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第四章 大陸ケルト人 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第四章 大陸ケルト人




  コーカサスの山塊に 北メソポタミアに成立した
 アッシリア初期の支配的階層が
 スバル人達であったことは確かなことである。
 
 そして、
 シャムシアダト一世が首都を置いた
 シュバト・エンリルは、
 その名の示すとおり
 スバルトゥ(シュバト)の地であった。
 
 スバル人が北方山岳の野蛮な民であったならば、
 
 なぜにそのような不便で危険な高原に
 南方の平野からやって来た
 セム系人が自分達の本拠地を築くだろうか。
 
 すでに見解を述べてきたように、
 この地方は商業的な交易の重要地点で
 魅力があったから首都を置いたのである。
 
 セム人が押し寄せる以前からスバル人たちは
 北メソポタミアからアナトリアへかけて
 商業的ネットワークを
 有効的に展開していたのである。
 
 紀元前二千年を過ぎた頃、
 私的組織が外国貿易に忙しく
 従事していたことが記録に報告されている。
 
 古アッシリアの王権に支配された商人達が
 アナトリアへ進出できたのは
 彼等がアッシリアの王権下に入った
 スバル人の一部で
 あったからと考えられるのであり、
 スバル人の商業的ネットワークに便乗したのである。
 
 その頃には、
 スバル人であるケルト人は
 アナトリアの西端エーゲ海沿岸まで
 到達していただろうと思われる。
 
 また、
 アッシリア、ヒッタイトの興隆ににより
 北メソポタミアとの連絡を
 断たれたケルト人の集団が
 ダーダネルス海峡あるいはポスポラス海峡を渡って
 ヨーロッパ大陸へと入った形跡がある。
 
 トラキアのエーゲ海へ流れ込む川に
 エブロス Ebros 川があるが、
 この名称は Iberi に係わる。
 
 トラキアの古民族にサトライ人がいた。
 
 ラテン語の Satrae は雑煮料理を意味する。
 
 サトライはユダヤの過越の祭の名称でもあり、
 この民族は祝祭を行う人々である。
 
 過越の祭の慣習に従うと、
 旧約聖書・出エジプト記第十二章に詳しいが、
 この日、
 子羊犠牲を捧げ、血を天幕に塗り、
 災いの降りかからないことを祈願する。
 
 トラキアの地に
 祝祭を行う民族がいたことは重要である。
 
 ところで、
 「肉入りスープ」のことをギリシャ語で、
 zoomos というが、
 この用語は日本にやって来て「雑煮」と転訛した。
 
 お正月の元旦の朝に家族皆で食べる
 「もち入り汁」のことである。
 
 平安時代に祝祭が禁止された後に餅に替わったが、
 それ以前は「肉入り汁」であったと思われる。
 
 西アジアの習慣が
 どうして日本へ入ってきたのだろうか。
 
 祝祭が日本の古代において
 盛んに行われていたことは既述の通りである。
 
 黒海の西海岸に
 ルーマニアとブルガリアの
 国境を流れるドナウ川がある。
 
 この川は古代にイシュタル川と呼ばれた。
 
 イシュタルはアッシリアでアシュタルと呼ばれ、
 カナアンでイシュタルとなった女神の神名である。
 
 トラキアからエブロス川を遡及し、
 ドナウ川沿いに影響した
 スバル人の青銅器技術は
 さらに大陸の内奥へと伝播されたと考えられる。
 
 スバル人自身が
 進出していったかどうかは定かでない。
 
 黒海沿岸地帯で吸収された
 金属(青銅器)加工技術と
 祝祭ないし牛角崇拝の信仰文化が、
 この地方の民族に依って運ばれたとも考えられる。
 
 彼等はケルトの名称を技術・文化の総称として
 北メソポタミアのカルトイベリ人から
 受け継いだのである。
 
 彼等がドナウ川の上流で
 西アジアとは違う彼等の個性に合った
 ハルシュタット文化を展開し、
 大量の青銅器を製造したのは
 紀元前十世紀頃からである。
 
 ハルシュタット地方からは銅が産出した。
 
 金属を手に入れたケルト人達は勢力を拡大し、
 紀元前六世紀を過ぎると
 イベリア半島にも至り、移植するようになる。
 
 また、
 ドーバー海峡を渡ってブリタニアから
 アイルランドへと植民者を拡散させた。
 
 また、
 紀元前三世紀にはその一派が
 ポルポルネス海峡を渡ってアナトリアへ入り、
 紀元前二〇〇年頃に
 アナトリアの中央にガラチアの中央に
 ガラチア国を成立させた。
 
