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第四章 グルジア [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第四章 ウラルトゥ



  コーカサスの山塊に
 グルジア(現)ジョージアの国名による国が
 統一されたのは
 紀元後十世紀後半のことである。
 
 それ以前には長い間イベリア国が存続した。
 
 建国は紀元前六-四世紀のことと伝えられる。
 
 イベリア Iberia は
 ギリシャ語に始まり
 ラテン語(ローマ時代)に
 引継がれた呼称である。
 
 現在のグルジア Gruzia 国では
 自分たちの国名を
 サカルトベロ Sakhardhvelo と称する。
 
 Sa- は「~の」を表す接頭語で、
 Khardhveli がグルジア国人を意味する。
 
 グルジア国民を構成する民族は六民族であるが、
 主体的な民族は
 カルト人、ミングレル人、スヴァン人で、
 彼等を総じて一般にはカルトベリ人と呼ぶ。
 
 イベリアはこの -hveli に基づく呼称である。
 
 グルジア国 Gruzia (英語名 Georgia)は
 コーカサスの外・内両山脈間の
 山塊地から黒海沿岸にわたる国であるが、
 歴史的には
 現在のトルコ領の東北地方を領していたことがあり、
 エルジカン市の西方に
 サカルタン峠の地名が残っているので、
 その辺まで領土が伸びていた。
 
 現在もその地域には
 カルトベリ人が居住しているのである。 
 
 この地域は鉱物資源の宝庫である。
 
 金銀銅が産出するほか、
 特に鉄によく似た金属マンガン鉱が
 チアツラ市近郊から産出する。
 
 マンガンは鉄より軟らかく、
 鉄、銅などの合金として使用され、
 現在においては
 高度マンガン鋼は硬度が高く特殊レールなど
 耐磨耗部品に使われている。
 
 ただし、
 この地方のマンガン鉱が
 古代において
 どのくらい利用されたかについては史料がまだない。
 
 西部グルジアには紀元前にグルジア語で
 エグリシ Egrisi と呼ぶコルキス国があった。
 
 ギリシャのアルゴナウティズ
 (アルゴ丸の船乗りたち)神話に名高い
 金羊皮を守っていた国である。
 
 Egri- はギリシャ語表記の 
 αιγλι で山羊のことである。
 
 エーゲ海文化(クレタ文化)の
 古層に係わる名称である。
 
 コルキス Χολχιζ はギリシャ用語で、
 その祖語は青銅を直接的には意味するが、
 
 銅あるいは一般的な金属品をも意味する 
 Χαλκοζ と考えられる。
 
 黒海に近い地区名アチャーラや
 隣接するアハルチヘは
 グルジア語の金を意味する 
 ocher と係わる地名で、
 金の産地に由来するところであり、
 金羊皮(黄金の毛をした牡羊)伝説の礎になったと
 考えられる。
 
 この一帯はいわゆる金地国といってもよい。
 
 「アルゴ丸の船乗りたち」の物語には、
 コルキスに至りつく前、
 敢えてその場所を推測すると
 黒海の南岸ポントス付近に
 鉄の製錬が上手で鋼鉄を発明したといわれる
 カリュベス Χαλνψ と呼ばれる種族もいた。
 
 その神話のなかで彼等の生活について
 
 「カリュベス人は土地を耕すことなく、
  果樹を植えることも、
  露にぬれた草地に家畜を飼うこともしなかった。
  荒地から鋼や鉄を掘出しては、
   それを食料と交換するのである。
  そして、
   暗闇と濃い煙のなかで激しい労働のうちに
   その日を過ごしていた」
 
 と述べている。
 
 正に「カインの末裔」ともいうべき
 フルリ人金属工たちの
 生活の実態であったかもしれない。
 
 さて、khardhveli の名称は
 これまで確認を繰り返してきたとおり
 「牛角崇拝者」を意味する。
 
 彼等の人種的性格は地中海人種に属する。
 
 彼等は、
 このコーカサスの山塊地方に
 太古から居住していたのではなく、
 南方から紀元前の遅い時期に
 北メソポタミア、ハブール地方から
 ユーフラテス川の上流である
 ムラット川を越えてアチャーラ方面へ、
 また、
 ウラルトゥのハブリウリから大ザブ川を遡し、
 ヴァン湖、セヴァン湖方面から
 首都トビリシ方面へと移動した
 スバル(カルト)人達なのである。
 
 三つの主要民族名のうち
 カルト人はウラルトゥで
 ハルディア人と呼ばれた者達でもあり、
 フルリ人の後裔といってよいであろう。
 
 シングレル人は
 別称イメレディ ymerdhi であるが、
 この語は神を意味するばかりでなく
 「像」の意味を持っている。
 
 スラブ語に入って
 「偶像」を表す komhr となるが、
 彼等こそ
 紀元前三千年頃
 北シリアのハブール川沿いの遺跡
 テル・ブラク で「眼の神殿」を建設し、
 「メ」を神として崇め
 眼の偶像を奉納した人々の後裔と考えられる。
 
 また、
 第三のスヴァン人は
 ヴァン湖、セヴァン湖方面にいた人々である。
 
 グルジア語で svam は「飲み込む」であるが、
 sevan 湖はその用語に従ったもので、
 van 湖はその北に sevan 山があるとおり 
 svam に係わる名称である。
 
