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第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(8)イベリア半島 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第三章 カルト(スバル)人の地中海進出(8)イベリア半島


  古代のイベリア半島で重要な条件は、
 銅、鉛、銀、錫が、
 そして金が産出されたことであった。
 
 スペインの南東の端アルメリア近郊は銅、
 鉛のほか銀の鉱脈が露面近くにあって
 半島有数の鉱山があった。
 
 セルヴィアからポルトガルの南端にかけては
 銅、銀及び錫が産出した。
 
 また、
 北西のガリシア地方からは金、銀、鉛、錫が産出し、
 スペインとフランスの国境のピレネー山脈が
 大西洋のビスケー湾に向かっていく地帯からは金が、
 スペイン側の湾岸地方からは鉄も産出された。
 
 地中海地帯で錫が産出する所は
 アドリア海の東岸ダルマチア地方と
 イベリア半島のジプラルタル海峡を
 大西洋へ出た半島の西南端地方しかない。
 
 青銅器時代においてイベリア半島が
 重要であった理由はここにある。
 
 ギリシャ人、ラテン人が野蛮と称した 
 barbar を
 「自分自身」 berbera の意味に用いている民族がある。
 
 スペイン語で Vasco と表記され、
 Basque ないし Euskal と自称する民族である。
 
 彼等は大西洋岸ビスケー湾の底に当たる
 スペインとフランスの国境を挟んでというより
  両国に分けられて居住している。
 
 バスク人の伝説で、彼等の祖とされる人物の名は 
  Tubel トゥベルという。
 
 この名称は
  カナン・ガリレアの町チベリアス Tiberias 、
  と同様
 メソポタミアの金属工 Thveli の同祖語とみられる。
 
 十六世紀のスペインの歴史家
  エステ・バン・カリバイは、
 バベルの塔の後、トゥベルという男が
 バビロンからバスク語を
  スペインへもたらしたと述べている。
 
 また、バスクの伝承には大洪水を逃れた
  Aitor はバスク人のもう一人の祖とされている。
 
 バスク語の aita は「父」を表すので、
  アイターは父祖の意であろう。
 
 また神話上の用語として「神の国」である
 jainkoaren-begi があるが、
 これはシュメル語の dingir-igi ni 対応するだろう。
 
 Euskal はフランス語では Gascogne と表記されるが、
 これはシュメル語の guskin の同祖語と考えられる。
 
 グスキンは金・金鉱の意味であるが、
  この地方からは金が掘り出された。
 
 バスク人とは、
  金鉱山に係わる金属工であったと推測できるのである。
 
 例として挙げるのであるが、バスク語で鹿を意味する
  orein はコーカサスのグルジア語での 
  iremi の同義同根語である。
 
 文法上でも能格を持ち主格と区別されるなど
 バスク語とコーカサスの諸言語との共通性を是認し、
 バスク人はコーカサスからやって来たと
  主張した学者がいた。
 
 ここで対象にされているコーカサスの諸民族とは
 グルジアに居住する諸族のことである。
 
 バスクがコーカサスと結びつけられたのは、
 グルジアの地にイベリア国がローマ時代まであって、
 その名称がイベリア半島の
  イベリア人の呼称であることにもよる。
 
 イベリア人とバスク人の関係については
  語学上原初イベリア語はバスク語であったとの
  見解を述べる学者が以前にはいたけれど、
 
 現在では原初のイベリア族は単一民族でなく、
 その言語も単一の言語でなかったと考えられる。
 
 バスク語もイベリア族の複数言語のうち一つであったとの 見解が一般的に承認されている。
 
 イベリア族も土着の民族とは考えておらず、
 外来の民族で起源をコーカサスに求められているのは
 上記の通りである。
 
 論争の争点は
 コーカサスからの移動行程についてである。
 
 その一は、コーカサスを発ち大陸を横断し、
 ピレネー山脈の北方から入ってきたというもの。
 
 その二は、アナトリアを経てアフリカ大陸に入り、
 南方から上陸して来たというものである。
 
 グルジアのイベリア半島でも
 スペインの中央から東方の地方は
 古くにはセルティベリアと呼ばれ、
 そこに住む人々をセルティベロ族 Celthbero 
 と称したが、
 この民族名について
 一般的にイベリア人とケルト人が混血して
 形成された民族であるというのが定説である。
 
