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第十二章 大国主神と大物主神:櫛瓺玉姫② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]



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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第十二章 大国主神と大物主神:櫛瓺玉姫
  
  二重口縁壺のみられた古墳を挙げておく。
 
 (A)土師器製
  ○箸墓古墳(奈良県桜井市箸中)
 
  3世紀第四半期から4世紀前半・中頃
 
  ○桜井茶臼山古墳(奈良県奈良市桜井外山)
   4世紀第一四半期から、
   方形墳に数多く並んでいた。
 
  ○胎谷古墳(奈良県宇陀郡菟田野町古市場)
   4世紀第一四半期
 
  ○甲斐銚子塚古墳
   (山梨県東八千代郡中道町下曽根町山本)
   4世紀後半
  ○雷神山古墳(宮城県名取市植松)
   4世紀末
 (B)須恵器製
  ○長原古墳群四十五号墳
   (大阪市平野区長吉長原)
   5世紀後半
  ○稲荷山古墳(埼玉県行田市埼玉、埼玉古墳群)
   5世紀第四四半期
  ○西宮古墳(奈良県平群郡西宮)
   6世紀半頃
 
  ○三里古墳(奈良県平群郡西宮)
   6世紀半頃
 
  ○牧野(ばくや)古墳
   (奈良県北葛城郡広陵町馬見北)
   6世紀後半
 
  全ての古墳を調査した結果でないのが
  残念であるが、時代的流れが明らかになる。
 
  宮城県までに4世紀のうちに
 「瓺玉神」の信仰が広がっていたことは意義深い。
 
 この壺を一般に何と呼んだかは確定しがたいが、
 その宮城県におもしろい資料がある。
 
 雷神山古墳からは少々離れた
 岩沼市三色吉水神に
 金蛇水神社という名称の
 水神を祀った神社があるが、
 「金蛇」は
 サンスクリット語の kunda の音写で
 「宗教的に用いられた壺、瓶、篭」をいう。
 
 また、
 同県柴田郡柴田町船迫の釜蛇水神社は
 kamaṇḍala の音写で同義である。
 
 『延喜式神名帳』にもなく影の薄い
 この神社は1600年の間
 土地の人々の水神信仰の対象として
 守られてきたのである。
 
 「水瓶」が単に古墳のための
 祭器だけでなかったことが解かる。
 
 三輪山の東北辻地区に釜ノ口山がある。
 
 「釜」は kamaṇḍala の kama- で
 「口」は二重口縁壺の穴をいうものであろう。
 
 長野県岡谷市の諏訪湖の
 天竜川へと流れる辺りを釜口というが、
 これも同じ理由で、湖は「天の壺」であり、
 釜口は天水の流れ出す穴である。
 
 ミワは svar で「天」の意味である。
 
 『古事記』に「忌瓮(いわいべ)」と現れるものは、
 この瓺と考える。
 
 『古事記』には2回現れる。
 
 第1は
 「孝霊天皇」に
 「大吉備津日子命と若健吉備津日子命とは、
  二柱相副ひて、
  針間の氷河の前に忌瓮を居ゑて、
  針間を道の口と為て吉備を言向け和したまひき」
 とあり、
 
 第2は
 「崇神天皇」の大毘古の東征に出たところで
 「丸邇坂に忌瓮を居ゑて、罷(まか)り往きき」
 とある。
 
 日本古典文学大系の註は「居忌瓮而」を注して
 
 「神を祭るに用いる清浄な瓮を
  地を掘って据えての意」
 とする。
 
 万葉集には
 
 「忌串立て酒瓮据ゑまつる祝が
  うづの山陰見ればともども」とあり、
 
 ※万葉集巻13-3229には
  「五十串立 神酒. 座奉 神主部之 
  雲聚玉蔭 見者乏文」
 
   (斎串立て 神. 酒据ゑ奉る 神主の 
     うずの玉陰 見ればともしも)
 
 忌瓮が酒瓮で瓺玉であることがみえてくる。
 
  万葉集・巻3-379 大伴坂上郎女、
   神を祭る歌一首には
 
  「斎戸手忌穿居、竹玉手繁尓貫垂」
 
 ひさかたの天の原より生れ来る神の命
 奥山の賢木(さかき)の枝に白香(しらか)付け、
 木綿(ゆふ)取り付けて
 斎瓮(いはひべ)を斎ひほりゑ、 
 竹玉(たかたま)を繁(しじ)に貫き垂れ
 鹿猪(しし)じもの
 膝折り伏して手弱女(たわやめ)の
 おすひ取り懸け
 かくだにも吾は祈(の)ひなむ君に逢はじかも
 
  久方の天の原から天下られた先祖の神よ
  奥山の榊の枝にしらかを付け木綿も取り付けて
 斎瓮を慎んで地面に掘り据え
 竹玉をいっぱい貫き垂らし
 鹿のように膝を曲げて身を伏せた
   おやめのおすひを肩に掛け 
 これほどまでも私はお祈りをしているのに
 あの方に逢えないのではないでしょうか
 
 万葉集巻3-420
 石田王の卒(みまか)る時に
 丹生王の作る歌一首は
 
 「枕辺尓斎戸手居竹玉手無間貫垂」を含む。
 
  天雲のそくへの極(きわめ) 
    天地の至れるまで杖つきも
  つかずも行きて 
    夕占(ゆうげ)問ひ 
    石占もちて
  我が宿に 
    みもろを立てて 
    枕辺に斎瓮を据ゑ
  竹玉を間なく貫き垂れ 
    木綿たすき 
    かいなに懸けて
 
 万葉集巻13-3284には
 
 「斎戸手石相斎穿居竹球手無間貫垂」を含む。
 
  菅(すが)の根の ねもころごろに 我は思へる
  妹によりては 言の忌も なくありこそと 
  斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 
  竹玉を 間(ま)なく貫(ぬ)き垂(た)れ
  天地の 神をぞ我が祈(の)む いたもすべなみ
 
 三例を日本古典文学全集から転載したが、
 同書は原書の「斎戸」を「斎瓮」と置き換え、
 「忌穿居」を日本古典文学大系の注と同じく
 「斎ひ掘り据ゑ」と「地を掘って据える」ことと
 解釈を同じくしている。
 
 だが、
 第3-42の歌のように、
 この祈願は地の穴に据える仕方を
 全てとしていない。
 
 枕辺に据えている。
 
 枕辺とは屋内の寝室をいうものであろう。
 
 よって「斎戸手忌穿居」とは、
 斎瓮に穴を穿つことである。
 
 二重口縁壺に穴が開けられている様こそ
 「斎瓮を忌きまつる」

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