 特殊な金属で Britnnia metal  がある。
 
 ブリタニアの特産の錫と銅、
 アンチモニー及び亜鉛を
 加えた合金で銀に似ているという。
 
 また
 フランス語で étainblac「錫」であるので
 意味がまさに「白」であったと考えられる。
 
 ここでローマ時代ブリタニアとよばれた 
 Briton の地名について述べておきたい。
 
 Briton はフランスの Bretagne と祖語を同じくする。
 
 それにまた
 シュメル語の zabar 、
 カナン語の bazel も同祖である。
 
 その意味は「青銅」である。
 
 カナン語と同様であるが、 
 za-bar が bar-za となったものである。
 
 修飾語が後に付くか、
 前になるのかの文法的法則の違いによって
 表記が変わったものである。
 
 ヨーロッパ語は修飾語が先となる。
 
 シュメル語は後である。
 
 Bar はシュメル語において 
 barbar(babbar) の同類語で
 「白い、輝く」に同義である。
 
 Za は「金属」あるいは「鉱石」を意味する。
 
 古代においてブルターニュ、ブリテンは
 錫の重要な産地であった。
 
 Za は
 ドイツ語の zinn 、
 フランス語の étain 、
 英語の tin で「錫」である。
 
 Zabar、barzel、Briton、bretogne は
 「輝く金属」の字義となる。
 
 グルジア語に verzhx(銀) となっている用語である。
 
 これらの地方名は
 古代の青銅器時代にスバル(ケルト)人が錫を求めて
 渡来したことに始まる地名であろう。
 
 ブルターニュ地方、
 ブリテンのコーン・ウォール地方は
 現代においてもケルト人の多く住む地域である。
 
 スバル(ケルト)人と大陸ケルト人との
 関係については確定的な判断ができない。
 
 一九世紀以降の人類学者の研究で
 大陸ケルト人が
 鼻高で金髪のゲルマン人と似た
 人々との判断が覆されつつある。
 
 その様子を
 寺田和夫「人種とは何か」から転載して紹介する。
 
 「フランスの著名な人類学者
  ピエール・ポール・ブローカは
  フランスの身性の研究に基づいて、
  ヨーロッパ大陸でケルト語をしゃべる
  唯一の地方であるブルターニュには
  背の低い褐色の毛髪をもった
  人々のいることを指摘した。
  同じ頃(1865年) イギリスでも、
  ケルト語族とくにウェルシュ人は
  小さくて皮膚も濃色であることが
  明らかになった。
  古典に記されている
  ケルトは背が高く色白であるという
  身体特徴とは矛盾する結果である。
  1870年代には
  ドイツの学者達が
  シュヴァルツヴァルトやアルプスの辺鄙な土地で
  テュートン的でない短頭の人々を見つけ、
  これもケルト族であると考えた。
  ケルト系の地がその地方に多いのも傍証とされた。
  十九世紀の終わり頃は、ケルト族とは、
  歴史上の既述とは逆に、
  濃色、短頭の人種と考えるのが
  人類学者の一致した意見になったと、
  英国のリプレーが記している。」
 
 ケルト人の宗教的権威者はドルイド僧である。
 
 その存在は大陸はもちろん、
 アイルランドまで広く知られている。
 
 特にアイルランドのダブリン地方は
 ドルイド教の大本山があった。
 
 ドルイド 
 Druid(英語)、
 Druide(ドイツ語)、
 δρουιδαι(ギリシャ語)と
 
 表記されるが、
 その語義については未だ確定されていない。
 
 彼等は動物犠牲祭の主宰者で常に槍を保持していた。
 
 その点においてその職席は「ハフリ」である。
 
 ケルト人の宗教は
 このドルイドの名に負ってドルイド教と称される。
 
 ギリシャ語に「槍持」を表す用語 
 δορυ-ψοροζ(槍-持つ) があり、
 doru は槍ではあるが槍の柄を指し、
 「木で作ったもの」の意で、
 本来の意味は「棒材」で「木材」を表す。
 
 アイルランドのゲール語においても 
 cill-dara(樫の木) のように
 dara は「樹木」で、英語の tree と同類である。
 
 Drui- はこの「樹木」の同類と考えられる。
 
 英語に「神にする、祭る」を表す deity を基にした
 deity(神、神性)、
 deism(自然神教)、
 deist(自然神教者) 、
 
 また、
 ラテン語には「神、神人」を表す dei があり、
 アイルランド語 diar は
 ギリシャ語の zeus の同類語 deus/di 
 と同じく神を表す。 
 
 deye は権威となる。
 
 また、
 ユダヤ人を称するヘブライ語 Judea は、
 シュメル語で
 月を表す zu から転訛した 
 Ju 月を信奉する者(月信奉者)の意味である。
 
 よって Drid は 
 tree-deist 樹木神教徒を表すと考えられる。
 
 その宗教的観念における聖木の役割はまさに
 『階段』(シュメル語の gala )である。
 
 ドイツ語の Tritt は「足踏み」ではあるが、
 「高壇」や「はしご(小さい)」の意味を持つし、
 英語の tread は同様に「踏む」ことであるが、
 階段の「踏み段」「はしごの段、横木」 を表し。
 
 階段の機能と係わる。
 
 両語とも druid と訓音が近似しており、
 ドルイドから派生した用語と思われる。
 
 アイルランドの前出
 「樫の木 cill-dara 」は教会名である。
 
 同国の首都ダブリンに近い地方名 
 Kildare はこの樫の木に由来し、
 隣接の Ofaly は
 英語のoffer つまり、供犠の意に依るものであり、
 その首都名 Dabrin 
 シュメル語の司祭を表す Śabra の同祖語である。
 