 その学説によると
 紀元前九〇〇年頃から六〇〇年頃にかけて
 インド・ヨーロッパ語族が波状的に
 ピレネー山脈を越えて侵入して来たが、
 その中でもケルト人の侵入が顕著で、
 往古からの居住者イベリア人との混血が進み、
 その結果ケルトイベリ族 
 Celtbero が形成されたという。
 
 スペインの北東ピレネー山脈の南方を
 カタルナ Cataluna というが、
 そこを地中海へ向かってバスク地方を水源とする
 エブロ Ebro 川が流れる。
 
 ローマ時代にはイベリス Iberis 川と呼ばれた。
 
 河口近くに Tortosa 、Cherta の町があるが、
 トルトーサの語幹 toro- は牡牛を意味し、
 チェルタは角 khard/celt の転訛であるので、
 エブロ川は「牡牛の角崇拝者の川」
 であったかもしれない。
 
 カタルナは、
 シュメル語の kuršada (牧畜業者)、
 ドイツ語の Kuhhirte(牛飼)、
 英語の cattle(家畜:アメリカでは畜牛) 
 の同義語である。
 
 トルトーナ市は闘牛の盛んな土地である。
 
 エブロ川の河口近くに
 サン・ホルヘ San Jorge 湾があるが、
 これは英語名で sant George と称し、
 ウェールズとアイルランドの間の
 海峡名ともなっている。
 
 この聖者名は、
 第二世紀のローマ時代の
 コーカサスのイベリア人出身の
 キリスト教聖者の名である。
 
 また近郊のタラゴナ 
 Tarragona はギリシャの東北方に当たる
 トウキアの地名と対応する。 
 
 そこにもエーゲ海に流れ入る
 エブロス Evros 川が流れている。
 
 Thraki/Tarraga-na は「崇拝者」を意味し、 
 Iben と同義である。
 
 エブロ川を遡ると
 バスク地方のナバル Navarra に至る。
 
 ナバ nava は
 バスク語で「山間の平原」を意味するが、
 その東部に現在 Lumbier の町がある。
 
 この町はかって Habier と称し、
 十六世紀に
 日本へキリスト教の布教のために渡来した
 イエスズ会所属の
 宣教師フランシスコ・ザビエル  
 Francisio de Xavier の出身地である。
 
 Xavier は英語名で、
 スペイン語では Javier で Habier のことであり、
 
 彼の名は
 「ハビエル出身のフランシスコ」の意である。
 
 ハビエルは、キリスト教の場合修道士であるが、
 シュメル語においては祭司である。
 
 シュメル語において、 
 Sabur,haber は祭司を表すことはすでにみた通りで、
 バスク語とイベリア語の間で発音の転換がみられる。
 
 Iberi を Javier の転訛と考えても
 祭司である崇拝者を表すことになる。
 
 イベリア半島の「牡牛崇拝者」達は
 遠い祖先の縁故関係にある
 カルトイベリア人出身のキリスト教聖者が
 ゲオルゲ George を信奉することにより
 祖先伝来の「牡牛崇拝」を
 キリスト教へと宗旨替えしたのである。
 
 だが、
 その伝統のすべてを捨てたわけではなかった。
 
 闘牛はナバラ地方から興ったとされるが、
 ハビエルは祭司、つまりハフリ(祝)で、
 牛の屠殺者の町だったのである。
 
 メソポタミアの殺牛技術法の検討のために、
 闘牛の最終場面、
 闘牛士が牡牛に止めを刺す技法を紹介したが、
 このショウは牡牛屠殺の祝祭であることを前提とし、
 その祭儀がメソポタミアから
 取り入れられたと考えていたからである。
 
