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第二章 エンキ神と「メ」の職能 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第二章 エンキ神と「メ」の職能


 エリドゥ市の守護神エンキについて
 賛歌はうたう。
 
  鋤とくびきを彼あやつれり、
  偉大なるエンキは
  かの神聖なる畝溝を切り開き、
  年を通じ野に穀物を実らせり、
  エンキ神は豊饒をもたらす創造主であった。
 
 シュメルの神話には
 「地の主」として淡水を意味する
 アプス apsu と深い関係にあり、
 灌漑を推進することにより農耕地を誕生させ、
 作物を栽培することにより
 穀物の実りをもたらしたのである。
 
 エンキ神の創造主としての役目は、
 「メ」の原初的保持者として
 権威付けられている。
 
 「メ」の内容については
 「イナンナとエンキ」と呼ばれる
 粘土板に書かれた神話によって知られる。
 
 シュメルの「神学者」たちが、
 百余の項目にまとめ上げた
 エンキ神の職能である。
 
 ここで重要なことは
 都市や神殿の建設方法をもたらすことである。
 
 木工や家造りの技術、皮細工は
 「神殿の建設」とも関係する。
 
 家畜飼育についても
 「羊小屋」によって代表される。
 
 金属加工に関しても
 「金属鋳造」「青銅加工」技術について、
 
 また旅をしての商売にも触れられている。
 
 政治的側面として支配権を明確化する
 「司牧」「王」「高貴な王杖」を挙げている。
 
 神職者については男女の司祭について述べ、
 性的行為を行う神職者の職能を解説している。
 
 さらに灌漑についても洪水と比較して
 説明されている。
 
 その他
 文字、書紀術、音楽、幾何学の方法、
 家庭生活、祓魔儀礼も含まれている。
 
 これらはエンキ神の創造によるもので、
 同神により指導される分野なのである。
 バビロニアの叙事詩にうたわれたとおり、
 葦や木は生えておらず、家もなく、
 都市もできてなく、
 すべて海であった大地に諸機能を植え付け、
 エリドゥ市をエンキ神は創り上げたのである。
 
 しかし、
 百余の項目全てが紀元前五千年前、
 エリドゥ市が始まった当時に存在したとは
 思えない。
 シュメル人やバビロン人が文明の進展の中で
 獲得した知識と技術を神話化して
 まとめ上げたものと判断するのが
 妥当であろう。
 
 これらの項目は、都市の国家において
 文明化された文化生活を送るための
 規範を示しており、
 エンキ神によって教唆された天則であり、
 律法をも想定していたことがみえてくる。
 
 しかし、
 違反に対する罰則などという内容はなく、
 法律という規範でない。
 
 「メ me 」は南メソポタミアにおいて
 北メソポタミアに誕れた
 牛頭信仰の象徴である角の
 変身したものであることがを述べたが、
 
 その説明援助する事実がバローチー語にある。
 
 先にバローチー語の角を表す用語が 
 khald の転訛である
 kārt であることを紹介したが、
 同語における「法律」は 
 kārūd で kārt の派生語となっている。
 
 パキスタンの
 バルチスタン中心に居住する
 バローチー人は
 メソポタミアの歴史と密接な関係にあるが、
 その訳は後述する。
 
 「イナンナとエンキ」は、
 エンキ神の専有物であった「メ me 」が
 エリドゥ市から他の地方へ
 伝播されていったことの挿話を語る。
 
 ウルク市の女神イナンナがエンキ神から
 「メ me 」を入手しようともくろみ、
 エリドゥを訪ね、
 エンキ神がもうけた酒宴で
 同神の酔いが回って朦朧としている間に
 「メ me 」をエンキ神から掠め取り、
 ウルク市へ船に乗せて持ち帰った。
 
 この挿話の意義をジャン・ポテロは
 
 「エンキやエリドゥから 
  メ me が奪われたという意味ではなく、
  イナンナとウルクもまた
  この時以来エリドゥ同様
  メ me を所有し利用するになったことを
  意味している」
 
 といっている。
 
 つまり、
 エリドゥの神殿の権威が
 他の都市にも波及したことを
 示しているのであり、
 各都市によって守護神は変わっても
 権威を象徴する神殿の概念が
 踏襲されていることの証左となる。
 
 また、
 エリドゥの神殿の信仰に従い
 奉献が行われたのである。
 
 森林がなく木材を輸入しなければ
 入手できない
 南メソポタミア地方にとって、
 北メソポタミアでのように
 高床式神殿を作るためには、
 木材は不適当であっただろう。
 
 当然大量に作り得る煉瓦を積み上げた
 建物を神殿とすることに
 転換されたことは明らかで、
 大規模化も可能となったのである。
 
 階段は神殿が
 巨大な土塁の上に造られるようになったために
 必要になったのではない。
 
 高床式神殿にあった階段が
 「天への門」であるという観念を
 尊重しているのであり、
 
 ジックラトの主要な
 特徴となっているのである。
 エリドゥ文化が南メソポタミア全域へ広がった
 証左の代表的要素である。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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