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第二章 角と「メ」信仰 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第二章 角と「メ」信仰
 
 シュメル語における角を表す用語は 
 si であることはすでに紹介した。
 
 この si の発音はどちらかというと  
 qi に近かっただろうと思われる。
 
 si を含む王子を表す 
 patesi は
 サンスクリット語の同義 
 pataka と同根語とみられるが、
 ここでは ka と表音されている。
 
 si と表記される角は 
 khald の語頭の残存であると
 判断できるのである。
 
 サンスクリット語には 
 arāda という「長い角のある」を
 意味する用語が、
 あるいは「登ること」に係わる 
 ārudha ないし ārudhi という用語があり、
 アッカド語の 
 aradu (降りる) に対応する。
 
 これらは都市名エリドゥ 
 Eridu 関係すると思われ、
 Eridu は khald の二千年を経た後の
 転訛である可能性もある。
 
 角 khald が階段 
 galam を象徴していただろうことは
 すでに推察した。
 
 王子を表す
 シュメル語には 
 patesi のほかに nun がある。
 
 『シュメルの王名表』の冒頭に表れる
 「王権が天下から下った時
  エリドゥに王朝が成立した」の
 エリドゥの都市名である
 ヌンキ nunki は
 「角の王子」の市と解釈することもできる。
 
 そうすると、
 patesi の同義語とされる 
 ensi は「地方長官」の意味もあるが、
 エリドゥの都市であることになり、
 エリドゥ市の守護神ということにもなる。
 
 Enki であることになり、
 エリドゥ市の守護神ということになる。
 
 En は長官とともに「主」を表すので
 「角の主」となる。
 
 これまでエンキ神について、
 その神話から
 「地の主」との理解が一般化しているが、
 ジャン・ボデロが「メソポタミア」の中で
 「その正確な意味は確かめられていない」
 と述べるよう「地の主」と
 解釈するだけでは十分でないのである。
 
 参照のために角を意味する
 
 ペルシャ語は shākh 、
 バローチー語は hānt 、
 スィンディ語では siñu 
 
 であることを付け加えておきたい。
 
 また、
 ギリシャ語の 
 έρδω は
 「犠牲を献げる」を、
 άρδωは
 「灌水(家畜に)水を飼う」を意味する。
 
 角を表す 
 si の絵文字※の形象がエリドゥ遺跡から
 発見された釘状の土器と
 関係あるだろうことを先に述べた。
 
 この丁字形の角を模したと思われる
 楔形文字が
 シュメル語 me の礎でもあろう。
 
 「メ me 」は
 「信託、天測、律法、摂理」を意味するが、
 重要事項は神話においてそれが原初的に
 エンキ神の持ち物であったことである。
 
 粘土で焼成された角状の si は
 エンキ神の象徴であったと解釈できる。
 
 さらに、
 me は「高み」を意味する 
 mah と発音が近似しており、
 e-mah 寺院の「高み」から
 抽象化されたと考えられる。
 
 高床式神殿の概念が
 踏襲されているようにみられるのである。
 
 si は角を意味するとともに
 「眼」としても使われた。
 
 シュメル語の「眼」を表す
 楔形文字は※で me の同類である。
 
 ※は igi と読まれるが、
 この用語は興味深い。
 
 目を意味する
 ドイツ語は Auge 、
 英語は eye であるが、
 それぞれ「自己」を表す一人称主語となり、
 
 Ich(ドイツ語)、
 I(英語)へと転換され、
 「自己の、わたしの」を表す所有格は
 my(英語)、
 mein(ドイツ語)、
 
 目的格「自己を、わたしを」は
 me(英語)、
 mich(ドイツ語)となり、
 目は自己を表す用語と
 直接的な関係を持っている。
 
 バローチ語では
 一人称単数の主語「わたし」は man で、
 一人称複数「我々」は mā で
 所有格が may となる。
 
 また、
 グルジア語の一人称単数の
 「わたし」は me で
 複数「我々」は
 スバルと関係するが tschven である。
 
 シュメル語の me も
 指示動詞「ある」の意味で使われているが、
 また me は「眼」であるとの
 解釈も成り立ってくる。
 
 日本語での「眼」の訓読は「メ」であり、
 また死語になっているが「マツ」と呼ばれた。
 
 睫は「マツゲ」つまり「眼の毛」で
 眼は「マツ」である。
 
 この me 及び mat は
 日本語だけに特異な用法ではない。
 
 サンスクリット語に mat 、
 ギリシャ語に mati とあるばかりでなく、
 中本正智が『日本語の系譜』で
 その調査を発表しているように
 ヨーロッパ、アジアに広がっている。
 
