第十二章 大国主神と大物主神:櫛瓺玉姫② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]
『創世紀』の目次3へ戻る https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-08-30
「神聖の系譜」出版協賛のお願い https://matmkanehara.blog.so-net.ne.jp/2019-03-14-4
(かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
《第十二章 大国主神と大物主神:櫛瓺玉姫》
二重口縁壺のみられた古墳を挙げておく。
(A)土師器製
○箸墓古墳(奈良県桜井市箸中)
3世紀第四半期から4世紀前半・中頃
○桜井茶臼山古墳(奈良県奈良市桜井外山)
4世紀第一四半期から、
方形墳に数多く並んでいた。
○胎谷古墳(奈良県宇陀郡菟田野町古市場)
4世紀第一四半期
○甲斐銚子塚古墳
(山梨県東八千代郡中道町下曽根町山本)
4世紀後半
○雷神山古墳(宮城県名取市植松)
4世紀末
(B)須恵器製
○長原古墳群四十五号墳
(大阪市平野区長吉長原)
5世紀後半
○稲荷山古墳(埼玉県行田市埼玉、埼玉古墳群)
5世紀第四四半期
○西宮古墳(奈良県平群郡西宮)
6世紀半頃
○三里古墳(奈良県平群郡西宮)
6世紀半頃
○牧野(ばくや)古墳
(奈良県北葛城郡広陵町馬見北)
6世紀後半
全ての古墳を調査した結果でないのが
残念であるが、時代的流れが明らかになる。
宮城県までに4世紀のうちに
「瓺玉神」の信仰が広がっていたことは意義深い。
この壺を一般に何と呼んだかは確定しがたいが、
その宮城県におもしろい資料がある。
雷神山古墳からは少々離れた
岩沼市三色吉水神に
金蛇水神社という名称の
水神を祀った神社があるが、
「金蛇」は
サンスクリット語の kunda の音写で
「宗教的に用いられた壺、瓶、篭」をいう。
また、
同県柴田郡柴田町船迫の釜蛇水神社は
kamaṇḍala の音写で同義である。
『延喜式神名帳』にもなく影の薄い
この神社は1600年の間
土地の人々の水神信仰の対象として
守られてきたのである。
「水瓶」が単に古墳のための
祭器だけでなかったことが解かる。
三輪山の東北辻地区に釜ノ口山がある。
「釜」は kamaṇḍala の kama- で
「口」は二重口縁壺の穴をいうものであろう。
長野県岡谷市の諏訪湖の
天竜川へと流れる辺りを釜口というが、
これも同じ理由で、湖は「天の壺」であり、
釜口は天水の流れ出す穴である。
ミワは svar で「天」の意味である。
『古事記』に「忌瓮(いわいべ)」と現れるものは、
この瓺と考える。
『古事記』には2回現れる。
第1は
「孝霊天皇」に
「大吉備津日子命と若健吉備津日子命とは、
二柱相副ひて、
針間の氷河の前に忌瓮を居ゑて、
針間を道の口と為て吉備を言向け和したまひき」
とあり、
第2は
「崇神天皇」の大毘古の東征に出たところで
「丸邇坂に忌瓮を居ゑて、罷(まか)り往きき」
とある。
日本古典文学大系の註は「居忌瓮而」を注して
「神を祭るに用いる清浄な瓮を
地を掘って据えての意」
とする。
万葉集には
「忌串立て酒瓮据ゑまつる祝が
うづの山陰見ればともども」とあり、
※万葉集巻13-3229には
「五十串立 神酒. 座奉 神主部之
雲聚玉蔭 見者乏文」
(斎串立て 神. 酒据ゑ奉る 神主の
うずの玉陰 見ればともしも)
忌瓮が酒瓮で瓺玉であることがみえてくる。
万葉集・巻3-379 大伴坂上郎女、
神を祭る歌一首には
「斎戸手忌穿居、竹玉手繁尓貫垂」
ひさかたの天の原より生れ来る神の命
奥山の賢木(さかき)の枝に白香(しらか)付け、
木綿(ゆふ)取り付けて
斎瓮(いはひべ)を斎ひほりゑ、
竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫き垂れ
鹿猪(しし)じもの
膝折り伏して手弱女(たわやめ)の
おすひ取り懸け
かくだにも吾は祈(の)ひなむ君に逢はじかも
久方の天の原から天下られた先祖の神よ
奥山の榊の枝にしらかを付け木綿も取り付けて
斎瓮を慎んで地面に掘り据え
竹玉をいっぱい貫き垂らし
鹿のように膝を曲げて身を伏せた
おやめのおすひを肩に掛け
これほどまでも私はお祈りをしているのに
あの方に逢えないのではないでしょうか
万葉集巻3-420
石田王の卒(みまか)る時に
丹生王の作る歌一首は
「枕辺尓斎戸手居竹玉手無間貫垂」を含む。
天雲のそくへの極(きわめ)
天地の至れるまで杖つきも
つかずも行きて
夕占(ゆうげ)問ひ
石占もちて
我が宿に
みもろを立てて
枕辺に斎瓮を据ゑ
竹玉を間なく貫き垂れ
木綿たすき
かいなに懸けて
万葉集巻13-3284には
「斎戸手石相斎穿居竹球手無間貫垂」を含む。
菅(すが)の根の ねもころごろに 我は思へる
妹によりては 言の忌も なくありこそと
斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ
竹玉を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ
天地の 神をぞ我が祈(の)む いたもすべなみ
三例を日本古典文学全集から転載したが、
同書は原書の「斎戸」を「斎瓮」と置き換え、
「忌穿居」を日本古典文学大系の注と同じく
「斎ひ掘り据ゑ」と「地を掘って据える」ことと
解釈を同じくしている。
だが、
第3-42の歌のように、
この祈願は地の穴に据える仕方を
全てとしていない。
枕辺に据えている。
枕辺とは屋内の寝室をいうものであろう。
よって「斎戸手忌穿居」とは、
斎瓮に穴を穿つことである。
二重口縁壺に穴が開けられている様こそ
2019-09-15 02:10
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0
コメントの受付は締め切りました