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第五章 『旧約聖書』「創世記」(3)ギホン川 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第五章 『旧約聖書』「創世記」(3)ギホン川


  第二の川ギホン Gihon 川は
 クシ Cush の全地を巡るという。
 
 この川をナイル川と考える解説者が多い。
 
 その理由は、
 エジプトのナイル川上流に
 クシ名の地方があることと、
 ヨーロッパ人が
 エデンの園を世界の中心と考え、
 地上の広い範囲に『旧約聖書』の物語を
 拡大しようとする意識が
 潜在していることに依る。
 
 同様の解釈をする例は他にもある。
 
 ソロモンの交易相手名を
 イベリア半島のタルソスに比定したり、
 また
 アーリア人の祖地を
 北ヨーロッパにこじつけたことなどが
 その自己中心的発想による曲解の例である。
 
 このクシの理解についてもその凡例の一つである。
 
  クシをエチオピアと解釈するのが伝統である。
 
 ドイツ聖書協会の現代語版は 
  Kush に留めている。
 
 アメリカ聖書協会の一六一一年発行の
 「キング・ジェームス版」は
 エチオピアと記していたが、
 同協会の新版では Kush と記載替えしており、
 聖書関係者の間にもクシを
 エチオピアとすることに
 疑問のあることを示している。
 
  地名クシは「創世記」第一〇章にも登場する
 「ハムの子孫クシ」に
 係わることを認めないわけにはいかない。
 
 「クシの子はニムロデであって、
  このニムロデは世の権力者となった
  最初の人である。
  (中略)
  彼の国は最初シナルの地にある
  バベル、エレク、アカデ、カルネであった。
 
  彼はその地からアッスリアに出て、
  ニネベ、レホホティリ、カラ及び
  ニネベとカラとの間にある
  大いなる町レセンを建てた。」
 
 と述べる。
 
 ニムロデは
 シュメールの三大神の支配的最高神
 エンリル神の息子ニヌルタ神のことである。
 
 そうするとクシとはエンリル神のこととなる。
 
 シュメール語の 
 kus は牧夫ないし司牧を意味するが、
 
 アッカド語の  kussu 及び
 アッシリアで使われた
 アムル語でも 
 kussu は王座を表す。
 
 この用語は
 ドイツ語の 
 kustos 監督者
 (カトリック、フランシスコ会では
  属管区長に使う)、
 
 英語の 
  coach(スポーツの監督) となる。
 
 以上のようにクシは
 メソポタミアに関連する用語であり、
 エジプト・エチオピアとは無関係である。
 
 『旧約聖書』において
 エジプト地域の王統について
 解説している条句は全くみられず、
 その地域に比定地を求めたのは
 後世の知識による解釈に過ぎない。 
 
  そこで、
 メソポタミアをクシと
 呼んだことがあったかであるが、
 Cush は
 メソポタミアを支配した者達の
 職席的名称であった。
 
 一方メソポタミアを支配した部族の中には 
 カッシー Kassī と呼ばれる者達があった。
 
 伝説のモーセが人々を率いて
 エジプトを出たのは
 紀元前j十三世紀とみられている。
 
 その後、
 彼等はカナアンの地にヘブライ国を建設するが、
 その頃メソポタミアでは
 東北方面から侵入して来た
 カッシー人が王朝 
 Kassito を築いて支配していた。
 
 彼等は紀元前一六五〇年頃から
 南メソポタミア侵入を始め、
 一四〇〇年頃には王国を形成し
 一一五〇年頃間で存続した。
 
 この時代的背景を考慮すると、
 ヘブライ人達はこのカッシー人達の名に因んで
 メソポタミアをクシと
 呼んだのではないかと考えられる。
 
 カッシートは
 ギリシャ語で κασιτικούς(Kassaios) といわれ、
 
 フルリ人の活動した
 東メソポタミアのヌジ遺跡の文書には
 彼等を kussu と記している。
 
  それではギホン川とはどこなのか。
 
 上記の解釈からすると
 メソポタミアを流れる川であることをが
 想定される。
 ギホン川とは、
 北イラクを流れる大ザブ川である。
 
 これまで何回となく引用してきた川でである。
 
 現在イラクでは
 「ハブールの大ザブ川」が正式名である。
 
 この地方はフルリ人の活躍した地域であるが、
 
 gihon は
 ドイツ語の Gehörn 、
 英語の geweih (角) の同類語とみられ、
 
 チグリス川と大ザブ川の東の町 Guwer や
 ニネヴェ近くの遺跡 Tel Gawra の地名に対応する。
 
 ウラルトゥ時代の大ザブ川中流の
 ハブウリにあった
 ムルシルの神殿には牛角を意味する
 ハルディ khardi 神が祀られていた事実も
 補足説明となる。
 
 ギホン川は「角(ツノ)川」である。
 ※ハブール川 
 ハブール川
 (ハブル川、カブル川、
  Khabur、Habor、Habur、Chabur)
 
 アラム語:ܚܒܘܪ, 
 クルド語:Çemê Xabûr, 
 アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur

M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 


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