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第十三章 「倭人伝」狗奴国:狗奴国② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第十三章 「倭人伝」狗奴国:倭人伝の国々

 第5章「旧約聖書」創世記の
 「ヤハウェ神とモーセ」で
 説明した
 「出エジプト記」第12章に
 主ヤハウェがモーセに向って告げる
 正月には各家ごとに
 小羊を一頭取らなければならないとし、
 
 「イスラエルの会衆は皆夕暮れにこれを屠り、
  その血を取り、
  小羊を食する家の入口の二つの柱と鴨居に
  それを塗らなければならない。
  そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、
  種入れぬパンと若菜を添えて食べなければ
  ならない」
 
 とある事情に合致する。
 
 ヤハウェの示す力には
 インドラ神と同じ影がある。
 
 モーセは
 エジプトの王の前で持っていた杖を投げると
 蛇になった。
 
 また、
 その杖で水に触れるとエジプトの水という水が
 全て赤い血の色となり飲めなくなった。
 
 赤い御幣を玄関入口に立てるというのは
 ユダヤ教の仕方である。
 
 ヤーダヴァ族である登美族が
 メソポタミアから受け継いできた
 宗教的慣習であろう。
 
 赤御幣の形は「雷光、稲妻」を
 模したものとみられる。
 
 他の神社では白紙で作られるが、
 その形はやはり同様の稲妻状である。
 
 つまり赤御幣は
 インドラ神の武器である金剛杵(vajura)の
 象徴で倭族の伝統「帛」と習合したものである。
 
 ヴァジュラは本来棒または
 槌で「杵(きね)」であった。
 
 「杵」はエローラ石密第四窟に浮彫りされた
 「ドウルガー女神像」では「棍棒」となっている。
 
 ヤーダヴァ族である登美族の信仰に係わる
 考古学的資料を指摘しておく。
 
 4世紀末期の造成とされる
 櫛山古墳(天理市柳本町)は
 崇神天皇陵(行燈山古墳)の陪塚で、
 双方中円墳で
 祭祀が行われた跡を残している。
 
 この古墳の構造で後方部の表面に
 赤い砂層が敷き詰められている様子は
 赤御幣と同じく赤に対する
 こだわりの表れである。
 
 砂も大神神社の
 「清めの砂」に関連していそうある。
 
 その発掘された遺留品がの中に
 石製の「腕輪」と判断されているものがある。
 
 その面には放射状に波打つ装飾が見られる。
 
 これは腕輪ではなく円盤である。
 
 同古墳の周濠から江戸時代に出土したと
 伝えられる銅板にも
 円盤状の紋様が施されており、
 その主旨を同じくするものと考えられる。
 
 大神神社の山ノ神祭祀遺跡の遺物の中にも
 「双孔円板」が数百枚含まれていた。
 
 この円板も円盤とすることができるだろう。
 
 その数の多さは目立っている。
 
 円盤はインドの神、
 ヴィシュヌ神の武器として知られている。
 
 ヤーダヴァ族のクリシュナは大叙事詩
 マハーバーラタ
 (サンスクリット語: महाभारतम् Mahābhārata)
 においてヴィシュヌ神の権化とされ、
 後のヒンズゥ教の聖典プラーナにおいては
 その性格が一層強くなり、
 ヤーダヴァ族に
 ヴィシュヌ神との関係がみられる。
 
 同神はすでにリグ・ヴェーダ
 
 「(ऋग्वेद Rigveda)は、
  古代インドの聖典であるヴェーダの1つ。
   サンスクリットの古形にあたるヴェーダ語
  (英語: Vedic Sanskrit)で書かれている。
 
  全10 巻で、
    1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)からなる。」
 
 にその神名がみられ、
 インドラ神のよき協力者である。
 
 その讃歌には
 インドラ神が牡牛として現れるのに対し、
 牡牛を神獣とする。
 
 その同名は太陽の光輝を神格化したもので、
 クリシュナの別称が
 ヴァースデ・ヴァ vāsudeva で
 その父が
 ヴァースデーヴァ vāsudeva 
 の子という意味を持つが、
 そのvāsが
 「夜が白んで明るくなる」
 「夜明けに輝く」の語義を持っていて、
 
 ヴィシュヌ
 (英: Vishnu, Viṣṇu, 
  デーヴァナーガリー:विष्णु)は、
 ヒンドゥー教の神である。
 
 仏教名は「毘紐天」、「韋紐天」、
 あるいは「那羅延天」。
 
 音写語としては
 「微瑟紐」、「毘瑟怒」などもある。
 
 そしてそれは、
 天照大神の祖像と説いた
 ウシャス神名にも係わり、
 大神神社に関連する。
 
 さらに
 インドラ神の協力者であることも
 その係わりの強さを示す。
 
 円盤は
 太陽光の放射を表徴させたものであると
 考えられる。
 
 櫛山古墳まどから出土した円盤は
 ヤーダヴァ族(登美族など)の系譜の
 遺品であることに相違あるまい。
 
 この「円板」はいわゆる
 「御諸」を表わしているのかもしれない。
 
 インドラ神は雷神で
 積雲 mih(migh)-māla の神であり、
 それは同神の首輪(花輪)である。
 
 御諸が「環」であることは前章で述べた。
 そうすると
 円盤が大物主神の象徴であると理解される。
 
 ただし「双孔」であることに疑念は残る。
 
 そこで別の面から解釈を述べておきたい。
 
 奈良市の北部は
 平安時代は添上郡添下郡であった。
 
 この「添」由来を「繒」にあると考える。
 
 延喜式神名帳の添下郡に
 「添御縣坐神社大」が載る。
 
 現在二つの否定社があり、
 奈良市歌姫町の同名社及び
 奈良市三碓(みつがらす)の同名社である。
 
 延喜式祈年祭の「
 御県神官祭祝詞」に次のようにある。
 
  御県に坐す皇神等の前に曰さく
  高市、葛木、十市、志貴、山辺、曾布と
  御名は白して、
  此の六御県に生り出づる
  甘菜、辛菜を持ち参ゐり来て、
  皇御孫の命の長御膳の遠御膳と
  聞こしめすが故に、
  皇御孫の命の宇豆(うづ)の幣帛を
  称辞意へ奉(まつ)らくと宣る。
 
 この祝詞で添郡を「曾布」と表記しており、
 それは「繒」である。
 
 そして後段に述べられる「幣帛」でもある。
 
 「添県」は「きぬの県」なのである。
 
※本生図と踊子像のある石柱
<天鈿女命>
イメージ 1
 
 
※有孔円盤「双孔円板」と勾玉

 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

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