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第十四章 牛頭と鹿頭:御名方神と御柱(4)水戸神 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十四章 牛頭と鹿頭:御名方神と御柱
(4)水戸神》
 
   大国主神が国譲りした後について
  『古事記』は次の様に記す。
 
 日本古典文学大系から転載する。
 
  出雲国の多芸志の小浜に、
  天の御舍を造りて、
    水戸神の孫、櫛八玉神、膳夫と為りて、
    天の御饗を獻りし時に、祷き白して、
 櫛八玉神、鵜に化りて、海の底に入り、
    底の波邇を咋ひ出でて、
  天の八十毘良迦を作りて、
  海布の柄を鎌りて、
    燧臼に作り、
  海蓴の柄を以ちて燧杵に作りて、
    火を鑽り出でて云ひしく(略)
 
 「多芸志の小浜」について
  現在の出雲市武志町に
 比定する意見がある。
 
 吉田東伍「大日本地名辞書」は
 
  「武志に膳夫明神存し、
  杵築にも水戸社あり、
   その水戸神の裔を財氏と称し、
  世々別火の家なり」
 
  と記す。
 
 太田亮「姓氏家系大辞典」は
 財氏について
 
   「水戸神裔、出雲大社の社家にして、
    応安3(1370)年8月28日の連署に
     『別火、財貞吉』見ゆ。
   水戸神の孫、櫛八玉神の後裔と伝えらる。
    杵築に水戸社存す。」と
 
 記している。
 
 杵築大社の「水戸社」は
  現在「湊社」と表記されている。
 
 境外摂社である同社について
 第82代出雲国造千家尊統は
  「出雲大社」の中で
 
   「祭神、櫛八玉神で
     大社社家上官の別火氏の祖先神」
 
  といい、
 その神事である身逃神事(神幸祭)に関して
 
 「この身逃げ神事を奉仕するのが
   本来別火氏であった」と述べている。
 
 財氏はまさに
  吉田大洋「謎の出雲帝国」で紹介された
 「富上宮出雲臣財富雄」氏
 と関係する一族であろう。
 
 「財」は勾玉をいうものであることは
  紹介済みである(第12章)。
 
 この『古事記』が述べるところは、
 出雲大社を国譲りの直後は
  富氏(登美族)の一族である
 財氏と同族の別火家が
 その奉祭に当っていたが、
 後に天穂日命の一族
  出雲国造家が大和の神武天皇の王朝から
 奉祭を担うよう託されたという
 史実であろう。
 
 別火家名は「火を分ける家」の意味で、
 八雲村の熊野神社で
  火護の神事に奉仕していた
 一族とも考えられる。
 
 つまり熊野神社は富氏族の奉祭する神社で、
 その祭神櫛御毛野神を
  富氏が祖神としていたとみられ、
 出雲井神社や富神社で祀る
 久那斗神(穴掘神)と
 既述した理由はそこにある。
 
 これらの状況を背景に持つ
 「水戸神」もまた
 富族(登美族)に係る神名である。
 
 同神名は『古事記』の
 伊邪那岐命と伊邪那美命の
 国生みの段に続く
 神誕みの段に
 その両神の御子神として
 
 「水戸神、名は速秋津日子神、
  次に妹速秋津比売神を生みき。」
 
 とある。
 
 続けて『古事記』は
  この二柱の秋津神から
 沫那芸(あわなぎ)神など
  八神を生んだことを記すが、
 その神名は「河海に因る」名称である。
 
 水戸神は単に「湊」の神であろうか。
 
 その秘密は「秋津」にあるが、
 これもシュメル、
  いやそれより古く
 人類の灌漑を始めたころに遡って
  解釈しなければならない。
 
 メソポタミアの
 サマッラ遺跡の新石器時代の遺構で
 
 人類の初めての灌漑施設が見つかっている。
 
 チグリス川の水を制することは
 小麦などの生産を増大させる
 重要な技術であった。
 
 その様子は
 第2章メソポタミアと牡牛で述べた。
 
 灌漑技術は建設技術であった。
 
 その点で
 「水戸神」が建設神である始まりである。
 
 そして「ノアの方(箱)舟」の様に
 
 建築は常に水と向き合ったものであった。
 
 この「箱」を意味する用語が、
  ギリシャ語で αρχι、
  ラテン語で arca、arceu 、
  ドイツ語で arche 、
  英語で ark であり、
 
