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第二章 カルト人と南メソポタミア [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

第二章 カルト人と南メソポタミア


 これまでアルパチや
 遺跡遺跡出土の碗形土器にこだわって、
 ハラフ期の北イラクにおける
 宗教的状況について追求してきた。
 
 紀元前六千年頃
 すでに高度に洗練された信仰世界が
 成立しつつあった
 証左がここにあると思われる。
 
 そして、
 「祝:はふり」が取り行う祝祭の起源が
 北メソポタミアにあり、
 牡牛の屠殺による奉献が極めて重要な
 信仰行動であったことが解った。
 
 また、
 この文化を創造した人たちが
 カルト人であったこと、及び彼等は
 後になってスバル人と呼ばれたことを
 確認しなければならない。
 
 南メソポタミアのエリドゥに移住してきた
 第一の先住者はどういう人たちであったかが
 焦点である。
 
 先にはエリドゥに来た人々は
 すでに神殿を作る慣習を持つ
 人々であることを推察した。
 
 そして、
 これまで傍証してきたとおり
 北メソポタミアで高床式神殿を建てる
 信仰心と技術能力を
 獲得したカルト人こそ第一の先住者と考える。
 
 紀元前九世紀になると、
 南メソポタミアのペルシャ湾沿岸に
 カルディア(Chaladae)人と呼ばれる
 有力な部族が現われる。
 
 彼等は西セム系の民族といわれ、
 紀元前十一世紀ころから
 現在のシリア方面から
 アラム人と前後して南下してきた
 部族とされている。
 
 その民族名について、
 故地から持ち込んだ呼称との推察もできるが、
 彼等が占拠した地域名に依るもので
 あったとも考えられる。
 
 西セム系である
 アラム人の一派との見方もあるが、
 文書に表れた両者の関係は
 明確に区別されている場合が多い。
 
 カルディアの名称は部族名ではあるが、
 その居住した地域名に依るものと
 考えた方がよさそうである。
 
 紀元前八世紀の半ば
 新アッシリアの帝王
 ティグラト・ピレセル三世は
 統治政策として
 被征服民の集団的強制移住を行い、
 アラム人をエラム方面に
 イスラエル人をアッシリアへ移させたが、
 移住させられた人民の名として
 オロンテス河畔へ移された
 カルトゥ人の名がある。
 
 旧約聖書創世記には
 「カルデア(Chaldaea)のウル」の地名が
 出てくる。
 
 ウル、エリドゥなど
 ユーフラテス川の河口に近い地域で
 同河の南岸一帯を
 当時カルデアと呼んでいたのである。
 
 旧約聖書には創世記のほかに
 エゼキエル書、ダニエル書、ハバクク書にも
 カルデア人の呼称が出てくる。
 
 その内容からすると、
 新バビロニアのユダヤ人
 バビロン捕囚の時代及びその後にも
 この地方はカルデアと
 呼ばれていたといってもよいであろう。
 
M.K記
 連絡先:090-2485-7908
 

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