 イランのウルミエ湖の東にある町 
 Tabriz と同様である。
 
 同市の北に Savaran 山があり、
 その都市名の由来を物語っている。
 
 ドルイド教の祭司たちの本部があった
 史実に対応する地名である。
 
 樹木を表す dara も
 シュメル語の「成長、新緑の」を意味する 
 śar とは同祖と思える。
 
 アイルランドには
 「ケルトの十字架」と呼ばれる
 特異な十字造型がある。
 
 これは本来大陸ケルト人、
 つまり、
 インド・ヨーロッパ系ケルト人の
 文化によるものではない。
 
 紀元前五・六世紀
 彼等がこの島国に侵入する以前に
 イベリア半島のケルト・イベリア人が
 
 マルタ十字紋、渦巻紋、組紐、ジクザク紋を
 持って来たのである。
 
 鉱物を探究し続けた彼等は
 フランスのアルモリカと呼ばれた
 ブルターニュ地方、
 また、
 イングランドの西南の端れ
 デーボン辺りで錫を
 入手することができたのである。
 
 デーボンに近い Śonerset は
 金属を溶解する Sohmelze あるいは
 鍛冶工 Smith と係わる。 
 
 ローマ時代アイルランドは 
 Hibernia と呼ばれたが、
 イベリア半島のその名と関係し、
 「崇拝者」の意であり、
 国名 Eire も
 シュメル語 ār(神を賛美する)の同祖語と考えられる。
 
 スペインの感嘆詞「オーレ」にも関係する。
 ドルイド教の祭司たちの
 本拠地であったことを考慮すれば
 理解できるところである。
 
 後から渡来した大陸ケルト人達は
 先住ケルト・イベリア人の造形的工芸文化を
 破壊せずに踏襲し、発展させたのである。
 
 イングランドの錫の産地デボンよりさらに
 南端のコーンウォールにある
 「ケルト十字架」の石造物にみられる
 十字は正確にマルタ十字形であり、
 原初期に属するものとみられる。
 
 後のものにみられる装飾の全く無い、
 石柱の頭部に円形を刻み、
 その中にマルタ十字を彫ってあるに過ぎない。
 
 未だキリスト教の影響を受けていない
 素朴な十字である。
 
 このコーンウォール Cornwall と
 ウェールズ Wales は本来同語で
 「角形のウェールズ」と理解されている。
 
 Wale は地中海の島マルタ島の首都 
 Valletta の語幹 val である。
 
 つまりシュメル語 bar(交差する)と
 同じ「十字」を意味するのである。
 
 また、
 corn は
 ギリシャ語の κορνη (棒、杖) 、
 カナアン神話の神名ホロン Horon 、
 ひいてはインドの祭
 ホーリー祭の holi と関係する。
 
 Cornwal は棒、
 ここでは柱と理解してよいと思うが、
 「柱(棒)の上の十字」の意義である。
 
 「ケルト十字架」に戸外においては石柱の頂に
 マルタ十字を乗せているのが普通である。
 
 大陸ケルト人達が先住の民の文化を
 抹殺しなかったのは、
 彼等自身もメソポタミアの
 ケルト(スバル)人の文化の影響を強く受けて
 成立してきた共通の土壌にあったからである。
 
 ハルスタット文化にみられる
 渦巻装飾などはその典型である。
 
 ローマ時代カエザル、
 つまり、ジュリアス・シーザーが著した
 「ガリア戦記」の第一巻(紀元前五八年)の最初は
 
  「ガリアは全部で三つに分れ、
   その一にはベルガエ人、
   その二にはアクィーターニー人、
   その三にはその仲間の言葉でケルタエ人、
   ローマでガリー人と呼んでいるものが住む」
 
 から始まる。
 
 ベルガエ人は現在のベルギー辺りで、
 その国名の祖語である。
 
 アクィーターニー人 Aquitania は
 現在のガスコーニュ地方で、
 語幹 aqui- は
 グルジア語の ochar ないし achar に関係し、
 金属の「金」に因む名称で、
 ガスコーニュの同義異名と思われる。
 
 ケルタエ人はケルト人のことであるが、
 ローマ人が Galli と呼び、
 ケルトの地を Gallia と
 呼んだというのがその意味である。
 
 この名称は
 カナアンの紀元前後の名称 
 Galilaea の同祖語である。
 
 大陸ケルト人は
 金属商人たるスバル人の影響の下に青銅を取り扱い、
 この頃には鉄器技術にも精通して
 勢力を拡大した人々である。
 
 「ガリア戦記」は
 
  「ガリー人はガルンナ河で
   アクィーターニー人から、
   マトロナ河とセクアナ河で
     ベルガニ人から分かれる」
 
 と続け、
 その勢力地域が現在も
 フランスの南部ランゴバルト地方から
 北西に向かって流れるガルシナ河以北、
 パリを流れる現代名セーヌ河以南といっている。
M.K記

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