 me は「眼」を表すばかりではない。
 
 日本語で「台風の目」といわれるように
 「その中心」を意味するが、
 英独語の例にみられるとおり、
 「自己・主体」に係わる用語である。
 
 インド・ヨーロッパ語圏において
 「自己・主体」を表す用語は
 「スバル」に係わる。
 
 「スワ sva ・ スヴェ swe 」である。
 
 例を挙げると、
 インドの十九世紀植民地からの独立運動を
 スワデシュ Svadesh 運動、
 現在のアフリカ南部にある国名 
 スワジ Swazi 、
 スイス Swiss の国名から 
 スラブ Slav の民族名まで、
 さらに日本の諏訪から
 太平洋の ハワイ Hawai まで関係する。
 
 スバルは
 十字紋、卍字紋が起源であることは
 すでにみたが、
 十字紋の交差点、
 卍字紋の中心を 
 me というのである。
 
 北メソポタミアから
 スバル人とも呼ばれたカルト人が
 南メソポタミアへ持ち込んだ
 高床式神殿の象徴「牛頭」は
 エリドゥの神殿における
 信仰の歴史のなかで、
 「 me 」に変身したのである。
 
 この me の信仰を最も盛大に行ったのが
 スバル人たちと思われる証拠がある。
 
 スバル人の土地を流れている大河は
 ティグリス河で、
 ギリシャ人が虎の意味で
 付名したものであること、
 またその名が 
 Dicle 河であることを述べたが、
 この ディクル は虎を意味していない。
 
 円いもの、敷衍されて、眼ないし瞼を表す。
 
 シュメル語によるティグリス河の呼称は 
 idigna である。
 
 これまでアラビア語による解釈によって
 「急流の河」などと解釈されてきたが、
 「眼の河」と考えられるのである。
 
 シュメル語で 
 id は川を、 
 igna は igi-na の短略語で
 「眼の」を意味すると解釈できる。
 
 ハブール川がトルコ国境から
 多くの支流を集めるながら西流し、 
 
 西方から流れ来るシャブール川と
 合流して南流する地点の少々東に
 テル・ブラク Tel-Blak 遺跡がある。
 
 遺跡名は現代名であるが、
 Blak は
 アルパチア遺跡の碗形土器の垂幕に推察した
 brag に係わる聖所の呼称であろう。
 
 この遺跡の紀元前四千年紀の神殿から
 「眼の偶像」と呼ばれる
 石に彫られたか焼成粘土で作られた
 高さ二から十一センチメートルの奇妙な像が
 三百体も数千個の破片とともに発見された。
 
 この神殿跡にはこのような偶像が
 二万個は埋まっていると推測されている。
 
 同様の像は同時期の遺跡、
 例えば
 シンジャール山脈の
 グライ・レシュ遺跡などからも
 発見されており、
 奉納のためのシンボルと考えられている。
 
 エリドゥ神殿の丁字形粘土焼成品と
 同じ役目である。
 
 偶像の形象は「二つの眼」と
 思われる造形が強調され、
 人間の上半身から
 腕や手・頭の部分は元より
 鼻や口耳などを除いた、
 時には台の上に
 ドーナツ状の輪を
 二つ造形しただけの像さえある。
 
 神殿の内部には
 十字形の中央広間が組み込まれていた。
 
 規模は百十ヘクタールの広さがあり、
 ウルク後期に当たる南メソポタミアの
 ウルクの市の神殿と同等の大きさで
 内部装飾も壁画を石製の円花飾りと
 テラコッタのコーンで構成したモザイク、
 祭壇には色石で継ぎ合わせた帯状装飾と
 金の帯が組み込まれているなど、
 ウルクの市の神殿に
 匹敵するものであったことが知られる。
 テル・ブラクのある地籍は
 スバルトゥの重要な地域で、
 スバル人によって
 創建されたと十分考えられる。
 
 これは、
 紀元前四千年紀から紀元前三千年紀にかけて
 後期ウバイド期文化が
 北メソポタミアへ影響した結果である。
 
 その文化的特性は煉瓦による
 神殿造営を第一の要素とする。
 
 Me の信仰が北上し、信仰の象徴として
 「眼の偶像」の神殿が作られたのである。
 
M.K記



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