SSブログ

第十一章 日本に祀られたインドの神々: 『埼玉・鹿島:剣持神の国』(7)阿部氏の「多」② [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]


[サッカー](かっこ○´д`○)こんにちわぁ♪[サッカー]
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年
 
《第十一章 日本に祀られたインドの神々:
『埼玉・鹿島:剣持神の国』(7)阿部氏の「多
  
 神武東征軍を
 吉野山中で助けた八咫烏は音読すると
 ya-da-wu となるが、
 ここでは追求しない。
 
 「生尾人」は三輪山の大神神社の祭神
 大己貴神と直結していることを
 述べるに留めておきたい。
 
 粟原は
 サンスクリット語の 
 āhāra の転写であり、
 その意義は「食物、糧、饌」を表わす。
 
 āhāra は
 第8章の「インドの祝祭」で触れたが、
 「阿閉」とも音写」されている。
 
 阿閉氏は大彦命の子、
 武淳川別命(建沼河別命)の子
 豊韓別命に興る氏族名とされ、
 
 大彦命の系譜には
 膳臣、高橋氏族名など、
 「食饌」に係わる職掌にある氏族名が多い。
 
 これは
 崇神天皇以降の職制と考えられて
 天皇に対する奉仕とみられているが、
 実際は
 一定の神に対する奉祭であったと考える。
 
 というのも、
 それら氏族の根幹をなす阿部氏名は
 サンスクリット語の 
 hava に由来していると考えるからである。
 
 その語義は「呼び掛け」であるが、
 「献供、祭式」を表わす。
 
 本書の第1章
 祝祭「祝(ハフリ)」で紹介した 
 havala (哈波藍)の hava であり、
 ハフリが阿夫利となった例を
 第11章の
 「ドゥルガー・プジャーの里」 で紹介したが、
 hava は「阿夫」であり、「阿部」である。
 
 阿部氏は単に武人だけでなく、
 神を奉祭する「祝」の職能を
 備えていたのである。
 
 高屋安部神社の「高屋・高田」の 
 tarkyati(te) <思度・思想>が
 阿部氏の奉祭する神社に
 冠されている理由がここにある。
 
 インドのバラモン教の原語である
 brahman は「神聖な言葉」で、
 その祭官は「聖智に満ちた者」、
 つまり神聖な知識を持つ者は
 祭官である祝(ハフリ)である。
 
 そのような阿部氏の祖が大彦命であり、
 その遠祖が登美毘古であり、
 その名は神武東征時大和盆地に
 覇権を持っていた王者で、
 彼等の総称が生尾人である。
 
 「オホ」であったと考える。
 
 登美毘古が、
 阿部氏の本拠地に居たことは
 谷地区の東方桜井を隔てて
 外山(とび)があることにより推測できる。
 
 外山と表記して単に「トビ」と呼ぶ。
 これを「トビヤマ」と読むと、
 登美毘古の妹登美夜毘売の名称となる。
 
 「トビヤ」は
 サンスクリット語の 
 dvi-ja で「鳥」を意味する。
 現在そこに鳥見山があることに係わる。
 
 Dvi-ja の本義は「二度-生れる」で、
 親鳥から生れた卵から
 再度生れる理由から鳥をいうものである。
 
 この dvi
 (二、英語のtwo、ドイツ語のzwei)を
 語幹とした用語に dvipa がある。
 
 これまで 
 jambu-dvipa (閻浮提)の構成用語として
 紹介したものだが、
 本義は dvi-apa で「二つの川」の間で
 「洲」を意味する「島」を表わす。
 
 桜井市はかっての磯城郡のうちで、
 外山の北半分は「磯城島」のうちにある。
 
 この「島」こそ dvipa(dvi-apa) である。
 
 三輪山の麓を流れる
 大和川と粟原川の
 二つ(dvi)の川(水:apa)の
 間の地の意味であり、
 「トビ」で
 登美毘古の本拠地と考えられる。
 
 外山と阿倍の近さから
 安部氏族は
 この登美毘古あるいは
 登美夜毘売の勢力を
 継承した勢力と判断してよいと思う。
 
 三輪山の東側にある「出雲」が示すように
 三輪山の大己貴命(大国主命)の信仰には
 現在の島根県の
 出雲族とも深い係わりがある。
 
 杵築大社(出雲大社)の
 古い奉祭氏族である
 富(とび)氏は
 登美毘古の「トビ」と同声であるが、
 その関係は史料ではよく解らない。
 
 しかし、
 現在の松江市、八雲村、東出雲町の辺りは
 かっての意宇郡であり、
 意宇は「於保」と訓まれ、
 その祖を桜井市の「生尾人」と
 同じくするものとみられる。
 
 東出雲町の出雲郷は
 現在でも「アダカエ」と呼ばれている。
 
 域内に阿太加夜神社が鎮座し、
 地名呼称はその神名に依るものではあるが、
 意宇に居住した種族が
 アダカエ、
 サンスクリット語の
 ādi-gaya(太初の種族)と
 解釈できるからである。
 
 同社の祭神は出雲国風土記に載る
 
 「阿陀加夜努志多伎古毘売命」で、
 
 簸川郡多伎町の多伎神社(多伎)、
 多伎芸神社(口田儀)に祀られている。
 
 阿陀加夜努志は
 「太初種族の主」で、
 出雲神話を考えれば
 「大国主命」を謂っていると考えられる。
 
 多伎(多岐)は解説を除くが、
 「生尾人」であり、
 
 芸とは邇邇芸命の「芸」と同じく
 古くは勾玉であったが
 後には竹玉(たかたま)と
 変化した祭儀のための供献物を表わす。
 
 
M.K記
連絡先:090-2485-7908

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

nice!の受付は締め切りました

コメント 0

コメントの受付は締め切りました

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。