 これはウルミア湖も同じであるが、
 両湖とも湖から流れ出す川はなく、
 湛えられた水はすべて地下に吸い込まれてしまう。
 
 以上の三民族の名称においても
 彼等が南方から移動して来たことを理解させる。
 
 トルコ領のアルダハン Ardahan 中心に
 イスラム教化したカルトイベリ人が住んでいるが、
 この町の名はウラルトゥ時代のハブリウリの町
 ムサシルのウラルトゥ語名アルダーニと同じであり、
 その両方には、その転訛 Artin 名の町もある。
 
 グルジア人の氏名の大きな特徴は
 
 「シュワル(十字)」
 「シュヴェリ(息子)」
 「シュビリ・アシュリ(娘)」
 「シュヴィリ(子供)」
 
 が付されていることで、
 スバルやその別称とされた
 シュバリと極めて親密である。
 
 二十世紀のソ連の政治家
 スターリンは同国ゴリ市の出身で、
 グルジア名をシュガシュヴェリといった。
 
 ゴルバチョフ首相の下で
 欧米諸国との間の冷戦を終局させた
 外相シュワルナーゼもグルジアの出身で、
 ソ連解体後帰国して大統領の職席に就いた。
 
 首都トビリシ市内には
 ゲオルゲシェヴェリ通りがある。
 
 ゲオルゲはギリシャ語で農夫を意味するが、
 Gruzia は
 このギリシャ語 γρογγε に由来する。
 
 紀元後三世紀に
 カッパドキアのリッダ Lydda の
 領主の息子に生まれ、
 ローマの将校となっていた
 ゲオルゲが密かにキリスト教を信奉していたが、
 ローマ皇帝の迫害に抵抗したため捕らえられ、
 紀元前三〇三年頃
 パレスチナのベイルートに引かれていき
 斬首されたという。
 
 その行動は
 軍人の鑑と尊崇され、軍人の保護聖人とされた。
 
 その後
 キプロス島、イェサレム、エジプト、ビザンチン帝国に
 多くのゲオルグ教会が作られた。
 
 この聖人の出身の部族は
 アナトリアにいた
 イベリア人/カルト人の仲間であったかもしれない。
 
 イベリア国は逸早く
 紀元前四世紀にはキリスト教へと改宗した。
 
 ここに古来からの
 牛頭崇拝の慣習は停止されることとなった。
 
 だが、
 彼等の民族としての呼称は
 現在に至るまで引継がれているのである。
 
 聖ゲオルグ信仰はローマ時代を通じ西方にも広がり、
 「イベリア半島」でみた San Jorge 、
 ウェールズとアイルランドの間の海峡名 
 Saint Georgia 、
 また
 英国のキリスト教聖人となり
 国王の名称ジョージともなり、
 アメリカのアトランタのあるジョージ州の名となった。
 
 一方、
 ロシアのキリスト教ではユーリー教会など
 その威徳がが尊崇され続けている。
 
 ユーリーはゲオルグのロシア名である。
 
 グルジア語はカルトイベリ諸語の一つといわれるが、
 先にみたように
 ウラルトゥ語との関連、シュメル語との関連、
 さらにイベリア半島のバスク語との
 共通性が追求されている。
 
 また、南インドのドラヴィダ諸語、
 つまりタミール語との共通点について
 シュメル語を介して論議されている。
 
 大野晋が「日本語とタミール語」などで、
 このタミール語と日本語の共通性を論じたり、
 文法的に日本語とグルジア語、
 つまり、
 カルト人の言語が
 全く関係ないとはいえないことになる。
 
 突き詰めるところ、
 高床式神殿の呼称を
 
 『sinjer』と推測したが、
 
 それが祖語となり、諸言語を通って
 
 『じんじゃ(神社)』=『高床式神殿』
 
 となったことを全く否定しさることはできない。
 
 サンスクリット語の 
 srnga (角) がその仲介語であろう。
 
 北シュメル・アルパチア遺跡の
 碗形土器に描かれた高床式建物は
 日本神道と関連していることとなる。
 
 ついでに述べておくが、
 ユダヤ教の聖堂シナゴーグ 
 Sinagog も『sinjer』を祖語とするものと考える。
 
 今日まで、
 カルトイベリ諸語との関連を論議するに当たって
 現在のグルジアのある地籍コーカサスを当該地とする
 コーカサス諸語との呼称による
 捉え方が通例であったが、
 カルトイベリ人の中枢が
 紀元前五世紀頃までは
 北メソポタミアにあったこととを是認すれば、
 交流経緯を組み替えなければならないのである。
 
 本書はメソポタミアを含む
 西アジアの古代を考察するために
 既に多くのグルジア語の単語を参照にしてきた。
 
 また、
 北メソポタミアの牛頭あるいは牛角を
 崇拝する民族名を
 「カルトイベリ人」と延べ、
 その証明のための論証をここまで展開してきた。
 
 多くの歴史的資料を観てきた、
 この段階において、
 紀元前三千年以前における
 「カルトイベリ人」の存在を
 納得できるであろうか。
 
 彼等が古代文明の開拓者であったことを
 否定できるだろうか。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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