時代の後期晩期の遺跡から
 出土しているので、
 
 その信仰がその頃から
 認識され始めたと考えられる。
 
 大神神社の禁足地である
 大宮谷や山ノ神祭祀遺跡初め
 三輪山周辺で
 出土した子持勾玉も
 山椒魚の卵嚢を祖型としたもので、
 
 墳墓に納められたものは
 再生への願いを込めたものと推測される。
 
 再生後の長寿を祈ったであろう。
 
 子持勾玉が
 特に大神神社に特徴的なのは
 大国主神が「大黒」であり、
 大山椒魚を祖像としているからである。
 
 特に大神神社の禁足地から
 集中して出土しており
 大宮谷も
 大黒谷であっただろうと推考したのは
 この状況判断にもよる。
 
 これを
 「ダイコク谷」と現在呼んでいる。
 
 次に述べるように
 山椒魚は「ハザ」とも呼ばれており
 三輪山をその南東巻くように流れる
 初瀬川は
 この「ハザ」を祖語としており、
 同山周囲は
 その信仰を表わす地名が散在する。
 
 大黒主神である大国主神は
 縄文時代の後期から
 日本国土で神格化され尊崇された。
 
 現在大国主神は、
 日本の最初に建てられた宮柱で
 「大黒柱」であったのである。
 
 (山椒魚、
  特に大山椒魚は
  現在その棲息地が狭められている。
 
  日本の自然環境の保護のため、
  単なる天然記念物としてばかりでなく、
  「国獣」として、
  自然の中で生きられるように
  自然環境を変えていくべきで、
  日本の環境のシンボルとすべき
  対象である。)
 
 ※子持勾玉
 
 ※山椒魚の卵嚢
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908
 

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