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第二章 高床式建物と神殿 [創世紀(牛角と祝祭・その民族系譜)]

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
 執筆時期:1999~2000年

《第二章 高床式建物と神殿

 

アルパチャの碗形土器に描かれた

高床式建物

ARPACHIYAH1976.jpg

 

 再三アルパチャ遺跡の碗形土器に

 戻ることになるが、

 容器の底円形の中に描かれた図柄は、

 日本人の想像力には

 瞬間的に反応できるものである。

 

 神社の高床式神殿を

 簡単に連想できるからだが、

 ヨーロッパの人々にはそうはいかないだろう。

 

 階段を備えつけた神殿は

 日本の神社の本殿そのものの構造をもつ。

 

 この高床式建物に表された想念は、

 これまでの牛頭信仰の基礎にあった

 埋葬儀礼を抜け出しており

 葬送と関係はなくなっていると思われる。

 

 「牛頭」を崇拝の対象とした信仰へと

 発揚していると思われる。

 

 まずどのような理由により

 高床式建物は造られたのであろうか。

 

 推測の範囲に過ぎないが、

 農耕が進歩し耕作面積が

 拡大したことにより、

 麦類が主な穀類であることは

 明らかだが、

 その収穫量が増え、

 重要な種になる穀粒を

 安全に保管する必要が

 生じたのではないだろうか。

 

 河川の洪水で野生獣の群れの襲撃を

 避けるためには高い所に

 貯蔵しておくことが有利であったからと

 考えられる。

 

 ハラフ期のその当時の草原地帯は

 害を及ぼす野生獣を

 完全に排除できるような状況では

 まだなかったのではないか。

 

 また、家畜化したとはいえ

 羊、山羊などは放し飼い状態であっただろう。

 

 シュメルの絵文字など

 柵に囲われた様子を礎にした

 羊の表記(○のなかに+⊕)がみられるが、

 その時代より三千年も古い時代の状況である。

 

 動物を柵内に囲って飼育し始めたのは

 何時の頃だろうか。

 

 大ザブ川沿いの

 ザウィ・チェミ遺跡の羊の家畜化が

 始まった頃は

 その必要も全くなかっただろう。

 

 柵が必要になったのは

 牛や馬の大型獣の家畜化を

 始めた時期以降だろう。

 

 野生の馬や牛が絶滅に近くになり、

 その確保の必要に迫られてからと考える。

 

 必要量の不足が予想されて捕獲して保持する

 あるいは繁殖させる知恵が働いたのである。

 

 後世十五世紀末に始まった

 イングランドの囲い込み運動、

 さらに

 日本の海岸で1970年代から始められた

 ハマチ養殖業はその例である。

 

 アルパチャの碗形土器に描かれた

 この高床式建物の時代は、

 まだ野生獣類は草原地帯に大量に棲息し、

 人間を脅かす存在であった。

 

 特に牡牛は獰猛でその威力に対する恐れが

 神格化され祀られたとの見解もある。

 

 野生獣から収穫した麦などの穀類、

 特に種とする穀粒を守り、

 神の加護を祈願したと理解したいのである。

 

 神は「高み」に座す。

 

 神の座所に至るためには、

 はしごあるいは階段が必要になる。

 

 高床式神殿には必ずはしごか階段が

 ついていなければならないのである。

  《参考》

 ※Tell Arpachiyah (Iraq)


 

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、

 マルタ十字紋等

 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に

  描かれている) 



 

 ※高床式神殿


 


M.K記



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