 この箱を作る者(建築師)が
  αρχιτεκτων(ギリシャ語)、
  architeta(ラテン語)、
  Architekt(ドイツ語)、
  archtekt(英語)である。
 
 これらが「秋津」の祖語であり、
 その本来の字義が「建築師」であるから
 「建物を建てる職匠」である
  建御名方神と同義と考えられる。
 
 つまり「水戸:ミナト」とは 
  minati の音写であることとなる。
 
 水戸神を
 建御名方神の別称とすることもできる。
 
 多芸志の小浜に
  「天の御舎」を建てたのも
 この水戸神であろう。
 
 Māna の字義の中には
  「建物、住宅」と共に「祭壇」の意味がある。
 
  この水戸神が祀られているのが
  長野県の水内郡にある。
 
 「水内」は『和名類聚抄』の流布本に
  「美之知」の訓を付して、
 『延喜式神名帳』にも「ミノチ」訓じており、 
 minoti の音写である。
 
 というのも
 前出の神名帳に載る
 伊豆毛神社の神名に
 数説あることを紹介し、
 その中で出雲建子命が
 その本来の祭神の可能性が高いと
 述べておいたが、
 「水内」名の解釈から判断したものである。
 
 「建子」は「建家」ないし「建戸」で
 「建子屋」は大工を意味し、
 出雲建子命とは
 建御名方神の別称、水戸神でもある。
 
 『日本書紀』持統天皇5年8月23日条
 
   「辛酉、遣㈡使者㈠祭竜田風神、
   信濃須波水内等神㈠」
 
 とある
 
  「水内等神」は「ミナト神」で
  諏訪大社の建御名方神のことであり、
 「水内などの神」の解釈は当たらない。
 
 『延喜式神名帳』の水内郡の南方の
  更級郡記載の「當信神社」があるが、
 訓を付していない。
 
 国史大系は「多岐志奈」を参考としている。
 
 同社は
 現在上水内郡信濃新町信級に鎮座し、
 大年神と建御名方神を祭神としている。
 
 その近くを流れる川も
  「たぎしな川」と呼ばれているが、
 同名は「多芸志」を移入したものと考えられ、
 出雲からの遷宮とみられる。
 
 諏訪大社の神系洩矢神の系譜にも
 不思議なことに
 建設業者の信仰が寄せられている。
 洩矢神の御子神は守田神というが、
  守宅神とも表記され、
 
 水内郡には
 『延喜式神名帳』にも記載された
 守田神社(長野市長沼)が鎮座する。
 
 またその御子神である
 千鹿頭神の系譜に連なる
  千勝神社のうち
 茨城県下妻市堀篭の千勝神社(祭神猿田彦命)は
 昭和の時代ではあるが
 東京深川の建設業者の信仰を受け、
 同社系は現在も
 関東の建設業者から尊崇されている。
 
  建御名方神の祖像は
  縄文時代に始まる柱建て信仰を継承した
 「木霊」に対する信仰でもあろう。
 
 「動かざるもの」は木の最も特徴的な性格である。
 
 鳥取県気高郡気高町の、
  出雲国引き神話と同じ名を持つ
  八束水(やつかみ)地区に鎮座する
  姫路神社の境内摂社には
 
 「水戸神、樹木大明神」が坐る。
 
 石川県加賀市三木町の
 御木神社(現祭神大御食津神)、
 
 富山県婦負郡婦中町田屋の
 杉原神社(祭神木祖神)は
 
 その木霊に対する信仰の社であろう。
 
 速秋津比古命を祀る神社が
 石川県鹿島郡鳥屋町瀬戸の
 瀬戸比古神社である。
 
 同社も『延喜式神名帳』能登国羽咋郡に
 記載されている。
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908
 

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