 スペインにおいては闘牛だけでなく、
 掛け声「オーレ」が激励のため叫ばれる。
 
 この掛け声はシュメル語の
 ār 「神を賛美する、誉める」が 
 olè に転訛したもので、
 本来祝祭におけるものである。
 
 バビロンの新年祭に吟唱が行われたが、
 マルドゥク神が牡牛を伏せて矛を立てたシーンに
 群集が上げる叫び、
 中国の雲南省の少数民族の村で
 殺牛祭の祭司が牛を刺殺した瞬間
 「オー」と参集者達が一斉に叫びを上げ、
 さらに
 日本の神社で神官が祈願の祝詞(ノリト)を
 上げる前に大きな声で
 「オー」と発声するが、
 これも
 「神を誉め祭る」
 と申し上げているのである。
 
 闘牛のショウは本来の祝祭を離れてはいるものの、
 年間の定められた日の祭事として
 開催されている古来からの
 牛飼達の伝統行事なのである。
 
 スペインでは、
 サン・フェルミンの牛追祭など
 牛に係わる行事が盛んである。
 
 学者の中にも牛をトーテムとした原住民がおり、
 牡牛への信仰が闘牛の始まりとなったと
 主張する学者もあったが、
 牛の崇拝者はクロマョン人のような
 石器時代の原住民ではなく、
 イベリア人(正確にはケルト・イベリ人)自身が
 北メソポタミアの信仰を持ち込んだものと
 考えられるのである。
 
 紀元前二千五百年頃までには
 青銅器文化と牡牛崇拝の商業的金属工達が
 半島の地中海側南方から上陸して来た。
 
 彼等の総称がとけると・
 イベリ人であったと考えるのである。
 
 紀元前九世紀以降ケルト人を初め
 多くのインド・ヨーロッパ語の諸族が
 渡来したことは確かであるが、
 
 「背が高くて肌は白く碧眼紅毛」
 
 のケルト人の遺跡は
 半島の西北部に集中しており、
 スペイン全土に分布しているというわけではない。
 
 それに比べてイベリア半島の青銅器文化は
 その原料鉱の産地の故に強盛であった。
 
 鐘形土器はその時代の象徴であったが、 
 その分布はハンガリーやザクセンあたりまでも
 もたらされていた。
 
 銅、特に錫をその手に治めた人々は
 それだけ強盛であったのである。
 
 ガリシア地方にサンチャゴ・デ・コンポステラ
 santiago de Compostela という都市がある。
 
 サンチャゴは
 「十字を切る」ことで「十字」に係わり、
 コンポステラは「組成、組合せ」であり、
 町の名称は「組合せの十字」の意味になる。
 
 これはガリシアと隣接する地方 
 Coruna(角) があること、
 
 聖ヤコブの墓であるとの伝承を持つ
 教会のシンボルを考慮すると
 「角を組合せた十字」であることが解ってくる。
 
 santi-ago の語幹はマルタ語の「しるし」を表す 
 sinjal に関係し、
 北イラクの sinjar 、
 そしてインドの Sindu の同類語である。
 
 聖ヤコブの墓があると伝えられる中世に
 巡礼の大移動を巻き起した
 教会のシンボル「赤い十字」は、
 形象がマルタ十字でキリスト教の
 布教後にこの地に入ってきたのではなく、
 それ以前に入っていたものと思われる。
 
 ガリシアは鉱物特に錫の産地であった。
 角や十字紋に対する信仰を持った
 ケルト・イベリ人が居住した土地と考えられる。
 
 鉱物の産地といえば半島の南方
 アンダルシア地方もその宝庫である。
 
 フェニキアの植民者たちが
  Cadrz 、 Malaga 、Cartagena などの
 商業都市を建設したことは
 よく知られているところだが、
 それより二千年も前に青銅器文化が
 この南部地方に入ってきたと
 史学者、J・ビセンス・ビーベスは
 説明しているのである。
 
 アルメリアは青銅器文化のセンターであった。
 セヴィラ Sevila は
 シュメル語の zabar(青銅)の
 同祖語の転訛とも考えられる。
 
M.K記

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